鳴釜神事の実際と考察 19
土地の障りから発し、その後の神仏の祀り方の間違いから、事態が悪化してしまった例です。
この家は、30年程前に、古い家を壊し、その場所に新しい家を新築しました。
工事中に、大工さんが怪我をしたり、家の者が病気になったりしました。
家が完成すると直に、この家の長男が交通事故で頭に怪我をし、30年後の今も、後遺症に悩まされ、満足な仕事が出来ません。
この家の方が、私の所に来られましたので、此方の巳神に、この家の障りを出してもらいました。
勾玉形のものを見せてもらいました。
これは、宗旨に原因が有る、と取ります。
向かって右上のものは、この家の長男の障りです。
何か分かりません(私の中では分かっていますが、自信が有りませんので、今は書きません)。
そして此方の巳神に、この家の土地の障りを見せて欲しいと尋ました。
霊視している妻が、「亀の頭の様な物が出て来た、鼻が赤い」、と言います。
「亀と違う、、蛇やわ」、「色は白ではないわ、グレー、薄茶色、綺麗な色ではないわ」、と言います。
「もの凄く怒っているわ、開けてる口が、真っ赤やわ」と言います。
私はこの蛇に、「この屋敷の守り神か」、「なんで、そんなに怒っているんや」、「この家の人間が、何か不条理な事をしたんか」、「口を閉めてみ」、と言いました。
妻、「口を閉めたよ」、「閉めたら、何かくわえているわ、黒い紐やわ」、と言います。
私、「そのくわえた黒い物を、私の前に持って来て、此処に置いてみ」、と言いました。
妻、「前に置いたよ」、「蛇やわ、死んだ蛇や」、と言います。
私、「ちょっと聞くが、この黒い蛇は、あんたの連れ合いか」、と聞くと、蛇は、「そうだ」、と言います。
私、「そうか、あんたの連れ合いか」、「何であんたが、死んだ連れ合いをくわえているんや」、「この家の者が、あんたの連れ合いを殺したのか」、と尋ねると、「そうだ」、と目で合図をします。
私、「そうか、それは気の毒な事をしたな、この家の者がどんな事をしたのか教えてくれ、見せてくれ」、と聞きましたが、何も反応が有りません。
私、「この家の者が、30年前に、この家を解体した時に、あんたの連れ合いに、不条理な事をしたんやな」、と聞くと、「そうだ」と目で合図をします。
私、「そうか、それは大変やったな」、「この家の者が、あんたの連れ合いを殺したんやな」、「悪い事をしたな、わしからも謝る」、と言いました。
私、「ちょっと聞くが、この家の長男が、この家が完成した後、直に交通事故に遭って、今も調子が悪いが、これは、あんたが連れ合いを殺された事に対し、この家の者に、あんたの無念を知って欲しいが為に、事故に遭わせたんか」、と尋ねると、「そうだ」と答えます。
私、「そうか、あんたも悲しい思いをしたな、大変やったな」、と言い、「しかし、この家の者も、この長男だけでなく、他の人も幸せやないが、許してやってくれるか」、と聞きますと、妻が、「許さん、と言ってるわ」、と言います。
私、「あんたの気持ちも良く分かる、どうや、わしがこの家の者に侘びを入れさすから、そして、あんたも満足する様に、どちらも気がすむ様に仲を持つから、許してもらえんやろか」、と聞きますと、霊視している妻が、「絶対許さん」、と言ってるわ、と言います。
相談者の方は、このやり取りの始終を聞いていましたが、是非家に来て、祈祷をしてくださいと言われます。
祈祷の前日から、私の体に、この家の御先祖様が入って来ています。
相当なきつさです。
あれだけ怒っていた蛇の念は、何も感じません。
今回は、妻の方に入っていませんので良かったのですが、久しぶりに体にこたえる祈祷になりそうです。
祈祷の当日、この家に着き、仏壇の前に座り、御本尊様を見ますと、中央の掛軸前に、何か分からない仏像が御厨子に入り鎮座しています。
この家の宗旨は、曹洞宗です。
この仏像は、見た事もない御顔で、手が四本、頭に・・・・・、忘れました。
日本の仏像ではありません。
今日、私達が来るので、普段横の床の間に祀っていたのを、この仏壇の中に置いたと言われます。
仏壇にはリンゴが二つ供えてありますが、何時お供えしたのか、表面がしわくちゃです。
横の床の間には、旅行に行った時購入した御札が祀られています。
私達が来るので、床の間に祀っていたものを仏壇の中に入れた、というのもおかしな話です。
私がこの仏像を除け様と思い、仏壇の中に手を入れると、腰に痛みが入りました。
この痛みは、この家の御先祖の訴えから来る痛みです。
「邪」は、私の中には入りませんので、この家の御先祖から来る訴えです。
この厨子に入った仏像を取り出し、横に置きました。
厨子の後ろから、本来の掛軸が顔を出しました。
書き記すのが遅くなりましたが、この家の母親は、長男の交通事故の後、直にある新興宗教に入り、今もその御守りを首にかけています。
この母親も少し前に交通事故に遭い、足に金属を入れていますが、この宗教に入っていたので助かった、と言われます。
又この家は、以前一度は絶えてしまいましたが、他人が入り、今の状態になっています。
仏壇には、一番上段、向かって左側に絶えてしまった御先祖様の位牌、右側に今の方の御先祖様の位牌が並べてあります。
〜家先祖代々の霊位の位牌は、一番後、見えない所に置いてあります。
この家の御先祖様に、今までの事を詫び、許してもらえるなら姿を見せて欲しいと告げ、お経を上げますが、全く御先祖様の気配が有りません。
この仏壇は空です。見事に空です。
そうこうする内に、霊視している妻が、「横の仏像が踊り始めたよ、手足を動かしてダンスをしているわ」、と言います。
笑ってしまいましたが、この仏像に憑いているものは分かっていましたし、こんなものは一番後回しに始末つもりでいました。
しかし向こうから出て来たものですから、こいつを先に始末する事にしました。
私、「こら、あほなやつ、お前はわしをなめとるんか、お前が思うほど、わしは弱くはないで」、「踊ってたら、楽しいか、下手な踊りやの、あほかお前は」、「姿を出してみ」、「あ、出て来たで、口が出て来たで、偉い偉い、今度は目を見せてみ」、「あ、目が出て来たで」、とからかうと、妻が、「汚い、黒い口が出て来た、口の中が真っ赤やわ」、「目も出て来たよ、何か分からん、汚い狐やわ、顔だけ出てるよ」、と言います。
私はこいつに、「お前、ちょっと其処に居れ、逃げたらあかんぞ、ええな」、と言いました。
そして、まだこの類が居るのが分かりましたので、「他にも居るやろ、何もしないから出ておいで」、と優しく言うと、妻が、「出て来たわ、小さい狐やわ、白いよ、顔だけ出てるよ、可愛いよ」、と言います。
私、「もう一つ居るやろ、出ておいで」、と言うと、妻が、「大人しい、白い、可愛い稲荷さんが出て来た」、と言います。
私はこの稲荷に、「あんた、見たとこ、神さんの稲荷やろ、何で此処に居るんや、後ろの小さい狐さんも仲間か」、と聞いても、何も言いません。
「あんたがこの家で、悪い事をしてるんか」。
「あんた、伏見から来たんか」、と聞いても、何も言いません。
「あんた、伏見に行って、修業するか、行くんやったら道つけるで」、と言うと、妻が、「行くと言ってるよ」、と言います。
私、「後ろの狐さんも、伏見へ行くか」、と言いましたが、妻が、「理解できないみたい」、と言います。
早速、伏見稲荷の白狐(白狐社)様を御呼びしますが、この日は何回御呼びしても御姿が見えません。
素人の方には理解できないと思いますが、神様も12月、1月(年末年始)(特に伏見稲荷大社は)は忙しいのか、このクラスの神様になると、普段はどの様な事に対しても御姿を御見せになりますが、この時期はなかなか来てもらえません、来て頂いても、見るからに忙しくしていらっしゃるので、此方も少し気を使います。
この家の場合は、此方の巳神が、「わしが伏見へ連れて行く」、と言われました。
鳴釜で送る事にし、狐さんに、「あんたら、待っときよ、後で釜を焚いて送るからな」、と告げました。
しかし、この家の仏壇(先祖)にお経を上げるのですが、なかなか反応が有りません。
すると妻が、「手が出て来たよ、何か指で格好を作っているよ、合わせて手も見えてるよ、合わせた手の中に玉が出て来たよ」、と言います。
妻、「座っている仏像が出て来て、その姿が後ろに何重にも続いているよ」、と言います。
この家の本尊、お釈迦様の坐像です。
やっと軟化してきました。
お経を上げ続けていると、妻が、「紙で作った人形(ひとがた)が、棒に貼り付けられて、地面に挿してあるよ」、と言います。
私はこの時点では、この事が何か分からなかったものですから、この紙の人形に対し手刀をおろしました。
妻、「手刀をおろしたら、風が吹いて、人形がひらひら風に吹かれている」、と言います。
私は此方の巳神に、「この紙の人形は、一度絶えてしまったこの家の御先祖と観ますが」、と聞くと、「そうだ」、と答えます。
私、「この家の者が、○○を信仰しているが為に、成仏出来ないと観ます」、「しかし、一度絶えてしまった先祖の宗旨は仏教ではないと取ります」、と言いますと、「そうだ」と答えます。
巳神に、この先祖は釜で上がりますか、と聞きましたが、反応は有りません。
この時点までで、2時間位かかっています。
私達がこの家に来た第一の目的は、この屋敷の蛇に侘びを入れる事です。
しかし、まだこの大事な事に、全く手をつけておりません。焦って来ました。
次は、兎に角、この屋敷の蛇を呼ぶ事にしました。
やはり直に姿を見せました。待っていたのでしょう。
蛇は、最初から死んだ連れ合いをくわえて姿を見せました。
しかし、以前の様な、此方への怒りの様なものは感じられません。
少しは此方の気持ちが伝わったのでしょう。
私、「すまんな、こうして釜を焚いて謝るから、許してくれるか」、と言いますと、霊視している妻が、「表情が緩んだよ」、と言います。
私、「釜を焚いて謝るから、此処の長男の頭の病気を治してやってくれるか」、と言いますと、妻が、「蛇が皮膚を噛んでる、人の皮膚やわ」、と言います。
私、、「御免な、もう許してあげてくれ、頼むから」、と言うと、妻が、「噛んでる皮膚を離したよ」、と言います。
直に鳴釜の準備に取り掛かりました。
私事ですが、この時点位から、体の寒気、頭痛がひどくなって来ました。
私にしては、この様な事は余り無く、珍しい事です。
妻はこの時点までで、トイレに三回行っています。
書くのが遅れましたが、この家は築30年ですが、床が腐って歩き難いほどふわふわしています。
妻は、この家に入った途端、土間に立った時もふらふらしたと言います。
釜に火を入れます。
今回の鳴釜は、真っ先この家の蛇に侘びを入れる事。
この家の御先祖様を成仏させる事。
仏像の中に入っている邪(狐)を消す事。
白い稲荷と、十匹位の稲荷を、此方の巳神に頼み、伏見へ連れて行ってもらう事です。
湯が沸騰してきます。
米を入れます。
しかし、釜は全く鳴りません。
巳神に、何故鳴らないのかを聞きますと、家を解体する時に埋めた井戸の所に行け、と言います。
家の人に、以前井戸があった所に連れて行ってもらい、お酒を撒き、ローソクに火をつけました。
今度は大きな音で釜が鳴ります。それも相当長時間鳴っています。
この家の蛇に許しを請います。
霊視している妻が、「蛇が少し青白い色に変わったよ」、と言います。
少しは許してくれたのでしょう。
この家の御先祖様に対しても、今までの祀り方を改め、信仰宗教は止めて、これからは○○宗で祀りますので、成仏してくださいと告げました。
白い紙の人形も、すーと消えて行きました。
仏像の中に入っている「邪」(黒い口元、赤い口の中、汚い狐)も、直に消えて無くなりました。
白い色の稲荷さん達には、「皆で伏見に行って修業をして、今度は人を助ける為に出ておいでよ」、と言い、巳神には、「地神さん、この稲荷さん達を伏見に連れて行ってくださいよ。伏見に行って、白狐様に渡してくださいよ」、と言いました。
少し時間がかかりましたが、稲荷達は上に上がって行きました。
私は妻に言いました、「もう何も出てないか」、と。
妻は、「何も見えないよ」、と言います。
何時もの祈祷なら、私も妻もこの時点では、今まで私達の体に入っていたこの領域のものも、全て浄化され、私達の体も大変清清しくなるものですが、今回は違います。
妻は、やはりトイレに行きたいと言いますし、私は頭痛に加え、今度は熱も出て来ました。
肺から鼻に出る空気に熱を持っているのが分かります。
妻が突然、「此方の巳神から同じ様な巳神が出て二体になって、それが絡み合って、又二体になって、その二体の巳神の間に、少し前から姿を見せている小さな巳神が見える」、と言います。
・・・・・・・・・・・・・・・・?
頭痛がさらにひどくなって来ました。
この家に着いてから4時間以上祈祷を続けています。
少し疲れました。
この家の方が、もう一つ観て欲しいと言われます。
この家の娘さんの嫁ぎ先の家業が、全く駄目な状況だが、何か原因が有るのか観て欲しいと言われます。
又家内がトイレに行きます。
何回行ったのか、分かりません。
此方の巳神に聞いてみました。
霊視している妻が、「青い葉っぱが付いている枝が見えるよ、枝が曲がって、水みたいなものに葉っぱの先が着いているよ」、と言います。
私は巳神に、「水死した仏さんと観ますが」、と言うと、妻が、「水面が揺れて、輪が出来てるよ」、と言います。
私はこの家の方に、娘さんの嫁ぎ先に、入水自殺をした人は居ませんか、と聞きましたが、分かりませんと言われます。
そして、この家なら昔、水で亡くなった人が二人居ます、と言われます。
何故妻が、トイレばかり行くのか分かりました。
そして、何故この家が、築30年程で、湿気の為に床が抜けて、建て替えを考えてるのかも分かりました。
この家の方は、娘の嫁ぎ先の事は、後日聞いてみます、と言われますので、この時点で帰る事にしました。
普段の私なら、まだこの先話を進めて、完璧に対処するのですが、今日はこれが限界でした。
帰りに食事をし、鎮痛剤を規定より多く飲みましたが、全く効きません。
この領域の作用です。
夕方家に着きましたが、体調は最悪です。
私は巳神に、「聞きたい事が有りますので、姿を御見せください」、と言いました。
巳神は直に姿を見せました。
私は妻に、地神さんの顔をしっかり見ておくように言いました。
私、「地神さん、今日は有難う御座いました、それにしてもしんどい祈祷でしたね、私としては何時の通り、丁寧に祈祷をしたと思っています。しかし家に帰って来てもまだ体に残っているものが有ります。地神さん、今日の祈祷はこれで良かったですか」、と聞きました。
妻、「地神さん、首を何回も横に振ったわ」、と言います。
私、「地神さん、まだ残した事が有るわけですね、有るのなら、何が残っているのか此処に出してください」、と言いました。
妻、「紙の人形が棒に貼られて、地面に突き刺されたものが出て来たわ、賽(さい)の河原みたい」、と言います。
私、「地神さん、これは釜を焚いて上に上げたはずです、まだ何が足りないのですか」、と聞きますが、巳神は何も言いません。
私は、まだ分かりません。
原因が分からないまま、少し熱いめの風呂に入りました。
少しはましになりましたが、まだ残っています。
次の日の朝、まだ私の体には、昨日のものが残っています。
何時もの様に巳神にお経を上げていますと急にひらめきました。
昨日私は、紙の人形に対し、本心から成仏を願ったのか、この紙の人形に対して剣をおろして、後は他の事に気を取られてしまい、事務的に釜を焚いてしまったのか・・・・。
本来の私は、もっと丁寧に一つ一つ、情けを掛けて対処するはずが、・・・・。
そう思いながら、、紙の人形の形を取って、私達の前に窮地を訴えて来た御先祖に対し、お経を上げ始めると、私の体からすーと出て行くものが有ります。
一度絶えてしまった御先祖様です。
認めて欲しかったのです。
これで本来の体調に戻りましたが、今回は良い勉強になりました。
後日(12月20日)、心残りな事が有りましたので、巳神にもう一度、勾玉の形の事を聞いてみました。
宗旨の乱れは分かりますが、もう少し詳しく教えて欲しいと頼みますと、白色のもの、棒の様なもの、形は図に示す様に変わったりします。
この家の長男の因縁をもう一度聞きました。
図の下に示されたものが出て来ましたが、・・・・・。
分かりません。
難しいものです。