稲荷神は本当に怖いのか
 世間では「稲荷は怖いのでうかつに縁を持つものではない。軽い気持ちで祀るものではない」と言う声を聞きますが、果たして「稲荷神は本当に怖いのか?」、と問われれば、「はい、それはそれは本当に怖い神様です」、と答えざるを得ません。

 昔は栄えたであろう大きな屋敷の敷地にポッンと朽ち果てた稲荷社が放置された状態で見たりする事はよく有る事です。

 私の所には、昔から祀られている稲荷社が家に在るが、今は誰も手を合わせる者も無く、此処何十年間も放置されている状態です。昔は栄えた家であったが、今は没落して家族や親戚も不幸な状態にあります、という相談が沢山寄こされます。

 そして長年放置されていた稲荷社に果たして神様(稲荷神)は居られるのでしょうか、又、もし其処に稲荷神が居られたらどの様な状態の稲荷神で、私達に何と言っておられるでしょうか、出来たらもう一度お祀りさせて頂きたいのですが、という問いが続きます。

 稲荷神をこの領域から、又学術的に研究されてる方は沢山居られますが、この様な問いに対し、その対象となる稲荷神と接しておられる方は少ない様に思われます。

 日常、稲荷神がどの様な考えで稲荷神を祀る者と接しておられるのか、実際に今まで数え切れない程経験した中から、その一例の流れを極簡単にを書いてみたいと思います。

 この家は夫婦共、各自会社を経営されています。

 これまでに何回も奥さんの会社の危機を伏見稲荷様に助けて頂きました。

 御主人の会社の危機も伏見稲荷様に助けて頂きました。

 長い間順調な経営状態が続きました。

 私達が行う祈祷の内容も全てが商売繁盛に終始しました

 ある時期からお金儲けだけではなしに両家の複雑な御先祖様の供養もされたらどうでしょか、という私の提案に沿って御先祖様の供養もされる様になりましたが、その意味が解っておられないのが分かりました。

 ある日、奥さんの身体に悪性腫瘍が見つかったのですが、余り心配されていない様に見受けられました。

 次の祈祷も商売繁盛に私の希望を入れて病気平癒も兼ねた形で行いました

 その時、京都伏見稲荷大社から、先ず御呼びしても来られない様な高位の神霊が来られてこの方の病気平癒の釜に同席されました

 私にも責任が有りますが、長い付き合いですので、この方の悪性腫瘍が完治するなら良しという思いで、その腫瘍を私に入れました

 途端に、この方と同じ場所が膨らんで頭痛が続き、肩もこって言葉も喋り難くなりました

 途端に、この方から症状が無くなりました

 夫婦共、会社は順調な状態にありました。

 その後の連絡は有るのですが、商売の話しに始終します

 「○○さん、商売の事ばかりで自分の身体の事は心配にならないんかな?・・・」、と妻が言います。

 「あっ、命婦専女神様、怒ったな」、」と確信しました。

 その時期から、この家で祀る伏見稲荷様の御姿も出なくなりました

 そうこうしていると、かねてから私がこの方に言っていた通り御主人の会社の経営状態が悪くなって来ました

 商売繁盛の釜の為に現地に行ったのですが、私の方の地神様の姿もこの家の伏見稲荷様の御姿も全く見えません

 「あ・・・此処の伏見稲荷様もついに怒ったな」、と思いました。

 御主人の会社の商売繁盛の釜から薄黒い雲の様なものが出ました

 「あ・・・御主人の会社を通して、この方に知らせを送っているな」、と思いました。

 6〜7か月後、私にしてもこの方の悪性腫瘍をいつまでも体に入れておく訳には行かないのと、何故、この方の悪性腫瘍を私に入れたのかという事にこの方が気がついていないのを知りましたので釜で返しました。

 私がこの方の悪性腫瘍を私の中に入れた後の、この方の考えに命婦専女神様は本当に怒ってしまわれたと思います。(私にしても余計な事をしたと反省しています

 途端にこの方に痛みが出て来ました。

 「あ・・・この間に気がついていればこの方の腫瘍は消えたのに・・・」、と思いました。

 やはり御主人の会社の成績が落ちて来ました。

 その後、この方に違う病気が発見されましたが、まだ商売繁盛にこだわらておられのが解ります。

 もういろんな意味で最後になるかも知れませんので、商売繁盛は横に置いて病気平癒の祈祷だけをされたらと思いました

 その事についてこの家の伏見稲荷様をお呼びすると、先ず最初に、「ローソク立?の様なものが出て、其処から真っ直ぐ上に線が上がって、その線の上に↑(矢印)が付いてるわ。その矢印の線の元から左右にひげの様なものが斜めに出て・・・揺れてる?様な・・・」、と妻が言いました。



 次にローソク立?の様なものの左右に稲荷様が二体出て来ましたが、本来のこの家の稲荷様のタイプとは全く違う雰囲気が見て取れます

 本来、この家の伏見稲荷様はもっと元気良く前に出て来る様な稲荷様でしたが全く変わってしまっています。

 この家の伏見稲荷様ですかと尋ねると、「そうだ」、とうなづかれるのですが、向かって右側の稲荷様の、向かって右側の目が三日月形で斜め上に吊り上り、黒い目の玉が目尻の位置に在ります

 完全に疑っている、此方(この方を)を信用していない目です

 向かって左側の伏見稲荷様は大人しく前を向いています。

 「○○さん、また病気が新たに見つかったが・・・、今回、あんたらも久しぶりに姿を見せたが・・・、やっぱり、何か・、意味が有るので姿を見せたんやろ?。○○さん、あんたらがこの方に言おうとしている、知って欲しいと思っている事の根本がまだ全く解ってないと思うが、それでもあんたらは姿を見せてくれたんやな・・・有難う。どないや?、私らの役目はまだ有るんか、あそこに?」、と尋ねてみました。

 私の問いには何も答えません。

 「あんたらが私の所に来た事・・・、命婦専女神様には通ってるんか?」、と尋ねると、「向かって右側の稲荷さんが、ドンと地面を叩いたわ。怒ってるみたいやわ」、と妻が言いました。

 「当たり前だ。命婦専女神様も怒っている、と取りました。



 「○○さんはどう言うか知らんが、もし○○さんが私らに来てくれと言ったら、○○さんの所へ行って良いんか?」、と尋ねると、「向かって左側の稲荷さんだけがうなづいたわ」、と妻が言いました。

 「地神さん・・・、○○さんはどう言うか知らんが、其処に私らのお役はありますか?」、と尋ねると、「矢印の線が釜の中に入って行ってる場面が出て来たわ」、と妻が言いました。



 それにしても久しぶりにこの家の伏見稲荷様の御姿が出ました。

 後日、○○家に行く事になったのですが、まだ商売繁盛にこだわっておられるのが分かります。

 「まだ商売繁盛だけを思っておられるなら、この祈祷は止めましょう、と言わせて頂きました。

 「白い布がパタッパタッと左へ左へ折られて行くわ・・・」、と妻が言いました。



 後日、現地の祈祷時、この家の伏見稲荷様をお呼びしたのですが中々お姿は出ませんでした。

 祈祷は病気平癒の祈願だけにしました。

 しばらくして稲荷様の御姿は出たのですが、直ぐに消えよう消えようとします

 今日、この場に来て頂いたお礼を述べて、稲荷様には稲荷様の本心を聞いてみました。

 勿論、声に出さず、「どや、○○家の稲荷さん、あんたら○○さんの頭の中がお金の事ばかりで、自分に得になる事ばかり考えている事に嫌になってしまったんやろ?。あんたらの助けが有って今の○○さんの会社が在るという事を○○さんが解ってないので嫌になってしまったんやな。それは命婦専女神様も同じやな?」、とたずねると、「稲荷さん、うなづいてあったわ・・・どちらも」、」と妻が言いました。

 声に出さず、「そうか・・・、それで御主人の会社をちょっと揺らしたんやな。でも○○さん、まだ解ってないとわしは(私は)は思うが・・・。ところであんたら、京都の伏見稲荷に帰ってしまっていたんやな。そこをまた来てくれたんやな。まあ命婦専女神様に行けと言われて来たんやろけど・・・、実はな・・・わしらも・・・もう・・・此処は最後にしようと思って来たんやが・・・兎に角、わしらの言う事を聞いてくれんのや・・・伏見様には今まで何回も謝る事が有った事はあんたらも覚えてるやろ?・・・ええ加減に解ってもらわんとわしらにしてもせがない。何で命婦専女神様が○○さんを特別に助けて来られたのか、その訳が解らん、全く解らん。そんな命婦専女神様が怒ってあったというんやから、相当程度が悪いんやろ。まあ・・・○○さんが最初伏見稲荷大社へ行って手を合わせたその気持ちが他の誰よりも純粋やったんやろと思う。多分、○○さんが最初伏見稲荷に行って手を合わせた内容は商売繁盛の祈願では絶対になかったはずや。その純粋さを命婦専女神様が気に入ってあったと思うが、いざ、会社が順調になってお金が入って来ると人が変わってしまったんやろな。しかし、もうこの段階になると、実際、あんたらも伏見に帰ってしまったし、もう大概は稲荷と縁が切れてしまうもんやが、また来てくれたんやな。ちょっと尋ねるが・・・家(うち)(私の方の地神さん)の神さんか?、命婦専女神様に、「もう一回許してやって、チャンスを与えてやってくれへんか?」、と頼んだのは?」、と聞くと、「うなづいてるわ・・・どっちも」、と妻が言いました。

 声に出して、「そうか・・・有難う御座います。命婦専女神様にも宜しくお伝えください」、と伝えているのですが、「稲荷さん・・・直ぐに薄くなって消えてしまいそうになるわ・・・」、と妻が言いました。

 此処に居るのが嫌だという事が解ります。

 声に出さず、「稲荷さん・・・ほんまの事を言うと、あんたら、○○さんが本当に反省しているのか、見に来た訳やな?」、と聞いてみました。

 「どや?。稲荷さん、うなづいてるか?」、と尋ねると、「うなづいてるわ」、と妻が言います。

 「それと・・・稲荷さんの真ん中にローソク立?の様なものが出て上に線が上がって・・・根元から左右にひげの様なものが出て揺れてる様な?ものがまた出てるけど・・・」、と妻が言います。



 「稲荷さん、釜を焚いて詫びますので、もう少し此処に居てください」、と伝えて釜を焚きました。

 釜が鳴り終わって、「どや?」、と聞いたのですが、「何も・・・」、と妻が言います。

 「まあ・・・そやろな・・・」、と思いました。

 「稲荷さん・・・居るか?」、と聞くと、「何か・・・薄〜くなってしまったわ・・・」、」と妻が言います。

 二つ目の釜はこの方の病気平癒を祈願して焚きました。

 釜が鳴り終わって、「どやった?」、と聞くと、「何にも・・・稲荷さん・・・お経を上げだした途端、消えてしまったわ・・・」、と妻が言います。

 「そうか・・・帰ったか・・・」、と思いました。

 声に出さす、「地神さん・・・稲荷さん、今、草津くらいまで帰ってるか?」、と聞くと、「地神さん、うなづいてるけど?・・・」、と妻が言います。

 まあ、これには笑ってしまいましたが、一応、今回の祈祷は成功と観ます。

 途中、声に出さずに稲荷様に聞いた事が有ります。

 「稲荷さん・・・どや?、○○さん、本当に気がついて反省しとる様やから・・・頼むな?」、と聞くと、うなづいておられました

 「ところで稲荷さん・・・、もうちいとま(もう少しの間)、伏見で観ておられますか?、この方らを」、と聞くと、うなづいておられました。

 「ほな、頼むわな」、と伝えると、うなづいておられました。

 祈祷が終わってやれやれと思っていると、「ローソク立の様なものから線が上に出て・・・その根元から左右にひげの様なものが出ていたの・・・あれ、漢字の「人」の様に思ったけど・・・そうやわ、あれ「人」やわ・・・」、と妻が言います。

 「???、あっ、そういう事やな・・・。上から釜に入ったら、「人」、とも取れるな・・・あの形は」、と思いました、

 「それと、丸い大きな金色の玉が出てる・・・」、と妻が言います。

 「あ・・・、伏見さん、許してくれたな・・・」、と思いました。

 声に出さず、「地神さん・・・、主人の会社も大丈夫ですか?」、と尋ねると、「地神様、うなづいとってやわ」、、と妻が言います。

 丸い金色の玉が出た事、御主人の会社が大丈夫な事、本当の事をお伝えすると気が緩みますので、何も言わずに黙って帰って来ました

 この後、今回の祈祷の結果は徐々に出て来るでしょう。

 稲荷神はお金儲けの神様と世間では言われていますが、とんでもない思い違いです

 この神様は行き着く所、祀る方(人間に)に精神的、倫理的、道徳的なものを要求して来ます

 確かに、この神霊を祀り始めて最初の内はお金に結びつく恩恵や名声を得る事が多々あります

 其処で、「稲荷様を祀っていればお金が入って来る」、と勘違いし、その思い違いが長く続けば、やがて稲荷様は祀る者に愛想を尽かして其処から去って行きます

 何も知らずにその去って行った抜け殻に手を合わせていると、其処にはお金だけが好きな念の存在が入って来ます

 この後、どの様な展開になるのかは書きません。

 反対に、稲荷様をお祀りしてある程度の金銭的、精神的安定を得て、人間的にも成長を続けておられる所には、この神様は涙が出るくらい優しく接してくださいます

 そして正統な稲荷神をお祀りしている所の金銭的安定というのは、世間の人がその人や会社を垂涎の的(すいぜんのまと)として憧れる様なものでは決してなく、誰から観ても、極普通の小市民的なものに観えるものです

 稲荷神は人間的成長を伴う所には非常に優しく、金銭的、物欲的な考えに感化された所には非常に厳しい態度を取られます

 稲荷神をお祀りして一時的に繁栄した家や会社が長続きしないというのは、その様な事に気がつかず、粗末にした結果だろうと思います。

 尚、祈祷の事を聞いた時に出て来た図Bについて考えるには、今回の祈祷は、釜を焚いて○○さんの考えを浄化させる、という意味なのでしょう






 しかし、先ず、普通の所ならとっくの昔に稲荷神は居なくなり、既に商売は厳しい状態になっていると思われますが、やはり此処は、この様な状況でもまだ一時的にも稲荷神が来られるという事は、やはり此処は特別な何かがあるのでしょう。

 尚、家に伏見稲荷様をお祀りしていない者の大いに余分な、勝手な私見なのですが、この近年、京都伏見稲荷大社、白狐社の前に立って命婦専女神様の御姿を乞いますがその御姿が出ません。

 絶対に命婦専女神様の御力が必要な祈祷内容に寄っては、前々から私の方の地神様を通してお知らせさせて頂いてる祈祷時にはその御姿が出ますが、白狐社の前に立っても御姿が出ません。

 「何でかな?・・・」、と考えます。

 それはやはり、其処(京都伏見稲荷大社)で働く人に関係があるのかも知れません。

 以前はそうではなかった様に思いますが、最近、神社の境内に足を踏み入れると地面が揺らぎます。

 素人の方でも正統な神霊が付いている方なら理由がお解りだと思います。

 家に伏見稲荷様をお祀りしていない者の無責任な私見でした。









 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 












鳴釜神事の実際と考察