以前、「鳴釜神事・・初心者の釜は何故良く鳴るのか」にも書きましたが、
釜は鳴って当たり前、鳴らない様に焚く方が数百倍も難しいものです。
鳴釜は鳴る様に作ってあるので鳴るものです。
カップラーメンにお湯を入れて3分間待てば誰でも自然にラーメンが出来るのと同じ様に、コンロに火をつけて、沸騰して来たところへ米を入れれば釜は鳴ります。
釜が鳴らないという事は先ずありません。
鳴っている釜を持ち歩いていると音が止まる事、止まる場所がよく有りますが、殆どが建物の構造上から来るもので、この領域が起因して鳴っている音が止まるというのは稀な事です。(注:方角によっては鳴らない事も偶にはあります)
釜を持ち歩いている途中で湯の
温度が下がれば当然釜の音はその時点で止まります。
又、持ち歩いている釜の中の湯の状態・・・例えば、施術者の歩き方で
釜の中の湯がどの様な状態にあるのかでも、鳴り方が変わったり音が止まったりします。
その様な場合、施術者がその場で歩くのを止めて釜の中の湯の状態が落ち着けば釜は再び鳴り出します。
また、
釜を持ち歩かずに定位置に置いて、鳴っている途中でストンと急に鳴りが止まる事が極稀にあります。
この様な場合は、施術者自身が何故鳴りが止まったのかと考えて、その考えが正しい場合、再び釜が鳴り出す事もありますが、それは
本当に極々稀で、最初からの施術に戻って釜を焚きなおす事になります。(
注:鳴っている釜が急に一瞬ストンと止まって、次の瞬間鳴り出す事は何ら珍しい事ではなく、まま有る事です。)
しかし、もし、最初からの施術に戻って釜を焚き直して釜が鳴れば良いのですが、鳴らない場合は
施術者の力量の問題になります。
釜を持ち歩かずに定位置に置いて鳴っている釜の音がストンと止まる例以外は、この領域とは余り関係のない事が多いと思います。
もし持ち歩く施術者の鳴っている釜が、この領域に関係した場所で止まった場合、
その釜がその場で再び鳴り出す様にするのも施術者の力量にかかってきます。
又、
物の祓いとして、いろんなものを鳴っている釜の直ぐ上や釜の中に入れて祓いをする場合もありますが、釜の上をふさぐのですから当然音は小さくなったり、場合によっては止まります。
又、
祓いの物を釜に近づけただけで音が止まる事もあります。
簡単に書きましたが、上記した、
釜を定位置に置いて鳴っている音が急にストンと止まる例以外は、日頃釜を焚いているとよく有る事ですが、その様な事ではなく、
当然、釜が鳴るであろう技術的、条件的なものを全て満たした上で釜がうんともすんとも鳴らなかった希少な例を書いてみたいと思います。
妻は初めて経験したと言いますが、私の記憶では私が一人で祈祷を行っていた初期の頃に一回ほど経験した覚えがあります。
その時は二回程試してみましたが全くうんともすんとも鳴りませんでした。
この家の場合は後で理由が判明しましたが、
釜を焚いた時点では、一人暮らしの主人の親がもう亡くなっていたという事です。
この釜を焚いた一週間くらい後、孤独死で発見されました。
又、
釜が鳴らないというのは全く鳴らないという事で、かすかに音らしきものが聞こえて来て、それ以上大きな音にならずに消えてしまったという事はままある事ですが、今回は
全くその音のかけらも無く、またそれが何故そうなったかという希少な例を書いてみたいと思います。
何故この家に祈祷をしに行く様になったのかという経緯は極力省き、何故その様な展開になったのかという部分だけを書いてみたいと思います。
この家の御先祖様の複雑なルーツの部分は書きません。
東京在住の方から実家の事で連絡を頂きました。
最近、60代のお母さんが亡くなり、40代の独身の男兄弟、二人だけになってしまいました。
この家は男が代々短命で、長男はひどい頭痛持ち、異常なほどの眠気を訴え、異常なほどの頻尿が続いています。
連絡をされて来られた次男もひどい頭痛、吐き気、体のだるさ、首や肩、背中の痛み等があって、病院んで検査をしたが異常は有りませんでした。
またここ2年間ほどで2回、バイクで交通事故に遭い、2回とも足に怪我をしました。
60代で亡くなった父親もひどい頭痛持ちでした。
つい最近亡くなったお母さんが異常なほど近所の拝み屋の言う事を信じて沢山の物を買わされ、身内の人が注意してそれらを処分された様ですが、私達が行った時はまだ沢山の物が残されていました。
また、今回連絡されて来られた方が中学生の頃、お爺さんが庭の石を動かして欲しと言うので石を持ち上げたら、その石の下に蛇が丸まっていたと言われます。蛇は大人しくて動かないので、お爺さんがシッシッとけしかけると仕方なさそうにゆっくりと側溝に逃げて行ったと言われます。
それ以来、車が頻繁にこの家の塀や玄関にぶつかって家が壊れるという事が起こり始めました。
最初は自分達で直していたと言われますが一度や二度ではないので、市に頼んでガードレールを付けてもらったと言われます。
早速、地神様に聞いてみました。
私、「地神さん・・・、亡くなられたお母さんが・・・何か?・・・占い師に近い様な拝み屋の言う事をうのみにして、いろんな物を祀ったり飾ったりしてるらしいが・・・まあ、それはちょっと横に置いて、この方の住む地域の地名からすると・・・何か?、この土地に居られると思うが・・・先ず、それを見せてください」、と伝えて、「龍神祝詞」、を上げました。
妻、「石?で出来た土管の様なものが出て来たわ・・・」、と言います。
私、「地神さん・・・石?・・・それ・・・何か?居ってやな。その中に何が在るのかを見せてください」。
妻、「・・・水?みたいやわ・・・透明やわ・・・」、と言います。
私、「地神さん・・・ちょっと、そのものの御姿を見せてください」。
妻、「・・・水?の上に・・・何か?・・・変な形が出てるわ・・・」、と言います。
私、「巳さんやな・・・」。
妻、「折れてる部分もあるけど?・・・」、と言います。
妻、「その上に・・・引っ掻いた様な斜めの線が出てるけど?・・・」、と言います。
私、「地神さん・・・拝み屋から買ったいろんな物を殆どは処分されたと言われるが、拝み屋に憑いてこの家に入り込んでいるものを出してください」。
妻、「カクッ・・・とした・・・角の様なものが出て来たけど・・・」@。
私、「あんた、ちょっと出てみ・・・」。
妻、「こんなものが出たわ・・・」(妻が指で形を描きます)A
私、「それ・・・牙や・・・下あごの牙や・・・。あんた、わろてみ(笑ってみ)」。
妻、「何か?・・・笑った様な?・・・動いたわ・・・」、と言います。
私、「あんた・・・拝み屋と一緒に動いとるものやな?。まだそっちへ行くかどうか分からんが、もう消え」。
妻、「人間の手の様なものが出て、バイバイという様に手を振ってるわ・・・」B、と言います。
妻、「それと・・・その横にも人の手が出て・・・その手が黒いミミズの様なものをつかんでるわ・・・」C、と言います。
私、「ええかいな・・・分かったからもう消え」。
妻、「消えたけど・・・指の爪で引っ掻いた様な線が出てるわ・・・」、と言います。
私、「引っ掻いてるか?・・・。地神さん・・・どないしましょう(どうしましょう)?」、と尋ねてみました。
妻、「何にも言わないけど・・・」、と言います。
私、「・・・何にも言わんか・・・地神さん・・・」。
妻、「・・・?・・・石の?・・・神社や寺で見かける・・・手すりの様な物?が出てるわ・・・それが棒の様なものでつながってるわ・・・」、と言います。
私、「???・・・それは・・・多分・・・この家の先祖の複雑なルーツから来とるものやろ・・・。拝み屋とは関係ないやろ・・・多分。???・・・墓石?・・・とも取れるし・・・その石・・・つながってるか?・・・」。
私、「地神さん・・・どないしょ(どうしましょう)?」。
妻、「何も言わないわ・・・」、と言います。
本来、この土地には地神様が居られるが、長年に渡り、拝み屋に憑いてるものの作用で本来の状態ではない・・・要するに負けてしまっている・・・窮地に居られると観ます。
三週間後、結局、祈祷に行かせて頂く事になったのですが、祈祷の二日前の午後8時ごろ・・・普段、もうこの時間に地神様をお呼びしても姿が出ないのですが、駄目で元々と思い呼んでみますと、直ぐに地神様の御姿が出ました。
呼んでくれるのを待っていた様です。
それだけの価値が有ったという事です。
何も聞く前から、
妻、「・・・?・・・こんなものが出てるわ・・・」、と言います。
この家の巳神様(水神様・地神様)と観ます。
祈祷までの三週間の間に、此方の地神様が何らかの事をしたと観ます。
此方の地神様が拝み屋の念を一時的に封じたという事です。
実際、この三週間の間は確かに祈祷などで忙しくしていましたし、地神様にもこの家での祈祷の段取りを何回か聞いたのですが何も教えてくれませんでした。
何も教えてくれないという事は、事前に見せてくれるものからでは、私達の能力では解明出来ないものがあるのか、又は此方の地神様と現地の地神様の考えている事に何か?隔たりが有るのか?・・・。。
そんな訳で、いろんな選択肢に対処出来る様に、いろんな表白を考える事にしました。
拝み屋に憑いてるものの念を消す事は慣れていますので、それは問題ないのですが、この家の地神様をどう扱ったら良いのか、それを悩みました。
普段東京に住んでおられる弟さんは祈祷が終われば東京に戻られるし、果たして、独身のお兄さんがこの家の地神様の面倒?を看られるのか、等を考えていますと考えがまとまりませんでした。
そして最終的には、現地に行って、直接この家の地神様の考えを聞いて対処しようという事になりました。
勿論、この家の地神様が祀って欲しいと言われれば、それに対処出来る様に勧請の表白も用意し、もう大元の所に帰られる考えならば、御送りさせて頂く表白も考えて祈祷に挑みました。
拝み屋がこの家に残して行った物(民芸品や土産物まがいの物、誰でもネットで買えるそれらしき御札、石、水晶など)、拝み屋と行動を共にしている輩の念の消除は、もう殆ど無いに等しい状態まで地神様が事前に消していた様に思います。
床の間に飾ってあった民芸品の様な曼荼羅は高いお金を出してお母さんが買われて大事にされていた様ですが、こういうのを見ると腹が立って来ました。
昔、知り合いの日本で一番厳しい修行で有名な○○宗の祈祷をされるお坊さんが急に亡くなられましたが、長年に渡り寺の厳しい内情も聞かされていましたので、そんな状況で真面目によく頑張っておられる方だと感心していましたが、ある時期からピタッと寺の内情を話されなくなりました。
それから一年もしない内に住職は亡くなりました。
50代半ばの若さです。
この住職は人を騙す様な事は絶対しない方なのは自信を持って言えるのですが、高額の寄付に付いて(憑いて)来た出所の不浄なお金にやられた・・・というよりも、この住職を守護していた神霊の怒りにふれたのだと思います。
この領域でお金を頂くというのは覚悟が要るものです。
話がそれましたが、この家の床の間には龍の絵の掛軸がかけてありましが、一時的というか、その瞬間だけ、この家の地神様が入って、それらしき形になって出て来られました。
この後鳴釜神事に入りましたが、今回に関する事以外の展開は省きます。
一つ目の釜が終わり、二つ目の釜に入りました。
一つ目の釜で祓い消すものは無くなりましたのでこの家の地神様をお呼びしましたがお姿は出ませんでした。
私、「地神さん・・・この家の巳さん・・・御姿が出ないという事は、龍神の大元の所へ釜で送らせて頂きますが、それで宜しいですか?」、と尋ねました。
妻、「うなづいてあったわ・・・」、と言います。
地神様がうなづいてあったという事は、
この家の地神様はこの土地から神霊の大元の所に帰りたいという事だなと取りましたが、私の中では大いに疑問がありました。
私の中では、この家の地神様はこの地で祀るべきだという思いでいました。
しかし会社員で独身の男の人が地神様をお祀りするのは無理が有ると観ましたので、それも仕方がない事だとは思いました。
この家の地神様には、今までの不備を詫びて、また守って頂いたお礼を述べて、大元へ帰る表白を呼んで釜を焚きました。
湯が沸騰して来て米を入れたのですが、
釜はうんともすんとも鳴りません。
全く鳴りません。
横に居る妻が、
妻、「こんなの初めてやわ・・・」、と言います。
「何の落ち度もないはずや・・・。一つ目の釜で消すものは消した・・・。先祖供養もさせて頂いたが何も問題は無かった・・・。何やろ・・・・」、と思いました。
声に出さずに・・・、地神様にはいろんな事を聞きましたが・・・地神様も分からなかった様です・・・。
声に出さずに、
私、
「地神さん・・・、此処の巳さん・・・ひょっとしたら・・・最初は大元の所に帰る予定やったが・・・直前に気が変わって・・・やっぱりこの家で祀って欲しいという気持ちに変わった・・・という事ですか?。それを地神さんも分からなかったという事ですか?」、と尋ねてみました。
私、「地神さん・・・うなづいてるか?」。
妻、「うなづいてるわ・・・」、と言います。
この家の方には、何故釜が鳴らなかったのかという理由を説明させて頂きました。
この家の地神様は、初めは大元に帰りたかったが途中で気が変わってこの家で祀って欲しいらしい、という事を説明させて頂きました。
そして正式に御姿を置いてではなく、庭の隅にでもお酒を置いてお祀りする事は可能ですか、とお聞きしましたら、祀らせて頂きますと言われます。
妻、
「それで・・・、湯が沸騰し始めたら・・・横から急にぶわ〜っと勢い良く・・・何かが?・・・来たのが解ったわ・・・」、と言います。
釜を焚きだしてから・・・湯が沸騰し出してから急に祀って欲しいと気が変わって、「大元に送らんでくれ・・・」、と釜の横から出て来たという事なのでしょう。
釜は正直です。
全く、うんともすんとも鳴りませんでした。
声に出さずに、
私、「地神さん・・・そういう事か?。地神さんも分からんかったんやな?・・・」、と再度尋ねてみました。
私、「どや?。地神さん・・・うなういたやろ?」。
妻、「うなづいたわ・・・」、と言います。
こんな事も有ろうかと思い・・・地神様勧請の表白はちゃんと私の手元に有ります。
これが一番良い選択肢だなと思いました。
「エイ・・・もう米はこの米を使おう・・・」、と思いました。
「何も、汚いものが作用していないので、この米を使おう・・・」、と思いました。
地神様勧請の表白を読み上げて、再度釜を焚きました。
釜は大きな音で鳴り出しました。
やがて音が止まって行きます。
私、「どや?。来てあったやろ?」。
妻、「居ってやわ・・・。ぶわ〜っと来た時は大きな巳さんやと思ったけど・・・割と普通の巳さんやわ・・・」、と言います。
私、「普通がええねん・・・。大きなもんが出て来たら後々かなんがな・・・。普通がええ」。
この後のこの家の地神様とのやり取りの詳細は省きます。
庭の片隅でも良いから祀って欲しいと言われましたので、場所を決めて、コンクリートブロックを置いて、その上にお酒、水、洗い米、塩、卵を置いてお祀りする事になりました。
本題に入ります。
絶対に近い程の確率で鳴る様に作られた釜が全く鳴らなかったという事は、私の方の地神様が急遽それに気がついて鳴らない様にしたのか、またこの家の地神様が鳴らない様にしたのか、または龍神の大元の神霊がその様にしたのか、または私がそう思っていたので釜が鳴らなかったのか・・・それは解りませんが、この様な鳴釜神事の祈祷において、もし経験の浅い、霊視の出来ない施術者が釜を焚けば、釜は全く大きな音で鳴ったと思います。
釜は大きな音で鳴りましたが、その鳴釜神事の祈祷は完全に失敗です。
「鳴釜神事・・・初心者の釜は何故良く鳴るのか」にも書きましたが、
鳴釜は施術者の程度による鳴り方をするという事だと思います。
しかし、
今回の例は極稀な事ですし、そう度々有る様な例ではありませんので、釜を焚かれる方もそんなに神経質になる必要もないと思います。
只、
釜が鳴ったから良かったとか、持ち歩く釜がある場所で音が止まり、其処から少し移動すればまた鳴り出したりした場合(当然、場代移動すれば釜は再び鳴り出します)、釜が鳴ったら、何故、どうなって(どんな展開が有って)、どうなったので、この様な鳴り方(音の大小だけではなく、音の強弱、音の高低、音の軽重など)になったのか、という様な説明が出来たり、持ち歩く釜の音が止まった場合、何故この場所で止まったのか、という事を説明が出来て、出来れば少し場所移動して(1〜2メートル)、再度同じ場所に戻った時、釜が再び鳴り出せば良いが、再度音が止まった場合の説明やその後の対処もしつかりやりべきだと思います。
持ち歩く釜の鳴りがある場所で止まった場合、「此処に不浄なものが在ります。居ます」だけで済ませてはいけないと思います。
・・・とは思いますが・・・中々、この鳴釜神事は奥が深く難しい神事です。
死ぬまで修行だと思います。
今回の祈祷の中の、
何故釜が鳴らなかったのか、という部分の詳細だけを書かせて頂きました。
余分ですが、何故私達がこの家に行く事になったかというのは、この家の東京に住む次男の方が、数年前から何故か急に神社にお参りしたくなっていろんな神社に足を運んだ時期があったと言われます。
1年程前、関西旅行をした時、初めて京都の伏見稲荷大社に行って強い感銘を受けて、それ以来4回程足を運んだと言われます。
そして東京の家には伏見稲荷の御札を祀られています。
東京で祀るこの稲荷様の考え、計らいで、この方の家に行く事になったと観ています。
尚、
祈祷時に姿を見せたこの伏見稲荷様・・・男の稲荷様と観ますが・・・何故か、何処かそうではない雰囲気があります。
時期が来たら、私の方の地神様から命婦専女神様の方へお聞きして、再度、お姿をじっくり見させて頂こうかなと考えています。
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