鳴釜神事を行う上の、手順、段取り等を、最初から詳しく書いて行けば良いのですが、この神事を究めれば究めるほど、厳しく、力強い作用が、この釜を通して伝わって(降りて)来ます。
この鳴釜の準備をしている段階でも、祓いの対象のものが、恐れをなして逃げて行く事が多々有ります。釜に火を入れ沸騰して来ると、更に力強い作用が伝わって来ます。
以上の事から、この神事を行う者の、広い意味の人間的な程度の高低、又神事を行う者に影響を与えているものの程度の高低により、一歩間違えば思わぬ方向に作用する危険性が有りますので、その事を思うと、手順等を細部に渡り書き記す事は、戸惑いも有りますし、責任も痛感します。
私の所には、長年に渡り何処其処で修行をした、得度をした、お経を読むのが趣味、何でも分かる、見える、聞こえる、という方(全て男性)が、鳴釜の神事を教えて欲しい、弟子になりたいと来られます。
長年修行をした、得度をした、僧侶の資格を持っている、お経の内容を熟知している、・・・これもこの神事(他の神事の事は分かりません)には、余り必要(関係の無い事)とは思えません。
分かる、・・・これは論外です。
見える、・・・見えたら駄目(一概には言われませんが、四六時中、いろんなものが出て来る様では、一度、正統な方に観てもらう必要が有ります)です。
聞こえる、・・・聞こえたら駄目(私や妻の場合、見える、聞こえる、というのは、必要な事象が、必要な条件に入った時の事です。聞こえる、というのも、先ず殆んどが耳からでは有りません)です。
特別にこの領域の修行をした、今もしている、とは全く関係無しに、極普通の方が、正統な考えを持ち、普通に日々生活をしている、この様な方が何かの縁で、霊性(本来のお役)に目覚めた時、縁有れば、この神事に進まれたらと思います。
●しかし、出来れば、この神事には進まない方が、賢明な選択とも思います・・・・。
*注 釜の伝授は行っておりません。強くお知らせ致します。