鳴釜神事による仏壇開眼供養時に観る様々な形
ウイキペディア等から・・・。
開眼とは新たに造られた仏像や仏画に魂を入れる事。
仏壇では仏壇開眼供養と言う。
浄土真宗では本尊などに魂を入れる、込めるという概念が無く、「御移徒」(わたまし)・・・新仏壇に御本尊様を本山からお受けして、お寺にお願いして「お移徒」(おわたまし)の法要を行う・・・御本尊様が渡っておいでになる、移っておいでになる・・・と呼ばれる法要を営む・・・とあります
その魂とは、各宗派の御本尊様の魂を意味します。
そしてその魂を仏壇の御本尊様に入れさせて頂く役目は生きている人間になります。
その人間とは、普通はその宗派のお坊さんの仕事になります。
当然、お坊さんは神と通じていなければならないという事になります。
私はいろんな事情のある家の仏壇に向き合う事が多々ありますが、御本尊様の魂のない、御本尊様が居られないただの箱になっている仏壇をみる事が有ります。
以前は・・・、本来は居られたであろうが、今は居られないという仏壇をみる事が有ります。
祀る側の人間の資質で、本来は居られたであろう御本尊様の魂が抜けてしまった仏壇も在ります。
そして全くの最初から御本尊様の魂が来れていないだろうな・・・という仏壇も在ります。
これはその仏壇の開眼供養をした人間の資質の問題が関係していると思います。
そんな時、仏壇のある家での祈祷の祈願成就の為に、急遽、仏壇の開眼供養をする事もありますし、祈祷前での霊視でその家の仏壇に御本尊様の魂が感じられない、または感じられても弱い時は、事前に仏壇開眼の段取りを立てて祈祷に臨む場合が多々あります。
勿論、新仏壇の開眼供養を行う事もよくあります。
いろんな種類の祈願成就の祈祷を経験して来ましたが、開眼に関しても、私の様な両部に通じる者がする仕事ではないかと、この頃になってつくづく思う様になりました。
私の場合は鳴釜神事をもって仏壇の開眼供養に臨むわけですが、釜が鳴り出すとその家のいろんな事情を反映したいろんな形で仏壇の御本尊様に向かって魂が入って行くのを目にする(霊視する)事になります。
一軒一軒、それぞれいろんな事情を抱えていますので、御本尊様の魂が仏壇に入られる形も一軒一軒違う形が繰り広げられるのも当然だと思います。
つい最近行わせて頂いた5件の仏壇開眼供養時に観たものを書きたいと思います。
先ず2軒は、前から在る、お坊さんによる開眼供養が済んだとされている仏壇に再度開眼供養をした時に展開されたもの、後の3軒は新仏壇の開眼供養を行った時に展開されたものを書きたいと思います。
勿論、各々、何故、仏壇の開眼が必要だったかという事も、その家の事情を書かせて頂かないといけませんが、それは極力簡単な説明にさせて頂きます。
*お坊さんによる開眼供養が済んでいる仏壇に再度開眼した時に展開されたもの・・・1
この家は、「某月、某日、(273)」、に登載させて頂いた家です。
この家の事情は・・・何処まで書いて良いのか解りませんが極簡単に説明させて頂きます。
今現在、この家には奥さんが一人で住んでおられます。
他の場所に住んでいた数年前に主人が女をつくって家を出て行きました。
主人は自分の親の法事にも出席せず、お嫁さんにあたる奥さんが全てを仕切り仏事を行いました。
その後、この場所に家を買って引っ越しをされて来ました。
この奥さんは主人の方のお墓参りにもよく行かれますが、ある日お墓に行くとお墓の花立や随所にガムテープが張ってあったと言います。
誰の仕業か分りませんが、「この家の墓に参ってくれるな」、という事なのでしょう。
この様な事で大変悩んでおられます。
そしてこの家には井戸が在りますが、改築の為にその井戸を埋める事になり、私の方に連絡が有りました。
この井戸には正当な神霊(地神様)が居られますが大変な怒り様で出て来られました。
私に連絡される前にこの領域の他の方にも相談されたらしく、「埋めましょう」、となった事にこの井戸に居られる地神様が怒られたという事です。
要するに、神霊としては、「相談もせずに、こっちの言う事も聞かずに一方的に井戸を埋めるな」、という事なのでしょう。
それと、この家の御先祖様が下の方でゆらゆら揺れながら出て来られました。
深〜い事情が沢山有る場合、私の方の地神様も余り沢山の情報を見せてはくれません。
私達の仕事は、先ずこの家の井戸に居られる地神様(水神様)と話をして井戸撥遣の了承を得る事と、主人が勝手な事をして家を出て行った後、お嫁さんがこの家の先祖祀りを一生懸命にされているこの間違った形から来る御先祖様の不安定な状況を正す事になります。
この家の仏壇も、引っ越しなど、ちゃんとお坊さんに頼んでそれなりの儀式をしてこの家に置いていますが、何故主人がその様な事になるのか、という事を考えれば、再度仏壇に阿弥陀様(この家は浄土真宗です)にお越し願いたいと思い、仏壇の開眼供養は必要だと思いました。
祈祷の段取りとしては、先ず、再度、鳴釜神事でこの家の仏壇の開眼供養を行います。その後、線香護摩などで御先祖様の供養(詫びます)を行います。二つ目の釜で、この家の井戸に居られる神霊と話しをして、神霊が納得される流れに沿って祈願の釜を焚きます。同時に、この家の地神様には、家屋改築の許しも請います。
一つ目の釜で仏壇の開眼供養を行います。
「伏して推れば・・・・・本日茲に、信心の施主○○○○殿・・・・・・入仏開眼供養を修し奉る・・・・・・・・」(詳細は省略します)
数種の祝詞を上げます。
コンロに火をつけます。
湯が沸騰して来ます。
洗い米を入れます。
釜は決して大きくない、波の無い普通の音で鳴り出しました。
途中、釜の音が強くなり出しました。
「あっ、良し」、と思いました。
やがて音が止んで行きました。
霊視していた妻に聞いてみました。
私、「どやった?」。
妻、「・・・・・・・・・・・音が鳴り出したら釜から手が出て・・・・同時に仏壇からも手が出て・・・・手と手ががっちりとつかんで・・・・仏壇の中に入って行ったわ・・・・・」、と言います。
私、「・・・・・初めてやな・・・・。初めて見る形やな・・・・。こんなん…初めてやな・・・・。知らんな・・・・」。
妻、「初めて」、と言います。
釜から手が出て、仏壇からも手が出て、それががっちりと握り合って仏壇の中(阿弥陀様の掛け軸)に入って行った・・・という場面は初めて見ました。
この家の状態を正常に戻すには、それだけのパワーが必要だった、阿弥陀様の強い力が必要だった、その機会を待ちに待っていたのだと思います。
この後、線香護摩などで御先祖様の供養(謝った)を行いました。(線香護摩での詳細は書きません)
二つ目の釜は、この家の地神様に井戸撥遣と改築の許しを請いました。
全て良い返事を頂きました。
正統な神霊は話せば納得されます。
それと前から解っていたのですが、この家には正当な地神様以外に野蛇も居る事が解っていましたので、その消除も行いました。
この家の井戸には、この方が引っ越しして来る相当前から野蛇が入り込んでいましたので、正統な地神様は困っていたというのは解っていました。
正統な神霊は話せば納得されます・・・・・と書きましたが、釜を焚く前にお呼びした時点では、まだ真っ赤な色で怒りを出していましたが、此方が話して説明して行くほど色が白く変わって行きました。
野蛇を連れて来て(出して)、二つ目の釜を焚きました。
釜は大きな音で鳴り出しました。
鳴り終わった後、
私、「どや?」。
妻、「釜が鳴ったら・・・釜から・・・水ではないけど・・・そんな感じのものが勢い良く上に出て・・・黒い蛇がその中に居て・・・瞬時に上に上がって消えてしまったわ・・・・釜の横に居たんやけど・・・・」、と言います。(この詳細は書きません)
この後、この奥さんはこの家の地神様を正式にお祀りしたいと言われます。
その事をこの家の地神様にお伝えすると大変喜ばれました。(この後の、この家の地神様とのやり取りの詳細は省きます)
後日、この様な写真が届きました。(御鏡の位置が御姿の後ろになっていますが、後日間違いを連絡させて頂きました)
良い方向に守ってくださると思います。
この祈祷の帰り、昼食の為に寄った店での事は、「某月、某日、(274)」、に書いた通りです。
*お坊さんによる開眼供養が済んでいる仏壇に再度開眼した時に展開されたもの・・・2
この家は、「霊視」、で登載させて頂いた方の実家です。
この家は分家ですが、本家の影響で本来の宗旨以外に、ある新興宗教を祀っています。
新興宗教をこの家に勧めた本家の人間の状態も悪く、この家も何かと問題を抱えて、「霊視」、で登載させて頂いた方のお母さんが苦労をされています。
「霊視」、で登載させて頂いた方のお母さんは最初からこの宗教に疑念を持っておられたらしいのですが、本家のそれを推し進める影響や、またこの家の御先祖様からの不安定なお知らせを受けて体や精神が不安定になっておられる様に観ました。
この家に行かせて頂く数日前、この家の事を地神様に聞いてみました。
私、「地神さん・・・、○○さんとこの実家やが・・・、お父さんもお母さんも調子が悪いらしいが・・・、この領域の何が障りになっていますか」、と尋ねてみました。
妻、「何か?・・・石で出来た・・・筒の様な・・・花立の様なものが出て来たわ・・・・それと・・・白い鳥が出て来たわ・・・」、と言います。
地神様の霊視で見せてくれたものはこれだけでした。
この家は本来の宗旨の仏壇の横に新興宗教を祀っていたと聞いていましたので、その事で、私がお伝えした様に新興宗教のものは全て返してきて、見た目では何も無い状態になっていますが、やはり、再度、仏壇の開眼は必要だと思いました。
昔、私の母親がこの新興宗教を祀っていた時は仏壇の中に祀っていましたが、今はその家の仏壇の横に祀って居る様です。
祈祷の前日、ホテルで、
妻、「昨日の夜から、時たま、白いものが横切るわ・・・・」、と言います。
私、「地神さん、明日の祈祷ですが、先ず鳴釜で仏壇の開眼を行います。その後、線香の護摩で御先祖様の供養をします。二つ目の釜でこの家の方の○○の祈願成就をします。又、この家の少し離れた工場の土地の祓いもします。それで宜しいですか?」、とお伝えしました。
妻、「うなづいとってやわ」、と言います。
妻、「・・・・お墓の花立やと思うわ?・・・花瓶?ではないわ・・・石の色やわ・・・それが横になってるわ・・・口ばしの長い白い鳥が出て来て・・・花瓶?の中に口ばしを入れてるわ・・・・・水を飲んでる様やわ・・・」、と言います。
私、「あんた・・・こっちを向いてみ?」。
妻、「向いたわ」、と言います。
この時点では、口ばしの長い、白い鳥は・・・妻が言う、「時たま白いものが横切るわ・・・」、という言葉から、本来この家の土地に居られる地神様?が・・・お墓の花立と観るものに口ばしを入れて水を飲んでいる・・・要するに、この家の土地の神霊が動いてくれるものと取っていました。
私、「あんたがこの家の祓いをしてくれるんか?」。
妻、「赤ちゃんの顔が出て来て・・・こっちを向いて・・・うなづいたわ・・・・」、と言います。
私、「明日は宜しくお願いします」、と伝えました。
妻、「赤ちゃんの手が出て来て・・・にぎにぎ?してるわ・・・・」、と言います。
瞬間、「あ・・・家の地神さんやな」、と確信しました。
祈祷の当日、この家の仏壇を観ると、「悪いものは入ってないが、空やな・・・」、と思いました。
鳴釜神事の用意をします。
「謹み敬って申し上げます。伏して推れば、如来の広大身は法界に・・・・・・、本日茲に、信心の施主○○○○殿・・・・・・恭しく本尊○○○○を奉安し、謹んで・・・・を供え、入仏開眼供養を修し奉る。・・・・願わくは而今以後、当壇に降臨影向せられ・・・・・・・・・・・」。(自ずと、表白は一軒一軒違うものになります)
数種の祝詞を上げます。
私、「目の前に・・・、今は何も見えてないな」。
妻、「何も見えてない・・・、地神さんはこっちを見ているわ」。
コンロに火をつけます。
湯が沸騰して来ます。
米を入れます。
釜の音はそんなに大きな音ではなく、少し詰まった?、大きな波のある音で鳴り出しました。
ある真言を唱えます。
ある祝詞を上げます。
釜の音は短時間で止まりました。
「この音で当然やな。ここで大きな能天気な音で鳴ったら、これは私の方が負けやな。この音で当然やな。この短さで当然やな」、と思いました。
釜の鳴る音が、今、この音で神霊がどの様な事をしているのか、今、この音で神霊がどの段階までそれ(祓いや祈願成就の作用)をやり遂げてるのかというのが解る様になるには相当な場数が必要になります。
私、「地神様、これで宜しですか?」。
妻、「うなづいとってやわ・・・」、と言います。
私、「それでどうやった?」、と聞いてみました。
妻、「釜が鳴り出すと、釜から出た光が下に降りて、また上に上がって周りから仏壇の中央にダ・・・ッと入って行ったわ・・・・」、と言います。
釜から出た光が下に降りてというのも余り見ない光景です。
私にしても大変珍しいものでした。
妻に、
私、「何も考えずに、ちょっと目を閉じてくれるか」、と言いました。
声に出さず・・・当然、妻は私が何を言っているのかは知る由も有りません。
私、「○○家の御本尊様、今、私達が行った鳴釜で宜しかったら、また、○○家に御本尊様が来られているなら、御本尊様、光を見せてください」、と言いました。
妻に、
私、「目の前に・・・光・・・出たか?」、と尋ねました。
妻、「仏壇の中が光ってるわ・・・・」、と言います。
これで良しです。
何故、釜が大きな音ではなく、詰まって波のある音で、それも短時間で終わったかというと、やはり、新興宗教という本来のこの家の宗旨と違う念が仏壇に作用していたので、それを消除する過程での音だったと観ます。
普通、詰まって、波のある音でも、消除というものが終わった時点で普通の鳴りに変わったり、その時点から大きな音で鳴り出す事もよく有ります。
しかし、この家はこれで良かったのと、この鳴り方がこの家の鳴り方だったのでしょう。
この後の先祖供養、線香護摩の詳細は省きますが、その前に、右上にはこの家のお祖母さん、左上にはこの家のお祖父さんの姿?が出ていました。
お祖母さんとお祖父さんには、長年に渡って違うものを祀っていた事を詫びて、この家の宗旨のお経、「正信偈」、を上げている途中、急に、妻の喉が詰り、声が出なくなりました。
直ぐにどんぶり鉢一杯に水を入れて来てもらい、
私、「出てみ」、と言いました。
妻、「沢山・・・仏さんが出て来てあったわ・・・・」、と言います。
私、「あんたら・・・本家の仏さんやな?。なあ・・・本家がそんなもんを一生懸命に祀っとるから・・・落ち着かんわな・・・成仏出来んわな・・・そら・・・よう解るけど・・・此処は分家や、分家に来てもらっても困る・・・分家であんたらを祀る事は出来んのや・・・悪いけど帰ってください・・・」、と伝えました。
「正信偈」、が終わって、
私、「悪いけど、帰ってください・・・帰ってくれるか・・・」。
妻、「向こうを向いて帰ってくわ・・・肩を落として・・・・」、と言います。
この後、この家の方がご自分の水子の事を気にかけておられますので呼んでみました。
私、「お母さんが気にしとってやけど・・・あんた・・・ちょっと出てみ。地神さん、ちょっと呼んでください」、と言いました。
妻、「女の子が嬉しそうに出て来たわ・・・・」、と言います。
何も心配する事は無いという証拠です。
二つ目の釜でこの家の方の祈願成就と、、少し離れた所にある工場の土地に居る低い念を消すのですが、この念が作用してこの家の御主人が怪我をされています。
釜が鳴っての詳細は省きますが、釜が鳴り出すと左から赤いものが勢いよく押し寄せて来て、その時、このものは口らしき所から黒いものを吐き出して消えてしましました。
その後、場面は真っ白になりました。(詳細は省きます)
この家の方の祈願成就の釜を焚いた後、
私、「地神さん・・・これで宜しいですか?」、と尋ねると、
妻、「花立(墓の花立)が縦に立って出て来たわ・・・・・」、と言います。
御先祖様の事もこれで良しという事です。
この後、「霊視」、で登載させて頂いたこの家の息子さんの所でお祀りする地神様にも来て頂き、いろんな事を聞いたり頼んだりしましたが、全て良い返事を頂きました。
その日の夕方、家に着いて、地神様を呼んでみました。
私、「地神さん・・・・・・・」。
妻、「・・・おもちゃの置物の様な白い鳥が出て来たわ・・・・」、と言います。
私、「地神さん、解りましたから、元の姿に戻ってください」、と言いました。
妻、「・・・家の地神さんになってあったわ・・・・」、と言います。
・・・・・○○家の仏壇の開眼も・・・これで良しです。
後日、「仏壇にお経を上げていると体が温かくなり、睡眠薬の必要もなくなりました」、という連絡が有りました。
「まあ・・・そんなもんだろうな・・・」、と思いました。
*新仏壇の開眼供養を行った時に展開されたもの・・・・1
簡単に説明します。
この家は御主人も奥さんも長男長女です。
御主人の実家の宗旨は何宗か判明しません。
奥さんの実家は新興宗教を祀り、本来祀るべきでない仏様もその宗教に則って祀っています。
子供は居ません。
夫婦とも神霊に守られて事業は順調に行っています。
そして、何故、今になって仏壇を祀る事になったかという詳細は書きません。
御主人の実家も複雑で、代々続いているであろう宗旨も分らない状態です。
今回、新仏壇の開眼に際し、私の方の地神様に聞いてみました。
私、「地神さん・・・○○家の仏壇の開眼ですが・・・浄土真宗本願寺派でお祀りするのが良いと思うのですが・・・どうですか?。その宗旨で宜しいですか?」、と聞いてみました。
妻、「うなづいとってやわ・・・」、と言います。
この事をお伝えするとそれで結構ですと言われますので、浄土真宗本願寺派で開眼する事になりました。
表白、祝詞などの詳細は省きます。
コンロに火をつけます。
湯が沸騰して来ます。
洗い米を入れます。
釜は何の支障?もない音で大きくなり出しました。
普通の大きな音です。
やがて音が止んで行きました。
私、「どやった?」。
妻、「・・・・何か・・・釜から上がった白い光が・・・左右・・・違う方向に回って・・・ず〜っと回っていたわ・・・」、と言います。
私、「それだけか?」。
妻、「それだけ」、と言います。
妻に、
私、「ちょっと、何も考えずに目を瞑ってか」、と伝えました。
声に出さず、
私、「○○家の仏壇に来られたであろう阿弥陀如来様、この私達が行った鳴釜で本当に来られているなら其処で光を出してください。地神さん・・・伝えてください」、と言いました。
私、「何か出たか?」、と聞いてみました。
妻、「光ってるよ・・・仏壇の中が・・・・」、と言います。
「良し」、と思いました。
「来た」、と思いました。
帰り道、運転をしながら考えていたのですが・・・、今回、御主人の方の仏壇の開眼をさせて頂いたのですが、奥さんの方の実家も新興宗教に一生懸命になっている・・・、釜から出た白い光が左右反対方向に回っていた・・・というのは、この御夫婦の実家はどちらも先祖祀りが出来ていない・・・その両家の御先祖様が来られた形なのかとも思いました。
しっかり祀って欲しいと思います。
残念なのは・・・この方々とは10年近く前からの知り合いですが・・・確かに、この家へ行く度に先祖祀りの重要性は解っていたのですが、仕事第一の生活をされていましたので其処まで踏み込んで言われなかった事が残念です。
・・・・・というのは、10年前に仏壇を開眼していたら、この夫婦には跡取りの子供が出来ていたはずです。
それが残念です。
*新仏壇の開眼供養を行った時に展開されたもの・・・2
簡単に説明します。
この家の主人は長男で実家は宗旨変えをしています。
その為か、実家の家族の人間関係に不安定なものが有ります。
この家の奥さんの実家は先祖祀りというものの概念が無いのか、そんな環境で育った為、御先祖様に手を合わせる意味が解らない様です。
子供はまだ居ません。
この夫婦が住んでいる今の場所でも良いので、御主人の方に代々続いている本来の宗旨で祀る様に進言しましたところ、本来の宗旨で祀る事になりました。
初めてこの家に行き奥さんを観た瞬間、「あっ、この人は嘘があるな」、と思いました。
御主人とは正反対の方だなと思いました。
もうこれだけで、私の中にある今回の開眼供養の意義の重要性が果たしてこの方に通じるのかという疑問で不安になって来ました。
その他の事情は省き、仏壇の開眼供養の展開だけを書きます。
仏壇開眼供養の表白、祝詞などは省略します。
コンロに火をつけます。
湯が沸騰して来ます。
洗い米を入れます。
私の意義?にそぐわず・・・・私が思っていたものとは違う・・・・私が思っていた様な程度とは違う・・・・ものすごく大きな力強い音で釜は鳴り出しました。
釜は長い時間鳴っています。
やがて音が止んで行きました。
私、「どやった?」。
妻、「・・・・釜が鳴ったら・・・・「どん」、と上から光が落ちて来た様な・・・・光が扇形で落ちて来た様な・・・・雷が落ちて来た様な強さで・・・・仏壇の中に入って行ったわ・・・・・」、と言います。
私、「そうか・・・まあ・・・よう観る形やな・・・・」。
妻、「そうやね・・・・」。
実際、この形で仏壇に魂が入るのはよく観ます。
私の意義?にそぐわず・・・私の思っていたものとは違う・・・私の思っていた様な程度とは違う・・・ものすごく大きな力強い音で鳴り出したのは・・・この家の事情から、それだけの大きな力が必要だったという事なのでしょう。
仏壇には力強い魂が入りましたが・・・果たして、この家の奥さんの考えに一抹の不安を残して帰って来ました。
*新仏壇の開眼供養を行った時に展開されたもの・・・・3
簡単に説明します。
写真を撮ったらこの家の方の肩に手が写っていたが、その後、家族の一人が体調を崩されて今に至っていると言われます。
「某月、某日、(280)」、に登載させて頂いた家です。
この家には仏壇は在りません。
この家の御主人は次男で、お歳も高齢です。
長男は居るのですが行き来はないと言われます。
両親が亡くなった時、何故か永代供養に出してしまい、長男の家にも次男の家にも仏壇がありません。
「某月、某日、(280)」、で登載させて頂いた絵で、両手を合わせて上に上げている仏様は、この方のお父さんです。
男の跡取りが居るのに仏壇がないという不条理を説明させて頂くと、仏壇を祀らせて頂きますと言われます。
改めて、祈祷の二日前に祈祷の段取りを立てました。
先ず、一つ目の釜で仏壇の開眼を行います。その後、線香護摩などで御先祖様の供養(詫び)させて頂きます。二つ目の釜で病気平癒、霊障消除、因縁解脱を祈願します。他に土地の祓い、写真に写った手の元への対処、それと、これはこの家の方にはお伝えしていませんでしたし、又私の方にしても体に訴えて来るものからして、この地域に居られる神霊(地神様、水神様)を釜で本来の所へ御送りする仕事が、今はそのお姿は出ないが、この家で祈祷を行わせて頂くもう一つの大事な仕事になるのかな・・・と思っていました。
鳴釜神事の用意をして新仏壇の開眼供養に入ります。
「謹み敬って申し上げます。伏して推れば・・・・・・・本日茲に信心の施主○○○○殿、新たに造立する所の仏壇に、恭しく本尊・・・・・を奉安し、謹んで香華灯燭湯菓茶等を供え、鳴釜の神事をもって入仏開眼供養を修し奉る。併せて先祖の・・・・・・安置し供養を伸ぶ。願わくは而今以後、登壇に降臨影向せられ・・・・・併せて回向し奉る所は・・・・・・霊位仏果菩提の為に」。
数種の祝詞を上げます。
コンロに火をつけます。
湯が沸騰して来ます。
洗い米を入れます。
釜が鳴り出しましたが・・・・「あ・・・やっぱりな・・・・この音やな・・・この音が鳴らんと意味がないな・・・こんなとこで能天気な音が鳴るということ事態・・・おかしいな・・・まあ・・・この音やろな・・・この家は・・・」、と思いました。
釜は詰りながら波を伴って・・・波(音)が頂上まで来るとストンと音が弱くなって・・・↑・・・↓・・・↑・・・↓・・・の繰り返しです。(鳴釜神事の音について「大阪、「○○自動車工業」の感謝の祈祷での出来事とその後)」を参考にしてください)
音は消して大きな音ではありません。
やがて音が止んで行きました。
私、「どや?」。
妻、「釜が鳴ったら真っ白い光が釜から出て・・・釜から仏壇の方に向かって両手を合わせた手が出て・・・す・・・っと仏壇に入って行ったわ・・・・」、と言います。
私、「仏壇からこっちに向かって合わせた手ではなく・・・・こっちから仏壇の方に合わせた手やな?」。
妻、「そう」。
私、「それだけか?」。
妻、「それだけ」。
「跡取りの男が二人居りながら・・・・それも高齢の男が・・・誰も家に仏壇を置く気も無しに・・・仏事は寺任せで・・・よく今まで・・・・」、という私個人の考えとは別に・・・・「平穏な入仏開眼供養やったな・・・良かった・・・」、というのが私の感想です。
実際、この家の方とお会いしてみると、確かに何も解っておられないのは解りましたが、悪気なしに、純粋に何も考えず、仏事はお寺さん任せで良いと思われていた様で、お寺さんもその仕事をされていたと思います。
しかし・・・この後の線香護摩では、やはり各家庭での仏壇祀りが必要だという場面が展開されました。
この家は浄土真宗大谷派、お東さんです。
極簡単に書きます。
「正信偈」、を上げていますと、
妻、「襟が出て来たわ・・・・」、と言います。
私、「あんた、この家の先祖か?」。
妻、「口が出て来たわ・・・口だけ・・・・」、と言います。
私、「あんた、この方のお父さんか?。そうなら手を上げてみ」。
妻、「口だけ出てるから・・・・手は上げられない」、と言います。
私、「??????・・・・、あんた、この方のお父さんか?。そうなら口を開けてみ」。
妻、「開いたわ・・・・・」、と言います。
「正信偈」、を上げていると、
妻、「口が動いてるわ・・・お経を上げてるみたいやわ・・・」、と言います。
私、「こっちのお経が口に入って行ってるんやなしに・・・・仏さんがお経を上げてるんやな?」。
妻、「そうみたいやわ・・・・」、と言います。
「正信偈」、を上げていると、
妻、「手が出て来たわ・・・向こうからこっちに向かって手を合わせてるわ・・・」、と言います。
「正信偈」、を上げていると、
妻、「合わせてる手の周りにローソクが出て来たわ・・・菱形?の形に・・・・」、と言います。
「あ・・・ようけ出て来てあったな・・・喜んどってやな・・・良かった・・・やっぱり開眼して良かった・・・・」、と思いました。
「お経というものは大事な・・・有り難いものやな・・・絶対に必要なものやな・・・欲しておられるんやな・・・・」、と思いました。
二つ目の釜に入ります。
この釜では、この家の方の祈願成就、写真に手が写ってから体調を崩されている方の霊障消除、それと、この地域に居られるであろう神霊(水神様・地神様)に対し、鳴釜で対処させて頂く事になります。
極簡単に書きます。
この地域に居られるであろう神霊への対処とは、昔、この地域は田んぼ、池、沼があった土地と観ます。
急激に開発が進み、土地は埋め立てられ、形も変えられ、何故か其処に取り残された神霊が窮地に居られるのが祈祷の1週間ほど前から私や妻の体を通して訴えて来ていました。
その姿はいくらお呼びしても出ませんでした。
鳴釜の準備をして、
私、「解っとるがな・・・出て来てみ・・・・見えとるがな・・・早よ出てみ・・・」。
妻、「何も出て来ないわ」。
私、「心霊写真の手のあんたや・・・出てみ」。
何回言っても出て来ませんので、空間を斬って手を突っ込んでつかんで来ました。
私、「どや・。出たやろ?」。
妻、「・・・・何も出ないけど・・・下に凸凹の線が出てるわ・・・」、と言います。
私、「それや・・・あんたや・・・本来の形になってみ」。
妻、「女の人の横顔が出たわ・・・線で・・・・」、と言います。
私、「あんた・・・あんたやろ・・・写真に写っとる手・・・あんたやな・・・そうなら口を開けてみ」。
妻、「開けたけど・・・歯が・・・出っ歯が・・・・」、と言います。
そうこうしていると、
妻、「何か・・・・見た事のない・・・動物みたいなものが蛇をくわえてるわ・・・・・」、と言います。
家の方にはこの先を声に出して言えませんでしたので、地神様には声に出さずにいろいろ聞いてみました。
それは書けませんが・・・要するに、この家の家族構成に起因するものが有るという事です。
これは日本のものではないという事です。
人形か置物に憑いてこの家に入ったと観ます。
そして、この地域一帯を掌るであろう神霊をお呼びしましたが、この時点ではそのお姿は出ませんでした。
釜が鳴り出すと、線で出来た女の横顔、動物の様なものが蛇をくわえている場面は瞬時に消えたと妻が言います。
この様なものが居なくなると、この地域を掌る神霊(水神様・巳神)のお姿が出る事は経験上分ります。
簡単に書きます。
私、「この地域一帯を掌る神霊様、どうか御姿をお見せください」。
妻、「出て来てあったけど、下半身は埋まってるわ・・・上半身だけ出てるわ・・・・」、と言います。
一瞬、「再度・・・釜・・・焚かなあかんかな・・・・」、と思いました。
声に出さず、
私、「地神さん・・・この土地の巳さん・・・この家が祀るべきですか?。そうなら話をしますが・・・・」、と尋ねました。
妻、「何も言わないわ」、と言います。
地神様には、他にもいろいろ聞いていますと、
妻、「下半身が埋まってる巳さんの周りから・・・光が巳さんを押し上げているわ・・・・・」、と言います。
そして、
妻、「ものすごい光が周りから出て・・・・巳さんを押し上げてしまったわ・・・・それで上に上がって行ったわ・・・・・」、と言います。
・・・・・・この家の開眼供養、霊障の消除以外に、私達が行かせて頂くお役が有ったのです。
通りで・・・・祈祷の三日前、「この家の仏壇の開眼はお坊さんに任せて・・・祈祷はお断りしよう・・・」、と思って地神様に聞いてみたら、「行け」、と言われた理由が解りました。
これは私達以外では出来ない仕事ですので、当然な事だなと思った次第です。
以上5件は最近行わせて頂いた仏壇の入仏開眼供養の時に展開されたものですが、確かに、一軒一軒、何故仏壇を置いて御先祖様をお祀りするのかという事情が違いますので、一軒一軒、違う形のものが展開されるというのは極普通の事だと思います。
これが全て同じパターンで展開される方が不自然だと思います。
只、お坊さんをはじめ、この領域の方でも解る方は少ないと思いますので、この様なものを書くというのは謹まないといけないとは思っています。