これは、つい先日の事です。ある製陶所の素焼釜が古くなったので、新たに建立したいので、どうしたら良いのか、との相談が有りました。
この家の御主人と奥さんは大変信仰深く、御先祖様も良くお祀りし、庭には地神様、家の中には伏見稲荷様をお祀りしています。地神様、稲荷様、両神様もこの夫婦の祀り方については大変満足し、何ら不足は無い、と言います。、
素焼釜というものは、火を使います。その様なものの解体、建立については、大日大聖不動明王様の力を借りなければなりません。
そして
私の様な両部神道の流れを汲み、鳴釜の神事を行う者は、絶対に不動明王をお祀りし、その御力をお借りしなければなりません。
祈祷の当日、現地に着き、私と妻が庭に御祀りされている巳神の御社に挨拶をし、少し姿を見せてくれる様に頼みました。
直ぐに巳神が一体姿を見せます。私は当家の人と話をしながら妻の後に立っています。私は当家の巳神に「姿を見たいので、夫婦で出ておいで」と念を送りました。そうすると妻は、「もう一つ出て来た。夫婦で出て来た」と言います。
(神様に対し、出ておいで、という様な言い方は失礼と思いますが、この家の地神様は、私が勧請した神様ですので、ついこの様な言い方になってしまいますし、この家の神様だけではなく、他の神様の場合も、神様にとっても勧請してくれた者(私)に対しては、親近感が有る様で、他の者(霊能者や家の者)の言う事より、私の言う事の方が絶対に聞いてくれます)
巳神は嬉しそうです。私達が此処に、何の為に来た事を分かっているようです。しかし、一応私達が来た事の訳を話しました。
(変に、この領域に興味をお持ちの方は、神様は何でも分かっている、と勘違いされている方がいますが、その様な位の高い神様は、先ず人間には感応しませんし、一個人の事については無関心です)
家に上がり、御先祖様と当家に御祀りされている(正式に勧請された稲荷ではありません。お札を御祀りしています)伏見稲荷様に、今日、素焼釜の解体、建立の為の祈祷を行う旨を告げました。
工場に有る素焼釜の前に、鳴釜の神事を行う為の舞台を作り、その上にお供え物を置きます。
素焼釜解体に当たり、当家の御先祖様、地神様、伏見稲荷様、又素焼釜自体にも、今までの感謝の意を述べ、素焼釜建立の後は生業繁栄、所願成就の祈願を立てます。
(諸々の手順の説明等は省きます)
釜に火を入れる前に、この家の地神様、稲荷様、に姿を見せてくれる様に頼みます。そして、本家の伏見稲荷の眷属神白狐様、私の方の地神様にもお姿を見せてくれる様に頼みます。
素焼釜に向かって、左の方から、私の方の地神様、この家の地神様(二体で出ています)、この家の伏見稲荷様、右端に本家の伏見稲荷眷属神、白狐様が姿を見せています。
私の方の巳神、伏見稲荷眷属神白狐様に、
「地神さん、白狐様、この様にして此処の家の人が、皆さん(神様)に対し、又素焼釜の働きに対しても、感謝の意を示しています。新たに素焼釜が出来上がった後も、今以上に事業が繁栄する様に守ってやってくださいよ」。
「地神さん、白狐様、この会社の今後の事を、分かり易く、はっきりと、丁寧に教えてください」と聞きました。
素焼釜の前に、金色のひょうたんが出て来ました。
ひょうたんの意味は分かりますが、もっと分かり易く、はっきりと教えてくれ、と頼みました。
そうすると、
霊視している妻が、「ひょうたんが傾いて、その中からお酒が流れ出ている」と言います。
私はこの工場経営者夫婦に、
「素焼釜建立後も、事業、大丈夫ですよ、お金が入りますよ」と告げました。
書き忘れていましたが、この家のお稲荷様は、私達が到着後、直ぐに姿を見せましたが、今日の(この家は、以前に2回来ています)お稲荷さんは、子供がはしゃぎまわるみたいに上機嫌です。関西弁で言う「ええんかい」という程のはしゃぎ様です。嬉しいのでしょう。
(正式に稲荷勧請した神様と違い、伏見さんでもらったお札に付いて来る神様は、それこそいろんなタイプがあります。勿論、正式に勧請した神様についても、同じ事が言えますが、程度の問題です)。
釜に火を入れます。
湯が沸騰して来ます。
洗い米を入れます。
しかし釜が鳴りません。
何も支障は無いはずです。
何故鳴ら無いのか、何故鳴らしてくれないのか。
私は巳神にその訳を出してくれ、と頼みました。
斜め後ろに座っている妻が、「水が見える」、と言います。
、私はこの家の人に、「井戸は何処に有りますか」、と聞きました。
そうするとこの家の人は、「その素焼釜の斜め前にあります」と言います。
井戸は、蓋はして有りますが、まだ使っています。そして、井戸のすぐ横の柱に、お札が貼ってあります。伏見稲荷のお札です。
それなら、何ら支障は無いはずですが、私はこの家の稲荷様に言いました。
「失礼ですが、このお札を剥がして、もう少し横に移動させて宜しいか」と聞きました。
「動かしても良い」と言います。
この家の人に、その旨を告げると、釜が鳴り出しました。
これでこの家の事業繁栄、商売繁盛は約束されました。
気持ちの良い神事でした。