鳴釜神事の音について


大阪、「○○自動車工業」の感謝の祈祷での出来事とその始終
 その釜が鳴り出した途端、「あ・・・・、この音・・・、これ・・録音せなあかん・・・。何年こんな事をやっとるんや俺は・・・。しもた・・・。こんな音はもう一生聞けんで・・・。こんな音・・・、聞いた事が無い」、と深く後悔をしました。

 そして、やがて普通の波の音になり・・・、その波も消えて普通の音になり消えて行きました。

 大阪の守口市にある、「○○自動車工業」、での鳴釜神事の一場面ですが、前回、事業所の方に地神様を勧請させて頂いてから仕事量も増えて忙しくされています。

 そして今回の祈祷になるのですが、「只々、有難う御座いますの祈祷です」、と社長さんは言われます。

 確かに此処は家族の皆さんの気持ちも綺麗で、神霊にしても守りがいの有る方々だと思います。

 実際、以前の祈祷(大阪、「○○自動車工業」)でも、祈祷が終わってから社長さんのお父さんが、「病院で診てもらったら肺に小さなしこりが有ると言われましたが、少し様子をみています」と言われた時、何も頼まないのに地神様がお父さんの肺の中に入って黒いものをくわえて出て来たという事が有りました。

 肺がんだったと思いますが、今は咳も出ずに、小さいしこりも消えて無くなり調子が良いと言われます。

 余りというより、頼まないのに動くというのは先ず無い事です。

 そして今回の祈祷になるのですが、「只々、有難う御座います」、の祈祷なのですが、やはり、祈祷の少し前から私や妻の体に負担がかかって来ました。

 重〜いものが体に乗って来ます。

 そして水です。

 人霊の作用も来ています。

 只、刺して来る様なものでは有りません。

 確かに、いくら良い状態といえども、私達に負担が無いと言えば嘘になります。

 そんな完璧な家は有りません。

 個人経営の所には年に1〜2回、この様にして行かせて頂いている所が多いのですが、そしてその都度、対処しなければいけないものに対しては対応させて頂いていますので、事業が伸びて行くのだと思います。

 しかし今回、対処しなければいけないものについて家の地神様に聞いても何も教えてはくれませんでした。

 現地に着いて祈祷の準備をします。

 御先祖様の供養の始終は省きます。

 祈祷の表白、願文ですが、先ず一つ目の釜は、この家の普通のお札に入っておられる伏見稲荷様、この前に勧請させて頂いた地神様に対し、感謝の表白を読んで釜を焚きます。

 そして、二つ目の釜は、この家の伏見稲荷様、地神様に対して、商売繁盛の祈願の釜を焚く予定にしています。

 先ず、一つ目の釜に入る前にこの家の伏見稲荷様、地神様のお姿を請います。

 私、「○○家の伏見稲荷様、地神様、どうか御姿をお見せください」、とお伝えしました。

 妻、「何も見えない」、と言います。

 この繰り返しを数回行いましたが、全く神霊のお姿は出ませんでした。

 「やっぱり・・・」、と思いました。

 この祈祷の数日前から私や妻の体に負担をかけているものの対処をしなければ、この家の伏見稲荷様と地神様のお姿は出ないという事です。

 長年この様な事をやっていますと、私達の体に作用するものが何なのか、またその作用の仕方からそれが正か邪かが解ります。

 一つ目の釜でこのものと対峙・・、いや・・・、対応しなければいけない事が解りましたので、一つ目の釜で読み上げる感謝の表白は二つ目の釜で一緒に対応する事にしました。

 その様な訳で、二つ目の釜での表白は、感謝の表白と商売繁盛、またこの家族の祈願成就の表白になります。

 私、「地神さん・・・、一つ目の釜で対処するもの、見せてください」、と言いました。

 しかし、目の前には何も見えて来ません。

 目の前の空間を開ける動作をして、

 私、「あんた・・・、目、見せてみ」、と言いました。

 妻、「目が見えて来たわ」。

 私、「巳さんやな?」。

 妻、「そう」。

 私、「あんた・・・、今日、此処へ来る時、名塩で私の腰に入って来たもんか?、・・・、いや、違うな。あんた、この家の方が良い人やから・・・、それで・・、私らが此処へ来る事が分かっていたから、この家の方に付いてこの家に入ったんやな。あんた、神霊やな?。何か理由があってそうなったんやな?。そうやな。そやけどな・・・、此処、ちゃんとした地神さんが居ってやからな・・・、あんたに居られたら困るねん。解るやろ?。どや、あんた・・・、この釜でな・・・、あんたの大元の所に送るから・・・、解らんかったら家(うち)の地神さんに付いて行ってもらうから、そうし」。

 妻、「うなづいてるわ、この巳さん。輪郭が黒っぽくて・・・、体は汚れているけど白やわ・・・。大きい巳さんやわ・・・・。地面に居るわ・・・」、と言います。

 私、「そうか・・・。解ってくれたか・・・。まあ・・何か理由が有ってそうなったんやろけど・・・。まあ・・・、釜で綺麗になって送るから・・・、ちょっと待ってな」、と伝えて、一つ目の釜に入りました。

 勿論、ちゃんとした表白など無しに、前記した言葉が表白になります。

 祝詞を上げます。

 コンロに火をつけます。

 湯が沸騰して来ます。

 頃を見て、米を入れます。

 ・・・冒頭にも書きましたが・・、この釜の鳴る音が・・・、長年、いろんな祈願に・・、いろんな対象に・・、いろんな事情を抱えた・・、いろんな場面で・・、いろんな場所で・・、相当な数・・、釜を焚いて来ましたがこんな音を聞いたのは初めてです。

 「わ・・・っと感動したのと同時に、この音、取らなあかん・・・。もうこんな音とは会えんやろな・・・」、という後悔の念で頭が一杯になりました。

 確かに、釜の音を観て、釜の音を聞いて、今鳴る音がこの祈願においてどんな役割をはたしているのか、この対象では・・、この祈願の深浅では・・どの様な鳴り方をするのか、という事が自分自身で解って来たのは此処3〜4年の間です

 そして釜を鳴らす神霊(地神様に)しても、この様な形で知らせてくれる様になったのも此処3〜4年前位からと記憶しています

 それまでは只単純に音の大小、強弱だけの形で知らせてくれていたと思います

 それまでの私の程度では音の表情の意味が読めないので、その様な単純なお知らせだけになっていたのだと思います。

 今鳴っているこの音が祈願に対して何処まで成就させているのか・・・、今この時点の鳴り方は祈願を成就し終えたのか等、勿論、その音だけではなく、自分自身のひらめきをもプラスして判断できる様になったのは此処3〜4年の事だと思います

 今回、釜で対応する対象は、この家とは関係のないもので、この家の方の神霊への心の持ち方や考え方に頼ってこの家についていれば何とかしてくれる・・、また、このものは神霊ですので、先が読めて私達が来る事が解るので、その時私達に頼ろうと思いこの家に入ったのか、それとも、この筋書きは全て私の方の地神様が立てたのかは確認していませんので解りません。

 体は汚れていますが神霊です。

 この家の方も迷惑だとは思いますが、

 私、「○○さん・・・、これも縁ですから・・・。この巳さんを助ける事になりますので・・・、○○さんにしても良い事をさせてもらうという事ですので辛抱してください」、とお伝えしました。

 そうすると、「何も迷惑ではないですので、巳さんの為に是非釜を焚いてください」、と言われます。

 この巳様に、

 私、「あんたもな・・、この○○さんの家でこの様な事をしなかったら、今のままで居らなあかんのやから、あんたも○○さんに恩義を感じなあかんで・・・・」、と伝えました。

 それから釜を焚いたら、この様な初めての音が出た訳です。

 そして・・・それを・・・、言葉で音を表現して伝え様と思ったのですが・・・・。

 世の中には鳴釜の神事を行う方は昔と比べて減ったとは思いますが、まだまだ沢山居られます。

 そしてその方々のホームページを拝見させて頂いても、音の細かい表現を書いておられる方は先ず居られない様に思います。

 確かにそれは解るのですが、書いておられる方でも、「ボオー」という表現が多いと思います。

 まあ・・・、確かに、「ボオー」、ですが、その、「ボオー」、も、「ブゥワー」、「ブワー」、「ブワン〜」、「ブウワン〜ワン〜ワン」、・・・・・、と限が有りません。

 間違っても、「ピー」、という音は有るのかも知れませんが・・・、私は今まで体験した事は有りません。

 「ブウ↑ワ〜ン↓ブウ↑ワ〜ン↓・・・・」、と波を伴った鳴り方、その波にしても周波の短いのや長い周波など、少し変わった鳴り方では、「ボッボッボッ・・・・」、変わったのでは、「「ブウ↑オン↓」・・・解り易く言えば「ボン」」で終わってしまう鳴り方など、書いていけば限がないのですが、この様な釜の鳴り方は何も珍しい音では有りません。

 そして釜の鳴り初めについてですが、湯が沸騰し始めてから洗い米を入れるのですが、それもコンロの火の強弱にも関係しますが、米を一握り釜の中に入れた途端に大きな音で鳴り出す場合も有りますし、米を全て入れ終えた時点から鳴り出す場合など、いろいろなケースが有ります。

 確かに・・、米を一握り、釜の中に入れた瞬間、またその前の、米を握った手を釜に入れた瞬間、釜が大きな音で鳴り出す事も有りますが、その様な時は、「あ・・・、早く釜を鳴らせと待っていたな・・・」、という取り方をしていますが、其処には多分に技術的なもの、偶然性も入りますので、それは余り気にする事は有りません。

 そして釜の鳴り方の種類プラス、釜の音の強弱、その音自体の力ですが、日々釜を焚いておられる方はお解りでしょうが、釜の音の強弱と音の力は全く違うものです。

 大きな音で鳴ったから力が強いとか、弱い小さな音で鳴ったから力が弱いとか、又、大きな音で鳴ったから祈願が成就したとか、小さな音で鳴ったから祈願が成就しないとかは全く関係が有りません。

 確かに、大きな音で鳴った方が演出性も有って満足されるでしょうが、祈願成就には全く関係ありません。

 大きな音ですが力を伴っていない音もありますし、小さな音でも大きな力を持っている音もあります。

 音の力というのは祈願を成就させる力です。

 その判断は多分に施術者の経験から解る様になるものですから、言葉では説明しにくいものです。

 何回も書きますが、今回釜で対応させて頂くのは神霊(巳神様)です。

 見た目よりは相当力を持った神霊だったというのは釜の音で解明した次第です。

 そして、何か深い理由が有ってこの様な形で居られる様になったと観ます。

 その存在を上に上げるには、やはりそれ相応な釜の威力、それ相応な音の力が必要だったと観ます。

 洗い米を入れました。

 釜は最初から力強く鳴り出しました。

 「蒸気機関車や・・・・」、と思いました。

 蒸気機関車が一生懸命に坂を上る状態の音を釜の音で出した様な音です。

 蒸気を吐き出す音です。

 50〜60年ほど前、加古川線に蒸気機関車が走っていた時代、加古川市の郊外に住んでおられた方なら私の言う事がお分かりだと思います。

 加古川駅から西脇の方へ加古川線が走っていますが、厄神駅を出ると直ぐに大きなカーブのきつい坂になっています。その坂を上り切ったら加古川に架かる鉄橋になるのですが、厄神駅を出てその鉄橋にたどり着くまでの蒸気機関車の発する音、そのものでした。

 それプラス、音が回っています。

 妻が、「左回りやわ」、と突然言い出しました。

 確かに、音が回っていたのは承知していましたが、妻は霊視をしていましたのでそれを?観ていたのでしょう。

 そして蒸気機関車が加古川にかかる鉄橋を渡り切った後、ゆるい勾配を力強く市場駅の方向に走るその音が続きました。

 蒸気機関車の音を表現すると、「シュッ、シュッ、シュッ」、となるのでしょうが?・・・、今回、この釜で鳴った音は、「ブオン、ブオン、ブオン」、にプラス、蒸気機関車の「シュッ、シュッ、シュッ」の感じが混ざって、それが・・・四分音符の三連符のリズムに近く、其処に時たま八分音符が入って(相当昔の知識ですので表現の仕方が間違っているかも知れません)、その上その音が左に回って・・・、「ブオン、ブオン、ブオン+シュッ、シュッ、シュッ」、の音に・・・、ギターで言う、「カッティング」、が入っています。

 この音がしばらく鳴って、その後は良く聞く、「ブワン、ブワン、ブワン」、と少し上下の波の有る音に変わって行きました。

 そして、「ブワ・・・・・・・」、という普通の音に変わって消えて行きました。

 確かに、音を言葉で表現するのは無理が有ります。

 同じ、「ブワ・・・・」、でも、音に切れが有る場合と、靄にかかった?様な、「ブワ・・・・」、も有りますし、「ブワ・・・」、の語尾の音がギターで言うカッティングやシャッフルの様な音もありますので、やはり音を言葉で表すのは無理が有るみたいです。

 この場に居られた家の方もびっくりされた音でした。

 妻、「音が鳴り出したら・・・、こんなものが見えて来た」、と言いました。(後で書いた図です。釜の左側の図です。多分回りながら上に上がる巳様の胴体が回りながら見えてたものと観ます)



 妻、「上の方に青い丸が見えたと思ったら・・・、其処にす・・っと消えて行ったわ」、と言います。

 この様な音を出さないと・・・、この様な音の力でないと・・・、この巳様は上に上がらなかったと観ます。

 何か・・・、この巳様に・・・、大きな訳が有ったのでしょう。

 その訳を消すには、この音が必要だったと観ます。

 普通の、「ブオ・・・」、では無理が有ったのでしょう。

 私達も良い事をさせて頂きましたが、この家の方もこの神霊に対し、良い事をした・・させて頂いた事になります。

 二つ目の釜に入ります。

 「有難う御座います」、と、「商売繁盛」、の祈願の釜になります。

 先ず、この家の普通のお札に入っておられる伏見稲荷様をお呼びします。

 私、「○○家の伏見稲荷様、どうか御姿をお見せください」、と伝えました。

 妻、「出てあったけど・・・・。此処の稲荷さん?・・・・・・」。

 妻が言いかけて止めてしまいましたので・・・・、「あ・・・・、此処もか・・・、有り難いもんやな・・・・」、と思いました。

 「やっぱり・・・。綺麗な気持ちで一所懸命に祀るとこには・・・・。やっぱり上で観てるんやな・・・・・」、と思いました。

 私、「稲荷様、ちょっとお聞きします。貴方は本来この家に居られた稲荷様ではないですね?。お札に付いておられた稲荷様ではないですね?」、とお聞きしました。

 妻、「うなづいとってやわ」。

 私、「貴方は正一位の位の方ですか?」、とお聞きしました。

 妻、「うなづいとってやわ」。

 私、「有難う御座います。貴方は最近、この家に来られましたね?」。

 妻、「うなづいてるわ」。

 私、「有難う御座います。命婦専女神様のお導きで来られたのですね?」。

 妻、「うなづいとってやわ」、と言います。

 どうやら・・・、この前の地神様の勧請の後に来られたと観ます。

 その直ぐ後に、思わぬ所から仕事が入って来て、人出が足らなくなったと思ったら従業員が入って来たと社長さんが言われていたところを観ると・・・、この正一位の稲荷様が地神様と力を合わせたなと観ます。

 少し前、静岡の会社でも同じ展開がありましたが、其処も伏見稲荷の末社も末社、村のお堂に近い所の伏見稲荷様をお祀りされていたが、大きな試練の後も稲荷様を疑いなく綺麗な気持ちで祀り続けられた結果、命婦専女神様のお導きである日突然、正一位の稲荷様夫婦が来られましたが、○○自動車工業にも来られたとは・・・、只々感謝で一杯です。

 私、「稲荷様、今から釜を焚かせて頂きますが少しお待ちください」、と告げて少し前に勧請させて頂いたこの家の地神様をお呼びしました。

 私、「○○家の地神様、高橋克明、幸子です。どうか御姿をお見せください」。

 妻、「・・・・・出てあったと思うけど・・・、全体が光っていて姿がはっきりしないわ・・・」、と言います。

 ・・・・・?・・・、これも余り例のない事です。

 巳神様が光って現れるとは・・・・、一般の方がお祀りされている巳神様が光で現れるというのも、余り見た事が有りません。



 祀り手の心が反映されるのでしょうが・・・、一体、日々、どんな気持ちで手を合わせておられるのか・・・、それをこの家の方に聞いてみましたが、「只々、有難う御座います」、と言って手を合わせているだけですと言われます。

 私、「○○家の地神様、有難う御座います。此方から分る様に、ちょっと光を押さえてください」、とお伝えしました。

 妻、「出てあったわ・・・。此処の巳さん・・・・、こんなに大きかったかな?・・・」、と言います。

 勧請させて頂いてからは、まだ7〜8カ月位しか経っていませんが、私から観ても、どんな気持ちで祀られているのか教えて欲しいくらいです。

 この後釜を焚きましたが、その釜の音は、少しだけ上下の波を伴った「ブア・・・・」、と言う普通の音でした。

 そんなに大きな音ではなく、普通の音でした。

 この後、社長さんに、正一位伏見稲荷様、地神様に対し、「何か頼み事は有りますか」、と尋ねたのですが、「只々、有難う御座います」、としか言われませんでした。

 此処で大概の方は、神霊に聞く様な事ではない事も聞かれる方が多いのですが・・・、それは私が「神様が出ておられるので、今の内に何でも聞いてください」、と言いますので・・・、それはそれで十分良いのですが・・・、今まででも此処の社長さんは何も聞かれた事は有りません。

 任せ切っておられるのでしょう。

 現に、私が知っているこの家の心配事も有るのですが、その事も聞かれませんでした。

 「兎に角、家族が健康に行ったらそれで十分です」、と言われます。

 規模を大きくされる考えをお持ちではなさそうですので、このままの安泰が続くと思います。

 尚、釜の鳴る音の表現ですが、私の説明で物足りなさを感じておられる方には陳謝いたします。

 *この巳神様が消えて行った青い丸ですが・・、水の渦・・・、巳神・・・龍神の大元の世界の入り口かも知れません。

 左回り・・・・の入り口・・・・?。


 *伏稲荷様の御姿ですが、向かって左側の稲荷様のお姿が半身の様な形になっていますが、これは・・・・、
 私、「○○家の稲荷様、夫婦で居られると思います。奥さんの方の稲荷様、お姿をお見せください」、と言ったところ、男の稲荷様の横に薄っすらと奥さんの稲荷様が出て来られました。

 この家の人間の御夫婦の形がよく分る出方です。











 

 

 

 

 

 

 




 
 
 

 

 
鳴釜神事の実際と考察