水子
 私の実際の経験から書かせて頂きます。

 当然、その前の経緯もありますし、またそれを書かないと何々の参考書の様な真実味のないものになる恐れもありますが、全てを書くと長くなりますので省けるものは省いて書いて行きます。

 今までの私のホームページを目てくだされば解る様に、この「水子」、という題をつけて書いた事はありません。

 祈祷の途中に「水子」に相当する者が出て来て、その仕草などは書いたも知れませんが、「水子」の祟りとか、「水子」の供養の必要性などは書いた事はありません


 それは何故かというと、祈祷中に「水子」と言われる者の姿が出ても、
先ず殆どは嬉しい顔、楽しい仕草で出て来られます

 
偶に、勾玉の様な形を取って出て来られる時もありますが、大概は亡くなった年齢ではなく、少し成長した形、お姿で出て来られます

 
殆どが良い状態、良い状況で出て来られますので、水子の祟りとか、水子の供養の必要性を感じた事はありません

 
殆どの仏様は成仏されていると取ります

 そして、成仏されている仏様は此方から呼ぶべきではないという考えでいます。

 しかし、長いこの領域の仕事の中で、先日、私達、私の方の巳神様でさえ、先ず無いという経験をさせて頂きました。

 水子の祟りとは取らず、
水子の主張と取るべき経験をさせて頂きました。

 聞くところによると、15〜6代続いた家らしいと言われます。

 しかし現在、この家には娘さんが一人居られますが、結婚して家を出られ、一人の娘さんのお母さんになられています。

 当然、この流れで行くと15〜6代続いた家もこの代で終わりとなります。

 またこの家は、途中で宗旨変えまでとはいかないが、T教をお祀りしていた時期が有ります。

 私の様なものが言うのは間違ってると思っていますが、経験上、T教は正当な神様だと思っています。

 この家のT教に関しては、いつの代かは解りませんが、正式にお返しされており、今はお祀りされていた場所だけが残されていると言われます。

 また、10年程前、この家に自殺者が出ています。

 その様な経緯も有って、他家から嫁いで来られたこの家のお嫁さんから相談がありました。

 このお嫁さんの実家は仏壇祀りも良くされているらしく、それと比べると嫁いで来られたこの15〜6代続いた家には何か解らないものが作用しているのではないかと心配されて、私の方に相談が有りました。

 某月、某日、(154)、(156)の前半、(160)、(161)に少し書かせて頂きましたが、この方は最初、実家に祀られている伏見稲荷様の事で相談をされて来られました。

 実家に祀られている伏見稲荷様ですが、この方から相談を受ける前から私には命婦専女神様からのお知らせが入って来ていました。

 そのお知らせの意味は、人間なら、「ちょっと其処へ行ってやってくれ」、という意味に取れます。

 この方の実家に祀られている伏見稲荷様は50年ほど前、この方のお母さんが伏見稲荷大社にお参りして、その時にお社を買って、白い布に包んで背中に背負って大事に持って帰って来られたと言われます。

 そしてこの話は、この方の実家、日を改めてこの方の嫁ぎ先の二か所の祈祷が全て終わった後で聞いたのですが、伏見稲荷様?のお正念は拝み屋に頼み入れてもらったと言われます。

 大変ややこしい話ですが、この方の実家の祈祷の10日程後に、この方の嫁ぎ先で祈祷をした後で聞いた話です。

 「稲荷のお正念は拝み屋に入れてもらった」、という事を読まれる方の頭に置いてもらって、話しは最初に戻ります。

 この方は実家の稲荷様を50年間、一生懸命に祀って来た、信じて祀ってきたと言われます。

 特にお母さんの熱の入れ方は尋常では無い程信じきって祀られていると言われます。

 しかし、この方の実家に祀る伏見稲荷様をお呼びしても、全くそのお姿が出ませんでした。

 私達がお呼びすれば、それが正当な稲荷様なら、先ずその御姿は出ます。

 出ないという事は、先方に、何か都合が有る、理由が有ると観ます。

 只、私達を拒む念だけは強く体に来るのですが、肝心の稲荷様の存在が確認出来ません。

 この場合の私達を拒む念は、痛みではなく重く体にこたえて来ます。

 何かに押さえつけられている様な、巻かれている様な苦しさ、重さです。

 この方は実家での祈祷を依頼されましたが、もし、伏見稲荷のお社に神霊ではないものが作用していた場合、それこそ命がけで50年間お祀りされて来たこの方のお母さんにどの様に説明したら良いのか、高齢ですので話しをしても理解されないし、もしそんなものであってもお母さんには黙っていてくださいと言われます。

 それはまた・・・、話し方も有りますので、了解して祈祷に臨みました。(詳細は省き、簡単に書きます)

 祈祷の当日、妻は大変元気でした。

 どちらかと言えば、私の方にそのお知らせが入って来ていた様です。

 先ず、この家に着くと、私の胸をどんどん叩くものが有ります。

 体中、何かに巻かれて苦しく、重い感じです。

 御先祖様の供養に入りましたが、この方の実家はお母さんが良くお祀りされているのか、全く爽快な感じです。

 この方の実家の仏壇をお借りしまして、嫁ぎ先の御先祖様をお呼びしました。

 妻、「男の人が出てるわ・・・・、足が浮いてるわ・・・・」、と言います。

 この方の嫁ぎ先の10年前に自殺をされた方です。

 私、「あんた・・・、自殺した人か?。辛いな?・・・。そんな死に方、あかんな・・・。辛いな・・・」。

 この自殺をされた方は私の胸をどんどん叩きます。

 そうこうする内に、

 妻、「女の人が出てるわ・・・・、まだ若い人やわ・・・」、と言います。

 私、「あんた・・・、この自殺した方の最初の奥さんやな?。心配で来てあったんか?」。

 妻、「何にも言わないで見てるわ」。

 線香の護摩で再度供養に入ります。

 妻、「男の人、手を合わせてるわ」、と言います。

 妻、「三角形の中にローソクが沢山立ってるわ」、と言います。



 嫁ぎ先の15〜6代続いた御先祖様と取ります。

 妻、「三角形の一番下が自殺したお爺さんやわ・・・」、と言います。

 私、「何で解るんや?」。

 妻、「解る」、と言います。

 何故三角形?が・・・、とは思いましたが、その時は解りませんでした。

 私は線香の護摩の最後に紙を燃やして供養します。

 この紙の詳細は省きます。

 紙に書いたある方の名前を言うと、青い玉が出て来ました。

 ちょうどこの「水子」のバックの色です。

 この色を取って出て来るものは注意が要ります。

 私、「地神さん、これ、捕まえといてください」。

 妻、「誰かの手が玉を捕まえてるわ」、と言います。



 地神様がつかんでいるものと観ます。

 私、「釜で消しますので、逃がさんといてください」。

 次に鳴釜の神事をもってこの家の稲荷社の対処をします。

 釜に入る前の、表白、祝詞などの詳細は省きます。

 稲荷社を祀る部屋に移動します。

 妻、「自殺したお爺さんが付いて来てるわ・・・」、と言います。

 私、「・・・・供養して欲しいんやろな・・・。此処では無理が有るんやろな・・・」。

 先ず、この家の稲荷社の前に立ってみて・・・、何故稲荷社の前に狛犬が二つ、稲荷様を祀る備品が全て巳神様を祀るものですし、提灯も固有の名前が書いてあります。

 卵もお供えしてあります。

 大体の察しがつきました。

 私、「○○家の稲荷社の中に居られる方・・、お姿をお見せください」。

 何回も同じ事を伝えましたが、全くその姿が出ません。

 私、「解ってとるがな・・・・、ちょっと出てください」。

 妻、「巳さんが出て来たわ・・・」、と言います。

 私、「あんた・・・、何で稲荷さんのお社に居るんや?・・・」。

 妻、「この巳さん・・・、目を巻いてるわ・・・」、と言います。



 私、「あんた・・・、拝み屋のとこに居った巳さんやな?・・・・。あんた、観るところ、神霊やな?・・・」。

 妻、「うなずいたわ」。

 この巳神?には、いろいろと説教に近い事を言わせて頂きました。

 私、「あんた、消されると思ってたんやろ?」。

 妻、「うなずいたわ」。

 この巳神?には、拝み屋の所ではなく、巳の大元の所へ鳴釜で送る旨を伝えると了解されました。

 私達・・・、主に妻の方に痛みをともなったものが無かった事から、まだ良心が残っていたのでしょう。

 後ろに座る方々に、

 私、「誰か・・・、目の悪い方は居られますか?」、と聞いてみました。

 その結果、この稲荷社を一番一生懸命にお祀りされているお祖母さんの左目が全く見えない状態ですと言われます。

 只、生まれつき左目は悪かったが、今の様な医療技術もなかったので、こうなったと言われます。

 それに関しては、もうこの巳神?に聞く事は止めました。
 
 只言える事は、この稲荷社に入っていたものが神霊の巳で良かったという事です。

 実際、この家の方も、今まで助けてもらった事が沢山有ると言われていましいたので・・・・。

 途中でも書いていますが、この時点では、私はこの稲荷社に入る稲荷の神霊は、此処のお祖母さんが伏見稲荷大社で正式に勧請を受けて来られた神霊だと思っていました。

 そして、釜でこの巳神を追い出せば、今はお姿が出ませんが当然本来この家に来られている稲荷様のお姿が出て、それで完結されると思っていました。

 鳴釜の準備が終わり、さあ・・・、今からという時、私と妻の耳に綺麗な音が入って来ました。

 妻、「稲荷さん・・・、来てあった」、と妻が言ったらしいですが、私には聞こえませんでした。

 後ろに座る方はこの妻の言葉を聞いています。

 家に帰って地神様に聞くと、釜を焚く前に来られた稲荷様は命婦専女神様という事でした。

 私は、もう釜が鳴る前にこの家の稲荷様が帰って来られたと勘違いしていました。

 兎に角、頭の中が聞いている相談事や祈祷の段取りなどで混乱している事は確かですが、反省しないといけない事が沢山有ります。

 目の前には誰かがつかむ青い玉、宙ぶらりの足、目に巻き付いた巳神?が出て、そして私がこの家の伏見稲荷様と間違った命婦専女神様が居られます。

 釜に入り、湯が沸騰して洗い米を入れます。

 釜は大きな音で鳴り出しました。

 やがて音は止まって行きます。

 私、「どやった?」。

 妻、「目に巻き付いた巳さんは、鳴ったら直ぐに上に上がって行ったわ・・・。青い玉はその前に消えたわ・・・,
宙ぶらりの足は・・・・、解らない」、と言います。

 私、「稲荷さんは?」。

 妻、「稲荷さん、来てあったわ」、と言います。



 妻の言う事はおかしいな・・・・・、とは思いましたが、そのまま続けて行きました。

 妻、「釜が鳴ったら、最初に来てあった稲荷さんはす〜っと帰ってあったわ」、と言います。

 妻の言う事はおかしいな・・・、とは思いましたが、目の前には二体の稲荷様のお姿が出たという事で納得しました。

 この稲荷様には、この後の祀り方や諸々な事をお聞きし、その様にされる事をこの家の方にお伝えして祈祷を終えました。

 そして帰り道、明石大橋の手前で、今回の祈祷の是非を地神様に聞いてみました。

 全て良しという事でした。

 全て良し、という事でしたが、私や妻の体には自殺した方がどんどん胸を叩きますし、また、何かが私達を急かせて、余計に体にこたえる状態です。

 某月、某日、(160)、(161)にも書きましたが・・・、確かに、私達に来て欲しい念と、来て欲しくない念が私達の体に入って来ます。

 早く来てくれと急かせて、急かせてくる念と、来るな、来るなという拒否の念が入って来ます。

 この方の嫁ぎ先が家を建てた時、何処かの神社で修行?したと言われる方が、それ相応な格好で来られて地面にお札を埋めたと言われます。

 「ちゃんとした神主さんの衣装で来られた」、と言われます。

 そんな衣装は誰でも、何処ででも手に入れる事が出来るのに・・・・、信用するのか・・・、と思いました。

 この家の下に埋めたお札に入ってるものについては当然前に把握していましたし、祈祷に行く前には三角形がクルクル回って出て来ていますので解っていました。



 こんなものとは今まで何百と対峙していますので何とも思わないのですが、そして、自殺したお爺さんの件も、これなケースにしても今まで数え切れない程経験して来ましたので、何故こんなに急かせるのか・・、何故こんなに強い念が体に入るのか、この時点では全く解りませんでした。

 この方の嫁ぎ先での祈祷は決まっていたのですが、また、この方の希望される日は他の祈祷が入っていましたので、ついつい日延べの状態になっていました。

 今まで長い間この様な事をしていますが、私の方から祈祷を急がせて頂いたのは初めてです。

 後の祈祷の段取りも有りましたが、兎に角早く済ませたかったというのが本音です。

 それだけ、何か解らない、私達を急かせる念がきつかったという事です。

 祈祷の前日、妻はやたらとものを食べました。

 「お菓子が欲しい・・・、プリンが欲しい・・・・、いくら食べても欲しいわ・・・」、と言って、家の斜め前のローソンに行っていました。

 妻、「明日行く家の自殺したお爺さん・・・、プリンが欲しいんかな・・・」、と言います。

 「自殺したお爺さんが生前プリンが好きだったのかどうかは?・・・・」、と思いましたが・・・。

 祈祷の朝、家で、妻、「何か・・・・、ワチャワチャ・・・としたものが居るわ・・・」、と言います。

 祈祷先に着いて用意をしていると、椅子に座っていた妻が椅子から落ちて横のテーブルの角で背中を打ちました。

 その後、祈祷の途中で3回、妻はトイレに行きました。

 そのトイレでも2回こけています。

 祈祷の細かい進行具合は省きます

 先ず、この家の仏壇にお経を上げます。

 自殺したお爺さんは出て来られましたが、何の動きも有りません。

 妻、「他には何も出とってないわ・・・」、と言います。

 線香の護摩に入ります。

 私、「地神様、何時もの様に、線香の護摩の途中で祓うものを出してください」、と言いました。

 線香護摩の途中で、

 私、「地神さん、祓うもの、出してください」、と言いました。

 妻、「裸の子供が走り回ってるわ・・・・。キューピーみたいな子供やわ・・・。男の子も女の子も居るわ・・・。古い子供も、近い時代の子供もいるわ・・・・」、と言います。

 私、「あんたら、ちょっと止まってみ。私の話を聞いてみ」。

 妻、「全く関係なしに走り回ってるわ」。

 私、「子供の色は?」。

 妻、「体の部分の赤い色も居るし・・・。黒い色も居るし・・・。青い色も居るわ・・・。気色悪いわ・・・・」、と言います。

 子供は私の言う事を聞かずに走り回っています。



 妻、「餓鬼ではないわ・・・.でも・・・なんか…気色悪・・」、と言います。

 地神様にはこの子供の事を聞いたのですが、何も教えてはくれませんでした。

 この時点では・・、子供の色から観て、その昔、家を建てる時、神主の恰好をしてこの屋敷にお札を埋めたその中に入っている沢山の分身の様なものと取っていました

 書き忘れていましたが、前回この方の実家で行った際、神主の恰好をした方が埋めたお札に憑いている念は把握していました。

 地面を開けてみると、黒い棒の様なものが横たわっていましたので、出て来た沢山の裸の子供はその分身と思っていました

 子供の体の色から観て、当然その様に解釈していました。

 私の今までの経験では、この様な裸の子供が出て来たという経験はありません

 子供にしてもちゃんと服や着物を着て、此方の問いには答えてくれるというのが普通でした。

 しょうがないので、線香の護摩を終えて鳴釜に入る事にしました。

 私、「地神さん、自殺したお爺さん(このお爺さんのお姿はこの時点では出ませんでしたが・・・)、神主の恰好をし方が埋めたお札に憑いている巳さん、この家がT教をお祀りしていた場所、沢山の裸の子供を祓い消してください。これで宜しいですか?。何か間違ってる事は無いですか?。釜を焚いて宜しいですか?」、と聞いてみました。

 妻、「返事をしないわ」。

 私、「地神さん、何か抜けていますか?。何か間違っていますか?」。

 妻、「何も返事しないわ・・・・・」、と言います。

 私、「釜を焚いては駄目ですか?」。

 妻、「何も言わないわ・・・」、と言います。

 正直・・・、困りました。

 この家は尋常ではない疲れ方をしますので、正直・・・、困りました。

 妻は何回もトイレに行き、椅子に座っていても首は直角に曲がってしまい、半分向こうの世界に入ってしまって今にも椅子から落ちそうで・・・、それだけの理由が有る家です。

 地神様の許可が無いと、釜を焚いても当然祈願の成就などするものではない事が解っていますので疲れました。

 この裸の子供たちについては、私が地神様に、「祓うもの、出してください」、と言った時に出て来たものですし、妻の霊視から観る子供の色、形、動き、妻の、「餓鬼ではないわ・・・。気色悪いわ・・・」、と言った言葉などから、少し違う解釈をしていた事に気づきました

 私、「地神さん、この子供・・・、供養が要るのか?。釜で供養をするのか?」、と聞いてみました。

 妻、「うなづいてあったわ」、と言います。

 神霊は此方が聞いた時、大概はそれに対しての的確な答えを出しますが、違う事の答えを出す時も有ります。

 これは此方が考えて判断をするのですが、其処が難しい所です。

 私、「今、子供は?・・・・」。

 妻、「走り回ってるわ・・・・」、と言います。

 私、「あんたら・・・、ごめんな。こっちが間違ってたな・・・・。御免な・・・。今から釜を焚くからな・・・、成仏しいよ・・・。御免な・・・」、と伝えました。

 途端に、昨日、何故妻が・・・、あんなにお菓子を食べたのか・・・。プリンがどうのとか・・・・、言い出したのか・・・、納得しました。

 この子供たちの要求が入って来ていたのです。

 表白、祝詞の詳細は省きます。

 コンロに火をつけます。

 湯が沸騰して来ます。

 米を入れます。

 釜は大きな音で鳴り出しました。

 やがて音は消えて行きました。

 私、「どやった?」。

 妻、「コンロに火をつけて・・、少ししたら、子供の皮膚の色が普通の色になったわ。釜が鳴ったらす〜っと消えてしまったわ」、と言います。

 私、「それだけか?」。

 妻、「それだけ」、と言います。

 勿論、神主の恰好をした方が埋めた黒い棒の様なもの(目は無い)は・・・、それらしきものは直ぐに消えたと言います。

 10年前に自殺したお爺さんの姿は見えなかったと言います。

 私、「地神さん、これで宜しいか?」、と尋ねました。

 妻、「良いと言ってるわ」、と言います。

 そこで・・、つい、口に出てしまいました。

 私、「地神さん・・・、裸の子供ですが・・・・、今までこんな経験した事ないな?・・・・。地神さんにしても初めてか?」、と聞いてみました。

 妻、「うなづいとってやわ・・・」、と言います。

 偶々家に相談に来られた方に水子があって、話しが其処に行った時に
お呼びして出られる水子の姿は、大概が少し成長した姿で、楽しく遊んでいる形が多いのですが、又余りありませんが祈祷時に水子のお姿が出ても大概と言うより殆どが良い状態の姿を見せてくれます。こんな姿を取って出て来るのは私に取っては初めてです。

 妻、「大分昔の子供も居たけど・・、最近の子供も居たわ」、と言います。

 私達がいう最近の子供というのは、数十年前でもその様な表現をします。

 考えるに・・・、この地域は田舎で、今は立派で大きな造りの家ですが、この家だけではなく、この地域は貧しい環境にあったと観ます。

 食べて行くだけで精一杯の生活だったと思われます。

 「間引き」もあったと観ます。

 そして途中での宗旨変えの影響もあったと観ます。

 それと一番大事なのは、そして何故この様な形の子供が出て来たかというのは・・・、それは水子を作った人間の水子に対する愛情が欠けていた事だと思います。

 確かに、仏壇には水子の位牌は有りましたが・・・、15〜6代続いた家です、愛情の欠けた時代もあったと思われます。

 殆どの女の方はその経験があると言われていますが、
大概の方は心の何処かにその事の後悔の念と、供養の念が有ると思います

 その
親の念が有るだけで、水子は成仏すると思います

 
親の後悔の念と供養の念があると、水子供養の必要はないと思います

 この家に嫁いで来られた、そして今回の祈祷を依頼された方は、この家にこの事を気づかせる為にこの家と縁が有ったのかも知れません

 この方は祈祷の前日の晩、曾爺さんも笑って出て来られて、また自殺したお爺さんは散髪に行って、ちゃんと背広を着て嬉しそうに出て来られた夢を見たと言われます

 この家に嫁いで来られたお嫁さんの行為だけで、仏様も成仏されたと観ます

 そして、今は他の所に住んでおられる娘さん家族も、行く行くはこの家に家族で帰って来られると観ます。

 
 *「「稲荷のお正念は拝み屋に入れてもらった」、という事を読まれる方の頭に置いてもらって、話は最初に戻ります」、の意味ですが、帰り支度をしているとこの方は、少し前にした実家での伏見稲荷様への祈祷の事で、「お正念はお母さんが伏見稲荷大社で勧請を受けたのではなく、違う日に大阪の拝み屋さんが入れたと言われます。

 お母さんは伏見稲荷へ御社を買いに行っただけで、正念は拝み屋が入れたと言われます。

 しかし・・・、大分昔の話でこの方も分らないと言われます。

 ??????・・・・・・・・。

 この方の実家は、この方のお母さんが伏見稲荷大社で勧請を受けて家に帰り、その後、拝み屋が家に来てその中に巳さんを入れた為、本来の神霊はお姿を隠した。それを今回、私達の釜で祓い、命婦専女神様の導きで本来の稲荷様が帰られたと解釈し、来られた稲荷様夫婦は納得して家のお社の中に入られたはずです。

 ??????・・・・・・・・。

 帰る間際でしたが、この方の実家の伏見稲荷様をお呼びしてみました。

 私、「地神さん、この方の実家の稲荷様をお呼びしてください。○○家の伏見稲荷様、どうか御姿を見せてください」。

 妻、「来てあったけど・・・・」。

 私、「ちょっと今聞いたが・・・、あんたらの居るお社の中の御霊は・・・・、拝み屋が作ったものか?」。

 妻、「何も言わないわ」。

 私、「な・・・・、ちゃんと扉を開けて確認してたら良かったんやが・・・。あんたら、居り難いか?」。

 妻、「何とも言わないわ」。

 私、「あんたらは、命婦専女神様が連れて来られたんやが・・・。あんたらは正一位か?」。

 妻、「稲荷さん・・・、うなづいているわ」。

 私、「地神さん・・・、この稲荷さん、正一位ですか?」。

 妻、「うなづいてあったわ」。

 私、「地神さん、祈祷の前に扉を開けてちゃんと確認してたら良かったんやが・・・・」。

 妻、「地神さんは何も言わないし、普通の顔をしてるわ」、と言います。

 私、「普通の顔してるか?・・・・・」。

 妻、「もし、拝み屋が作った御霊?の形が入っていてももう何も無いし・・・、一回開けてみて、違うものが入っていてももう空やし・・・、それは捨てて、誰かが伏見稲荷へ行ってお札を貰って来たら良いのとちがう・・・」、と言います。

 良い事を言うものだと思い、その是非を聞いてみました。

 私、「もし拝み屋が作ったお札の様なものが入っていても、それは捨てて、新たに伏見へ行って・・・、もう・・・、普通のお札を買って来てお社に入れる形で宜しいですか?」、と聞いてみました。

 妻、「それで良いと言ってるわ」。

 稲荷様の夫婦に、

 私、「あんたらも・・、それで良いか?」。

 妻、「うなづいてるわ・・・・」、と言います。

 まあ・・・、その事はこの方が実家に行って確認すると言われるので、それはそれで良いのですが・・・・・。

 では何故、伏見稲荷の神霊のかけらも無い所に命婦専女神様が私達を介して伏見の稲荷様を連れて来られたのかという事になります。

 この事については、この後も家の地神様にも聞いていませんので断言は出来ませんが、約50年前、この方のお母さんが伏見稲荷大社に行かれてお社を買った時に、多分・・・というか、当然本殿に手を合わされたと思います。

 手を合わされてこの後の事を話されたかも知れません。

 「この稲荷のお社には後日拝み屋さんに頼んでお正念を入れてもらいます」、・・・・と、神殿に向かって話されたかも知れません。

 この方のお母さんはそれこそ一生懸命に手を合わされたと言われます。

 何の疑いも無く、一生懸命に手を合わされたのでしょう。

 その姿を伏見稲荷大社の神霊はずっと見ていたのでしょう。

 そしてこの方に私達との縁を持たせたのかも知れません。

 その結果として、命婦専女神様が伏見稲荷大社から正一位の神霊を連れて来たのでしょう。

 そう思われて仕方が有りません。

 伏見稲荷様は優しい神霊だと思います。

 その内、家の地神様と命婦専女神様には聞いてみようと思います。

 
 
「水子」、に関しては、水子を作った方の記憶の中に少しでもその様な事が有ったという事を覚えていたら、もうそれで供養になり、「水子」、という存在は成仏すると思います

 
今回の様な特別な供養の必要はないと思います


 *尚、最初この方の実家でした祈祷時に、嫁ぎ先の御先祖様が火のついたローソクの形を取って三角形に中に沢山出られたのは、神主の恰好をした方がこの家の土地にお札を埋めた中に入っていた蛇(巳)の念が、この家の御先祖様に働き、成仏の妨げになっていたと観ます。

 三角形は蛇の鱗と取ります。


 
*何回も言わせて頂きますが、今回の様な事例は家の地神様、私達に取っても例のない事ですので、「水子」のある方は何も心配する必要は有りませんし、特別な供養をする必要もないと思います。


  伏見稲荷様の経緯に関する追記

 つい先日、この方からは実家でお祀りする伏見稲荷のお社を開けてみましたと電話が有りました。

 聞く内容から判断すると、伏見稲荷大社で勧請されたお御霊に間違いなさそうです。

 もう50年程前の話でのでこの方のお母さんの記憶も定かではないのですが、兎に角、拝み屋さんがお社の中にそれを入れたというのだけは確かの様です。

 このケースは今でもよく聞くのですが、拝み屋さんが伏見稲荷大社に出向き、其処で勧請を受けて、そのお御霊を信者?に手渡すという形が多いようです。

 この方の実家のケースも、この方からの電話で納得しました。

 やはり私が最初に考えていた筋書きと同じになりました。

 よく頂く内容で、稲荷様をお祀りしているが商売が芳しくないとか、家の中が落ち着かないとか言われる方が居られますが、その稲荷様がどの様な形で家に来られたのか、その後、その稲荷様の前にどの様な者が立ったのか、どの様な者を貴方の意思で稲荷様の前に立たせたのか、考えてみる必要が有ります。

 
 注:この方とは全く関係有りませんが、伏見稲荷様をお祀りしたから即事態が良い方向に向かうという勘違いだけは止めて頂きたいと思います。






 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 
 
(物事が此処に至るまでには当然長い間に渡った経緯があり、それを省き、この事だけを書くというのは無理が有りますので少し長くなります)
鳴釜神事の実際と考察
*伏見稲荷様に関する経緯を末尾に追記しました。