私の善霊、悪霊の見分け方と、
              その対処の仕方
 私は只の人間です。はっきりしている事は、私自身が考えて行動を起こしても、何も分からないし、何も問題解決しません。

 事前の知らせは善霊、悪霊関係なく、巳神が私の体に入れて来ます。事前の知らせは、見る(見せる)形で入って(入れて)来る事も有りますが、殆んどが、体を通して入って(入れて)来る事が多いです。人霊(先祖霊も含む)、畜霊等、又その程度の強弱、内容(〜して欲しい、知って欲しい、私に対しての対抗、拒否等)等です。

 私の体のどの部分に入って(入れて)来るのかは、上記するものにもよります。
手(各指)、腕(場所による)、頭部(場所による)、腰に入って(入れて)来る事が多いですが、一概には判断出来ませんし、入って来るものの程度によっては、相当なダメージ(痛み、悪感等)を受けます。又化けて(畜霊の類でも、化けるのが本当に上手なのもいるし、下手な類もいます)入って来る事も有りますので、慎重に対処しなければなりません。


 相談者が来訪された時も、又祈祷における時も、先ず私は、私の中の巳神を、私の妻の中に出します。そして、相談内容にもよりますが、問題(障り)の根本を、形として出してくれる様に頼みます(殆んどはそれ以前に、私の体には入って来ていますが)。

 @これは、数年間転勤でタイにいた家族ですが、帰国後に、主人の人格が変わってしまい、お酒を飲むが、尋常な飲み方ではないので、相談の為に来訪されました。

 この障り(原因)の元を、分かり易く、はっきりと、形として出してくれる様に頼みました。そしてそのものが、祓わなければならないものなら巻いてくれる様に頼みました。


 絵に少し茶色の色を着けていますが、実際は透明です。

 巳神が透明な空間を三角形の形に巻きました。

 「これを祓え」という意味です。

 主人がタイのお坊さんと親しくなり、帰国前にお正念の入った仏像をもらい、それを持って帰り、家に置いていますが、それは透明のガラスで作られた仏像だそうです。

 後日、主人の出張中に、鳴釜の神事により正念を抜きました。

 今でも仏像はそのまま置いてあり、主人は以前と同様、手を合わせていますが、急におとなしくなり、以前の主人に戻りました。

@の例だけではなく、相談中や祈祷中に出て来た、はっきりとした形(顔、姿)、線、模様、色に対して、「祓う対象のものなら、そのものに巻き付いてくれ」と頼みます」。そうすると巳神は、そのものに巻きついたり、噛み付いたりして、私に知らせて来ます。

 巻き付かれたものは、直ぐに姿を消す(巳神に消されるか)か、仮の姿(化けている)から、本当の姿に正体を現します。

 しかし中には、なかなか正体を現さない輩も有ります。そういう時は、これまでの経験から、そのものであろうと思われる祝詞を上げます。

 「姿を見せてみ」「何も悪い事をしないから」「ちょっと、姿を見たいんや」、「頼むから、出てきてみ」と言います。

 これで大概は姿を見せますが、これでも駄目なら「わしは、釜を焚く者だが、釜が鳴ったら、お前らはどうなるか、分かるやろ」と言います。これで先ず正体を出します。姿を変えて出ていたものが、本当の姿を見せます。


 
以前の私は、この段階で釜を焚き、強制的に消してしまっていました。しかし祈祷が終わった後の私自身の気持ちに、何か空しさが漂います。勿論、有無を言わせずに祓い消してしまわなければいけないものも有りますが、今の時点では悪霊の類に落ちぶれてはいるが、以前はそうではなく、人を助けるお役を持って出て来たものも有ります。

 

 
今は、この段階からが、本当の祈祷です。これからが本番です。時間をかけて説得し、納得させて、本来のお役に帰るように矯正します。大概のものは、こちらの話に耳を傾け、聞いてくれます。

 
一番厄介で難儀のは、生霊です。これは祓わねばなりません。

 
 祓う対象のものではない場合、巳神はその場から動かないか、又その対象の周りを回って、元の位置に落ち着きます。



 神(余り位の高過ぎない神、眷属神)や、神事に関する場面の場合は、珍しそうに近くに行き、眺めていたり、又同じ巳神の場合は、仲良く、嬉しそうな態度をとります。


(これは、神道の家に行き、祈祷を行った時に出て来た場面です。子供が幣を持ち、その幣を振る姿を、此方の巳神が嬉しそうに見ています。私は疑り深いので、祓うものならこれに巻きついて消してくれと頼みましたが、その様な対象ではない様です)
 
鳴釜神事の実際と考察