ある方に付いた念の形
 大変上昇志向の高く、強い方と観ます。

 ある大手会社の幹部職員です。

 私の旧知の方と一緒に来られました。

 この方の将来の人生、仕事のこの先を聞かれます。

 この方はつい最近、ある病気で緊急入院され、手術をして退院されたところです。

 それを聞いて、「うまいこと出してあったな・・・」、と思いました。

 「人生、仕事、飛ばし過ぎたな・・・」、と思いました。

 「出すべき時に出してあったな・・・・今までの溜まったものを・・・。今回、これを出さずに突っ走っていたら、この先、もっと大きな病気になっていたな・・・・。うまいこと出してあったな・・・。それだけ運が強いし、何か守っているものが在るな・・・」、と思いました。

 声に出さず、

 私、「地神さん、この人、何が付いていますか?」、と聞いてみました。

 妻、「白い綺麗な丸が二つ、くっついて出てるわ」、と言います。

 この方に、何か祀っていますかとお聞きしたのですが、何も祀っていませんと言われます。

 この方に、最近、何処か、手を合わす様な所に行かれましたか、と聞くと、京都の伏見稲荷大社に行ったと言われます。

 今日、私の所に付いて来られた方の家族と一緒に、伏見稲荷大社に行かれたと言われます。

 「道、付けたな」、と思いました。

 今日付いて来られた私の旧知の方には、白い伏見稲荷様が付いています。

 早速読んでみました。

 私、「○○さんに付いてる稲荷さん、出てみ」。

 妻、「出て来てあったわ。前より少し立派になってるわ」。

 私、「あんたが縁を付けたんか?」、と聞いてみました。

 妻、「そうらしいわ。うなずいたわ」、と言います。



 早速、この方に付いている白い綺麗な二つの丸の存在に聞いてみました。

 私、「あんたらは伏見稲荷様か?。ちょっとお姿をお見せください」、と告げて、「稲荷祝詞」、を上げました。

 妻、「何も出ないし・・・、丸のままやわ」、と言います。

 伏見稲荷様なら、先ず、その姿が出るのですが・・・・・・・。

 声に出さず、

 私、「地神さん、この二つの丸の存在、これは神霊か?」、と聞いてみました。

 妻、「うなずいたわ」、と言います。

 私、「地神さん、これは正当な神霊か?。この二つの丸の存在、この方、祀った方が良いか?」、と尋ねてみました。

 妻、「うなずいてあったわ」、と言います。

 声に出さず、

 私、「地神さん、この二つの丸の存在、これは稲荷と巳神か?。稲荷と巳神の力が合わさった神霊の念か?」、と聞いてみました。

 妻、「うなずいたわ」、と言います。

 私の中でその事を踏まえて、再度、

 私、「今、聞いておられたと思うが、どうか、お姿をお見せください」、とお伝えしました。

 妻、「何も出ないよ。丸が二つ、そう言うと、上の丸と下の丸が反対方向に周ってるわ」、と言います。

 声に出さず、(声に出さずに聞いていますので、妻は意味が解りません)

 私、「解りました。ちょっとお聞きします。この○○さんに祀って欲しいですか。そうなら光を出してください」、と聞いてみました。

 妻、「丸が光ったけど・・・・」、と言います。

 私、「祀った後、○○さんを守ってくれますか」、と聞いてみました。

 妻、「又、光ったわ」、と言います。

 推測するに、この二つの白い綺麗な丸は、稲荷神と巳神の力の融合体と観ます。

 稲荷の力と巳神の力を持った神霊と観ます。

 以前、私の方の巳神様が稲荷と巳とが融合した姿を取ったのと同じ様に、相当修行が進んだ神霊と観ます。

 何故この様な神霊がこの方に付いたのかは解りませんが、神霊にしても何か期するものがあるものと思われます。

 この様な神霊が付くと、これからの人生、この方を相当な力で守護して頂点まで引っ張って行くと思われますが、その先、何か、そのお返しを社会に還元する様に仕向けて行くと思われます。

 それだけの事が出来ると見込んだから、この方に付いたものと観ます。

 只、この方がそれに気がつかずに進むと、何処かでいろんな警告を発して気づかす様にするでしょう。

 それは病気であったり、社会的不遇であったり、いろんな形でサインを送って来るでしょう。

 しかし、全くこの様なものと縁の無かった人にこの様な神霊が付くという事は、私にしても余り経験のない事です。

 この方の社会的なもの(名誉、地位、財産)は、この先ぐんぐんと上がって行くでしょう。
 

 *異論も有ると思いますが、参考にして頂ければ幸いです。

 伏見稲荷大社も勿論、各地、各所に在る神社というものは恐ろしい場所だという事を頭に入れてお参りして欲しいと思います。

 伏見稲荷大社にしても、お参りした後で体調を崩される方が沢山居られます。

 膨大な方がいろんな目的で、いろんな念を持って集まる場所です。

 勿論、その場に捨てていかれた念も有るでしょう。

 念は何時までも残ります。

 その念に付いたものによっては、余り歓迎されないものも有ります。

 昨日や今日創建された神社なら別ですが、歴史のある場所です。

 参拝される方の霊的な波長と思い(念)が、過ってその場に捨てられたものと同じ類のものなら、ひょっとしたら参拝された方に入って来るという事は否定出来ません。

 過って其処に捨てられた念にしても、途中で断念せざる悔しい思いが強く残っているものも在るかも知れません。

 その成しえなかった思いを、参拝される同じ様なタイプの方に託して影響を与えるという事も否定出来ません。

 上記した良い様なケースは稀な事です。

 

 

 

 

 

 

 

 












鳴釜神事の実際と考察