阿弥陀如来様・・・平成25年6月28日(金)午前7時30分頃
薄々、去年の春頃から、具体的には去年の秋頃くらいから、私の人生の集大成に入って行くのではないかと、その様なものを感じていました。
かと言って、今まで信じて歩んで来たものを方向転換させ、新たなものの吸収を自分に課すのではなく、今まで通り、今日まで信じて歩んで来た事を貫き通す事の再確認を自分自身に戒めるという様なものを感じていました。
「これで良いか?。私達の方向性は間違ってないか?。これで良いんやな。このまま進んで良いんやな?」、という様な言葉を巳神様に発しかけたのも、上記した事が根底にあります。
「不動明王(お不動さん)について・・その念の形・・2」、に登載する、今年、平成25年1月1日から3日にかけての出来事など、思いも寄らぬものが展開された事なども然り、何か、今までとは違う展開になつて行くのを感じます。
今日、平成25年6月28日(金)、28日は私の親父の祥月命日ですので、妻と一緒に、「正信偈」、を上げました。
私は暗記していますので、只目を瞑りお経を上げていました。
途中、当然、何時もの様に雑念が入ったり出たりします(入れたり出したり)のでそれと付き合いながら、片方で神経を集中させて、丁度このページのバックの色の様な球の中の光る丸の進行方向を凝視していました。
程無く、「正信偈」、も終わりましたので、「今日は止めよう」、と思いつつ、つい親父を呼んでしまいました。
私、「親父、元気か」。
妻、「目・・、目が出て来た。向かって左だから右目。瞳が青で目の玉が黒だけど、光っているから黒くは見えない。両目尻が開いてる」、と言います。
人間の目の様で、人間の目ではない事は確かです。
何時も目にする龍神様の目でもありません。
そうこうする内に、その眼は消えて行きました。
妻、「お経の途中から、最初は左目がピクピクして、今度は右目がピクピクして、その繰り返しが続いていた」、と言います。
気になりましたので、再度、さっき現れた目の存在をお呼びしました。
直ぐに、
妻、「何か・・・おかしな形のものが・・・???、全体が青色のものが、・・青の中に目の様な青があって・・・、両側が何処までも続いている感じ」、と言います。
その直後、
妻、「青の中の目の様な青が無くなり、全体が青色になってしまった」、と言います。
大体の察しはつきます。
私、「阿弥陀如来様と観ます。何時も有難う御座います。私達の様な者の所に来られた事、有難う御座います。私達がやって来た事、やっている事、間違いないですか?。間違ってないですか?。間違いがないのなら、どうか目を瞑ってください」、とお伝えしました。
妻、「ゆっくり、目を瞑ってあったわ」、と言います。
私、「有難う御座います」。
妻、「もう、見えなくなったわ」、と言います。
此方の巳神様には、さっきの存在が阿弥陀如来なのかと聞きましたが、何も言いませんでした。
そして、再度、此方の巳神様にはさっきの目の存在を呼んでくれる様に伝えましたが、以後、何も見えては来ませんでした。
今まで阿弥陀如来様の目の形などまじまじと見た事もありませんので、家にある仏像の本を取り出したり、インターネットで調べてみると、上瞼を半眼にした阿弥陀如来様の目が其処にあります。
衆生を極楽浄土へと導く誓願の目が其処にあります。
今朝、見せて頂いた阿弥陀如来様の目の意味・・・、今まで通り、今の方向性で良いという事のお墨付きを頂きました。
有り難い事です。
尚、妻、「目の青の透き通った感じや、綺麗な感じが難しくて表現出来ない」、と言います。