お墓の前で
こんな仕事をしていますが、お墓は余り好きではありません。
恐いとかではなく、実家のお墓は小高い山の頂上で、もろに日光が当ります。
親父の命日が7月28日で、法事の後でお墓に行った折、その強烈な日差しに思わず、「こんな暑い時期に死なんでもええのに・・・」、とつい言ってしまった程、夏場は過酷な状態に置かれる場所です。
案の定、今年のお盆も何かと理由をつけて、お墓参りはしていませんでした。
今年のお盆は妻の実家のお墓参りはしました。と言うのも、妻は繊維筋痛症で体が痛く、今年のお盆も調子が悪かったものですから、病気以外に何が作用しているのかと此方の巳神様に聞くと、「父」と漢字が出ます。
妻の実家は代が変わっていますので、私がとやかく言う事も出来ず、お墓へ行ってお経を上げて来たわけです。
途端に、体の痛みは楽になりましたが、困ったものだと・・・・、考えてみれば、私の実家も兄夫婦の代になって、此処は正真正銘の「ほっとけさん」、の家ですので、そんなに偉そうな事も言えません。
今年の親父の命日位から、此方の巳神様が、「墓へ行け」、と言って、難しい顔をしていたのですが、毎日、朝、仏壇でお祀りしていますので、「まあ、ええか」、と油断をしていました。
言い訳ではないですが、このお墓に行く時は、着替えを持って行かないといけない程、汗が出ます。
そんなんで、ほかしていた訳です。
気にはなっていたのですが・・・・、今日(H24・9・13)、巳神様に、「やはり行きます」、と言い、小さい巳神には、「あんたも行くんやで」、と偉そうな事を言うと、
妻、「僕も?、と言って、自分を指さしてるわ」、と言います。
午後4時頃にお墓に着きましたが、日陰一つ無い、湿り気一つ無い、カラ〜とした場所です。
実家のお墓は、同じ区域に新旧二箇所あり、一つは昔からの土のお墓と、もう一つは石のお墓(石塔が建っています)があります。
何処の地域でも同じですが、土の方のお墓も大事にお祀りされている家が殆んどです。
それにしても暑い。余り暑かったら笑って来ます。
今日は石のお墓の前でお経を上げる事にしました。
私、「何か出てるか?」。
妻、「何か・・・、二段の鏡餅の様なものが見えてる」、「下の段?は、白い輪の様で、上は白い丸の形」、と言います。
「正信偈」を上げました。
汗が滝の様に落ちて来ます。
私、「まだ出てるか?」。
妻、「????・・・、下の白い輪の様なものがす〜と長いものになって・・・、右側に行って・・・、その後、上の丸いものもす〜と長いものになって右に行って・・・、漂ってる様に動いてる・・・・、後の方が少し短いけど」、と言います。
解かりません。
此方の神霊に、「これで良いか」と聞いたのですが、何も言いません。
「「阿弥陀経」、も上げよか」、と聞いたのですが、何も言いません。
この頃は、何を聞いても余り反応が有りません。
「自分で決めなさい」、という事なのでしょう。
「阿弥陀経」を上げ様としていると、
妻、「白い・・・・、縦の・・・・、格子戸の様なものが出て来たけど」、と言います。
「良し」、と思いました。
「阿弥陀経」、を上げました。
私、「誰か出てるか?」。
妻、「お父さんが、納屋から出て来てあったわ」、「グレーっぽい、うす〜い緑が混ざった様な作業着を着て、斜めに体を此方に向けて」、「若い時・・・50代の顔やわ、お父さん」、と言います。
私、「親父、久しぶりやな〜、元気か?。聞こえてたら手を上げてみ」。
妻、「笑いながら手を上げてるわ」。
私、「親父、孫がもう直生れるで、男の子や、知ってたか?」。
妻、「知ってる」、と言うてあったわ。
私、「親父、お袋、呼んでくれるか」、「お袋、姿見せてみ」。
妻、「お母さんは玄関から出て来てあったわ」、「お母さんも50代の顔やわ」。
私、「久しぶりやな〜、元気にしてるか?」。
妻、「オッス、という様に手を上げてあったわ」。
生前のお袋がしていた態度です。
私、「お婆ちゃん、姿見せてか?」。
妻、「お婆ちゃんは縁側に座って、前栽の方を見てるわ」。
私、「お婆ちゃん、孫、生れるで、玄孫(やしゃご)やで、解かるか?」。
妻、「笑ってるわ」、「学校の叔父さんもその横に居ってやわ」。
私、「学校のおっさんも居るんか?。入ってる所、違うで」。
10分間位の間の出来事ですが、兎に角、暑くて、暑くて、亡くなった先祖とのやり取りは、日常先ずしませんが、私達に取っては普通の事ですので、それより暑くて暑くて、親父、お袋、お婆ちゃん、学校のおっさんには、「又呼ぶからな〜」、という事で御開きにしました。
私、「親父、元気でな、曾孫、守ってやってな。もう一回手を上げてみ」。
妻、「階段を上がりながら、斜めに此方を向いて手を上げてあったわ」、「お母さんとお婆ちゃん、学校の叔父さんはもう見えないわ」、「お父さん、階段を上がって行って、見えなくなったわ」、と言います。
私、「親父、階段を上がって行ったって?」、「出て来た時は、階段を降りて来たのが見えたか?」。
妻、「出て来てあった時は、階段は無かった様な?」。
この後、土の方のお墓にもお参りして帰って来たわけですが、展開されたものは一般の方には疎遠な事と思います。
しかし亡くなった方とこうして会えるのは、良いのか悪いのか・・・・。
私はこれまで、仏壇祀りの方に重点を置いていましたが、やはりお墓というものの重要性も勉強しなければと認識した次第です。
尚、親父やお袋、お婆ちゃん、学校のおっさんが姿を見せた場面は、今は空家になっていますが、この人達が生前営みを送った場所(家)です。そして学校の叔父さんとは、お祖母さんの弟で、中学校で用務員(その当時は小使いさん)していましたが子供が無く、晩年は淋しい人生を送った人です。
上記した事で終りにする予定でした。
しかし今日(H24年9月29日)、午後2時過ぎ、聞いていた相談事をこなす為に此方の巳神様の御姿を御呼びすると、
妻、「白い・・・、丸い・・・、ものが出ている」、と言います。
絵に書いてもらうと、上記したものと同じものと思われるものが出ています。
此方の巳神様に、もう一回お墓に行くべきかを尋ねると、
妻、「地神さんの頭が矢印の様な格好になった」、と言います。
今から直、お墓に行くべきかと尋ねると、「行け」、と言います。
台風17号の影響で小雨が降り始めています。
早速、スーパーで花やお酒、巻き寿司を買って、私の方のお墓に行きました。
此方の地神様の御姿を出し、高橋家の御先祖様を呼んでもらいました。
妻、「子供が沢山出て来てる」、「その後に大人の方が何人か出てる」、「色は無いというか・・・、薄茶色の様な・・・」、「服は着ているけど・・・、薄茶色の様な・・・」、「この家の子供だけではないのと違う・・・・」、「地神さんが子供と遊んでいる・・・、優しいわ」、「お父さんやお母さん、お婆ちゃんよりももっと古い仏さんやわ」、と言います。
曾お祖父さん、曾お祖母さんの名前を呼ぶと、
妻、「曾お祖父さんの名前を読んだ時、喉がす〜っと軽くなった」、と言います。
昔、亡くなったお祖母さんから聞いたのですが、疫病が流行った時、高橋家では同時に何人もの死者が出て(若い娘さん達だと聞かされた事が有ります)、布団を並べて寝かせていた。近所の人が高橋家の前を通る時は、走って通っていたというのを聞いた事が有ります。
お祖母さんが結婚して来た時位の話だと推測します。
その事に関しては、以後、殆んど聞いた事がありません。
お祖母さんも思い出したくない事だったのでしょう。
沢山の子供に関しては、この領域の先生から、「あんたとこは、ぎょうさん子供が死んどる」、という事は聞いた事が有ります。
相当昔の事なのでしょう。
この件に関しては、私には解かりません。
案外、自分の方の事は解からないものですが、しかし、相当因縁の深い家だという事は解かります。
私の先祖にお坊さんが居られるとか、私がこの様な仕事をする様になっていたのもうなずける事です。
お墓の前で「正信偈」と「阿弥陀経」を上げました。
妻、「子供が手をつないでいるわ」。
私、「あんたら、御免な、お菓子食べよ、巻き寿司食べよ」、と言って、手を振ってみました。
妻、「端っこの子供だけが、手を振ってるわ。他は手をつないでるもん」、「やっぱり地神さん、優しいわ、一緒に遊んでやってるわ、お母さんやわ」。
お経が終わって、地神様には、「これ位で宜しいか」、と尋ねると、
妻、「頭、下げてあったわ」、と言います。
大人の御先祖様には、しっかりと挨拶をしてお帰り願いましたが、子供達はまだ楽しそうに遊んでいます。
私、「地神さん、帰る様に言ってあげてください」。
妻、「向こうへ帰って行ってるわ」、「見えなくなったわ」、と言います。
まあ、大多数の家とは違い、因縁の深い家だとは思っていましたが・・・・。
あの沢山の子供達は・・・・、出て来た姿からは・・・、明治から大正にかけての子供とも思えますが・・・、何故あんなに沢山の子供が・・・・、どんな亡くなり方で・・・・、その当時の事が解かる方など、当然誰も居ないし、お祖母さんにしても、何も喋らずに死んで行ったし・・・、昔話に聞いていても、喋らなかったであろうし・・・・。
私が家を建て、同時に仏壇を置いて、26年間、毎日先祖供養をさせて頂いていますが、まだか・・・・・・、まだ足らんのか・・・・・・。
それだけ厳しい家系なのかと・・・・、しんどくなりましたが、又目標が出来ました。
多分、今年が100回忌くらいになる仏様が居られたのか、それが出て来られた沢山の子供達なら、何故あんなに沢山出て来られたのか・・・・・。
いろんな家や、その家のお墓に行かせて頂いていますが、こんなに沢山の子供が出てくる事は先ず有りません。
それで私がこの様な仕事をさせられて、全国を回らされているのかも知れません。
これがお役なのでしょう。