ある朝、仏壇の前で・・・2
 親父の命日が7月28日で、今年が多分・・・、32年目になると思うのですが、何故か今年は相当前から気になっていまして・・・、まあ、28日は正信偈でも上げようと考えていました。

 7月25日(木)の未明(勿論私は寝ていましたが)、妻が一階の仏壇の部屋で「カチカチ」という、スイッチを入れたり切ったりする様な音が聞こえるので、また猫が悪い事でもしているのかと思い下に降りてみたが、猫は熟睡していて、何の事か解からなかったと言います。

 毎年、親父の命日は、過ぎてしまって、又気がついていても気がつかないふりをして終わるのが常でしたが、今年は何故か気になっていました。

 そうこうする内に、チビが3日程行方不明になったり、同時にチビを探しに?巳神様の御姿も同時に見えなくなったりして(又書かせて頂きます)、それも私に責任の一端がある様な気もして、大変落ち込んでいました。

 人が聞くと、それこそ私達は精神病院に即入院した方が良い様に取られるかも知れませんが、人が聞かなくても、私達自身、おかしな事で悩んでいるもんだと悩んでいました。

 この事は後日書く事として、その行方不明のチビと巳神様が、7月28日(土)の朝、帰って来ました。

 やれやれです。

 このやれやれ感は、以前、出来の悪い息子が高校受験の際、親としてはもう何処でも引っかかってくれたら、何処の高校でも受かってくれたら良いわと思っていたところに、合格の知らせを聞いた時の気持ちと似ています。

 7月28日(土)の朝、地神様もチビも帰って来ましたので、少し話をして(巳神様とチビに)、仏壇の前に行き、妻と一緒に「正信偈」を上げました。

 「正信偈」が終わって、

 私、「親父、ちょっと姿、見せてみ」。

 妻、「お父さん、初めは白い、丸い玉で来てあったけど、直に人の形になったわ」、と言います。

 私、「親父、親父やったら右手を上げてみ」。

 妻、「上げてあったわ」。

 私、「親父、久しぶりやな〜。元気か?」、「親父か?、カチカチという音を出してたのは」。

 妻、「そうらしいわ」。

 私、「親父、孫、出来たん、知っとるな〜?」。

 妻、「知ってるって」。

 私、「9月に、又出来るで、今度は男や。守ったてやってな」。

 妻、「うなずいてあったみたい」。

 私、「親父、お袋呼んでか?」。

 妻、「お母さん、離れて出て来てあったわ。お父さんが右で、お母さんが左に出て来てあったわ」、「お母さんは最初から人の形やわ」、と言います。



 私、「どや、元気かいな〜?」。

 妻、「お母さんは・・・、何か・・、手を此方に向けて合わせてるわ」。

 お袋とは長い間疎遠でしたので、何を言って良いのか、正直、分かりません。

 私、「お婆ちゃん、ちょっと、出てか?」。

 妻、「お婆ちゃんは玉やわ。玉」、と言います。

 私、「お婆ちゃん、元気か?。又、孫が生れるで〜。」、・・・・、2〜3、何かを聞いたのですが忘れてしまいました。

 妻、「お婆ちゃんは、此方の言う事が解からないみたい。反応が無いわ」、と言います。

 もう修行が終わっているのかも知れません

 私、「お婆ちゃん、曾お祖父さんとお祖父さん、呼んでか?」。

 妻、「何も出ないよ」、と言います。

 まあ、出なくて当たり前なのですが、ついつい欲張ってしまいました。

 最後に、「白骨の御文章」、を上げて、

 私、「もうええで〜。帰ってな〜。有り難う」。

 妻、「消えてあった」。

 まあ、親父も、お袋も、お祖母さんも出たし、チビも帰って来たし、やれやれで、「今日はもうこれ位にしといたるわ〜」、の心境で私は終りにしましたが、妻はまだ地神様のお祀りが終わっていませんでしたので「龍神祝詞」を上げ、観音経を上げていると、

 妻、「チビが、「お爺ちゃんが牛乳欲しいと言ってる」、と私の所に言いに来たわ」、と言います。

 親父が肺がんで死んでから、お袋が仏壇に毎日丼鉢一杯の牛乳を供えていたのを思い出しました

 お母さんの巳神様に言われて来たのでしょうが、チビも賢くなったとつくづく思います。

 チビの出生の秘密も、ある程度までは知っているのですが、チビが何処かに修行に出て家に居ない時に聞いてみようと思っています。

 こうして亡くなってからも、此方の言う様に出て来てくれるのは、有り難いものです

 ましてや、良い状態の形で出て来てくれますので嬉しい事です












 
鳴釜神事の実際と考察