私達の祈祷や相談の事
 正直言って、祈祷や相談は苦痛そのものです。

 出来ればやりたくない(お受けしたくない)と言うのが本音です。

 一つの(一人の)相談を何分間かで終了し、次の相談(次の人)に入る事が出来るというのは、私達に取っては考えられない事です。

 皆さんも他人や友達の話を聞く時、何分間の間に内容を把握するのは到底不可能な事と常識的に考えてお解りになると思います。

 ましてや、その原因や責任を相談者の方に振り、個人の方に責任をもって行くという事は、私達に取っては考えられない事です。

 確かに、個人の方(相談者)に責任を持って行かなければならないケースも有りますが、それまでに到る要因(原因ではなく)を霊視(神霊にお伺いを立てて)によって解明して行けば、一概に個人の方に責任をもって行くのは浅い部分の推断と言わざるを得ない場合も有ります。

 責任の殆んどを個人(相談者)に振るのは簡単ですが、それはこの領域のお役を持つ者に取っては逃げです。

 かといって、殆んどをこの領域のせいにするのも逃げです。

 この領域(占いではありません)を頼って来られる方は、殆んどが真面目な方です。

 勿論、中にはふざけた内容(ふざけたというより、浅すぎる、常識で解明できる)も有ります。

 試しにアクセスして来られる方は、男性が多いですが・・・。

 個人に返された責任は真面目に受け取られます。

 真面目な方はある一定期間は自己反省の時間を過ごされます。

 自己反省して、それで解決出来るケースは、それは大変幸せな事です。

 しかし、この領域を頼って来られる方は、もうとっくに自己反省し尽くして、この領域の答えを求めて来られる方が殆どです。

 そういう方の事情を一日に何人も神霊にお伺いを立てて解明して行くのは、私達に取っては不可能ですし、神霊の表情も微妙に変わって行くのが見られます。

 此方の神霊もそうですが、かって伏見稲荷大社、命婦専女神様にお伺いを立てて、沢山の事をお聞きしている時、「呼んで聞くのは良いが、一つにしてくれ」、と言われた事が有ります。

 これは、私達の修行が足りず、的を得た質問をしないのでそう言われたのですが、此方の質問に対し、神霊は考えておられます。

 神霊も此方がお聞きした答えを出す時、少し時間がかかる事も多々あります

 神霊も悩まれます

 大いに悩まれる事があります

 神霊(日本の神々)の事を勉強された方は御存知と思いますが、悩まれます。

 一つの相談に対し、その原因を解明するまでに1時間位かかる事は珍しくありません。

 これは大いに私達の力不足が主因なのですか・・・。

 神霊を美化されている方は失望されるでしょうが、それが現実です

 勿論、答えを得るまでのプロセスなどは相談者の方にはお伝えしていませんので、私の方にアクセスして答えを得るまでには、少し時間がかかる事になります。

 それと私のホームページをご覧になるとお解りと思いますが、霊視によって見せられた絵を登載していますが、これが・・・、何とも・・・、霊視というものは・・、私達の場合、勿論、此方の神霊(巳神)や、命婦専女神様からの情報になるのですが・・・、この解釈が難しい、と言うのは、ある事に対する答えを求めても・・・、勿論関連は有るのですが、とてつもなく遠因を、それも抽象的というか、神霊だけに通じる形を取って見せて来ます

 これが疲れます。

 初期の頃は優しく、はっきりと、くっきりと、分かり易く教えてくれたのですが、今は全く難解なものを見せてくれる事が多くなりました。

 神霊に取ってはそれが普通で、私達のレベルに合わせて霊視の内容を伝えるのは苦痛そのものなのでしょう。

 しかし、これを解明するのに時間がかかる訳です。

 又、これに付随して、いろんなものが(憑いているものの作用、要するに障りが)此方の体に入って来ますので、これも苦痛そのもので、出来れば祈祷や相談をお受けしたくない理由になります。

 この憑いているものの作用(障り)を、私達の体に入れない様に頼んだ事が有るのですが、ある程度までは仕方が無いと言います。

 勿論、此方の神霊も加減をして知らせ(障り)を入れて来るのですが、此方の・・・、どう言ったら良いのか・・・、修行?、そんな格好良いものではありませんが、此方の程度が上がる?と、その分だけ深いものの作用が入って来ます

 神霊の世界・・・、祓う方⇒清める方と、祓われる方の対決は、それは壮絶なものがあります。

 祓われる方は祓う方の力を見抜きます

 祓われる方が祓う方の力を見抜き、自分の存在が危うくなると察すると、とてつもなく強い拒否の反応を此方に送って来ます。

 これが此方の体にはこたえる訳です。

 祓われる方が祓う方の力を見抜き、自分よりも程度が低いと見抜くと、祓う方には何の念も送っては来ません。

 この程度に身を置いている時は楽なものです。

 本当は楽な方が良いのですが、もう後には戻れませんので、しょうがない事です。

 ですから直接相談に来られる方も、「こんにちは〜」、と来られて、「有り難う、失礼しました」、と帰られるまでに3時間位の時間がかかってしまう訳です。

 過って私の所に相談に来られて1時間位の時間で帰られた方は皆無です。

 現地での祈祷に関しても、最低3時間、言葉は悪いですが、「下手したら」、6時間位かかってしまう訳です。

 事前に霊視して見せられていたもの以外の深いものが、祈祷中に入って来る(出てくる)事が多々ありますので、その対処で時間がかかってしまいます。

 霊的なものが動くと大変疲れます。

 私達だけではなく、その場に同席された方もその作用は及びます。

 いくら頑強な方でも、祈祷の後は横になっておられます。

 上記した理由により、皆様の相談の答えを得るまでには少し時間がかかってしまうし、現地での祈祷も大変時間がかかってしまう事になる訳です。















 
鳴釜神事の実際と考察