自殺について
私が今まで、数え切れない程の自殺者の霊と接して得た事を書きます。
自殺者の、その後置かれた状況の実際を、日々の相談時の霊視や実際の祈祷時に展開される状況の一部と、 そしてあえて今回、特殊な例も書きたいと思います。
自殺者の死後の世界がどうなっているとか、体、霊魂は何処に行くとかは、その道の専門の方にお任せします。
・・・・・自殺は絶対してはいけないとは思います。
この領域の相談をお受けする中で、その家族、その直系などに、自殺者が居られるのは往々にしてあります。
それだけ自殺者が多いという事です。
確かに、生きて来て、一回は自殺を考えた事のある方は多いと思います。
余程の「の〜天気」な方は特別として、直近くに在る存在です。
確かに自殺者の霊と接する時は、此方の方にも相当なきつさで自殺者が置かれた苦痛の念が入って来ます。
これを理解出来ない、感じないこの領域に居られる方は、詐欺師です。
看板を下ろすべきです。
先ず90%以上、自殺者が居られる家は、事前に解ります。
偶に、解らない事も有りますが、これはその家の方が一生懸命に祀り上げられたものと思います。
一生懸命に供養された事が解ります。
しかしこれは極わずかな事で、大概がきびしい念を伴って私達の方に訴え入って来ます。
自殺者が厳しい状況に置かれている事が解ります。
どの様な手段で自殺をされたのかにもよりますが、先ず苦痛、・・・頭痛、体の痛み(全身)、胃痛の形を取って訴えて行きます。
鉄道自殺、飛び降り自殺など、体の損傷が激しい状態では、頭痛、体の痛みを伴って入って来ますが、例えば、頭部の損傷が激しい場合などは、言葉では表せない様な頭痛に見舞われます。
勿論、この様な場合、例えば、鎮痛剤を規定の量の二倍くらい服用しても、全く効果はありません。
私達の方も地獄です。
はっきり言いまして、関わりたくなく、嫌になってきます。
服毒自殺の場合も、頭痛、胃痛、体の痛みを伴い、此方(妻の方が)も嘔吐します。
事故死の霊も、その亡くなり方の状態が入って来ますが、まだ自殺者の場合と比べると増しです。
自殺者の場合、相当年月が経っていても、相当な厳しさで苦痛を訴えて来ます。
普通の亡くなり方に比べ、自殺者がいかに厳しい状況に置かれている事が解ります。
相談時や祈祷時には、自殺、その瞬間の場面が展開される事も有りますし、此方の神霊がその時の様子を形で見せたりする時もあります。
此方の巳神様の首から下がダラ〜ンと下がり、顔を上に向ける時もありますし、下に垂らして教えてくれる時もあります。
ぶら下がっている形(姿、状況)を見せてくれる時も有ります。
当然、私の首にも具体的な情報を伝えて来ます。
ロープがどの様にからまって、どちらの方向を向かれて亡くなられたのか等、私の首のその部分に情報を入れて来ます。
首吊り自殺です。
切り立った鋭角から下を見せてくれる時も有りますし、此方の巳神様が其処から下を見ている形を取って教えてくれる時も有ります。
落ちている形(姿、状況)を見せてくれる時も有ります。
落ちた状況(姿、状態))を見せてくれる時も有ります。
飛び降り自殺です。
服毒自殺の場合、その時の苦しさは・・・、当然私達の方に入って来るのですが・・・、これはどう表現すれば良いのか・・・、書いていても嫌になって来ます。
自ら命を絶った人はこの瞬間の苦しみを、何年、何十年も消えずに持ち続けて苦しんでおられるのが解ります。
宗教者ではありませんので解った様な事は言えませんが、自ら自分の命を絶つという行為は、この世で一番低い行いかも知れません。
当然、この苦しみの念はお知らせとなって、生きている方(家族、直系とは限りません)に入って来るのですが、この様な場合、自殺者の霊を成仏させて頂くのは相談だけで事すむものではなく、やはり供養の祈祷が必要になりますが、今回、その是非は書きません。
ある自殺のその後を、あえて書かせて頂きます。
あえてと言うのは、この場合、私の長年の知り合いの家族であるのですが、残された者が、それこそ一生懸命に供養しても、やはり無理が有るという事と、自殺者の置かれた状況が世間で言われる様な世界ではない場合も有り、その事で残された者(家族)も何時までも辛い思いやその念を受けるという事を含め、絶対に自殺はしてはいけないという警告を込めて書かせて頂きます。
再度、あえて書かせて頂きます。
何故、こうなったかは書きません。
飛び降り自殺です。
その後の家族の悲しみや無念さは、家族でないと解りません。
家族の方の体や持ち物からは、線香の煙が染み付き、供養の状況が見えて来ます。
この方とお会いする時、その前から自殺者の苦痛の念が、私の体(腰)を槍で刺す様に入って来ます。
腰に槍が刺さるのです。
それも急に、刺して来ます。
刺された瞬間、丁度重度のぎっくり腰の状態になります。
これが何回も来るわけですので、こちらもたまったものではありません。
この方と会う前は、塩を半紙で包んで腰にあてるのですが、こんなもので解決出来ないのは解っています。
ある時、余りにも強い念が入って来ますので、「〜さんが亡くなられた場所(現場に)に行った事があるのですか」、と尋ねた事があります。
返事は、「一回も行った事はない」、というものでした。
確かに、ご家族に取っては、そんな場所には行きたくはありません。
自殺した方の念は、まだその場所に居たのです。
私は、「今すぐ、その場所に行って、〜、一緒に帰ろうと言って、連れて帰ってあげてください」、と言いました。
3年間程は、この方の家は線香の煙で燻製になるのではないかと思われる程、供養をされていました。
普通の方が供養をされる程度ではありませんので、自殺者の念も少しは緩くなっているのは解りますが、まだまだ、とんでもない、私達から観れば、まだ供養が必要な状態です。
3年(3回忌の意味ではありません)過ぎた頃から、ご家族の表情も落ち着いて来られたのが解りますが、自殺された方の念は私達の方には強く入って来ていました。
しかし、あえて、ご家族にはその様な事は伝えなく8年程経ちました。
その間にお墓も立てられ、ご家族の心も和み、仏様も成仏されたものと納得され、見た目にはもう何も無問題は無くなったと表面上は観えます。
今回縁あって、このご家族の親戚の家で祈祷をする機会がありました。
祈祷の日にちが決り、その日が近づいて来ると、得体の知れない、今まで余り経験のない、重く、深い、独特な場所から発するものと思われるものが、私や妻の体に入って来始めました。
異界からのものと観ます。
体の痛みは尋常なものではありません。
体の損傷が激しい事が解ります。
親戚での、親戚のある事情の祈祷ですが、自殺された方に関する祈祷になるのは解ります。
祈祷の日にちが近づくと、嫌〜な気持ちになって来ます。
夫婦で体調は最悪です。
自慢ではないのですが、昨日や今日、この仕事を始めた訳ではありませんので、相当な経験は持っているつもりですが、程度が悪過ぎます。
自殺者の魂が、どの様な状況なのかは経験で解りますが、今回は異界の臭いがします。
親戚の方の事は事前に此方の神霊に見せて頂いていますので、その対処の仕方は何ら問題は無いのですが・・・・。
祈祷の前日、此方の神霊には、特に何を聞こうと思って御姿を乞うた訳ではないのですが、
妻、「地神さんが、何か、何かの中に、首を突っ込んでいる」。
少しして、
妻、「地神さんの体が、何かの中に入って行って、まだ、中に入ろうとしている」、と言います。
私、「何かと言うのは、墓か?」。
妻、「分からへん」。
私、「色は?」。
妻、「色は・・・・?」。
私、「グレー?、石か?」、「地神さん、今首を突っ込んでいる所から、奥のものをくわえて引きずり出してください」。
妻、「何もくわえて出して来ないよ」。
大体推測が着きますが、何時もの見せ方とは全く違います。
その後、祈祷の日の朝、
妻、「まだ、地神さんが首を突っ込んだままで居てる」、と言います。
嫌〜〜なきつさと、此方の体への嫌〜〜な負担が伝わって来ます。
親戚の祈祷の内容は書きませんが、この祈祷だけでも3時間半はかかっています(これも正直、疲れました)。
本番?の祈祷に入ります。
私達の体は・・・・、表現がおかしいですが・・・分厚い苦痛のマットレスに何重にも巻かれた様な痛みと不愉快な念が、体、頭部から逃げ出したいが逃げられないという状態になっている様に感じられます。
此方の神霊は今朝見せた形ではなく、何時もの位置に出ています。
鳴釜の準備を終え、
私、「〜君出ておいで、そんな所に隠れていないと出ていおで」。
妻、「目と口が出て、口がぶるぶると震えて、形を成してないわ」。
私、「〜君、どうや?」。
家族の今の状況や気持ちを伝えて、「そっちから見ているから分かってるな」、と念を押しました。
妻、「口がぶるぶる震えてるけど、知っている」、と言ってるわ。
私、「〜君、あんたが置かれている状況は、相当厳しいものが有ると観るが、・・・(これ以後のやり取りは、この家のプライベートな部分や、間違っている部分を相当言いましたので、此処では書きません)、本来は「正信偈」を上げて欲しいな?、そうやろ」。
妻、「口の振るえが止まったわ」。
私、「「〜君、お母さんも一生懸命に拝んでくれるけど、ちょっと違うな?。落ちつかないんやな?今のお墓も、落ち着かないな?。」
妻、「顔、体が出て来たわ。白い着物を着ていて・・・、でも両方から手が出て、〜君の手を引っ張っているわ」、「引っ張り戻してるわ」。
私、「地神様、今から「正信偈」を上げます、その後で釜を焚きます」、と言い、「正信偈」を上げました。
妻、「立って聞いてるわ、大分落ち着いてきたみたい」、「両方から引っ張っていた手は消えたわ」、と言います。
これから鳴釜の神事に入ります。
自殺者を両側から引っ張っていた手は消えていますが、前日、此方の神霊が頭を突っ込んでいたものの存在は見えます。
この様な展開になるのは分かっていましたので、一応事前に、表白、願文は考えて来てはいましたが、もう、普段の言葉で進めていく事にしました。
妻、「〜君、正座してるわ」。
私、「そうか、〜君、楽にしてあげるからな。成仏しいよ」。
妻、「〜君、深くお辞儀をしたわ」。
私、「地神様、釜を鳴らしても厳しいものが有ると観ます。釜が鳴ったら、〜君をある程度の所まで付いて行って送ってやってください」。
妻、「首を下に向けたよ」。
妻、「〜君、神妙にしてるわ」、「こぶしを握ってるわ」。
コンロに火をつけます。
湯が沸騰し始めました。
米を甑(釜)の中に入れます。
米を入れた瞬間に音が鳴り出しました。
決して大きな音ではありませんが、これで十分です。
私、「どや?」。
妻、「何が見えて来るという事ではないけど・・・・」。
大きな音ではありませんが、長く鳴っています。
私、「どや?」。
妻、「地神さんが、〜君と一緒に上に上がって行ったわ」、と言います。
妻、「〜君が、おかん(お母さん)と言ったわ」。
やがて音が小さくなって来て止まりました。
妻、「釜から出て行ったものが、又釜の中に吸い込まれている様な形で、丸い輪が釜の縦周りに回っていたわ」、と言います。
??????。
此方の神霊が、頭を突っ込んでいた存在は見当たりません。
私、「地神さんは?」。
妻、「まだ上に行ったまま、帰って来ない」、と言います。
少しして、
妻、「今、帰って来た」。
普通ならこの時点で、私達の体に負担をかけていたものが無くなり、すーと軽くなるのですが、その感覚が全く有りません。
結局この疲れ(霊障)が消えるのは、その後数日間かかっています。
この様に、私の体に長時間作用するのは稀です。
普通のものの作用ではありません。
以前、この家の父方の御先祖様の状態を観せて頂いた事がありますが、どうやら、今回、自殺した霊魂も同じ場所に落ちていた様です。
前日から、此方の神霊がある存在の中に頭を突っ込んでいた、そのある存在とは、「天狗界」と観ます。
道理で、今までの経験とは違い、異界の臭いが漂っていたわけです。
自殺した〜君の腕を、両側から引っ張り戻そうとしていたのは天狗(木の葉天狗)です。
しかし、何故〜君が天狗界に落ちなければならなかったという訳は、父方の亡くなった祖父の置かれている状態が示唆していると観ます。
父方の祖父も、この世界(天狗界)に落ちていると観ます。
これでこの自殺された霊魂も、普通の方が行かれる所に落ち着いたと思われますが、それはこの先、この家の状態を注意深く見ていかないとまだはっきりとは分かりません。
それだけ、自殺というものはしてはならない愚劣な行為と思われます。
尚、この上記した文章は相当前に出来上がっていましたので、再三妻に絵を書いてくれる様に頼んでいたのですが、思い出すだけで気分が悪くなり、胸が痛くなると言うものですから、簡単に書いてくれる様に頼んで、やっと登載した次第です。