伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)にて   2
 平成24年1月4日(水)



 今日、淡路のいざなぎ神社にお参りする是非を、此方の神霊に聞いてみました。

 妻、「亀や鶴が沢山出て来て、羽を広げたり、飛んだりしてるわ」。

 私、「何匹や?」。

 妻、「亀は一匹で、鶴は五匹位が、羽を広げたり、動いたりしてる」。

 目出度い出方です。

 行って良し、と解釈して、お参りに行く事に決めました。



 淡路の田舎ですが、有名な神社ですので沢山の参拝者が居るのかと思っていましたが、よく空いていました。

 正月三が日は沢山の人が参拝されるのでしょうが、少し拍子抜けの感が有ります。

 本音を言いますと、正月早々、鶴や亀がたわむれる縁起の良い場面を見せてもらいましたが、「ほんまかい、ええかいな〜」、と思いながら参拝させていただきました。

 この様な仕事をさせていただいていますが、学生運動(運動部ではありません)を経験して来た年代で、唯物史観に毒された年代でもありますので、こういう思いも心の奥底には消えずに残っています。



 本殿に進み、此方の神霊に頼み、いざなぎ神社の御祭神様の存在を見せて頂く様に頼みましたが、全く反応は有りませんでした。

 当然といえば、当然でしょうが・・・。

 次に、元は二本の楠の根が合わさって一本の楠に成長した御神木、要するに、夫婦円満、良縁成就、子宝成就の霊験があるといわれる、「夫婦の大楠」にお参りしました。






先にお参りされている若い夫婦が帰られるのを待って、この御神木に手を合わせ、この御神木に宿る神霊を呼んでみました。

 妻、「楠の所に、二本、斜めの白い線が出て来た」、「仲良く二つ出てるわ」。



 私、「二本の線が仲良く出てるんか?」。

 妻、「此方の地神さん夫婦が仲良く出て、この楠の祭神は二本の線で出てるという意味」。

 ・・・・そういう事です。

 今回、この「夫婦の大楠」の敷地内に入ると、揺らぎを感じます。

 先に参っておられた夫婦に関係するのか・・・・?。

 何時もの事ですが、神社の御社の前で、夫婦そろってブツブツやり出すと、人が不思議な顔をして見ますので、早々に移動をします。

 この敷地から一歩外に出ると、揺らぎは無くなりました。

 次に、奥の方に祀られている小さな御社に手を合わせますが、私達の心構えが悪いのか、全く何も解りません。

 次に、庭園の池の中の弁財天様にお参りしました。

 弁天さんの御社の横に、亀と蛙が此方を見ています。

 「これや、家で見たのは」、「鶴は居らんやないか」。

 弁財天の御社の斜め後ろに、亀と蛙の置物があります。

 鶴は居ませんが、「この池で鶴と亀がたわむれているぞ、目出度いぞ」、というお知らせだったのでしょう。

 弁天様の御社に手を合わせ、祭神様にお姿を見せてくれる様に頼みました。

 妻、「ウン、此処は白い巳さんが一つ出てや」、と言います。



 私、「弁天様、有り難う御座います。この・・・・・」、と聞こうとすると、何時ものパターンです。

 若いカップルが近くに寄って来ましたので、止める事になってしまいました。

 この伊弉諾神社だけではなく、殆んどの神社に足を踏み入れると「揺らぎ」を経験しますが、やはりこれは、参拝する人が持ち込む汚れのなす業や、神社に属する人(其処に働く)の考えや行いのなす業から来るものかも知れません。

 その中でも、伊弉諾神社はまだまだ少ない方の、立派な神社と思います。








 

 
鳴釜神事の実際と考察