ある朝、我家の仏壇の前で
 普段は全く気にしないというよりは忘れてしまっている事の方が多いのですが、ふと気がついてみると今日は親父の祥月命日です。

 もう31〜2年になると思います。(いい加減なものです)

 実家とは誰にでも誇れる程疎遠な関係ですし、仏事にしても、実家の方がしないものですから、私の方で気をつけてしっかりとしなければいけないのですが、こんなものです。

 私が変わっているのか、仏花が余り好きではないので(花の水を入れ替えるのが邪魔くさいだけですが)、我家の仏壇は先ず仏花がありません。

 仏壇の掃除も小まめにしなければいけないのですが、猫も居るので、ほこりが普通の家よりは多く、すぐ仏壇にほこりが積もります。

 御先祖様にしても、ほこりが積もっているので掃除をしなさいとか、仏花が殆んど無いので花を買って来いなどは言いませんので、つい甘えてしまいます。

 奈良の東大寺の大仏様も、年に一回の大掃除で良しと言われる(?)のですから、まあ、ええかと。

 「そうや、「正信偈」を上げたれ」、と思いました。

 (この頃は手抜きが多く、余り上げていませんでした)(以前は関東の方に祈祷に出かければ、関東弁で上品に話していたのですが、この頃は関西弁で、ましてや私の言葉は播州弁が混じりますので、余計に良い言葉使いになります)

 今朝は、地神さんも良い機嫌で出ていますし、ここ4〜5日風邪で寝込んでいて、昨夜は一睡もしていない妻が何故か普通に起きて来ましたので、「ちょっと此処に座ってか」、「ちょっと目を瞑ってか」、と言って、仏壇の前に段取ました。

 祖母(親父の母親)は、もう行く所に到達していますので、これはこれで良しと。

 今まで何回か親父を呼びましたが、今までは何も反応は有りませんでした。

 まあ、試したれと。

 親父が出なくて元々と。

 私、「地神様、今日は親父の祥月命日です、親父、隆雄を呼んでください」、「親父、どうや、姿を見せてくれへんか」。

 妻、「丸い光る大きな玉が、地神さんの横に出て来たわ」。



 私、「親父や」、「親父、元気にしてるんかいな」、「久しぶりやなー」。

 私、「地神様、お袋も呼んでください」。

 妻、「何にも見えて来ないけど」。

 私、「まだ・・?年・・・・?年しか経っていないから当然やろ」。

 妻、「今年の暮れ、7回忌」。

 私、「へえ・・・・」。

(本当に無責任な様に取られる方も有ると思いますが、親父が死んでからしばらくして兄夫婦が帰って来ましたが、その途端お袋は私達を拒否する様になりました。兄夫婦にこの先の人生を賭け、頼り切ったのです。兄夫婦の裁判沙汰になる行為も重なります。お袋とは20数年間のブランクが出来ました。お袋が亡くなる2日前に連絡が有ったのですが、その間のお袋の生活状況は後に村の方(近所の)から聞く情報だけでした。哀れな話しばかりでした。私の中ではもうお袋の存在は切れてしまっていましたので・・・、もうこれ位で高橋家の恥をさらすのは止めておきます)
               

 (この様な恥(業)を消除する為に、人間(高橋家の人々)は生まれて来たのですが、又恥の(業の積み重ね)上塗りです。世の中は不条理が決り事です。その決まり事の通りに生きて行くなら苦労は無いのですが、そんな訳にも行きませんので、大多数の方は苦労をする事になります。・・・・・・・、分かった様な事を書くのは、この領域を自己啓発につなげて説法している方々にお任せして、もう止めておきます)

 私、「もう、7回忌か」、「実家は法事をしないから、お袋、内(私の方で)でするわ、その時呼ぶからな」。

 私、「地神さん、おばあちゃんを呼んでください」。

 妻、「お父さんの光る玉の後ろに、一回り大きな白い玉が出て来た」。

 私、「お祖父さん(親父の父)を呼んでください」。

 妻、「おばあちゃんの後ろに、白い玉が続いて出て来たよ」。

 私、「地神さん、曾お祖父さん、曾お祖母さんを呼んでください」。

 妻、「白い玉が後ろにつながって、沢山出て来た」、「一つ一つの玉が別れてではなく、境目がなく、続いているわ」、と言います。

 私、「お袋はまだ浅いけど、他の仏さんはもう成仏してるんやな〜」。

 御先祖様をお呼びすると、姿が出る家(場合)も有りますが、白い光の玉で出る家も中には有ります。

 まあ、良い形で出てくれたので、やれやれでした。











(平成23年10月28日・金曜日)
鳴釜神事の実際と考察