この領域から観る、井戸埋め後の空気抜きと、その是非について
 この様な相談は絶えず受けます。

 「昔井戸を埋めたのですが、神主さん(お坊さん→修験者も含みます。、拝み屋さん)に御祓いをしてもらい、その時の空気抜きのパイプ(竹筒)が刺してあります。、この度、その上に家を建てようと計画していますが、このパイプ(竹筒)はそのままにして、その上に家を建てても何ら障りは無いものでしょうか。又、そのパイプ(竹筒)を抜き取って、その上に家を建てても良いものでしょうか」と。

 確かに、その昔、上水道が完備していない時代、各家に井戸は在りました。

 他の主旨の祈祷に出かけても、田舎だけではなく、都会の真ん中でも、井戸を埋めた後に空気抜きのパイプが出ているをよく目にします。

 しかしこのパイプにしても、昔は殆んど竹筒でしたので、ある程度の年月が経てば腐って跡形も無くなり、増してやその家の代替わりでもしていれば、人々の記憶からは井戸の存在すら無くなる事になります。

 先ずこの領域から考える井戸埋め前、井戸埋め後の空気抜き、要するに青竹の筒(勿論竹の節は鉄棒などで抜いておく)、ビニールパイプを井戸の底まで差し込み、水神様に井戸から上がっていただくという手順ですが、それは井戸を埋める数日前から竹筒を差し込んでおく方法と、埋め立ての儀式の途中で井戸に差し込む方法など、様々です。

 井戸埋立祭の次第は書きませんが、私の考えとして、はたしてこの竹筒やパイプが、この領域から観て意味が有るのか、水神様がこの様な物の中を通って上に上がられるのか、この様な物が無いと上がれないのか、この様な舞台が無いと井戸から上に上がれないのか、納得する所は有るのですが、やはり疑問が残ります。

 全ての井戸に水神様(巳神様)が居るわけでは有りませんが、井戸、広い意味で水田(田んぼ)、池(小さな水溜りの様な池も含みます)など、埋め立てた後を霊視すると、やはりそれらしきものの念や形が出て来ます。

 水田に関してはそんなに気にしなくても良いのですが、池の状態に近い→絶えず水が涌き出ている、何時も湿気ている様な田んぼの場合、やはり厳しいものがあります。

 井戸の場合も、それなりの方が、それなりの儀式をして埋めていますが、やはり多い確率で水神様の御姿や、それらしき形が出るというのは、やはり其処にはまだ神霊が居ると観ます。
 
 勿論其処には空気抜きの竹筒やビニールパイプが差し込んであります。

 差し込んであるのに、其処に水神様(巳神の形を取ります)や存在の念が残っているというのは、やはり井戸埋立祭をした、この領域の方の責任が大いに有りますし、竹筒やビニールパイプの意味が疑われます。

 池や水田(水が涌き出ている様な)にも水神様(巳神の形を取ります)(大きな池の場合は、違う形の神霊も居られます)は居られますが、井戸を埋め立てた後にする様な竹筒やパイプは見られません。

 先日違う主旨の祈祷を行った家にも、井戸埋めの後のパイプが見受けられましたし、その家の角付近では、水田を埋め立てたと観られる形が出ています。

 この領域の方に来てもらい、井戸埋立祭を行われた様ですが、井戸の後には真っ黒い点が一つ、家の角付近には、絵に示す様な形が出て来ました。



 何回も言いますが、全ての井戸に水神様(巳神)が居られるというものでは有りませんが、真っ黒い点が残っているというのは、やはりこの儀式を行った者の責任です。

 田んぼを地上げして家を建てられていますので、その表白をも入れて祈祷をされたのでしょうが、まだ念は残っています。

 勿論急きょこの件の願文を入れ釜を焚きました。

 黒い点は瞬時に無くなり、水田跡の形は上に上がって消えて行きました。

 結論から言えば、空気抜きをしてある井戸でも、水神様がまだ居られる所も多々見られますし、空気抜きなどが無くても、水神様は大元の所に上がられ、何も無い状態の所も沢山在ります。

 要するに、その井戸に対処したこの領域の者の責任です。

 井戸を埋めた後の竹筒やビニールパイプは、私の場合必要有りません。

 しかし、念の為、井戸が在った後に家を建てる場合や、その場所を工事する時は、やはりこの領域の方の霊視が必要とも思います。











 

 

 
 
 
鳴釜神事の実際と考察