鳴釜神事の実際と考察   10

鳴釜神事の実際と考察
    今回は、鳴釜の神事をもって、井戸撥遣を行いました。


 道路拡張の為に、家屋敷の一部を取られる事になったのですが、昔から有る井戸が道路にかかってしまい、新たに新築した家の、玄関の横に位置するような形になる為、井戸埋めの、御祓いの依頼が来ました。


 私は、依頼がどの様なものであろうと、先ず、その家の御先祖様、又、その家に御祀りしてある神仏に挨拶を行います。


 先ず、この家の御仏壇に挨拶に行き、この様な理由で井戸を埋める旨を伝えます。そして、線香の護摩をもって、御先祖様に感謝の意を示します。


 この家の御先祖様は、特別何も言われません。言わない、という事は、何も無い、満足している、という事です。


 只、気になる事が、一つ目に付きました。それは、生後まもなく亡くなった、男の子の位牌です。相当古い位牌です。私はこの男の子が、今、どんな状態にあるのか、少し気になりましたので、話しかけてみました。私はその子に「ちょっと、出て来てみ」と言いました。もう一度言いました。「姿を見せてみ」と言いました。しかし、何の反応も有りません。それは、それで良いのですが、この家の孫さんに、小学生の男の子がいますので、その事も有って、少し状態を知りたかったのです。


 私は、私の中の巳神に、妻の方に、この位牌の男の子の情報を入れてくれる様に頼みました。すると、妻は、「今、目の前を、昔の荷車(車力)の車輪だけが通った」と言います。


 生後、まもなくして亡くなった男の子は「僕は、こんな車力で、運ばれて(墓へ)行った」という意思表示です。


 何故、この様な車輪だけが出て来て、男の子の姿が出て来なかったのかと言うと、その時代、そに地域にもよりますが、この家では、男の子が亡くなった後、葬式を出さず、その村の人が、男の子の遺体を車力に乗せ、その地域の墓場に埋めたと言います。家族は家で見送っただけで、墓場には行かなかったと言います。そしてその地域の墓場の、何処に埋めたかも、今もって分からないという事です。何処に埋葬されているのかが分かり、子孫がその場所で手を合せれば、違う形をとって姿を現わすかも知れませんが、私達に対しては、この男の子は、この形を取って意思表示をしたのでしょう。


 寂しい思いで、墓場へ運ばれたのでしょう。私はこの家の人に、子供の好きそうな、お菓子を供えてやってくださいと言いました。後は特別、何もしなくて良い旨を伝えました。子供は、それだけで十分です。


 本題の、井戸埋めですが、この家の井戸は、以前に増築された時に蓋をされ、床の下になっています。床には開閉口が有り、それを開けると井戸が見えます。先ず私は、井戸の蓋を取り、井戸の内部の状態を見ました。クモの巣一つ無く、綺麗な状態です。


 正式に、古神道の形式で、井戸撥遣の儀式を行う前に、私は、この井戸には、どの様な神様がいる(神留座す)のか、そして、今回の井戸埋めの事を、この井戸の神様は、どう思っているのか、私の中の巳神を通し、尋ねました。



 普通、此方の巳神に尋ねると、先ず妻の方に、此方の巳神が姿を見せます。姿を見せる位置は、最初は大体、妻の顔の真ん中、前方に現れます。勿論、扱う祈祷の状態によっては、様々な位置に姿を見せます。巳神自身が余り乗り気でない祈祷の折は、姿を現さない時もありますし、下の方に、少しだけ、小さな姿を見せます。普通は蛇の形をとりますが、祈祷によっては、龍の姿になる事も有ります。


 
 この井戸には、巳神がいます。巳神が姿を現しました。殆んど透明の巳神です。綺麗な巳神です。私は、この度の井戸埋めに関して聞いて見ましたが、何も言いません。


 私は、此方の巳神に、この透明に近い巳神の横に行く様に頼みました。そしてこの巳神に、今回の井戸埋めの事に関して、許してくれるのかという旨を、伝えてくれるように頼みました。霊視している妻は、この井戸の巳神は、何も言わない、と言います。


 この家の巳神が、何も意思表示を示さない、というのは、今回の井戸埋めには、何ら不足は無い、ととります。


 私は此方の巳神に、重々、許してくれる旨を、この井戸の巳神に伝えてくれる様に、頼みました。


 今回の井戸埋めは、この井戸の跡地が道路になる為、空気抜きのパイプを入れる事は出来ません。その為、この井戸の巳神には、十分に納得してもらい、巳神の大元の所に、帰ってもらわなければなりません。


 正式に古神道の仕方に則り、井戸撥遣の儀式(長くなりますので、書きません)を行いました。


 私は、此方の巳神に、鳴釜の神事で、この家の巳神を上に上げる事ができるのか、聞きました。


 此方の巳神は、十分出来る、と言います。


 この時点では、まだ此方の巳神が、この家の巳神に寄り添っているのが、妻の霊視で確認できます。


 釜に火を入れます。観音経(私の祈祷は、殆んどが、観音経をベースに行います)を上げます。湯が沸騰してきます。この時点では、まだ変化は有りません。


 沸騰してきた釜に、洗い米を入れます。釜が鳴りだします。途端に、霊視していた妻が言います。


 此方の巳神の中に、この家の巳神が入り、姿が見えなくなってしまった、と言います。


 これで、この井戸の神は、大元の所に上がりました。



 これで、この井戸埋めの祈祷は終わりましたが、、中途半端な祈祷で終わっていると、道路になったこの近辺では、絶えず、交通事故等が起こる、名所になっていたはずです。