この領域の、「解る(分かる)」と「出来る」について
 何の修行もしてないのに・・・・・・。

 見えるんです。

 光りが見えるんです。

 聞こえるんです。

 分かるんです。

 私には何かがついているんです。

 私には〜神がついていて、その指示通りに生きているんです。

 良く当たるんです。

 友達の相談にも乗ってあげているんです。

 いろんな事が分かってしまうんです。

 私、「あんた、自慢げに言うけど、あんたの体ぼろぼろやろ?」、「体が痛いんやろ?」、「気持ちも不安定やろ?」、「仕事出来てるんか?」、「友達も少ないやろ」、「家族もバラバラやろ?」、「あんた、いろんな事が分かって、それが何か意味が有るんか?」、「あんたに取ってプラスになっているんか?」、「友達の相談に乗ってあげて、それが解決したか?」、「万が一、あんたにその原因が分かっても、それを解決する事が出来るんか?」、「あんたについてる神さん、それを解決出来るか?」、「あんたが接してる友達、調子が悪くなっていくやろ?」、「その神さんの声、男か女か?」、「その声は、男の時も、女の時もあるんやな?」、「あんたに言う言い方は、威圧的か?」、「目先の事は良く当てるんやろ?」、「あんたが真面目に生きてると、何かと打算的な方へ持って行こうとするんやろ?」・・・・・。

 大概この様な流れになってしまいます。

 この様な内容の連絡は、よく有ります。

 この様な体質の方は万と居られます。

 能力と言えば能力なのでしょうが・・・・・。

 何の能力か知りませんが、しんどい能力です。

 ご自分で自覚されている方は良いのですが、上記した事が、直に何でも出来ると結び付けている方が問題です。

 大概の方に、普通ではないものを感じます。

 
 反対に、何年にも渡り一生懸命に修行をしているのですが、何にも分かりません。

 何も感じ取る事も出来ません。

 何も聞こえません。

 何も見えません。

 〜様を守護神として、修法に励んでるのですが、全く進歩が有りません。

 修行して体得したものが、少しでも他人(ひと)の為になればと思い努力をしているのですが、もう限界です。

 もうこの領域から身を引こうと思っています。

 この様な連絡もよく有ります。

 前者の「分かる」というのは論外ですが、後者の「分からない」については、それで十分ではないかと、私は思います。

 「見える」、「聞こえる」、「感じる」は、何の意味も有りません。

 純粋な気持ちで、何年にも渡り、一生懸命修法に励んでいる方は、自分では何も出来ないと思われるでしょうが、もうその方の中には、その方が信じて修行に励んだ神が入っています。

 後は体得した修法を実施するだけだと思います。。

 実施して、思う様な結果が出なければ、もうひと踏ん張り、修法に励めば良いと思います。

 その繰り返しを続ける事で、この領域の奥深い部分が分かりかけて来ると思います。

 この領域の奥深い仕組みが分かりかければ、出来る部分、即ち、祈祷も出来る様になるだろうし、少しでも他人(ひと)の為に何かが出来ると思います。

 表面的な、「見える」、「聞こえる」、「感じる」は、お笑いです。

 「見える」、「聞こえる」、「感じる」は、そんなに重要ではありません。

 自分が信じて修法に励んだ神に、任せたら良いだけです。

 任せきらなければ、何も出来ません。

 表面上は人間が行っている様に見えますが、本当はその人間に入っている神が行っている事ですので。

 偉そうな事を書きましたが、お許しください。






 
鳴釜神事の実際と考察