なんでも覚え書き祖父の出兵について)




6月2日 この日は73年前、祖父が出兵した日だという。1938年(昭和13年)、武漢作戦があった。幼かった母の記憶によると祖父は第6師団・第13連隊に属していたということだが、調べたところ、第6師団はその前年の南京攻略に参戦している。では、祖父は大陸に渡って入隊したのだろうか?
1937年(昭和12年)11月の南京攻略に参戦した第6師団は全部ではなく、一部が本土国内に留まっていた。これを留守第6師団という。この留守部隊を中心にして1938年(昭和13年)5月に第106師団が編成されたそうだ。
おそらく、祖父はこの第106師団・歩兵第113連隊に入隊したのではないか、と思う。第106師団の本拠地は熊本であり、母の「熊本から出兵した」という記憶とつじつまが合う。
7月、武漢作戦に参戦した第106師団は山岳地帯(江西省徳安)で悪戦苦戦をし、壊滅の危機にまでなったそうだ。同じく、この作戦に参戦していた第6師団は快進撃を続け、漢口一番乗りを果たしたそうだ。
後日、祖父は「9月2日戦死」と母は聞かされたそうだが、おそらく、悪戦苦闘の山岳地帯で銃弾に倒れたのだろう。
出兵 祖父はどこから大陸にわたったか?。母は「わからない」と言う。
その10年前の「山東第二次出兵」に第6師団が参加している。1928年(昭和3年)4月、第6師団の5000名が門司港を出発し、済南に上陸・占領している。
また、1938年(昭和13年)1月に歩兵13連隊に入営した人は「5月1日に門司港を出て5月8日に安徽省蕪湖(あんきしょうぶこ)に上陸。15日、廬州において現地軍歩兵第13連隊に編入された」と記録している。その後、徐州会戦(5月〜6月)、安慶会戦、潜山での戦闘になったそうだ。

廬山 祖父の戦死は「廬山」付近だという。武漢作戦の折り、第106師団が悪戦苦闘した山岳地帯・江西省徳安県から30〜40Kmほど東北東にある。廬山の北20〜30Kmは今の九江市である。
第106師団 1937年(昭和12年)、華中に派遣された第6師団の留守第6師団を中心に編成された師団。
兄貴分の第6師団は1888年(明治21年)に編成され、日清戦争、日露戦争に参加している。九州南部出身兵隊で編成されている。

第6師団 第6師団は1888年(明治21年)に創設され、日清戦争、日露戦争などに従軍している。九州出身の兵士で編成され、熊本師団とか清正師団などとも呼ばれる。

日中戦争に関する書籍の紹介
*: 106師団
*: 日中戦争
*: 武漢作戦
*: 第6師団

日中戦争以前に関する書籍の紹介