村上義光(むらかみよしてる)公の墓は、奈良県吉野町にある史跡である。
吉野神宮から不動坂を約15分歩いて(下千本駐車場手前)、右側の石段を登った丘の上に、宝篋印塔が建てられている。
村上彦四郎義光は、信州埴科(さらしな)の出身で、大塔宮護良親王に従い、北条幕府と戦った武将である。
元弘3年(1333年)に、吉野城が落城した時、親王の身代わりとなって、金峯山寺蔵王堂二天門の高やぐらの上で割腹した。
その義光の首を検分した北条方が、大塔宮でないことを知り、この地に捨てられたのを、村人が弔って墓としたものである。
墓の北側には、峰の薬師堂跡、松山茶亭の跡の碑が建っている。
近鉄吉野線吉野神宮駅からバスで下千本駐車場下車、徒歩3分。(Y.N)