金峯山寺は、奈良県吉野町にある金峰山修験本宗の総本山である。
山号は国軸山で、日本国の中心に位置する寺という意味である。
金峯山(きんぷせん)とは、奈良県の吉野山から山上ケ岳(大峰山)に至る一帯を指し、古く飛鳥時代から聖地として知られていた。
金峯山寺は、7世紀末、修験道の開祖・役行者(役小角)によって開山され、天平年間(729-749)に行基によって創建された。
役行者によって開かれた山上ケ岳山頂の蔵王堂への道は険しく、1年のうち半分以上が雪に覆われて参詣が困難なため、行基によって吉野山下に蔵王堂が建てられた。
現在の蔵王堂(国宝)は、天正20年(1592年)に建てられたもので、高さ34m、四方36mの規模で、国内では東大寺大仏殿に次いで2番目に大きな木造建築物である。
内陣に据えられた厨子には、憤怒の形相をした3体の木造蔵王権現立像(重要文化財、非公開)が安置されている。
最も大きな中尊(高さ約7m)は、釈迦如来を、右尊(高さ約6m)は千手観世音菩薩、左尊は弥勒菩薩を表象している。
堂内には、大和国金峯山経塚出土品(国宝)をはじめ、数多くの寺宝が陳列されている。
蔵王堂正面の前庭は、大塔宮護良親王が吉野城落城に際して、主従最後の宴を開いた所と言われ、南端に村上義光が護良親王の身代わりとなって自刃した二天門跡がある。
金峯山は、修験道の根本道場として、多くの修行者、宗教者が宗派を超えて入山修行している。
吉野山蔵王堂から山上ケ岳の山上蔵王堂(現大峯山寺)までを毎日休むことなく歩く「金峯山百日回峰行」や「金峯山千日回峰行」も行われている。
金峯山寺を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」は、その文化的景観の価値が認められ、2004年に世界文化遺産に登録された。
近鉄吉野線吉野駅からロープウェイで千本口駅下車、徒歩15分。
毎年4月11日、12日に行われ、本尊蔵王権現に対し、神木である山桜の満開を報告しお供えする行事で、俗に花供会式と呼ばれる。
奴行列を先頭に、山伏、僧侶、大名駕籠などの行列が吉野山を練り歩く。
蓮華会は、役行者が産湯を使ったといわれる大和高田市奥田・弁天池の蓮の花を採取して、蔵王権現にお供えする法会である。
吉野には、役行者を侮って蛙の姿にされた男が、僧侶たちの読経で人間に戻ったという伝説があり、毎年7月7日にこの伝説に基づいた「蛙飛び神事」が行われる。