第10幕 5日目午後




『おひさしぶりです皆さんー。お元気でしたかあ? 前回は放送すっぽかしちゃってすみませーん。許してくださーい。まあ皆さんは良い子ですので気にしてないとは思いますけどねーあははーっ。

 それではさっそくゲームの脱落者の追加を発表しまーす。耳かっぽじってよく聞いてくださいねー。まずは、

 一番、天沢郁未さん。

 三番、折原浩平さん。

 十番、長森瑞佳さん。

 十九番、神尾観鈴さん。

 二十三番、遠野美凪さん。

 二十六番、神奈さん。

 以上でーす。

 ここで皆さんに悲しいお知らせがありまーす。これまでご好評いただいた佐祐理の放送は今回が最後でーす。でも皆さん、安心してくださーい。ゲームのほうはまだまだ続きますよー。去るものは追わず、終わりよければ全てよしってことで、皆さん、最後のひとりになるまで気を抜かずにがんばってくださいねー。ゲーム開始時に言った通り、勝者には豪華商品を用意してますよー。佐祐理はそのときを心待ちにしてまーす。

 それでは最後になりますが……皆さん、長い間、佐祐理のためにこんなゲームにつきあってくれて、本当に、ありがとうございました――』

 佐祐理の放送がぶつっと切れた。その拡声器から響く独特のひずんだ声を耳にして、相沢祐一の心に決意めいた光が宿る。

 そろそろ、自分らから行動を起こすときだろう。

 外では雪がやんでいる。それでも空はまだ白一色に埋め尽くされていた。空だけではない。あたりの風景すらも真っ白。そこかしこに白がある。永遠の世界というその名の通り、時が止まったかのように、森も、山も、海も、すべてが白のままだ。

 雪は、溶ける様子がない。

 祐一たち三人は深い雪道を歩いていく。行くべきところ――決まっていた。もうあまり、選択の余地はなかったから。残りの生徒はすでに四人。

 このくだらないゲームはもう、終わる。

 いや。いいかげん終止符を打たねばならなかった。

 だから祐一は葉子と名雪に語ったのだった。昨日、観鈴といっしょにいたとき、プレハブ小屋の入り口は開かれた、と。

 ただ、そのときプレハブ小屋は木っ端微塵になってしまった。なら、佐祐理と舞は今どこに身を潜めているのか。

 葉子はこう答えていた。「地下室でもあるのではないですか? あんなみすぼらしいプレハブ小屋を佐祐理が拠点とするとは考えにくいですし」。佐祐理さんは成金趣味じゃあないと思うが(思いたい)、それには祐一も納得できた。だから確認するために、祐一たちは行動に出ているのだった。

「乗り込む……んだよな」

「はい」

 葉子がきっぱりと答えた。祐一も「そうだな」と短く答える。自分もそろそろ潮時だと思っていたのだ。佐祐理と舞に、会いに行かなければならない。会ってどうするのか――争うのか、話し合いでもするのか、そこまで腹を決めたわけではないけれど。

 でも、とにかく、この島に残っている生徒はすでに限られているのだ。自分ら三人の他に生き残っているのは、もうたったひとりしかいないのだから。

 これ以上ゲームを続ける理由など何もない。いや、もちろん、そんなものは最初からなかったわけなのだけど。

「折原君、なんで……」

 名雪がぽつりとこぼした。まるで信じられないといった具合に。顔を伏せて、雪に埋もれるつま先を見つめて、また口を開く。

「約束したのに……イチゴサンデー、ごちそうするって」

 祐一も気になっていたことだった。それは神社を訪れる前にも考えていたこと。あいつはけっきょく、出会えたのだろうか。探していた人に。だが、会えたのだったら、なぜあいつは死んだんだ? その誰かと一緒に、殺されたのか?

 としたら、その誰かというのは、もう決まっている。

 自分ら以外に生き残っている、誰か。

 森にいた、三つ編みの女の子……。

 祐一は隣、葉子の横顔を見やった。鉄面皮の表情で、どんな感情も浮かんでいない。さっきから口数も少なかった。神社を離れてからずっとそうだった。

「祐一さん、名雪さん」

 だから葉子が強い口調で声をかけてきたとき、すこし驚いた。

 葉子の顔がいくぶん緩んで、すぐにまた顔を引き締め、言葉を続けた。

「確認しますけど。本当についてくるんですか?」

「ああ」

 祐一がすばやく答えると、名雪も同じようにこくんとうなずく。葉子はなんとも言えない調子で嘆息した。

「もう何度も言いましたけど、佐祐理たちのところへ乗り込むのは私ひとりでじゅうぶんです。いえ、むしろ、あなたたちは足手まといにしかなりません」

「俺だって何度も言っただろ。俺らのことは無視していいから。俺らが勝手に葉子さんについていくだけなんだから」

「葉子さんがもし一緒に行きたくないなら、わたしたち離れてついていくから」

 葉子は、祐一と名雪の返答に天を仰いだ。それは脅迫と一緒です、と細めた瞳が語っていた。そして葉子の視線がこちらに戻ってきたときには、もう勝手にしてくださいといったふうな顔をしていた。

「ありがとうな、葉子さん」

 葉子は、バツが悪そうに目をそらした。ぜったいに危険な真似はしないでくださいよ、とそっぽを向きながら照れたように言って、それからまた言い添えた。

「私は、ですね。実を言うと、まだ余裕があったんです。私――いえ、私たちは皆さんとは違って身を守る術を持っていましたから。私たちの持つ不可視の力に対抗できる者は、この島ではほんのわずかしかいなかった。ですが……」

 葉子は前方を見据えた。雪道が途切れていた。どうやら目的地はすぐそこのようだった。

 はき捨てるように、葉子が言う。

「佐祐理と、舞。あの二人は調子に乗りすぎました。もういいかげん、うんざりです。私は後悔していますよ。もっと早くにこうしていればよかったと」

 祐一は名雪の手を引いて葉子のあとをついていく。更地になっているはずその場所は、積もった雪のために雪原そのものだった。

 中心のほうに向かってうっすらと足跡が残されている。降り続いた雪のせいで消えかかっているので、自分らのけっこう前に誰か訪れていたようだ。

 その足跡を追うように雪原の中心部を見、祐一は絶句した。

「なにこれ……」

 名雪も口元を覆って目を真ん丸くした。爆弾でも投下されたようなどでかい穴が、そこに横たわっていた。

「かなり地盤がゆるんでますね……」

 葉子が慎重な足取りで、くぼんだ地面を降りていく。ほとんど雪が残っていない穴の真ん中に立った。すこし遅れて祐一と名雪もそこに到着した。柔らかい土の感触が足裏に伝わってくる。

 たしかこのあたりにプレハブ小屋の建っていたはずだった。すなわちこの真下に、佐祐理と舞はいるはずだった。本当に地下室なんてものが存在するのなら。

 自分の手にあった剣を突き立ててみた。柔らかい土を貫いたあと、がぎんと固い感触がした。祐一は地面に手をついて、雪と一緒に土を掻き分けた。

 何度か繰り返すと、黒い板のような物が三人の前に現れる。

「ビンゴ……か?」

「そのようですね」

 祐一は憂鬱な心持ちで顔を振り仰いだ。悪の本拠地に特攻をかける心境だった。往人が消えた後にひとりで特攻をかけようとしたこともあったが、やはり緊張するのは変わらない。

 さしずめ佐祐理さんが親玉で舞が従者、か?

 ななめに突き立っていた剣が、空からの微弱な光を反射した。それで祐一は、ほんの数時間前の出来事を思い浮かべた。

 俺は、丘のふもとで舞に出会った。舞は地上に出ていたのだ。小屋は跡形もないのにどうやって出たのかは知らないが(他に道でもあるんだろうか)、ひょっとしたら今、舞は佐祐理さんと一緒ではないのかもしれない。

 そう思うと、この時はチャンスかもしれなかった。佐祐理さんとなら、特に争うこともなく、一対一で話し合うことができそうだったから。

 まあ、これも俺が勝手に期待しているだけなのかもしれないが……。

「あの……それで、これからどうやって下に行くの?」

 思いついたように名雪が言った。

「もちろん地下の天井を突き破って、です」

 葉子がニヤリと笑い、ぼきりぼきりと拳を鳴らしはじめた。

「葉子さん、楽しそうだな……」

「心外ですね」葉子はあきれた顔をして言う。「あなたたち二人のせいですのに」

「……なんでだよ」

「たぶん、熱に当てられたんでしょうね。祐一さん、名雪さん。あなたがた二人を、この世界から無事に脱出させたい。そう思っていますので」

 肩ごしに振り向いてそう口にする葉子に、名雪がすぐに返した。

「葉子さんも一緒だよね? わたしたち、三人一緒に帰れるよね?」

 葉子は、はにかんだように笑って、

「……もちろんですよ」

 そう小さく答えてから、また顔を前に戻した。思案げに下を見下ろして、言った。

「佐祐理は、このゲームの勝者――生き残った最後のひとりだけが家に帰れると言っていました。ですがそれは、私たち生徒を互いに争わせるための口実でしかなかったと、私は考えています」

「そうなのか?」

「はい。私は、この世界のカラクリを大分理解できるようになりました」

 葉子は腕を下ろし、ゆったりと手の平を広げた。

「だからなおさら、ですよ。あなたがた二人を、戻るべき場所に帰してあげたい」

 下がって、と葉子が目配せする。

「道が開いたらすぐに飛び込んでください。いいですね」

 うなずいて、祐一は名雪をかばうように後ろに下がった。それを確認してから葉子は背後に跳躍した。地面に向け、続けざまに不可視の力を放った。

 葉子が祐一たちの横に着地したとき、その鉄製だろう壁にはマンホールのような穴がひとつだけ開いていた(さすがは葉子さん、変に器用だ)。ちょうど人ひとり分が入れるくらいの大きさだった。

 祐一はおそるおそる近寄った。どうやら足元はこれ以上崩れないようで、ホッとする。次に、中を覗き込んだ。電気が通っているのか、完全な暗闇ではなくうっすらと床が見えた。高さはけっこうあるが、まあ、どうにか降りられそうだ。

 首を突っ込んで、祐一は左右を確認した。そこは廊下のようだった。鈍色の冷たい壁に挟まれ、重々しい雰囲気が漂っている。

 人の気配はないようだった。ふたたび安堵する。

「はやく、ぐずぐずしないでください」

「て、おい。押すなよ!」

 葉子にどんと後ろから突き飛ばされ、祐一は頭から地下に突入した。床に背中をしたたかに打ちつけ、瞼の裏に火花が散った。

「なにすん……おわっ!」

「わわ……っ!」

 真上からまっ逆さまに落ちてきた名雪と正面衝突した。絡み合って奥のほうまでごろごろ転がっていく。

「……だ、大丈夫か?」

「う、うん……」

 情けない顔をした名雪が祐一の身体の上に乗っかっていた。

「たく……なに急いでんだよ、葉子さんは」

 落とし穴じゃないんだから、わざわざこんなふうに侵入しなくてもいいだろうに。

「祐一さん」

 天井から葉子が声をかけてきた。入り口はすでに遠くなっていて、葉子の姿は見えなかった。

「誓ってくれませんか。ぜったいに名雪さんから離れないと」

 葉子が、そんなことを言う。祐一はぽかんとして、

「すでに今これでもかってくらいくっついてるけどな……」

 名雪が顔を赤くして慌てて離れた。

「茶化さないでください。お願いです、私に誓ってください。これから先、なにがあろうと名雪さんの側から離れないと」

「葉子さん……どうしたの?」

 名雪が不思議そうな表情で問いかける。

「名雪さん、あなたもお願いします。私に誓ってください。ぜったいに祐一さんの側から離れないと」

 名雪はしばらく、よくわからないといったふうに小首を傾げていたが、ややあってから「うん」と短く答えた。

「ありがとうございます。……祐一さん、あなたの番です」

「それより、葉子さんも早く降りて来いよ」

「誓ってください」

 葉子の口調は有無を言わさない。

「祐一さん、お願いします。名雪さんと一緒に、二人で、ぜったいに離れ離れにならないで、自分たちの居場所に戻ってください」

「当たり前だろ。言っとくが葉子さん、二人じゃなくて三人だからな」

 祐一はこのときやっと立ち上がり、ぽっかり開いた天井の穴に近づいていった。そこからは空だけが見える。あいも変わらず一面、真っ白の空が……

「……え?」

 その空に、長く細いなにかが横切った。白一色の中にいやに目立つ色――黒。祐一は目を見張った。どす黒い霧が、棚引く雲のようにして天を覆い始めていた。

 もう何度目だろうか? この、いやに心を騒ぎ立てる黒色の霧を前にしたのは。

「すこし用ができました。先に行ってください。心配は無用です、すぐに追いつきますから」

 葉子の言葉が終わるよりも先に、祐一は駆けていた。天井に手を伸ばす。届かない。助走をつけて飛ぶが、指先にすら触れない。葉子がどこに立っているか確認しようとして、できなかった。葉子の姿、顔も、ここからではまったく見えない。

 視界に入ってくるのは、全てを飲み込まんとする霧、それだけだった。

「名雪さん、祐一さんを頼みます。この人は危なっかしいところがありますので。祐一さん、名雪さんを頼みます。あなたもそろそろ女の子ひとりくらい自力で守るべきでしょう?」

「なに呑気に話してんだよ! 早く来いよっ!」

「ふふ。名雪さんを泣かしたら承知しませんからね」

 轟音が響いた。床ががたがた振動し、すぐに上から土砂崩れが襲ってきた。その勢いに祐一の身体が流される。祐一は腕で顔を覆い、埋もれる寸前にどうにか顔を持ちあげ、激しく咳き込んだ。

 土砂崩れがやむと、名雪が急いで寄り添ってきて、それから視線を上向け、つぶやいた。

「入り口……閉じてる」

 祐一は横合いの壁を殴りつけた。








 鹿沼葉子はもうもうと粉雪が舞う中、ふうと一息ついた。地下への入り口は、上手い具合に閉じてくれた。さきほど、不可視の力で天井を崩したのだ。

 祐一さんが雪崩れに巻き込まれたみたいですけど……まあ、許してくださいね。

 くすりと笑って葉子は周囲に注意を移した。空は今にも雨をばら撒きそうなくらい黒ずんでいて、この雪原はすでにドームのような状態になっている。細かな霧によって空気も濁っているふうに感じる。

 そんな息苦しい空気の中、葉子の正面に、ゆっくりと人影が現れた。

「あなたとはつくづく縁があるようですね……」

 大きな三つ編みをゆらゆら揺らしながら、うつろな目をした女の子がこちらに近づいていた。例のピンクの傘が、だらんと下げた腕にひっかかるような感じで、女の子の手の中にある。

 女の子がふらりと足を止めた。十数メートルほどの距離を置き、対峙する格好になった。

「これが、あなたの決断なのですか?」

 あきれ混じりに尋ねると、女の子はどこにも向いていなかった瞳をようやくこちらに移し、喉の奥からぼそぼそと口にした。

「はい。……期待はずれでしたか?」

「いえ。以前に比べれば、だいぶマシです」

「……そうですか」

 女の子の背後には巨大な影が佇んでいた。傘と同様なピンク色、ふさふさした毛並み、ウサギのぬいぐるみという形容がピッタリの召還獣。

 かわいらしい格好をしたそのぬいぐるみは、この張り詰めた空気漂う場には似つかわしくないように思え、この殺しあいという名のくだらなかったゲームにはお似合いかもしれないとも思った。

「そうです、まだあなたの名前を聞いていませんでした。今度は教えてくれますよね?」

 すると女の子はなんの感情も持たない表情で、

「里村茜です」

 どうでもいいことのように呟いた。

 葉子の顔にかすかに苦渋の色が宿った。だがそれは一瞬で、たちまち元の表情に立ち戻る。

「あなたを探している人がいました。折原浩平という名の、いたずらっ子のような少年です。あなたのことをとても心配していたようですが」

「…………」

「折原さんに会いましたか?」

 茜はこくりとうなずき、言った。

「浩平は、私が殺しました」

 その言葉は葉子の耳を刺し貫いた。葉子は顎をほんのすこし上向けて瞳を閉じ、静かに息を吐き、しばらくそうやってから、

「それでは私も、あなたをここで殺します」

 葉子はスッと瞼を開き、そのときには葉子の瞳は無感情の冷たい光を発していた。

「ひとつ、聞いていいですか」

 茜が泰然としたまま、ぽつぽつと言葉を吐く。

「なぜあんな真似をしたんです? 自分ひとりだけがここに残って、あの二人を逃して。自己犠牲ですか?」

「そんな大そうなものじゃありません。私はあの二人が好きなんです。それだけですよ」

「……わかりました」

 茜が億劫げに傘の先を正面に突き出した。彼女の挙動に対応して、ウサギのぬいぐるみが巨大な前足を踏みしめる。

「いきなさい……ラビット鈴木。あなたの力で、あの人の『絆』を断ち切ってあげて……」

 葉子は地を蹴り、後ろに飛んだ。

「私の、この、未練がましい想いと一緒に……」

 葉子は手の平の照準をウサギのぬいぐるみに合わせた。




                          【残り4人】




Next