プレハブ小屋に近い森の中。木々の間を駆け抜けるように風が吹いた。

 里村茜は閉じていた瞼を開けた。

 いつもより冷たい風、天気が悪いんだろうか。ちょっと顎を上向ける。木々に覆われた天井にぽっかりと空いた穴からは、月の姿が見えない。あるのは曇った夜空だけ。

 茜は視線を落とした。切り株に座って、今までしていたようにボーっとする。

 きゅう、とお腹が鳴った。こんな寒い日は、学校の中庭で昼食を取っていたことを思い出す。それから首をかしげた。私、なんで冬の最中に外でお弁当なんか広げていたんだっけ……。

 喉もカラカラだ。いったいいつから飲まず喰わずだったのか、よく覚えていない。食料と飲料が入ったデイパックはいつの間にかなくなっていた。

 どこでなくしたんだろう。記憶にない。

 でも、そんな事情は今の茜にとって重要ではなかった。重要だと思えるほどの気力がなかった。

 たとえ空腹で死にそうでも、山葉堂の練乳ワッフルが食べたいなあとか、とにかく甘いものをめいっぱい口に放り込みたいなあとか、思い浮かびはしたけど願わなかった。

 眠かった。ただひたすらに眠かった。

 茜はこてんと横になった。瞼は開けたまま、ただ虚ろにその視線をさまよわせる。

 私、こんなところでなにやってるの……。

 視界はただ闇が広がるばかり。

 私、なんでこんなところでひとりぼっちなの……。

 そのとき音がした。茜は身じろぎひとつしなかった。目の前の茂みが割れ、奥から人が現れた。

 その人影は背が高かった。それが、茜が認めた最初の情報だった。

 凛々しい顔つき、男の子? 後ろでまとめた髪の長さは自分の三つ編みとひけをとらない。じゃあこの人はたぶん女の子。

 どこかで見た顔だと感じた。誰だったろう? たしか、最初の頃。ゲームが始まる前、教室で出会った?

 彼女がこちらを一瞥する。それだけ。ちらと顔を向けただけで、また歩き出した。

 つまらないものを見たような瞳で通り過ぎていった。

「…………」

 茜は緩慢に身を起こした。切り株に座りなおし、自分の指先を見つめた。

 手が震えていた。寒さのせい? 指先にはかろうじて感触がある。

「……澪」

 その指先にはしっかりと人を殺した感触だけがある。

「詩子……」

 その手をもう片方の手で包み込んで、こつんと額に当てた。

「司……」

 お願い。お願いしますから。

「浩平……」

 私を、ここから連れ出してよ……。








 川澄舞は丘の南から森に入り、葉子と別れてから、先行く途中で身を休めていた。

 その時間はざっと三時間くらいだったろう。それでもじゅうぶん今までの睡眠不足は解消されていた。

 今は鬱蒼と茂る雑草を踏み分け、集落に向かっている。すこし前に傘を持った奇妙な女の子に出会ったが、特に気にはしなかった。

 自分には大事な任務が待っている。集落には神奈がいるはず。ぜったいに仕留める。失敗は許されない。

 相手は翼人で、加えてレーダーの監視網にひっかからない危険分子なのだ。自分らにとっておそらく、いや確実に最も警戒するべき存在だった。

 だから舞は仮眠を取っておいた。これからの戦いのために。

 それにしても、と舞は思案する。もうひとつの任務だった観鈴の消去。丘のふもとで震えて立っていた、あの観鈴の背中を思い出した。

 観鈴の居場所は管制室で調べていたので、あっさり発見できた。しかし事が片付くのもこんなにあっさりとは思っていなかったのだ。

 観鈴は翼人の魂を引き継ぐ者だとシュンに聞かされていた。手強いと踏んでいたのに。

 なのに相手は無抵抗のまま消えた。

 なんで抵抗しなかったんだろう。それとも、抵抗したくてもできなかった?

 相手はただの女の子に見えた。特に他の生徒と変わっているところはなかった。

 と、いうことは。

 私は、無関係の人間を殺してしまった……?

 そう考えてかぶりを振る。相手は危険な存在だった、仕方ない処置だったのだと自分に言い聞かせる。

 けれど心は晴れなかった。もやもやした部分が残っていた。

「…………」

 視線を上げる。紺色の空が見える。夜明けまでにはまだ時間があるようだ。

 舞は足を早めた。こんな仕事、さっさと終わりにしたかった。終わりにして、一刻も早く佐祐理にもとに戻りたかった。

 どうやったら戻れるのかはわからない。それでも自分は帰還する。ぜったいに帰還できる。信じて疑わなかった。

 いや。もしかしたらそれは、ただ単に疑わないようにしているだけなのかもしれない。

「…………」

 道が開けた。急な向かい風で舞の前髪がさらさらと流れる。

点在する住宅が視界に広がっていた。

 そのまま闇に紛れて集落に入る。ビデオの映像によれば、この住宅のひとつに神奈は潜んでいるはずだ。さすがに特定まではできないのでひとつひとつ見て回ろう、と思った矢先に特定できた。

ここからちょっと西に進んだところ。古ぼけた感じの家に、明かりが灯っていた。

 距離はそんなに離れていない。足音を立てないよう近づく。

 玄関の明かりは点いていなかった。ぐるりと一周してみる。明かりは窓からだった。カーテンの隙間から、完全には遮断できずに漏れ出ている。

 窓の大きさからしてリビングだろう。おそらくこの部屋に標的が潜んでいる。

舞は迷った。どうやって忍び込もうか。家の中は寝静まっていないようだから、こそこそ侵入しても簡単に見つかってしまう。その間に逃げられてしまう。

 だったら、と。舞は腰の剣を抜いた。息を吸い込み、ひゅうと吐く。

 目の前の窓を袈裟斬りした。

 真っ二つになった窓がカタンと地に落ちた。ついでにカーテンも一刀両断、舞はサッシに手をかけて中に転がり込んだ。

「…………」

 さっと見渡す。まず目についたもの、それは雑然とした内装だった。

 蛍光灯は傾き、棚は倒れ、テーブルはひっくり返り、その上に並べられていたのだろう、料理の皿が床に散乱していた。

 しかしそれだけだった。舞の望む神奈の姿はなかった。

 舞は立ちすくんだ。自分はすでに気づかれていたのだろうか。自分が、この家に近づいていたことに。

 いや、そんなはずはない。足音は立てていないし、分厚いカーテンが引かれてあったので窓から自分の姿が見えることもない。だいいち、誰かが近づいたとして、こんなふうにいきなり襲いかかってくるなど予想するだろうか?

 そう舞が思考していると、不意に背中になにか当たった。

「……動くな」

 押し当てられている何かが、さらにぐいっと背中に食い込んだ。

「これはスタンガンだ。すこしでも動いたらスイッチを入れる」

「……誰?」

「それはこっちのセリフだ」

 男の声だった。疲れたふうにため息をつく音が後ろから聞こえる。

「いきなり窓を割るかね、普通。少なくとも女の子がやる行為じゃないよな」

 舞は振り向けない。背中に当たる感触は、離れる様子を見せない。

「あんた、家の周りをうろついてたろ? 怪しいと思ったんだよ。タンスに隠れてて正解だったな」

「……あなた、なんで私のこと」

「気づいたかって? そりゃ企業秘密ってやつだ」

 調子よく言ってから、

「おまえ、名前は」

「……ぽんぽこたぬきさん」

「……すごい名前だな」

 拒否のつもりで言ったのだが、勘違いされた。

「てことは、ぽんぽこが苗字で、名前がたぬきさんか。インパクト抜群だな」

「……違う。川澄舞」

「最初から素直に言えって」

 イタズラっぽく言ってから、

「じゃあ、舞。手に持ってる物騒なもんを捨てろ。そしたらバンザイでもしててくれ」

 が、舞はなにも反応しない。

「どうした。早くしろ。感電したいのか?」

「……動くなって言われたから」

 数秒、落ちる沈黙があった。

「……いや、じゃあさっき言ったことやってから動くな」

「初めからそう言って欲しかった」

 ぽい、と舞は剣を捨てた。バンザイする。

「次はこっちの質問に答えてもらおうか。あんた、なんでこの家を襲った」

「友達になろうと思って」

「……あんたは友達作るのに剣を振り回すのか」

「犬さんはこれでおとなしくなった」

「オレは犬じゃない」

「ゴキブリさんをやっつけたらみんなに喜ばれた」

「オレはゴキブリでもない」

 ため息が聞こえた。

「……浩平。いつまでそんなまどろっこしいことをしておる」

 奥のほうから少女の声が飛んできた。小柄な身体がリビングの扉から登場する。舞は瞳を大きく開けて相手を見た。

 間違いない。この子が標的の神奈だ。

「おまえ、寝てなくていいのか」

「余を見くびるでない」

 低い背をめいっぱいふんぞり返らせた。

「ほんとはまだ寝てなくちゃいけませんのに……」

 その横からのんびりした足取りで女の子が出てきた。頬に手を当て、心配そうに神奈の横顔を眺めている。

「折原さんたちの会話で起きてしまいました」

「そうか。悪いことしたな」

「そんなことはどうでもよい」

 神奈がぴしゃりと言う。

「余の寝首をかこうなどと。こやつ、どうしてくれようかの」

 神奈がムスッとした顔を向けてくる。寝起きで不機嫌らしい。

「おまえはベッドに戻れ。もう夜遅いんだ」

「余を子ども扱いするな」

「神奈さん。私が子守唄、歌ってあげますから」

「余を子ども扱いするなと言っておろうがっ!」

 地団太を踏んでいた。

「……すみません。この冠、かぶせてあげますから」

 自分の頭にあった金の冠を神奈の頭に乗せた。

「美凪。なんの真似じゃこれは」

「魔法のティアラ。神奈さん、これで大人」

「魔法少女の変身セットか」

「余を子ども扱いするなと言っておろうがああああああっ!」

 魔法のティアラは床に叩きつけられた。

「ああ、私の武器……」

 美凪がとことこと回収に向かう。

「とにかく、だ。おまえは寝てろ。いいな」

「よくないわっ!」

「神奈さん、目が冴えたなら私とシャボン玉して遊びませんか」

「だから余を子ども扱い――」

 神奈はじたばたと暴れながら強引に手を引かれて連れ去られそうになっていた。

「さてと。また訊くけどな。あんた、どうしてオレたちのところに来たんだ」

「偶然」

「んなわけあるか」

 たく、どうしたもんかな、と浩平は呟いて。

「あんたにはお帰り願うか」

「私は帰らない」

 また後ろからため息の音。

「あんたこの状況わかってないのか。帰らないんなら気絶してもらうぞ」

 ぐっとスタンガンを押しこんでくる。

「……わかってないのは、あなたのほう」

 キン、と高く金属音が鳴った。そんなに広くはないリビングに、その音はいやに大きく響いた。

 スタンガンが宙に放り出されていた。

「……は?」

 浩平が空になった自分の手を見、次の瞬間には横に弾かれていた。壁に叩きつけられ、がはっ、と空気を吐き出す。スタンガンが軽い音をさせて床に落ちた。

 そのときには、舞は転がっていた剣を拾い、その切っ先を連れ去られ中だった神奈に向けていた。

「な、なんじゃ今のは」

 ぽつりと神奈がこぼした。

「うさぎの耳をした娘が……」

 舞は驚いた。スタンガンを弾いた私の魔物が、この子は見えている?

 脳に警鐘が打ち鳴らされた。シュンの言い分は正しかった。この子は消さなければならない。今この場で、必ず。

 舞は突進した。

 眼前に神奈の顔が迫る。剣を突き出した。相手は避けようともしない。ただこちらの挙動を驚愕の表情で迎え入れるだけだった。

 たしかな感触があった。仕留めたと思った。胸部に剣を受け、ゆるやかに倒れる相手の長髪が舞の頬を撫でた。

 舞は剣を引き抜こうとした。できなかった。相手は舞の肩に寄りかかり、ぽつぽつと汗を浮かばせて、刀身をしっかりとその手に握って、微笑んだような顔で言った。

「……神奈さん、シャボン玉はまた今度」

 そして美凪は震える唇で舞の耳元にささやく。

「こんなの……へっちゃらへーです」








 折原浩平はその一部始終を苦悶の表情で見ていた。

 美凪が神奈を突き飛ばしたのだ。それは普段の彼女からは到底考えられないほど俊敏な動きだった。

 舞の身体が美凪の身体に重なり、両刃の剣は、神奈の代わりに美凪の胸を貫いていた。

 美凪はゆっくりと舞に寄りかかり、剣の刃をその手にしっかりと握りこみ、うっすらと笑んで、瞳を閉じた。

 浩平はぎりっと歯噛みした。

「あ……あ……あ」

 美凪の横でへたり込んだ神奈が、惚けたように言った。

「ま、また、余のせいで……」

 神奈の背中から白光が膨れ上がった。衣服が引き裂かれ、みるみるうちにリビングを包み照らし、大きな両翼が出現した。

 それを見た舞の表情に決意めいたものが浮かんだ。美凪の身体をぐいっと振り払う。そのまま美凪が仰向けに倒れる。

 天を向いた剣の柄に舞は手を当て、引き抜こうとする。

「やめろおおおおおお!」

 浩平は踊りかかった。床のスタンガンをかっさらい、電源を入れて舞に向けた。

剣の柄から手を離し、バッと舞が身を引いた。

 追いすがるように、スタンガンから電極が伸びた。

「……!」

 舞の無表情が驚きに変わる。舞はとっさに身をひねっていた。その上を電極が通り過ぎる。浩平は電極を振り下ろした。細い影が舞の瞳に落ちた。

 その先端が舞の身体に触れる瞬間、電極はなにかに阻まれるようにして止まった。

 バリッ、と火花が散る。その光に反射して、舞をかばうようにして立つ影のようなものが見えた。なんだ、あれは? 人、か?

「く……あっ」

 舞がその場にうずくまる。スタンガンの効果だろうか? 電撃は防がれたと思っていたが……ひょっとしたらさっきの人影は舞と繋がっていたのかもしれない。

 スタンガンの先で舞を捕らえたまま、浩平は美凪の側に駆け寄った。

「…………」

 浩平は顔をゆがめた。かろうじて息はあるようだが、剣が突き立った右の胸から滲み出す血は、もう床に水たまりができるほどだ。

 これじゃあ、もう、彼女は……。

「守ると誓ったのに。余は、守ると」

 美凪の隣で、神奈はただつぶやくだけで動こうとしない。

「おい、神奈。すぐここから離れろ」

「余は……余は……」

「神奈!」

 びくっとして神奈は顔を仰ぎ向けた。顔をくしゃくしゃにして見つめ返し、けれどそれだけだった。うつむいて、美凪のほうに視線を戻した。

 浩平は神奈の手をつかみ、強引に立たせようとした。が、その手を神奈は押し返した。

 美凪のもとに寄り添った。

「もう、ひとりだけ助かるのは嫌じゃ」

 覆い被さるように美凪の身体を抱きしめた。

 くそ、どうする? 浩平は前方に意識を移した。舞は片膝をついて静かにこちらを眺めている。身体の痺れが取れるのを待つように、確実に獲物を狩るためじっと息を潜めるかのように。

 もう、考えている時間はないらしかった。

「神奈。まだ、諦めるな」

 ぐっとスタンガンを握りこむ。

「その翼で美凪を連れて、診療所に向かえ。守ると誓ったんなら、最後まで諦めずに守りきれ」

「……お主はどうするのじゃ」

「ちょっと遊んでくる」

 前方を見、皮肉っぽく言う。

「ならば余もっ」

「ひっこんでろって。大人の遊びだ」

 浩平は駆けた。もちろん舞に向かって。相手は、理由は知らないが神奈を狙っている。そして相手は動けない、やるなら今しかない。

 選択の余地はなかった。最大出力、そして最大限に電極を伸ばそうとしたところで、

「右じゃ!」

 その電極を右に押しやった。火花が舞い、うさ耳の少女が現れた。

 舞の身体がびくりと跳ねた。

「……サンキュ、神奈」

 少女がゆっくりとその姿を空気と同化させる。

 舞が身体を押さえたまま、目の前で倒れ伏す。

 浩平はスタンガンを振り下ろした。








 意識が薄らいでゆく。川澄舞は、もう気を失いかけていた。

 こんなところで寝ている暇はないのに。でも身体は動かない。すぐそこに標的がいるのに。でも身体は動いてくれない。倒さなきゃならない相手はすぐそこなのに。でも身体はぴくりとも動かない。

 佐祐理のために、私は――

 ガツン、と衝撃が来た。背中にとんでもない痺れが跳ねた。視界が真っ白、頭がぐちゃぐちゃになってもう何がなんだかわからなくなった。

 佐祐理……。

 ゲームのためとか、任務のためとか、常に舞の頭にわだかまっていた感情が一緒くたになって、次には綺麗さっぱりなくなっていた。

「神奈、急ぐぞ」

 だからだろうか? 舞の心は今になってようやく晴れていた。

「はやく診療所に」

 舞は浩平の足をつかんでいた。

「……まだ意識があるのか」

 息を荒げ、渾身の力で立ち上がろうとする。

「でも、悪いけど。もうあんたに構ってる暇ないんだよ」

 スタンガンの二度目の衝撃。視界にヒビでも入ったようだった。

 舞は倒れなかった。

「……マジか」

 浩平は三度目を食らわせようとして、その電極を舞は片手で受け止め、握りしめた。手の平が焼け付くかと思ったが、舞は離さない。

 ボキリと電極を折った。浩平の顔が驚愕に彩られる。

「後ろじゃ!」

 神奈の声に浩平が振り向くよりも先に、その浩平の腹部に小さな手が生えていた。

「な、なんだ……これ」

 うさ耳の少女――舞の魔物が浩平の背中から前へ、腕を突き刺していた。

 その赤黒く染まった手はゆっくりと引き抜かれ、合わせたように浩平の手からスタンガンがこぼれ落ちた。

「……うそ、だろ」

 魔物の腕が振り落とされ、浩平の身体は床に叩きつけられた。

「…………」

 神奈と目が合った。ひくっ、と神奈の顔が恐怖にゆがんだ。

 舞はゆっくりと近づき、途中で膝をついた。足に力が入らない。電気はまだ身体じゅうを暴れ回っていた。

 神奈は取り付いていた美凪から手を離し、後ろに下がろうとする。

「……逃さない」

 魔物がススキを揺らしながら神奈に向かう。神奈が、さらに後ろに下がろうとして、そのとき美凪の身体が自分から離れていたことに今ようやく気づいたように、あわてて美凪のもとに戻った。

「……余はもう逃げない」

 神奈は立ち上がった。ぽろぽろ涙をこぼして、恐怖にゆがんだ顔をそのままにして、こちらを睨み据えて。

「もう逃げるのは嫌じゃっ!」

 叫んだと同時に、両の翼が大きくはばたいた。

 もうすぐそこまで来ていた魔物が、風に煽られ、ふわりと宙に浮かぶ。舞は魔物をけしかけた。体勢を立て直した魔物が神奈に向かって急降下した。

 もう一度、翼が羽ばたいた。とんでもない烈風が吹き荒び、魔物の手からススキが離れた。

 スッと線を引くように片翼が薙がれ、宙を舞ったまま魔物は両断された。

 魔物の受けた衝撃が舞に帰ってくる。これは強烈だった。死、の一文字が脳裏をかすめた。呼吸が止まり、舞は地に突っ伏した。

 その上をいまだ続く烈風が飛びすさっていく。

 気づけば、部屋の家具が渦を巻いていた。竜巻のようだった。舞の身体も持ち上げられる。浩平、美凪の身体もゆっくりと移動していく。

「み、美凪!」

 神奈は焦ったように翼を止めようとしていた。制御できないのか、羽ばたきは一向に静まらなかった。

 舞は魔物を再生成しようとする。無理だった。電撃を何度も浴びた影響と、そしてさきほど受けた衝撃で体力も気力も残っていなかった。

 精神が磨り減っていた。精神の死は、肉体の死と同じ。

 私……このまま死ぬの……。

 成すがままに制服がばさばさとあおられ、そのとき内側からぽろっと落ちるものがあった。

佐祐理から預かった鈴だった。ちりんと音を奏でる。

 そしてもうひとつ。指輪らしかった。薔薇の刻印が施されている。

 これ……なに。思い出せない。

「うがああああああ! なぜ余の言うことを聞かんのだあああああ!」

 神奈が激昂した。地団駄を踏んでいる。

 舞は思った。この子は強かった。なんだかんだで翼人は強かった。彼女はたしかに長森瑞佳に並ぶ強敵だった。佐祐理の懸念は真を突いていた。

 佐祐理……ごめん……。

 舞の意識が遠のきかけたとき、こつんと何かがぶつかった。

 舞は重い瞼を必死にこじ開け、それを見た。剣だった。美凪の身体は今や自分の目の前に移動していて、剣の柄をこちらに向けていた。

「ええい、静まれというのがわからんのか!」

 舞は無意識に剣の柄を握り締めていた。わずかに残る全身の力を右腕にかき集め、一気に引き抜いた。

「このままでは美凪と浩平を助けられぬではないかっ!」

 美凪の身体が反り返り、鮮血が薔薇のように飛び散るその刹那、舞の意識が覚醒した。

 これは……なに? こんな感覚は初めてだった。そう、まるで、たとえるなら、世界が革命されたかのような感覚だった。

 舞は剣を振るった。風を切った気がした。滝のように流れていた目の前の空気が急に穏やかになり、それは一瞬だったが、舞は逃さなかった。

 剣を一閃した。空気が巻き上がり、カマイタチ状の刃物が形作られた。荒れ狂う風の隙間を縫うようにして刃先が神奈のもとへたどり着く。

「余は、もう、余のために人が死ぬのは――」

 神奈の言葉が中途で止まった。カマイタチの刃は深々と神奈を貫いていた。

 それを認め、舞は気を失った。

 風は、ようやく静まり始めていた。




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