第8幕 5日目深夜




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 夢を見ていた。

 それは夢とわかる夢だった。理由なんて知らないけれど、ぼくにはわかった。直感的にわかっていた。

 隣に彼女が膝を立てて座っている。白のワンピースを着た彼女。なびく栗色の髪をちっちゃな手で押さえ、じっと正面を見つめている。

 草原みたいな、砂浜みたいな、そんな心地よい風が吹く場所に彼女とともにぼくはいる。

 ちょっぴり幸せ。

「えいえんは、あるよ」

 前振りも何もなく彼女が言った。まったくわけがわからない。彼女はいつもそう、彼女はぼくを振り回す。よくわからない言動でぼくを振り回そうとする。

 たとえば、部屋の窓ガラスに外から石をぶつけたり、なんだろうと思って窓を開けたぼくにまで石をぶつけたり。

 友達になりたかったんだよ、と言い訳したり。

 ぼくのあとを付け回すようになったり。

 どんなにイジメても、ついてきて。

 最後には、ぼくと『盟約』を交わしたりなんかして。

「どういう意味か、わかる?」

 だからぼくは、彼女の言葉に首をかしげるしかなかった。

「えいえんがあるって、どういうことかわかる?」

「……終わりがないってこと、かな」

「そうだね」

 彼女はにっこりと笑う。

「じゃあ、具体的には?」

 具体的にと言われても。

「……ずっと生きていられる、とか」

「そうだね」

 彼女はにっこりしながらうなずく。

「じゃあぼくたちは死なないんだ」

「うん」

「じゃあぼくたちは不老不死なんだ」

「うん」

 ヤッタネ。ついガッツポーズを取ってしまう。

「嬉しい?」

 彼女がにこにこと訊いてくる。当然とばかりにぼくはうなずいた。

「なんで嬉しいの?」

「キミとずっと一緒にいられるから」

 ふふ、と笑って彼女が瞳を細める。

「じゃあさ。わたしとずっと一緒にいられると、なんで嬉しいの?」

「別れなくて済むから」

 みさおと別れたときのような、そんな気持ちを経験しなくて済むから。

 そんな気持ちは、二度と味わいたくないから。

「そっか」

 彼女は一度、小さく息をついて。

「じゃあ、もう一回訊くね。えいえんって、なんだと思う?」

「幸せなこと」

 ぼくはきっぱりと答えた。

「違うよ」

 彼女はきっぱりと否定した。

「……なんで」

「間違ってるから。もうぜんぜんダメダメ、テストで言うと0点って感じ」

 ひどい言い草だ。

「ぼくたちはこれから楽しいことしか経験しないんだ。これって幸せなんじゃないの?」

「マイナス百点」

 さらに点数がひどくなった。

「ちなみに百点満点中だよ」

「……はあ」

 ため息ひとつ、ぼくは立ち上がった。うーん、と背中を反らす。どこからともなくそよぐ風を、身体全体で感じ取る。

「これって、幸せなことじゃないの?」

 こんなにも風が気持ちいいのに。

「うん」

 彼女は同じように立ち上がって、ぼくの背中をゆっくりと抱きしめる。

「違うんだよ。えいえんのときのなかで、そんな感情は生まれないんだよ」

 そう、ぽつりとつぶやいた。

「わたしたちは別れない。わたしたちは死なない。わたしたちは悲しいことを経験しない。わたしたちは悲しいことを知らない。わたしたちは悲しいという感情を忘れてしまう」

 ぼくの背中に額を当てて、ささやくような声で続ける。

「うれしいとか悲しいとか。楽しいとかつまらないとか。しあわせとかふこうとか。えいえんのときのなかじゃ、そんなのは意味ないの」

 背中に感じる彼女の吐息が、だんだんと熱いものになってくる。

「テストがつまんないから遊びが楽しいの。別れが悲しいから出会いがうれしいの。死ぬのが怖いから生きることが大切に思えるの。不幸があるからこそ、幸せがあるんだよ」

 ぎゅうっと、回されている腕の力が強くなる。

「えいえんがあるっていうのは、なにもないのと同じなんだよ。だからキミは、しあわせなんかじゃない」

 清涼な風が、ぼくの前髪をさらさらとなびかせる。彼女の暖かい体温が、直に背中に伝わってくる。

 心地よい。

 彼女にこうして抱きしめられているのが、こんなにも心地良いのに。

 みさおのことを忘れるほどに、穏やかな気持ちでいられるのに。

「ぼくは、ここが好きだ」

 えいえんがあるという、この世界が好き。

「だからぼくは、えいえんが好きだ」

 彼女とともにえいえんでありたいと、切に願う。

 いつまでも一緒にいたいと、切に。

 別れなんて、いらない。

「違うんだよ。キミが好きとか言ってる時点で、もう、キミはえいえんなんかじゃないんだよ」

「でもぼくはここが好きだ。キミの作ったこの世界が好きだ」

「……ほんとに負けず嫌いなんだから」

 スッと彼女が身を離した。

「じゃあ、盟約、もうやめよっか」

 そんな軽い言葉に振り向くと、彼女はやっぱりにこにこしていた。

 悲しそうな笑顔。

「……やめる?」

「うん。飽きちゃったから、もうおしまい」

 あくまでも軽い彼女の声に、ちょっと苛立った。

「終わらない。ここはえいえんなんだから、終わりなんてない」

「ううん。そんな夢は、もう終わる」

 だだっ広い、草原のような砂浜のようなこの場所を、彼女はダンスでも踊るかのように勢いよく見渡した。

 ふわり、と彼女の髪とスカートが浮き上がる。

 幻想的。

 それは夢の光景。夢とわかるところ。

 理由なんて知らないけれど、ぼくにはわかる。直感的にわかっている。

「だってわたしはもう、えいえんじゃないから」

 だからぼくには――オレにはわかっていた。

 彼女はすでに、この世界にはいないのだと。

「わたしのえいえんは、もう、終わっちゃったから……」

 長森はすでに、この世界から消えてしまったのだと。

 幼いころの長森の姿をした彼女、その小さな身体がすこしずつ遠ざかっていく。

 オレは彼女に駆け寄って、手を伸ばして、必死につかもうとして。でも、ぜんぜん届かない。

 長森が、幼い頃からずっと、いつでもオレに向けていた優しいほほえみ、これ以上ない笑顔を満面に浮かべて、言った。

 ――ばいばい、浩平。

 そこでオレは目を覚ました。








 瞳を開けた瞬間、くらくらした。貧血でも起こしたように頭がガンガンと響いて、視界が白と灰色で揺らいでいた。

 折原浩平は何度か瞬きして、それでも焦点は定まらなかった。それは単に寝起きのせいなのか、それともさっき見た夢のせいなのか。

 視界が揺れているのは、オレが泣いているせいかもな……。手の甲で目元をこすってみる。しかし特に湿った感触はない。

 涙は流れていない。

 でもたしかにオレは、泣いていた。

 息苦しいほどに胸が締め付けられる。そんな気持ちが、たしかにオレの中にある。

 ならやっぱり、オレは泣いていたんだと思う。

「……長森」

「はい」

 予想もしない答えが返ってきた。浩平は目を剥いた。

「起きましたか?」

 ようやく視界が定まってくる。女の子の顔が正面にあった。長森……いや、違う。誰かがこちらを覗きこんでいる。

 瞬きもせず、じーっと。

 そのまま何秒か経って、頭の下がなんだか暖かくて柔らかいことに気づいた。

 なんだろう? しばらく思案。

「…………」

 これは、そうだ。ひょっとして、あれか?

「……おわあっ!」

 認識すると同時に上半身を跳ね上げ、浩平はずさささささっ! とあとずさった。

「わ、びっくり」

 あまりびっくりしてそうにないのんびりした声を上げ、こちらを向く女の子。そのぽけっとした顔には見覚えがあった。

 浩平にあの物騒なシャボン玉を飛ばしてきた子だった。

「……で、あんた。なにやってんだ」

「? なんでしょう」

 かくん、と首をかしげた。一瞬、折れたのかと思ってびびった。

「……いや、だから。なんで膝枕なんかしてたのかな、と」

「うなされていたので。よけい、でしたか?」

「…………」

 長森にすらやってもらったことはないのに。貞操を奪われた気分だった。

「あの。落ち込まないでください」

 よしよしと頭を撫でられ、さらにどよーんと落ち込んだ。

 まあ、たしかにうなされていたのだろう、オレは。身体じゅうに浮かぶ寝汗が気持ち悪いし、まだ頭はくらくらしてるし……

「…………」

 違う。頭がくらくらしているのは彼女のシャボン玉のせいだったことに今さらながら思い当たる。彼女を非難がましく見つめた。

「……?」

 よくわかっていないふうに見返された。とぼけているのか、本当にわかっていないのか。

 浩平は目を逸らした。そのまま周囲を観察する。どこかのリビングみたいな内装。

 おそらくここは、彼女と初めて対峙した、あの古ぼけた家の中だろう。気絶したオレを彼女が運んでくれたというわけか。

 と、そのとき背中に殺気のようなものを感じ、浩平は振り返った。

「お主、何者じゃ」

 ソファに女の子が座っていた。低い背丈、たぶん自分よりも五歳は年下だろう。こんな幼い子までこのゲームに参加しているのか?

「名はなんと申す」

 その妙に偉そうな口調と幼い顔とのギャップがおかしくて、つい笑ってしまった。

「なにを笑っておる」

「おもしろかったから」

「なにがおもしろいのじゃ」

「おまえが」

 顔が真っ赤になった。怒ったようだ。

「……美凪。このうつけ者をどうしてくれようかの」

「うつけ者じゃなくて、折原浩平だ」

「美凪。この礼儀もわきまえぬ愚か者をどうしてくれようかの」

 くそう。

「では、みんなでご飯にしましょう」

 美凪(という名前らしい)がゆっくりと立ち上がる。

「……なぜそうなるのじゃ」

「神奈さん、お腹ぺこぺこですし」

「……いや、そんな決めつけられても別に余は」

「なにが食べたいですか?」

「オレはなんでも」

 神奈って子がものすごい勢いで睨んできた。

「美凪! こんな下賎な輩に与える食事など」

「神奈さんはなにがいいですか?」

「……はんばぁぐ」

「わかりました」

 美凪は別部屋に引っこんでいった。たぶんキッチンなのだろう。

「くっ、余としたことがまんまと乗せられてしまうとは……」

「ほんとおもしろいな、おまえ」

 またすごい形相で睨まれた。

「お主、美凪に取り入ってなにを企んでおる」

 いきなり話がぶっ飛んでいた。

「いや、特に取り入ってないし、だいたいオレは被害者のほうだ」

「余が不覚にも昼寝をしてしまった隙に取り入るとは、不届き千番……」

 聞いてないし。

「だから余は反対だったのじゃ。こんな身元不明の怪しい輩を介抱するなどと……」

「災難だったな」

 肩を叩くと、ぺしっと振り払われた。

 しかしこの子の話で、重要だったことがひとつ判明した。どうやら美凪と自分が外で戦って(?)いたとき、この家の中にいたもうひとりの人物。それがこの女の子、神奈だったらしい。

「今度は余が美凪を守ると誓ったというのに……」

「残念だったな」

 肩を叩くと、今度はグーで殴られた。

「美凪に近づく者はなんぴとたりとも余が許さぬ!」

「おお、カッコいいな」

 ドカン、と背に炎が上がった。

「お主どこまで余を愚弄すれば気が済むのじゃ!」

「愚弄って、お子様にしては難しい言葉知ってるんだな」

「うがああああああああっ!」

 襲いかかってきたので、とりあえず逃げる。

「……神奈さん、みちるみたいなこと言うんですね」

 二人でもみ合っていると、美凪がやって来た。

 美凪のとろんとした瞳の奥に、なにか慈しむような光が宿っていた。

「ありがとうございます。でも、静かにしていてくださいね。近所迷惑ですから」

 戻っていった。近所迷惑も何も、住人なんていない集落だというのに。けれど浩平と神奈は、おあずけを食らった犬のようにしてテーブルについた。

「お主のせいで怒られたではないか」

「おまえがダダッコなのが悪い」

「誰が……!」

 神奈は立ち上がりかけて、ハッとして、ちょこんと腰を落とす。なんだかんだで美凪の言いつけを守っていた。

 二人、大人しく美凪の料理を待っている。ちくたくちくたくと、どこからか時計の音が響いてくる。

「……お主、いつまでここにいるつもりじゃ」

「オレの勝手だろ」

 浩平はちらりと窓を見やった。カーテンの隙間から覗ける外の風景は、完全に暗闇だった。結構な時間、自分は気絶していたらしい。

 壁の時計を見ると、もう日付が変わったあとだった。

「子供はもう寝る時間だな」

 神奈は何も言ってこない。敵意の視線を向けてくるだけだ。

「心配しなくても、夜が明けたら出てってやるよ」

 オレには探し人がいる。里村茜を、オレは探す。

 浩平は制服のポケットからレーダーを引っぱり出して画面を注視した。明滅する点はひとつ、美凪のものだ(やはり神奈はレーダーに映っていない、謎だ)。

 この家で待っていれば、この点は増えてくれるだろうか。やみくもに歩き回っても行き違いになる可能性だってあるのだ。なら、茜が食料を調達するのにこの集落を訪れるのを待つ、という手もある。

「本当に出て行くのだろうな?」

「……ああ」

 浩平はレーダーをしまった。

 オレはぜったいに茜を探し出す。それが、今のオレにできる唯一の行動のような気がした。それが、長森の死を知ったオレのやるべきことだと思った。

 ただ待っているだけなんて、許されない。

「もうすこし、待っていてください」

 美凪が奥から声をかけてきた。

「……いや、なにか手伝う」

 浩平はキッチンに足を運んだ。

「……余をひとりにするな」

 そして神奈もあとに続いた。








 外はどんな様子だろう。まだ夜は明けてないとは思うけど。

 川澄舞は洞窟を歩いていた。周りはごつごつした岩に囲まれ、ほのかな光を放つ苔がところどころ付着し、その景色はまだ一向に変わる気配を見せない。

 さすがに足が痛くなってきた。最近、立ちっぱなしだったし、ろくに睡眠も取っていなかったから。働きすぎのような気がする。

 でも、不満ってわけじゃないけど。

 なんにしても、出口はまだだろうか。前に一度通ったときの感覚から、そろそろだとは思う。同時に、まだまだ先のような錯覚もある。

 この洞窟は、そういった時間の感覚を狂わされる場所だった。だから不安になる。ひょっとしたら今頃、佐祐理の身に危険がせまっているんじゃないか。あの地下室が他の生徒の襲撃に遭っていないか、と。

 ……私、心配性なのかな。

 どうも苦労が絶えなかった。この島に来てから、気を落ち着けさせる暇がない。佐祐理はいつでも呑気に笑ってるけど。

「…………」

 でも、佐祐理だってやっぱり悩んでいるんだと舞は思う。あの天野って子も、そんなこと言ってたし。このゲームに対して悩んでいる人がいるって。

 そして、そう考えるとすこし心が和らぐ自分にも、舞は気づいていた。

 こんなゲーム、早く終わればいいのに、と。

「…………」

 苔の光が途絶えていた。先のほうにぽっかりと丸い闇が広がっていた。

 ――出口。

 神社に続く、出口。地図上では教会と示された場所だ。前に確認した通り、岩戸は開いたままだったようだ。

 無用心。あとで閉めなくては。佐祐理からあずかった鈴を見て思う。

 ふう、と息をひとつ吐いて、舞は足を早めた。

 そして舞の足裏が岩と土の地面の境目を踏みしめようとしたとき、声がした。

「……遅かったわね」

 上から人影が降ってきた。そう認めた瞬間、舞は後ろに飛ばされていた。正面から衝撃波のようなものを食らったのだ。

 舞は空中で身体を半回転させて、どうにか足から着地した。すぐに腰の剣を抜き、前方を睨みつけた。

「あなたとは、一回サシで勝負してみたかったのよね」

 薄闇の中、赤の制服模様に青の長髪を垂らし、それぞれの色を際立たせている女子生徒――天沢郁未だった。

「そんなわけで、いくわよ」

 どんどんどんどん、と聞き覚えのある音。舞は跳躍し、しかし低い天井のせいで避け切れなかった。ふたたび後ろに吹っ飛んだ。

 背中から地に落ち、苦痛に眉をしかめながら顔を振り仰がせた。連続して襲いかかる空気の弾丸を、今度は魔物を盾にして弾いた。

 あたりの岩が砕け、飛び散る破片を剣で薙ぎ払う。

「……なにするの」

 ぱんぱん、と制服に付いた埃をぬぐう。

「なにって、あなた邪魔だからさ」

 十メートルほどの距離を置いて郁未が立っていた。ふん、と偉そうに見下ろしてくる。

「だから殺しあおうって言ってる……じゃなくて、ちょっとの間眠っててもらいたい……って、なんでそんなまだるっこしいことしなくちゃ……だって殺す必要なんてどこにも……地下室行くんでしょ、だったら……でも……正々堂々やるんだから別に……ていうか奇襲で気絶させればよかったんじゃ……主義に反するのよ……」

 郁未はぶつぶつと呟き出していた。

「……それじゃ」

 舞はさっさと先に進もうとして、しかし岩戸の手前で郁未に立ちふさがれた。

「どこ行くのよ」

 郁未がスッと右腕を上げる。それに合わせて舞は正面に魔物を召喚した。空気の弾丸をすべて防ぐ。

「……なにするの」

「さっき言ったでしょ。殺し……じゃなくて、ちょっとの間眠って……ああ、もう! ちょっとあなた黙っててっ!」

 誰に怒っているのか、よくわからない。

「とにかく、私と戦えってことよ」

 呼吸を乱しながら言った。

「……そう。いいけど」

 舞は剣を構え、腰を低く落とす。

「あら、素直じゃない。てっきり無視されるかと思ってたけど」

「……あなたは裏切り者。だから、討つ」

「それは心外ね」

 くすくすと笑った。

「……あなたは佐祐理を襲った。許さない」

「ああ、そういえば」

「……なんであんなことしたの」

「なんでだったかな。忘れちゃった」

 くすくすと、郁未の笑いは止まらない。

「……あなた、私たちの味方じゃなかったの」

「私は誰の味方でもないけど。強いて言えば、自分の味方」

「……FARGOの飼い犬のくせに」

「…………」

 郁未の目つきが変わった。とても冷たい視線。

 舞は真っ向から受け止めた。

「……私は、佐祐理を泣かすやつは許さない」

「そればっかりね、あなた」

 郁未が、今度は呆れたように肩をすくめた。

「佐祐理のためって、それじゃあなた自身はどうなのよ。私と戦いたいの? 戦いたくないの? どっちよ」

「……私は、佐祐理のために働いてる」

「あなた自身のことを聞いてるのよ」

「……そんなのは関係ない」

「楽な生き方ね、それ」

 鋭く言い切られた。

「前から思ってたんだけど、あなた見てるとイライラするのよね。自己犠牲の精神ってやつ? 誰かのためとか言って、自分の考えは他人にあずけてさ。大事な選択はすべて他人に押し付けて、責任逃れしてさ。それって簡単じゃない? 楽じゃない?」

 郁未は淡々と言葉を続ける。

「だってさ、それって後悔することがないんだもの。自分の行動が人のためなら、その行動は自分で責任を持たなくていいんだもの。その人が自分の代わりに責任を被ってくれるんだもの」

 郁未は侮蔑のこもった瞳で舞を射抜いた。

「臆病で、汚くて。自己満足な考え方よね。吐き気がするわ」

「…………」

 舞は動いた。剣先を突き出して猛進した。

 同じだけ郁未は後ろに下がって不可視の力を放った。舞は剣を横に薙いだ。魔物を使うことも忘れ、舞は剣でそれらを切り裂いた。

 そう、文字通り切り裂いていた。気体の弾丸は剣の風圧でふたつに割れた。

 しかし弾の勢いまでは無効化できず、舞のスカートの端をこそぎ落としていく。

「……信じられないことするわね、あなた」

 数歩あとずさり、郁未が両の手の平を向けてくる。

「それだけあなたの信念は固いってことかしら。でもね、私にだって譲れないものがあるのよ」

 舞は猛然と襲いかかる。郁未は不可視の力を乱射した。

「自己犠牲なんて私は認めない。過去を後悔し続けてきた私にとって、そんな身勝手な考えは認められないのよ!」

 舞は魔物を召喚し、空気の弾をことごとく弾き返す。しかし不可視の力は止まらない。とんでもない数の跳弾、流れ弾が洞窟内を飛び跳ねた。岩壁が削れ、苔をすり潰し、もうもうと土煙が上がる。

 視界が悪くなり、相手の姿が見えなくなる。天井から埃や屑がぱらぱらと降り注ぎ、舞の全身を汚していく。

 そんな中、舞はやみくもに剣を振り回した。魔物を暴れ回らせた。

 手ごたえはなかった。あるのは岩の固い感触だけだった。それでも舞はその行為を止めなかった。

 佐祐理を泣かせるやつは、許さない……!

 地響きがした。バランスが崩れる。

 舞は刀身を地に突き刺して、荒い呼吸を吐き出しながら首を巡らせた。

 土煙は晴れない、なにも見えない。なにが起こったのかわからない。

 舞は走った。郁未はどこにいる? 剣を振るう。感触はない。また走る、剣を振るう。しかしなんの感触もない。

 響いてくる地鳴りはだんだんと大きくなっていく。

「……じゃあね、佐祐理の飼い犬さん」

 声がした。その声はかなり遠くから聞こえていた。

 そこでようやく舞は気づいた――郁未はすでに洞窟の奥のほうへ向かっていたこと。

 舞は、いつのまにか洞窟の外に出ていた。

 そのとき洞窟の天井が崩れた。

 不可視の力と魔物の応酬の結果だろうか。がらがらと岩が崩れ落ち、あっという間に出入り口を遮断する。瓦礫の山でバリケードができあがった。

 舞は郁未を追うため、急いで剣を突き立てた。岩を取り除こうと、魔物に体当たりさせた。しかし岩の壁は厚く、どれだけ砕こうとも入り口は開いてくれない。

「…………」

 舞はぺたんとその場に座り込んだ。

 これは、自分のミスだ。たぶんこれが郁未の狙いだったのだ。自分と佐祐理を分断させるため、わざわざ狭い洞窟の中で戦いを持ちかけ、天井を崩れさせるという。

「佐祐理……」

 どうしよう。自分はどうすれば佐祐理の元に戻れる?

 拠点だったプレハブ小屋がなくなった今、地下室に続く唯一の道だった洞窟が閉ざされてしまったのだ。

「……私は、どうすれば」

 ポケットに手の忍ばせる。そこには、佐祐理からもらった鈴が入っている。

 ぐっと握りこむ。エレベーターに乗り込む前の、佐祐理の言葉を思い出す。

 佐祐理の願いを思い出す。

「…………」

 しばらくそうしてから、舞はふらりと腰を持ち上げた。

 そのまま神社を出た。




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