身体じゅうが痛い。関節がぎしぎし言っている。油の切れたブリキのおもちゃみたいだ。

 川名みさきは壁に手をつきながら灯台の住居施設、その廊下を進んでいた。

 手の平に塗料のざらっとした感触が伝わる。それを確かめながら前へと足を繰り出す。ずりずりと獣の槍を床に滑らせながら、どうにか前に進む。

 どうにも身体が重かった。こんなふうになったのはあの不思議な力を使う女の子に攻撃されたせいか、それとも、もしかしたらこの武器のせいなのか。

 わたし、この槍、使いすぎちゃったのかな? オーバーワークってこと? 獣の槍を時間制限まで使い切った後にいつも訪れる倦怠感の、その何倍もの感覚だ。重石を背負っているかのようだった。

 ということは、まだまだわたしは強くないんだね。だったらもっと強くならなくちゃ。たくさん倒して、たくさん奪って、もっともっと強くならなくちゃ。

 みさきは歩いていく。獣の槍をずりずりとひきずりながら歩いていく。

 一室の扉が見えた。この場所に気配を感じていた。あの子の気配、翼の生えた少女の存在がわずかだが感じられた。

 みさきはいったん立ち止まって、ノックでもしようかと思ったが止めておいた。意味もないし、腕が重くて億劫だ。

 ドアノブはなんなく回ったので、そのまま中にお邪魔した。

 翼の少女は、いた。といっても見えるわけじゃない(何度も言うようだけどわたしは盲目。なんかこの設定忘れられてない?)けれど、たしかにわたしは感じるんだ。

 キノコのおかげで感覚が巨大化しているわたしにとっては、この堅牢な灯台だって自分の箱庭のように動ける。

 それは自由だった。真っ暗な視界に怯えずとも外の世界に飛び出せる、それは自由。事故で視力を失ってから望んで止まない自由を、わたしは手に入れていた。

 だから、この部屋を訪れたのだって、私の自由な意志なんだ。

 みさきは反芻する。わたしはこのゲームで、この殺しあいというゲームで、みんなを倒して、ひとり残らず倒して、ぜったいに生き残るって。

 わたしは、そう反芻するんだ。

 でも、なぜか、反芻するたびに胸がうずく。

 じくじくとうずく胸を必死に静めながら、わたしは、そう反芻するんだ……

「……痛い……痛い……」

 その言葉はぎしぎし言う身体に対してなのか、鈍痛を伴う心に対してなのか。

 ――もう、どっちでもいい。

 こみ上げる痛みに歯を食いしばり、みさきはベッドの脇に立った。

 右手を毛布に押し当てた。いくぶん盛り上がった様子、やわらかい感触。翼の少女はたしかにベッドに眠っていた。

「あははは……」

 みさきは槍を振り上げた。穂先を真っ直ぐに、ベッドの上の丸まっている毛布へと向けた。

 しかしこのとき、みさきは違和感を覚えていた。なんだろう、いつもと違う感じがする。なにかが足りないように感じる。

 なんだろう、なにが、足りないの……。

「……えいっ」

 そんな感覚は追いやって、みさきは槍を振り下ろした。それは自分の力で行使したのか、力などかけず単に重力に添っただけなのか、とにかくみさきは槍をベッドに突き立てた。

 ずぶり、と突き破る感触。

 と、みさきはようやく気づいていた。

 あはっ、そっか、なにが足りないって、わたしの髪が――

 刹那、羽毛が散った。風でふわりと舞い上がるように、布団から、毛布から、数え切れないほどの羽根が飛び出してきた。

 あたりを白で埋め尽くすかのように羽根が舞い散っていた。

 あはっ、そうだよ。わたしの髪、伸びてないよ――

 湧き上がる羽毛の中、みさきはふたたび右手をベッドに押しやった。丸まった感触はなかった。さっきまではたしかに人が寝ている形跡があったのに、今はもう綺麗さっぱりなくなっていた。

 でも、たしかに、今でもあの翼の少女の気配はある。とても小さいけれど、たしかにその存在を感じられる。

 どういうこと? あの子はいったい、どこに消えた?

 羽毛は舞い続ける。降りてきた羽根が鼻の頭に乗っかった。頭、肩、頬をかすめ、あたり一面がまるで雪景色のようだった。

 この羽根、羽毛布団のものだよね。それにしてはなにか、違和感があった。わずかな違和感、とても小さな存在感をその羽根から感じ取れる。

「……!」

 その存在感――それはやはり羽根だった。羽毛布団の羽根に紛れ、しかし何枚かは翼の少女の羽根だったと気づいたとき、みさきはとっさに槍を引き抜こうとした。

 ずきりと身体が軋みを上げ、みさきはベッドに両手をついた。

「……捕まえました」

 後ろから衝撃が加わった。誰かが背中からお腹のあたりまで腕を回し、そのまま抱きしめるように前に倒れこんでいた。

 ぽすん、と二人の身体がベッドのスプリングで弾んだ。

「だ、誰……?」

 背後の誰かを振りほどこうとするが、身体に力が入らない。自分の体力がそこまで消耗していたことに愕然とする。

「このまま、じっとしててください……」

 その声……栞ちゃん? 美坂栞の声が、すぐ後ろから聞こえていた。

「私、病弱ですから。暴れられると困ります……」

 覆い被さるように身体を押さえつけられる中、みさきはどうにか首だけ後ろにやってその姿を確認しようとする。光のない深遠の瞳で、栞を感じ取ろうとする。

 たぶん、彼女は部屋の隅にでも隠れていたのだろう。今までその気配に気づかなかったのは、翼の少女に気をやっていたのと、身体の調子が悪かったためだろうか。

「いきなりどうしたのかな、栞ちゃん」

「…………」

 栞は答えない。槍を手に持って攻撃しようにも、穂先はベッドに突き立ったままで、引き抜くにしても体勢が悪くてうまくいかない。

「わたし、やることがあるんだよ。だからどいてくれないかな?」

「……神奈ちゃんですか?」

 自分の背中に顔をうずめているのだろう、くぐもった声が届いた。

「名前なんかどうでもいいの。わたしは翼が生えてる女の子に用があるの」

「神奈ちゃんなら、ここにはいませんよ」

「うそだよ」

「……なぜですか?」

「だってわたしのたぐい稀なる第六感が告げてるんだよ。ここに、翼の少女が寝ていたはずだって」

 現に、槍を突き刺す前に確認したのだ。たしかに誰かがベッドに寝ていたはずだ。

「それはきっと、夢でも見てたんですよ」

「うそだよ」

「きっと気のせいだったんですよ」

「栞ちゃん、うそつきだよ」

「きっと勘違いだったんですよ」

「栞ちゃん、うそつき大魔人だよ。うそつき極悪大魔人だよ」

「……そんなこと言う人嫌いです」

 栞が、みさきを抱きしめている腕にぎゅうっと力を込めた。ずきずき痛む身体が悲鳴をあげる。

「……スケッチブックです」

 込み上げる痛みに耐えていると、栞がぽつりと言った。

「私、スケッチブック持ってるんです」

「……それがなんなの」

「みさきさんは知ってるはずですよ。私、見てましたから。外の様子、この部屋の窓からずっと見てましたから。みさきさん、絵がとてもお上手なんですね。うらやましいです」

 栞は淡々と言葉を紡ぐ。

「だから私もがんばって書きました。みさきさんに負けないよう、へたくそだけど、がんばって腕を振るいました」

「じゃあ、あれは……」

 ベッドに寝ていたと思っていた、あの人物は。

「はい。あれは神奈ちゃんの格好をした、私の絵です」

 そう。

 私の武器は緑色のスケッチブックだった。『ラクガキ王国』という名前のスケッチブックだった。

 美坂栞は、みさきの背中にすがりつきながら思い返していた。

 昔から私は絵が下手だった。祐一さんからは何度もからかわれた。水彩画を描いても、抽象画って言われる。異次元とか言われたこともある。

 私がせっかく似顔絵を書いてあげても、祐一さんは複雑な顔をしていた。あまり喜んでくれなかった。

 描くのは好きなのに、描き終えたものは私の意思を反映してくれない。

 私は、へたくそな絵しか描けないから。みんなに見せられるくらい上手な絵を描けないから。だから言えずにいた。私の武器はスケッチブックだって、なんだか恥ずかしくて言えなかった。

 練習しようと思った。絵が上手くなるよう、いっぱい練習したかった。私はいっぱいいっぱい練習したかった。絵が上手になりたかった。

 だって……。

「わたし、すっかり騙されたよ。栞ちゃん、絵、上手だね」

「……そんなことないです」

 だって、私は。

 お姉ちゃんの笑顔を描きたかったから。

 上手に描きたかったから。

 もう一度お姉ちゃんの笑顔を見たかったんだから……。

「じゅうぶん上手だよ。わたしが騙されるくらいだし」

「そんなこと、ない……」

 でも、できた似顔絵は、やっぱりへたくそで。

 ぜんぜんうまくできなくて。描いても描いてもうまくできなくて。

 お姉ちゃんの笑顔がうまくできなくて。

 何度描いても、何度描いても……

「謙遜しなくてもいいよ。栞ちゃんは、絵、上手だよ」

「そんなことないっ!」

 そのうちに私の頭の中にあったお姉ちゃんの笑顔さえもあやふやになっていった。

 忘れたくないのに忘れてしまいそうになっていった。

 しだいにみじめになってきて。

 私自身もうまく笑えなくなりそうで……。

「ま、いいよ。それで栞ちゃん、いつまでこうしてるつもりかな」

「…………」

「もしかして復讐とか考えてるのかな。わたしが栞ちゃんのお姉ちゃんを殺しちゃったから、わたしを殺そうとか考えてるのかな」

「…………」

「わたしが栞ちゃんからお姉ちゃんを奪ったから、だから奪い返そうとしてるのかな」

 みさきが声を立てて笑った。

「知ってるよね。わたしは絵、上手だよ。感覚が巨大化してるからね。だからわたしは『ラクガキ王国』で作られた偽物かもしれないんだよ。今、栞ちゃんが殺そうとしている人物は、川名みさきじゃないかもしれないんだよ」

 しばらく無言が続いて、そこらじゅうに未だ飛び交う羽根たちを眺めながら、

「……そうですね」

 ようやく栞は口を開く。

 そうかもしれない。この人はみさきさんではないかもしれない。

 でも、それだったら、そのほうがいいかもしれない。

 そのほうが、もしかしたら、いいのかもしれない。

 復讐なんて失敗したほうがいいのかもしれない。

「私、神奈ちゃんから預かっているものがあるんです。お手玉なんですけど」

 みさきがびくりと震えたのが背中越しに伝わった。

「だからみさきさん、私とお手玉して遊びませんか」

 みさきが身じろぎする。栞はしっかりとその背中を抱きしめ離さない。

 はあっ、とみさきがため息をついた。

「……栞ちゃん。わたしのこと、憎いの?」

 みさきは諦めたようにベッドに体重をあずけ、気だるそうに口を開いた。

「栞ちゃんは知ってるかな。よく聞く言葉だと思うけど、好きと嫌いは同じものなんだよ。表裏一体でひとつのもの、つまり同じものなの。だからね、栞ちゃんがお姉ちゃんを好きなのと、栞ちゃんがわたしのこと憎いのは、同じことなんだよ」

「……そんなこと言う人、嫌いです」

「わたしは栞ちゃんのこと嫌いじゃないよ。でも好きでもない。嫌いでも好きでもない、その反対。好きとか嫌いとか、そういう感情の反対」

 くすりとみさきは笑って、

「わたしは栞ちゃんのこと、無関心だったよ」

「……そうですか」

「うん。わたしは栞ちゃんなんか無関心なの。どうでもいいの。復讐なんて、栞ちゃんがわたしに復讐したいなんて、そんなのはどうでもいい」

 そこでみさきは言葉を切った。場がしんとなる。

 とても静かで、空気の流れが穏やかで、時の流れもゆるやかに感じられる。

 長い長い沈黙だった。

 そして、このまま眠ってしまいそうだと栞が思ったとき。

「だから栞ちゃん、キミ、邪魔なんだよ……!」

 みさきが動いた。ベッドに埋まったままの獣の槍に手を伸ばし、柄を握り、引き抜こうと力を振り絞り、しかし栞はみさきの背中にしがみつく。

 雪のように舞い降りるたくさんの羽根の中で、身体を温めあうかのように栞はみさきの側から離れなかった。

「わたしは死ぬわけにはいかないんだよ。まだ死ぬわけにはいかないんだよっ!」

「そんなこと言う人、大っ嫌いですよ……」

 お姉ちゃんは死んじゃったのに。

 私の身代わりで死んじゃったのに。

「私、みさきさんのこと、憎いです……」

 だって私はお姉ちゃんのこと大好きだったから。

 お姉ちゃんも私のこと好きだったから、好きでいてくれたから、死んだんだよ。

 なのに、みさきさんは好きと嫌いは同じものだと言った。

 じゃあさ……みさきさん。

 栞の手にあるものを見て、みさきがひうっと息を呑んだ。

「や、やめて、お願いっ、わたしはまだやることが……!」

 栞はぎゅっと、固く瞳を閉じる。

 誰かが――好きな人のために死んじゃうなら。

 私がお姉ちゃんのおかげで助かったように、好きな人のために犠牲になって、それで人を救えるなら。

 ね……みさきさん。お姉ちゃん。祐一さん……。

 私、間違ってるのかな。

 私のこの気持ち――――

 ――それが善いか悪いかなんて、そんなのはわからないけれど。

「憎しみでだって、人を救えるかもしれないから……」

「やだっ、やめ――」

 ぽん、と。

 駄々をこねる子供に遊び道具を与えてあやすように、栞はお手玉を投げた。








 目の前が真っ白だった。

 いつもは真っ黒の視界が、すべて白に塗り替えられていた。

 次いで、そこらじゅうからものすごい圧力が加わる最中、その一瞬の時間の中で、みさきは思う。

 わたしは死にたくなかった。まだ死ぬわけにはいかなかった。

 だってわたしはまだ本当の自由を手に入れていなかった。

 奪われた本当の自由を奪い返していなかった。

 これが……わたしの想い。

 性格が反転したあとの、そして反転する前の想い。

 目が見えなくなって。視力を奪われて。

 嫌だった。

 奪われるのは嫌だった。

 奪われるだけなんて、そんな自分が嫌だった。

 そんな自分が憎かった。

 憎くて、憎くて、どうしようもなく憎くて。

 そして何も奪われないみんながうらやましかった。

 大事なものを何も奪われないみんなが、うらやましかった。

 だから。

 一度でいい。

 奪う側に回ってみたかった。

 みんなから、ちょっとずつでいいから、大事なものを奪ってやりたかった。

 ちょっとだけでいいから、みんなに、わたしの気持ちを知ってもらいたかったんだ――

 みさきは手を伸ばした。周りじゅう真っ白な中で手を伸ばした。

 その手になにかを掴もうと、必死に腕を伸ばした。

 手の平をめいっぱい広げて、つかんで、ぎゅっと固く握ろうとして。

 白だった視界が今度は赤く染まった。

 いつか見た夕焼けのように、鮮やかな朱。

 浩平君と見た、景色……

 そうして、川名みさきは消えた。








 灯台を取り囲むようにして、炎があがっていた。

 さきほど起こった爆発で中心に立つ灯塔はところどころにひびが入り、今にも崩れそうだ。

 その高くそびえる灯塔のさらに上空に、神奈は翼を広げていた。

 燃え盛る炎から吹き上がる強風に髪を煽られながら、神奈はぎり、と歯軋りする。

 余は……余はまた助けてもらった。これで何度目だろうか。いつもいつも余は助けてもらってばかりいる。

 裏葉に助けられ、柳也に助けられ。みちるは自らその身体を犠牲にして余を助け。挙句の果てに、ほとんど面識のなかった栞という娘にも助けてられてしまった。

 栞は、なにも理由を語らず自分を灯台から逃した。

 栞がどんな気持ちでそうしたのか――それがただの善意なのか、それとも別の理由があったのか。

 どちらにしろ、自分は栞の想いで、救われたのだ。

 栞だけではない。自分は、ずっと、救われてばかりいた。

 そして自分を救った者たちは、例外なく死んでいった。

「なぜじゃ……なぜ……」

 ぽろぽろと涙がこぼれる。叫び出したい気分だった。余ばかりが助かって、なぜ皆は死んでしまう? 余ばかりを残して、なぜ皆はいなくなってしまう?

 余に関わった人間はなぜ、こんなにも簡単に消えていってしまうのか。

 固く瞳を閉じ、それでも流れる涙は止まらなかった。

 こうして泣くことしかできない、ふがいない自分が許せなかった。でも、今は泣くことしか思いつかなかった。せっかく助けてもらった命だというのに、余はこんなことでしか皆に報いることができない。

 皆は、余を恨んでおろうな……。

「……泣かないでください」

 そのとき、ふわりと優しく包み込まれるような感触が広がった。

 美凪が、すがりつくようにして大きな翼に乗りながら、神奈の頭を抱きしめていた。

「また、ハンバーグ作ってあげますから……」

 美凪はなだめるように神奈の長い髪を梳く。普段なら子供扱いするなと怒鳴る神奈だが、そんな気力も今はなかった。

「……すまぬ。余はお主にも謝らねばならぬのに」

 みちるを奪った自分は、この娘からも恨まれて当然なのに。傷が完全に癒えた自分の身体を見、後悔の念が高まる。

「本当にすまぬ……」

「神奈さんの髪、とても綺麗です。長くて、細くて。あの子の髪みたい」

 こちらの言葉を遮るようにして美凪が言う。

「あの子は幸せそうに笑っていました。だから私も笑っていたいんです」

 美凪は、神奈の髪を撫でながら続ける。

「あなたも笑ってあげてください。あの子が喜びます……」

 そう言って、もう一度美凪は神奈の頭を抱き寄せた。

「……わかった」

 泣いているよりは笑っていたほうが、皆に報いることができるだろうか。神奈は、笑った。うまく笑えなかったかもしれないけれど、神奈はせいいっぱい笑おうとした。

 と、ひときわ強い風が吹き荒れた。美凪が倒れこみ、翼から落ちそうになるのを必死に身体を傾けて留める。

「……ありがとうございます」

 ホッと漏らした美凪の吐息が、首筋に感じられる。

「私、重くないですか?」

「軽いもんじゃ。余を甘く見るな」

「お米券、いりますか?」

「……なぜそうなるのじゃ」

「もらってくれないと泣いちゃいます……」

 さっき笑っていろと言った本人のセリフとは思えなかったが、神奈は笑った。

 今度こそ本当に笑えた気がした。

「ここは危険じゃな。美凪、振り落とされないよう、しっかり捕まっておれ」

 美凪が首にしがみついたのを確認してから、神奈はゆっくりと旋回した。一度だけ灯台に振り向き、いつまでも消える様子を見せない炎をその目に焼きつける。

「見納めじゃな」

「あの、お米券……」

「すこしの間であったが、皆で囲んだ食卓の場は忘れぬぞ」

「あの、お米……」

「皆で食べたはんばぁぐの味を余は忘れ……だああああ! 邪魔じゃ、見えぬではないかっ!」

 灯台の映った視界にお米券がひらひらと揺れていた。

「ハンバーグ作ってあげますから、もらってください……」

 真に迫った声だった。

「さいきん皆さんもらってくれないんです……」

「わかった、わかったから目の前に出すな! 前が見えぬっ!」

 前方不注意で、ふらふらと墜落しそうになる。目の前のお米券をひったくり、神奈はどうにか体勢を整えた。

「……ありがとうございます」

 満足げな声だった。

「まったく……」

 この緊張感に欠けた展開はなんなのだろう。せっかくのシリアスシーンが台無しだ。

 しかし、沈んでいた心がいくぶん軽くなっていたのに神奈は気づいていた。また自分は、この娘にも助けてもらったのかもしれない。

「次は、余が助ける番じゃな……」

 今度は余がこの娘を守ろう。誰かに守られるだけでなく、今度は余が誰かを守ろう。そう神奈は心に誓う。

 柳也、裏葉。お主らはどう思う? 余にも人助けができると思うか? きっと柳也は「十年早い」と笑うだろうし、裏葉は澄まし顔で「分をわきまえなさりませ」とびしゃりと言い切るだろう。

 それでも神奈は翼を広げ、灯台にはもう振り返らずに、美凪を乗せて島の上空を飛んでいく。

「まずはどこへ向かうかの……」

 高く、高く、島の全貌を見渡しながら神奈はつぶやく。島を囲む海、地平線の向こうは霧がかかっていてよくは見通せない。

 このまま霧を突き抜け海を渡れば、島を出られるのではないか。そんなことを思いながら神奈は風に身を任せる。

 しかし、余と美凪のふたりだけで島を抜け出すなど許されるのだろうか。柳也と裏葉がいない今、そんなことが本当に許されるのだろうか。

 みちるを失った美凪は、許してくれるのだろうか。

「……あの、神奈さん」

 美凪が、緊迫した声をかけてくる。

「なんじゃ? どこか行きたい場所があるのか?」

 この島を抜け出したいと、お主は思うのか?

「はい。まずは服を探しましょう。神奈さん、裸ですし」

 神奈は顔を真っ赤にして急降下した。




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