第4幕 3日目午前




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『みなさんおはようございまーす。朝になりましたー。みんな元気にやってますかあ? 寝てる人はそろそろ起きてくださーい。天気は曇りですよー。じめじめしてますよー。いつまでもぐうたらしてると身体腐っちゃいますよー。

 はい、みなさん。起きましたかあ? 起きましたねー。それではこれから、ゲームの脱落者の追加を発表しまーす。耳かっぽじってよく聞いてくださいねー。まずは、

 四番、七瀬留美さん。

 十五番、美坂香里さん。

 十六番、沢渡真琴さん。

 以上でーす。みなさん、着々と友達が死んでしまってつらいかもしれませんが、元気出さなきゃだめですよー。死んだ人はもう生き返らないんですよー。生き返らせる魔法なんてないんですよー。魔法が使えたらって思ったことないかなぁって人に聞いても頭のゆるい人って思われるだけですよー。それではみなさん、今日も一日はりきっていきましょー』 

 午前六時ジャストから、秒針が三十秒を超えていくところだった。

 この古ぼけた診療所でゲーム開始から二度目の朝を迎え、佐祐理の陽気な放送を否が応にも耳にさせられ――

 相沢祐一は信じられない気持ちでいっぱいだった。

 これまで死んでしまった生徒らは聞き覚えのない名前、言ってしまえば自分とは無関係の者ばかりだった。けれど今回は違った。名前のあがった生徒はしっかりと、意識せずとも顔が、姿が思い浮かぶ人物だった。

 クラスメートの香里と、居候の真琴。

 目の前のベッドに横たわる名雪の顔を、祐一はビニール張りの丸椅子に座りながら眺めている。曇った瞳で、ぼんやりとした頭で、ずっとずっと、どれだけの時間そうしていただろう。

 どうして死んでしまったのか。どのように死んでしまったのか。そんな事情などどうでもよかった。ただ単純に、いま自分の目の前にぶら下がった『死』という現実だけが心を蝕んでいく。信じられなかった気持ちがだんだんと現実味を帯びていく。

 祐一の視線の先は片時も動かない。名雪の寝顔を見つめながら、思う。

 いったい、名雪に、どう教えればいいんだよ。

 名雪の親友だった香里が死んだなんて、どう説明すりゃいいんだよ。家族同然だった真琴が死んでしまったなんて、いったい、どう説明すれば……。

 名雪が眠っていてよかったと、切に思う。

 名雪に説明できる自信が、ない。すくなくとも今の自分にはなかった。

「祐一さん」

 鹿沼葉子が、敷居の向こうから姿を現した。

 昨夜、葉子は自分たちと一緒に夕食をとったあと「疲れました」の一言を残して別部屋にひっこんでしまっていた。睡眠をとって、おそらくついさっき佐祐理の放送で起きたのだろう。

「まだ看病していたんですか?」

 意外そうに聞いてきた。

「当たり前だろ」

「すこしは眠ったらどうですか。でないとこれから先、辛いですよ」

 淡々と言った。佐祐理の放送に心動かされた様子もなく、淡々と。

 死んでしまった二人と葉子さんは面識なんてないだろうから、当然か……。

 そう、すこしでも思ってしまった自分に嫌悪して、香里と真琴以外にももう一人死んでしまった子がいたことに今さらながらに気づき、俺だって同じようなもんかと続けて嫌悪した。

 思考が限りなく落ち込んでいく。

「なあ……葉子さん」

 言葉が口をついて出た。

「この島から逃げ出すには、どうしたらいい?」

 もうこれ以上、死んでしまった人の名を聞くのは我慢ならなかった。

「その手立てを知っているのは佐祐理と舞だけです」

 葉子はそう断定する。

 そんなことはじゅうぶん承知だ。佐祐理さんと舞、この二人が俺たちをこの島まで拉致したのだから。

 この島――永遠の世界というやつがどんな世界なのかは知らないし、どのようにして俺たちを連れてきたのかも知らない。だけど、連れてきた方法があるのなら、逆に抜け出す方法もある。そしてそれは、まったく同じ方法である可能性が高い。

「逃げ出すためには、その方法を佐祐理と舞から聞き出さなければなりません」

「ほかにはないのか?」

「ほか、ですか」

「ああ」

「それがわかれば苦労しません。今頃とっくに逃げ出しています」

 投げやり気味に言った。

「ちゃんと考えてくれよ」

「考えたうえでの意見です。祐一さんこそ人に頼らず自分で考えてください」

 言われて考えこんだ。腕組みまでして、うーん、と何度も首をひねってみる。

「たとえば船を使ってこの島から出るとか」

「バカですかあなたは」

 あっけなく無下にされた。というか葉子さん、口悪すぎ。

「そんなことで帰れるのなら、私たちをこの場所に連れてきた意味がありません。あの二人の意図は、監禁同然の状態で私たちに殺しあいをさせることなのですから」

「やってみなきゃわからないだろ」

「誰がやるんですか? 海の藻屑となって脱落する、そんな無駄な役を」

「勝手に無駄って決めつけるな」

「先ほど外を見てきましたが、一昨日、昨日と同様、海上には霧がかかっていました。今のままでは遭難するのが目に見えています。そして、おそらくこの霧が晴れることはありません」

 それに、と葉子は続けて、

「仮に霧が晴れたとして、海に出たとして、私たちのいた世界に戻れるとも思えません」

 葉子は口を閉ざした。祐一もなにも応えられない。ときおり聞こえる、苦しげな呼吸だけが耳を打っている。かすかに開いた名雪の唇から洩れ出たもの。

 その音がやけに大きく響いていた。祐一は無言で名雪の顔を見下ろし続ける。

「名雪さんを眺めていたって症状がよくなるわけではありませんよ」

 葉子は言って、祐一の肩越しから名雪の顔を覗きこんだ。その顔色は、昨日からと同じく熱っぽい。昨夜、遅い夕食のあとにちゃんと薬は飲ませたのに。足のケガだってちゃんと消毒して治療したのに。

 なのに、病状は快方に向かっているとは言い難かった。

「いいかげん、休んでください。祐一さん、あなたは、あなたのやるべきことをやってください」

「……これが俺のやるべきことだ」

「もっと生産的なことをしてください」

「じゅうぶん生産的だろ」

 こうすることで俺の気が済むのなら。

「無駄以外のなにものでもありません」

「…………」

 あいかわらずはっきり言ってくれる。

「とにかくひっこんでいてください。ここは私に任せて」

 葉子は壁に並んだキャビネットからプラスチックケースと紙箱をひとつずつ取り出した。

「……なにするんだ?」

「私のやるべきことをやるんです」

 紙箱のふたを開け、説明書らしきものを読み出し、中から――アンプルみたいなものをひっぱり出した。

 流し台に向かい、丹念に手を洗う。祐一はもう一度、葉子に声をかけようとして、

「……ううん」

 すぐそばから声がした。名雪の寝言だろうか。

 名雪のうっすらと開いたまぶたから伸びた視線が、きょろきょろと辺りをさまよっていた。葉子の立つのほうから、こちらへと戻ってくる。

「……おはよ、祐一」

 細々とした声であいさつしてきた。

「ああ。具合はどうだ?」

「……うん。平気」

 弱々しいその笑みが、空元気であることを語っていた。

「ちょうどよかったです」

 葉子さんがこちらに寄ってきた。プラスチックケースとアンプルをその手に持って。

「なあ。なにするんだ?」

 葉子はケースから注射器を取って、

「注射です。もしかしたら、敗血症のおそれもありますから」

 その注射器に針をセットした。名雪と二人、きょとんとする。

「なんだその、敗血症って」

「血液中に病原細菌が侵入して、中毒症状をひき起こす疾病です。最悪、命を落とす場合もあります」

 ギョッとして名雪の横顔に視線を走らせた。つまり、名雪が、その病気にかかっているかもしれないと?

「な、なんでいきなりそうなってんだよ!」

 椅子を蹴り飛ばして叫んでいた。名雪が、この名雪が、死ぬ、だって?

「足の傷口から細菌が入ってしまったのかもしれません」

「で、でも、ちゃんと水で洗って包帯で縛ったぞ!」

「包帯じゃなくてニーソックスでしょう」葉子が呆れて言う。「それに、あれだけ森の中を歩き回ったんです。細菌に侵されたとしても不思議じゃありません」

 注射針を詮に突き刺し、アンプルから液体を吸い上げた。

「お、おい!」

「うるさいですね。静かにしてください」

 こちらを見ようともせず言い捨てた。

「なんであんたはそんなに冷静なんだよっ!」

「……祐一」

 名雪が静かに名を呼んだ。

「だいじょうぶだから」

 にっこりと笑った。祐一は口をぱくぱくさせた。

 くそ、これじゃ独り慌てていた俺が間抜けじゃないか。脱力して丸椅子に座りなおす。

「落ち着きましたか」

「……ああ。ごめん、取り乱して」

「やれやれですね」

 肩をすくめ、心底やれやれしている。俺が取り乱した原因は葉子さんのこの態度によるところが多々あると思う。

「名雪さん、祐一さん、聞いてください」

 葉子が、顔立ちを引き締めて祐一たち二人に視線を振った。

「抗生物質というのは劇薬です。私程度の知識と経験で使おうとするのは誉められたことではありません。ですが……」

 ひとつ息をついて。

「もし敗血症だったら、できるかぎり早く処置しなければなりません」

 無意識だろうか、名雪が祐一の手に自分の手を重ね、ぎゅっと握った。

「名雪さん」

 葉子はかがんで、名雪と目線の高さを同じにする。

「正直に言います。私には、あなたの症状がなんなのか確信が持てません。ひょっとしたらただの風邪かもしれません。ですが、敗血症の可能性も、否定できません」

「うん。葉子さんのこと信じてるから」

 その言葉に、ためらいながらも葉子はうなずいた。

「祐一さん、手伝ってください」

 急に話を振られて受け答えできなかった。

 まごまごしていると、葉子は立ち上がって冷たい視線を投げかけた。

「名雪さんの腕をまくってください」

 脱脂綿に消毒液を染みこませていた。それから不機嫌そうにぶつぶつと、

「どうせ、休んでいろと言っても聞かないんですから……」

「わかってたことだろ」

 祐一は正面から名雪の顔を見た。

「名雪。いいか?」

「……うん」

 おずおずと腕が差し出される。祐一は制服の袖をまくりあげた。

 その腕はとても細く、痛々しいほど白かった。








 島の中央にぽつんと建った、古ぼけたプレハブ小屋。

 佐祐理と舞が根城にしているその小屋は、ゲームの参加を拒む生徒たちにとっては言わば敵の本拠地である。また、ゲームに乗った生徒たちにとってはそのゲームを管理する本部、そして島からの脱出を図る生徒たちにとっては、そのプレハブ小屋こそが脱出ゲートではないかと推測するだろう場所だったりする。

 まあ、とにかく、要するに、プレハブ小屋というのは生徒たちにとっては例外なく最重要地点だった。

 その最重要地点であるプレハブ小屋は、当時、ゲームの開始地点ではあったものの、今はもう結界という名のバリケードによって完全に封鎖されている。

 そして、佐祐理たちにとっては、だからこその根城なのだ。

 結界の解除方法を知っているのは、佐祐理と舞と、そして氷上シュン、この三人。解除方法の予測がついている生徒は一応いるにはいるが、やはりそれは予測でしかない。

 安全に、確実に、具体的にプレハブ小屋に侵入できる方法は、わからない。

 外からの侵入は、限りなく難しい。そのはずだ。

 そのはずだったのだ、が。

 天野美汐は、プレハブ小屋への侵入にあっさりと成功していた。

 いや。美汐にとっては侵入しているつもりなど毛頭なかった。なぜなら美汐は、この小屋の周りに結界が張られていることなど知らなかったから。外からの侵入がとても難しいなんて、ぜんぜん知らなかったのだから。

 だって。

 だって、私、小屋から外に出ませんでしたから。

 ゲームが始まってからずっと、美汐はプレハブ小屋に居続けていたのだった。ゲームが始まって、教室から廊下に出て右、そして直進すれば小屋から出られると佐祐理は説明していたが、美汐はそれをしなかった。教室から出て左に曲がっていた。

 もしこの行動を舞に見咎められでもしていたら、おそらく自分は今こうして生きてはいまい。運がよかった。自分が今、こうしてプレハブ小屋の一室、せまい用具室のような部屋に隠れ潜んでいられるのは、運がよかったから。

 すべてはその一言に尽きる。

 運がよかったから、自分は、この場所で隠れ続けられる。

 自分には、佐祐理たちに発見される恐れはない。

 なぜなら私は、みんなと違って、発信機が付いていないから。

 本当に、運がいい。

 そう。最初、皆が座らされていたあの教室で、美汐は自分の首筋についていた小さな機器を見つけた。なぜ見つけられたかといえば、後ろの席の女の子が「首のとこに虫がついてるよ。にはは」と笑って教えてくれたからだ。

 この機器がなんなのか美汐には判断つかなかったが、とにかくそれが自分にとって都合の悪いものだということだけはわかった。今、その機器を発信機だと思っているのは、単にそうだったら自分にとって一番都合が悪いから。だからこの機器は発信機。当たらずも遠からず、おそらく外れてはいまい。

 とりあえず、後ろの席の女の子に感謝。

 その女の子が首筋の発信機を見つけることができたのも、運がよかった。前の席の人には、そんなもの付いていなかった。すくなくとも美汐には発見できなかった。たぶん、本来なら、服の襟かなにかによって巧妙に隠されていたはずだったのだろう。でなければ、こんな簡単に発見できる発信機なんか人に付けても意味がない。

 そして、それを指で摘んだだけで除去できたのも、運がよかった。この発信機、たぶん接着不良だったのだ。本来なら、それ相応の技術をもってして除去しなければ、爆発でもしていたかもしれない。でなければ、こんな簡単に除去できる発信機なんか人に付けても意味がない。

 そして、その取り除いた発信機をどうしたのかといえば、教室から出てすぐ、廊下に放り捨てていた。

 これは一種、賭けだった。

 廊下に落ちたその発信機をもし佐祐理たちが見つければ、この発信機の持ち主を探し出そうとするだろう。見つけなかったとしても、その廊下にある発信機から自分の現時位置がプレハブ小屋と知られ、そして、自分の身が危うくなるだろう。

 けれど、ほかの生徒、自分よりあとに名を呼ばれて教室から出た生徒が見つければ、さらにその人がそれ相応の知識を持っている人ならば、自分の身が危うくなることはない。拾ったものを発信機だと気づいてくれれば、小屋の外に持っていって解析してくれる。そして推測してくれるに違いない……自分にもこの発信機が付いているのではないか、と。

 自分のほかにも誰か、佐祐理たちの管下から脱してくれれば、と。そう美汐は考えたのだ。

 まあ、そうなったからといってこれから先どうなるかは、私には知る由もありませんけど……。

 とにもかくにも、自分は運がよかった。どうやら佐祐理たちは発信機を拾ってはいないらしい。用具室の外は、これまでずっと、いたって静かだったのだ。

 だったらこのまま、殺しあいに参加する必要もなく、延々とこの場所で身の安全を確保できる。

 ゲームが終わるまで、延々と、この部屋、明かりがほとんど灯らず薄暗いこの部屋の中に、閉じこもっていられる。

 時は過ぎ、次々と脱落者の名が挙げられていっても、この場所を動く必要なんてない。今のこの状況を利用して佐祐理たちを倒そうとか、プレハブ小屋を探索してみようとか、脱出路を探してみようとか。

 そんなこと、するつもりなんてなかった。

 自分から行動を起こす気なんてなかった。

 ゲームが終わるまでここでのんびり座って待っているつもりだった。

 なるようになる。状況に流され、そしてなるようになる。そう思っていた。

 この島から抜け出したくないわけじゃない。殺しあいなんてもってのほかだ。死にたくなんか、ない。

 今のこの、どうしようもない、殺しあいをせざるを得ない状況をなんとか打破したい。いちおうはその考えも持っていた。

 でも、自分が動かずとも……誰かが。誰かがなんとかしてくれる。

 ひょっとすれば、私の発信機を拾ってくれた誰かが、なんとかしてくれる。状況を打破してくれる。そのきっかけを私は与えたんだ。

 私の役割は、それでじゅうぶんだと思う。

 そう、思っていた。

 さっきまで、今だって、そう思う。

 思っているはずだった。

「…………」

 美汐は立ち上がった。

 立ち上がりたくなくて、けれど立ち上がってしまっていた。

 それは美汐にとってはひさしぶりの行動だった。すくなくともゲーム開始からまったくといっていいほど身体を動かしていなかったため、足は痺れ、少々の立ちくらみを覚え、頭の中がぼんやりしている。

「…………」

 それは無音のため息。

 いつからだっただろう? 自分が、こんなにも受動的な人間になってしまったのは。

 それはきっと、幼い頃の記憶。あの子たちが、私に働きかけたんだ。

 なんとかしようと思ってもどうにもできない、そんな無駄な努力。高熱を発し、苦しそうに呼吸して、だんだんと、だんだんと、日々弱っていくのを見ていることしかできない辛さ……そして、そんなことしかできない自分が惨めだった。

 なるようにしかならない。そんな、どうしようもない、諦め。

 諦めることしかできない自分が惨めだった。

「…………」

 ゆっくりと、用具室から出る。

 これはきっと、きっかけだ。私の発信機を拾ってくれて、そして生徒みんなに発信機が付いていることに気づいただろう人と同じように。

 特に望んでいなかったのに気づいてしまった人と同じように。

 これは、本人が望んでいなかった、きっかけ。

 よけいなお世話で与えられた、きっかけ。

 私という人間が、なんら昔と変わっていなかったという、そんな絶望にも似た痛感を与えるための、きっかけ。

 そんなきっかけを、私は得た。

「……恨みますよ」

 沢渡真琴。

 親しかったわけじゃない。それどころか声を交わしたことすらなかった。遠くから見ていることしかしなかった。

 沢渡真琴。

 なのに、その名が放送で呼ばれたとき。

 死んでしまったのだと知ったとき。

 私の中に、衝動が湧いた。

「……恨みますよ、真琴」

 けっきょくは、こうなってしまうんですね。

 私はけっきょく、無駄な足掻きをするんでしょうね。

 そして同じ轍を踏む。

「……許しませんからね、真琴」

 私に同じ轍を踏ませたことを。

 美汐は歩いていく。

 足音を鳴らさず、慎重に、慎重に、そっと、そっと。

 誰からも見つからないよう細心の注意を払いながら。どきどき鳴る心臓を押さえつけながら。不安で、たまらなく不安で、この場にうずくまって泣いてしまいたくなる気持ちを必死にこらえながら。

 薄暗い廊下、瞳を凝らし、耳を研ぎ澄ませ、壁に手をついて前進する。

 そんなスパイ映画の真似事のような、滑稽な姿をさらしながら。

 この今の自分の行動が、どれだけ意味があることなのかと自嘲しながら――――

 ――――そして。

 美汐の目の前にエレベーターの扉が現れたのは、すぐだった。








「裏葉」

「なんでございましょう、柳也さま」

「昨日、おまえが見つけた……なんと言ったか、カラクリの」

「発信機でございますか」

「ああ、それだ。あの娘らに教えなくて良かったかな」

「お教えして、そして除去したとして、佐祐理さまに疑心を与えるだけでございましょう」

「……それもそうか」

 あの娘ら――瑞佳たちまで要らぬ危険を被ることはない。そんなのは俺たちだけでじゅうぶん、か。

 柳也は背後に振り返った。濃い霧が全面を覆った海、そのほんのちょっと上に顔を覗かせた太陽。空はどんよりと曇っていて、その隙間から放たれる陽光はきわめて弱い。

 そして、そんな曇り空を突き抜けんとするかのようにそびえ立つ建物――島の北東に建つ灯台が、柳也の目の前にあった。

 その灯台は、見た目は古いが堅牢なつくりをしていて、北に面して灯塔を擁し、それを南側から包み込む形で平屋建ての住居部が敷設されていた。住居部の建物には居間、台所、洗面所、寝室までも用意されており、長い廊下によって灯塔とつながっている。灯塔は、見張り台としてうってつけの高さを持っていた。

 これは一種の城だろう、と柳也は思う。瑞佳を始めとする五人の娘らは、食にも住にも困らず、外敵から身を守れる。

 ただ。

 玄関が……灯台への出入り口の扉が壊れていなかったらの話だが。

 灯台を囲む塀の一部分が、完全に吹き抜けになっていた。おそらくこの場所には強固な扉があったのだろう。しかし今のこの状態では、誰の侵入をも許してしまう。

 ついさっき抜けてきたばかりのその出口を目にし、柳也は思う。あの娘らは、ちゃんと自分たちの力だけで、自分の身を守ることができるだろうか。

 そして思い出す。

 長森瑞佳の顔、青ざめた顔をする瑞佳の姿を思い出した。

 どこからともなく佐祐理の声が響いてきて、脱落者の名が挙げられて、明らかに瑞佳は動揺していた。おそらくその名前の中に親しい者が含まれていたのだろう。

 それでも瑞佳は気丈に振舞っていた。他の娘に心配をかけないためにそうしていた。自分らが灯台を出ると告げても、それを惜しんでくれた。

「…………」

 大丈夫だろうか。

 このままあの娘と別れてきて、大丈夫なのだろうか。

「どうしたのだ、柳也」

 いつまでもこの場を動こうとしない柳也に、神奈が声をかけてきた。

「出発せぬのか?」

「……ああ。今行く」

 答えながら、いまだ灯台のほうを眺めていた。どうにも心配だが、まさか俺たちが守ってやるわけにもいかない。こちらにも都合があるのだ。

 これから島じゅうを歩きまわるつもりだった。

 俺たちは、いまだ観鈴と往人と合流できていないのだ。

「あの娘らが恋しくなったのか?」

 気づけば、神奈が隣に並んでいた。

「それはおまえのほうだろう」

「……そんなことはない」

 灯台のほうに名残惜しそうな視線を向けていた神奈が、ふいっと顔を背けた。

「人との別れなどもう慣れておる」

 その表情が陰りを帯びた。

「寂しがりっ子のくせになに言ってる」

「そんなことはない!」

「ムキになるということは図星なのだな」

「違うと言っておろうがっ!」

「神奈さまのおっしゃるとおりです」

 非難がましく裏葉が言った。すこしからかいが過ぎたようだ。

「間違っているのは柳也さまのほうでございますよ」

「……そうだな。すまん」

 謝っておく。それでも不満げな神奈を、裏葉が後ろからふわりと包み込みように抱きしめた。

「この裏葉、神奈さまのお心はすべて理解しているつもりです」

 神奈は瞳をぱちぱちさせて、それから照れたように顔を赤くした。

 そんな神奈に、裏葉は優しく微笑する。

「神奈さまは、実は衣食住との別れが恋しいのでございます」

「…………」

 神奈は口を丸くした。

「神奈さまは、美凪さまのお作りになられたハンバーグと申す料理との別れが恋しいのでございます」

「余はそこまで意地汚くないわっ!」

「いいえ。この裏葉、神奈さまのお心はすべて理解しているつもりです」

 強引に締めくくった。

「……裏葉、やはりお主はなにがどうあっても余が嫌いなのか」

「あらそんな、滅相もございません。この裏葉、命に代えても神奈さまのためになに不自由のない衣食住を提供する次第でございますわ」

 ほほほほ、と笑っていた。やっぱりこういう展開に持っていくのか、裏葉……。

「いいかげん、行くぞ」

「そうでございますね。お遊びはまたの機会に」

 やっぱり遊んでいたのか、裏葉……。

「では参りましょうか」

 先だって歩く柳也の隣に裏葉が並んだ。それから手に持っていた地図を広げる。

「まずはどこに向かいますか?」

 柳也はしばし悩んで、

「このまま海岸線を北に進むつもりだ」

「そうでございますね。わたくしもそれが良いかと存じます」

 集落の辺りは昨日見て回った。今度は島の北側、丘や断崖を通って、それから森を迂回して教会、砂浜と順に探索してみるつもりだった。

「神奈さま」

 裏葉が、むすっとして後をついてくる神奈に顔を向けた。つられて柳也も足を止める。

「いつまでもそんなお顔をなされますな。かわいいお顔が台無しですよ」

「……誰のせいじゃ、誰の」

「柳也さまのせいでございましょう」

 なぜにそうなる。

「そうじゃな」

 ふざけるな神奈。

「おまえらな、いいかげん遊んでる暇なんて――」

 ないぞ、と言おうとして、柳也はその言葉を最後まで言い切れなかった。

 鳥肌が立った。

「ちょっといいかしら」

 柳也はバッと振り返った。自分らの進行方向、ほんのついさっきまで自分が視線をやっていた、その正面――

 人が立っていた。

 青い髪、赤い服を着た、見知らぬ娘がすぐ目の前に立っていた。

 柳也は身構えた。激しくなる動悸を抑え、神奈と裏葉を後ろに下がらせ、刀の柄に右手を添え、相手の動きを注意深く観察し……けれど頭は混乱するばかりだった。

 信じられない。いったい、いつの間に、この娘は俺の背後を取ったのだ?

「そんなに警戒しなくていいから。手間も取らせないし」

 ぶっきらぼうに青髪の彼女が言う。

「私、人を捜してるの。長森瑞佳っていうんだけど。知らない?」

「…………」

 冷汗が流れた。

「ねえ、どうなの。知ってるの? 知らないの? どっち?」

「教える義理はないな」

「へえ」

 物珍しそうな瞳で柳也の顔を射抜いた。

「なんで教えられないのかしら」

「人に教わろうとする態度じゃないからだ」

「ふーん」

 彼女の唇がいやらしく歪んだ。

「あなたけっこう強そうね。私と殺しあってみる?」

「……できれば遠慮したいな」

「だったらそういう態度取りなさいよ」

 彼女は右腕を前に突き出した。手の平を広げる。それに合わせて柳也は腰から刀を引き抜き――

 どん、と咆哮が上がった。柳也の頬に一瞬、強風がかすめたかと思うと、前髪が跳ね、ぱさりと流れ落ちる。

 柳也は目をむいた。

 ななめ後ろに立っていた神奈が宙をのけぞっていた。

「神奈さま!」

 背中から地にすべり込み倒れ伏す神奈のところに、すぐに裏葉が駆け寄った。

 だが、柳也はこの場を一歩も動けなかった。

「ねえ。もう一度聞くけど」

 すぐ目の前に立つ、蔑むような瞳をした彼女が、この場から離れることを許さなかった。

「長森瑞佳って子、知らない?」

「……知らないな」

「ほんとかしら」

「本当だ。ここで嘘を言っても俺にはなんの得もない」

「そうかしら」

「ああ。君に殺されるだけだ」

「あはは。あなた賢いわね」

 ころころと笑って、

「その賢さに免じて、今回は見逃してあげる」

 本当に楽しげに、ころころと笑って。

「でも次に会ったときは殺すから」

 そして彼女はこちらから視線を外し、そのまま上方へと持っていった。

 その視線の先は高くそびえ立つ灯台。

「それじゃね」

 跳躍した。とんでもない速度、そして高度の跳躍だった。柳也の頭を超え、倒れ伏す神奈と寄り添う裏葉の頭上を飛行し、そのまま最短距離で灯台の周りを囲む塀に着地した。

 塀を蹴って、灯塔の中程らへん壁をさらに蹴り、頂上に到達した。そのまま灯塔の中に姿を消す。

 その過程を柳也は呆然と見送っていた。夢でも見ている気分だった。

「……柳也」

 神奈が、裏葉に支えられながら自分の元に寄ってきていた。

「大丈夫か? ケガは?」

 神奈の顔をのぞき込む。髪はほつれ、衣は土まみれになってはいるが、破れた箇所はなく外傷も見当たらない。

「これしきのことでどうにかなる余ではない」

 そう答える神奈の横、裏葉の顔を見る。

「頭にたんこぶができただけですわ」

「……そうか。よかった」

 頑丈だな。さすがは翼人といったところか。

「柳也さま。これからどうなさいますか」

 裏葉は険しい表情をつくり、灯台のほうを見つめた。

「瑞佳さまを探していたようですが」

「……らしいな」

 そしてあの青髪の娘は灯台に入っていった。瑞佳ら五人が根城にする灯台へと。

 しばらく沈黙が続いた。耳が痛むほどの沈黙、重い空気が三人の身にまとわりつく。

「先を急ごう」

 そんな空気を振り払うように、柳也は歩き出した。その際、悔しそうな顔をする神奈が視界に入り、胸がちくりと痛んだ。

「先を、急ごう」

 念を押すように、同じ言葉を繰り返す。

 柳也は、もう、灯台へは振り返らなかった。




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