十分近く歩いただろうか。頭上を覆う梢を通して、うすぼんやりした光が落ちてくる。
北川を看取ったあと、相沢祐一は名雪を連れて森に入った。隠れ場所には最適だろうと考えたからだ。まだ近くに郁未が潜んでいるかもしれないのだ。ふたたびあいまみえるのだけはご免こうむりたかった。
「大丈夫か、名雪?」
名雪の歩調は限りなく遅い。それもそのはず、名雪のふくらはぎからは今もなお血が滲み出ているのだ。ニーソックス全体がすでに赤黒く染まっている。
うん、平気、と名雪が小さくあごをひいた。
「それにわたし陸上部だし」
「……いや、関係ないから」
「ちなみに部長さんもやってるよ」
「知ってる」
ちょうどいい具合の切り株を発見した。ここでいったん休憩しよう。背負っていたデイパックを置いて切り株に名雪を座らせる。それから、水の入ったペットボトルをデイパックから取り出した。
「脚の具合、見せてくれ」
「え……うん」
名雪はおそるおそるといった感じで右足を差し出した。
「消毒するから。しみるだろうけど、我慢してくれ」
名雪がうなずくのを確認して、ペットボトルのキャップを外した。ボトルをかたむけ、傷口を水で洗浄する。名雪が小さく息を漏らした。
「あとは……。名雪、ニーソックス脱いでくれ。怪我してないほう、左足のやつ」
名雪が不思議そうな顔をする。
「いいから。はやく。脱いだら俺に貸してくれ」
「……なんに使うの?」
「高値で売り飛ばす」
「わ。だ、だめだよそんなの」
「冗談に決まってるだろ。傷口を縛るんだよ」
「……うー」
よくわからないうめき声を出しながら名雪はニーソックスを脱いだ。受け取って、慎重に傷口に押し当て、包帯代わりに強く巻いた。当座の止血だけならこれで何とかなるだろう。
「水、飲むか?」
ペットボトルの中身はまだ半分ほど残っていた。
「ううん。三日分しかないし、大事に使わなきゃ」
祐一は佐祐理の言葉を思い出した。食料と飲料は三日分、と言っていた。
「飲み物くらい探せばなんとかなるだろ」
「そうかなあ。お店とかあればいいけど」
そういえば、ここって誰か住んでるのか? 佐祐理さんは孤島だと言っていたが。地図くらい確認しておいたほうがよさそうだ。
祐一はデイパックから地図を取り出そうとした……つもりだったのだが、そのデイパックが見当たらなかった。周囲を探してみても見つからない。
「あれ。どこ置いたっけ」
すぐ側に置いたと思っていたのだが。
「……祐一。あそこ」
名雪が祐一の後ろを指差した。その名雪の声には、なぜか驚きの色が混じっていた。
そこに、たしかにデイパックはあった。丈の長い雑草をかき分け、ずるずると遠ざかっていた。引きずられるように……いや、実際ひきずられていた。小汚い人形によって。
「往人さん! 置き引きなんてダメ!」
だしぬけに奥の茂みから誰かが飛び出してきた。
夜空から注ぐぼんやりした明かりに照らされ、金髪が薄闇に映える。胸元まで届くその髪は、白いリボンで後ろにまとめられ、ミッション系の制服にマッチしている。そんな女の子だった。
「ごめんなさいごめんなさい」
ぺこぺこ頭を下げながらその女の子は、ぎこちなく動く人形からデイパックを取り上げた。ますますぺこぺこ頭を下げながら、こちらに返却しに一歩を踏み出し、途端に茂った雑草に足をひっかけて顔からすべりこんだ。
「が、がお……」
女の子が涙ぐんでいると、草の上を転がるデイパックに今度はまた違った手が伸ばされた。
銀髪で長身の男が、ひょいとデイパックを担ぎ上げた。
「観鈴。ずらかるぞ」
「わあ! 逃げないで!」
きびすを返して駆け去ろうとする男に、女の子が飛びついた。
「往人さん! 泥棒、よくないよくない」
「泥棒じゃない。食料を奪おうとしただけだ」
「同じ同じ! 同じ意味!」
そんな二人の問答を、名雪はぽかんと眺めていた。その横で同じようにぽかんとしていた祐一が、しぼり出すように言う。
「……なんでもいいから、それ、はやく返してくれ」
祐一のデイパックを背負ったまま振り返った長身の男と、初めて目が合った。おそろしく目つきが悪かった。
「くっ、気づかれたか」
そう言って舌打ちした。
「ていうより往人さん、とっくに気づかれてた」
「足手まといのおまえのせいか」
「違う違う。往人さんの人形のせい」
「俺の芸は完璧だ」
「え……それはちが……ううん。そうそう、往人さんの芸、完璧。ぶいっ」
「じゃ、ずらかるぞ」
「わあ! 逃げないで!」
会話がループしていた。延々とループしそうな勢いだった。おかげで二人の名前は知れたが、あまり嬉しくない。
祐一は近くのぶっとい樹に飛び蹴りを食らわせた。どかん、と大きな音がして樹が揺れる。それで二人の視線が、ようやくこちらに向けた。いきなりどうしたんだこいつ、と瞳には書いてあったが。
「おいあんた。自分の分の食料はどうしたんだよ」
皆にはちゃんと米袋とはんごうが用意されていたはずなのだ。
「もう食べた」
早っ。
「往人さん、米のまま食べてた……」
「……マジか」
観鈴と祐一、二人して奇異の視線を往人に送り、はあっと嘆息した。
「はんごうで炊いたご飯、おいしいのに」
これまで切り株に座ったまま口をつぐんでいた名雪が、残念そうにつぶやいた。
「ちょっと固めにして、底が焦げつくくらいに炊いて、薄くて粉っぽいカレーをかけて食べるのがキャンプの醍醐味なのに」
「そうか。焦げたご飯にカレーを粉のままかけるのか。……食いてえ」
名雪の細かな説明に、往人が恍惚な顔をした。
祐一は重い足取りで往人のところまで寄っていった。
「とりあえず、返してもらうからな」
手を伸ばして強引にデイパックをつかむ。
「わかった」
往人はうなずいた。意外にあっさりと肯定してくれたな、と思ったが、言葉とは裏腹に往人は手を離そうとしなかった。逆にふたたび奪われる。
「……おい。なんの真似だ」
「返す前に、払うものがあるだろ」
「……はあ?」
「おまえ、芸、見ただろ」
往人はあごをしゃくって足元を示した。そこには、死体のように横たわる古ぼけた人形。いきなりすっくと立ち上がり、とてとてと往人と祐一の周りを歩きはじめた。
どういう仕掛けた? ラジコンか何かか? とすれば、これが往人の武器なのだろうか。
「どうだ。すごいだろう。面白いだろう。だったら、お兄さんに払うものがあるだろ」
祐一は言葉を失った。ふざけるな、いいかげんキレるぞ。いくら温厚な俺でも。
「ごめんなさいごめんなさい! お詫びにこれ、あげますから」
祐一の剣呑な雰囲気を察したのか、観鈴がなにか手渡してきた。
「なんだそれ」
「Tシャツです。わたしのカプセルに入ってた」
びろんと胸の前で広げて見せた。白地の中央にGAOGAOの文字、ぬいぐるみのような恐竜の絵がでかでかとプリントされたかわいらしいTシャツだった。
「ステゴザウルスのTシャツ。略してステゴT。ぜったい似合いますから」
うきうきした声で観鈴がTシャツを押しつけてきた。
祐一は想像してみた。ステゴT姿の自分を。
「……いらない」
「そんな遠慮しなくても」
「俺より名雪のほうが似合うだろ」
目線で後ろの名雪を示す。
「かわいいけど、サイズ合わなそう」
名雪が名残惜しそうに断った。たしかにこのTシャツは見た目とは相反して男用の大きさをしていた。祐一の身体でも余りそうだ。
「が、がお……。往人さんは喜んで着てくれたのに」
観鈴が涙ぐみながら自分の手にあるステゴTを愛しそうに眺めた。
祐一は想像してみた。ステゴT姿の往人を。
「気色悪っ」
「……祐一。失礼だよ」
言いつつ名雪の顔は苦笑気味だった。
「俺たちはいいから、そっちのとっぽい兄ちゃんにあげてくれ」
「……わかりました。はい、往人さん」
しぶしぶとステゴTを往人に手渡した。往人は無言でステゴTを叩き落した。
「が、がお……。さっきは喜んで着てくれたのに」
「喜んでない。あれは、おまえの武器がどろり濃厚ジュースじゃなくてよかったよかった、と感謝の気持ちを込めて着ただけだ。それより」
往人が長身をかさに着て祐一を見下ろす。
「さっさと払うもの払ってもらおうか」
「……その前にひとつ、聞いていいか」
こみ上がる憤りをどうにか押さえ、なるべく穏やかな口調をつくる。
「金なんか奪って、あんた、なにしたいんだ」
「路銀を稼いでこの島から出る」
「…………」
祐一は悟った。これまでこの二人と接していて妙に苛立っていたのは、なにも往人の無礼な態度だけが原因ではなかったのだ。
こいつらは、のん気だ。今のこの状況でもおかまいなしに、お気楽やっている。これじゃあ俺たちがバカみたいだ。
「あんたらさ、小屋の出口のところで男が一人倒れてたの見たか?」
言うと、観鈴はゆるゆると首を振って、
「往人さん知ってる?」
「知らん」
往人も首を横に振った。なら、この二人は自分らよりもあとに教室を出たのだろう。だから倒れ伏した北川を見なかったのだ。
「じゃあ教えてやる。この島では、もうゲームが始まっている。自分から望んで殺しあいをしているやつがいるんだよ」
「……ほんと?」
「ああ」
観鈴が顔を強張らせた。だが、往人のほうは仏頂面を変えなかった。
「で、誰なんだそいつは」
面倒くさげに訊いてきた。
「転校生だ。天沢郁未ってほうの」
「あっそ」
往人がぞんざいに返事した。俺には関係ない、と言わんばかりだ。苛立ちが増す。もしかしたらとは思っていたが、こいつと自分は相性が悪い。いま確信した。
「あんた、俺の言葉ちゃんと理解してるのか」
「そっちこそ、そうやって煽ろうとしてるんじゃないのか」
間髪いれず往人が返した。ふん、と鼻を鳴らす。
祐一は、言い返せなかった。
そして納得した。
こういうことか。あのとき、郁未が自分の前から去っていく際に残した台詞の意味を今になってようやく理解する。
この男は俺の言葉を信じちゃいない。お互い、今日会ったばかりのまったくの他人同士。ならば信用できないのも無理はない。疑心暗鬼になるのも仕方ない。
ゲームは、ひとりでに進んでいく。
止めるのは、無理なのか? 止めようとすることは、無駄なことなのか?
「あの……。わたしは、信じます」
ぽつりと、遠慮深げに観鈴が言った。
「だって、その。名雪さん、ですよね? お母さんが、その……」
ちらちらと、機嫌をうかがうように名雪の顔を見ていた。それから祐一のほうに顔を戻し、にはは、と照れ笑いした。
「危険だっていうのは、わかってるから。往人さんだって、同じ。でも往人さん、あまのじゃくだから」
もう一度名雪に視線をやり、観鈴がすまなそうな顔をする。
祐一は意外に思っていた。
てっきり、気づいていないものだと考えていたから。教室で母親を殺された少女が、今目の前にいる名雪であると、この子は気づいていないものだとばかり。この子はそんな素振りを微塵も出していなくて、普通の、ありふれた日常の中にいるような、そんな会話をしていたから。
「ね。往人さん」
「勝手に人を分析するな」
「わたしはわかってるから」
「勝手に自己完結するな。それより路銀を――」
その往人の声は、最後まで聞こえなかった。
突如、ぶろろろろろろろと近所迷惑そうな騒音があたりに木霊した。森の中ではあまり似つかわしくない、車の排気音。それは徐々にこちらに近づいてきて……
横手の茂みから、ごついバイクがウイリーしながら飛び出した。
そのままとんでもない速度で直進し、ちょうど進路上に立っていた往人を突き飛ばし、ついでに古ぼけた人形を弾き飛ばした。夜空のかなたまでかっ飛んでいく。
慣れた手つきでバイクを急停止させ、桃色の髪を流すように背中に広げさせながらフルフェイスのヘルメットを脱いだそのセクシーな女性は、一言。
「なんか轢いたみたいやったけど……気のせいやな」
それだけ言って再度バイクを発進させ、獣道を走り去っていった。
「……待てコラ!」
地べたに這いつくばっていた往人は跳ねるように起き上がってバイクを追いかけていった。祐一のデイパックを残して。
「……うーむ」
これもまた、日常の一場面、というやつだろうか。
「わあ。往人さん、待ってー」
あわてて観鈴が追いすがる。つまずいて転びそうになって「が、がお……」と泣き言を並べながら森の奥へと消えていく。
これもまた、日常の一場面だろうか。名雪に気を使って、名雪を元気付けるために、無理に明るく振舞おうとしている結果だろうか。そうなるための、演技だろうか。
「…………」
たぶん、だけど。
島の北端。
吸い込まれそうなほどに深く、濃く、そして広い霧を足下にさらしながら、霧島聖は切り立った崖に腰を落としていた。
海は、見えない。
「興味深いところだな、ここは……」
言いながら、しかし聖の視線はなにもない中空に向けられていた。
もうほとんどの生徒が教室をあとにした頃、ようやく聖は名前を呼ばれた。妹の佳乃の直後に。運がよかった。おかげで、自分と同じ格好で隣に座る妹の佳乃と合流できたのだから。
とはいっても、たとえ自分と佳乃の出席番号が離れていたとしても、合流は果たしただろう。島じゅうを走り回っても佳乃を見つけ出す。隠れていたとしても見つけ出す。その自信が聖にはあった。
風が聖の長髪をなびかせる。少しべたつく微風。潮風? けれど海は見えない。霧の向こうには広がっている? それとも、霧ではない? 雲? この島はそこまで標高が高いのか?
いや。そもそも崖下に海が広がっていると決めつけるほうがおかしい。この場所が、孤島であると信じるほうがおかしい。それは一方的に聞かされた佐祐理の言葉と、与えられた地図がもたらした、先入観でしかない。
信じるべきは、自分の目と、感覚と、そして――
「お姉ちゃん。あのね」
思考が中断する。聖と合流してから一言も口を開いていなかった佳乃が、静かに切り出した。
「あたし、ずっと考えてたんだ」
あまり考えているふうには見えないぽけっとした顔で、佳乃は聖のほうを見た。
「えっとね。あたしの武器、あれ、あんまり武器っぽくないなあって」
デイパックから突き出て入っている竹を指さして、言う。流しソーメンセットだった。あんまりどころか完全に武器ではない。
「あんなものは捨ててしまおう」
「あ、だめだめ! あとで使うんだから」
「わかった。大事に取っておこう」
「うん! お姉ちゃんを流しソーメン振興委員会代表取締役兼社長一号に任命するよぉ」
社長には二号など存在しないはずだが、聖は佳乃を抱きしめた。ほお擦りする。
その顔を、悲痛に歪ませながら。
あとで使う、か。私たちに『あと』などあるのだろうか。私たちは、また以前のような平穏な生活に戻ることができるのだろうか。
わからない。では、ここで、佐祐理が永遠の世界と称したこの場所で、以前に似た生活を送ることはできるのか。
できはしない。
この場所には、二人だけ。佳乃が胸に抱いていたポテトは、いつの間にかいなくなっていた。だから二人だけ。でも、この島全体では、違う。
ゲームは確実に進行する。そう仕組まれている。
佳乃に殺しあいなどさせられない。佳乃の手を、血で赤く染めさせるなどできはしない。そんなことは許されない。ほお擦りしながら、聖は思考を続ける。
佳乃には、いつでも普通でいて欲しい。平凡で平穏な生活を送って欲しい。人並みの幸せをつかんで欲しい。それがたとえ、自分のエゴだとしても。よけいなお世話だとしても。
「ねえ、お姉ちゃん。ごめんね」
「……なにがだ?」
そっと佳乃の身体を離した。佳乃は、しばらくぼんやりと聖の瞳を見て、
「あたし、お姉ちゃんに苦労かけてばっかりで。わがままばっかり言って。お姉ちゃんはいつも、あたしの言うこと聞いてくれて」
慎重に言葉を選ぶように、たどたどしく話した。
「だからね、もう、あたしは、いいの。お姉ちゃんにはね、せめて、今日は……」
その先を聞く必要などなかった。聖はもう一度、佳乃の背中に腕を回した。
せめて、今日は――。佳乃の言いたかったこと。あたしの代わりに生き残って。あたしはいいから、愛するお姉ちゃんの足手まといにはなりたくないから。
一部よけいな装飾は入っているが、佳乃は聖にそう言いたかった。少なくとも聖にはそう聞こえた。それが単なる思い込みかもしれないなんて、そんな無粋な疑心は聖の胸にはひとかけらも浮かびはしなかった。
「安心しろ、佳乃。苦労なんて、私は一度足りとも感じたことはなかった」
佳乃にはよけいな苦労をかけたくなかった。両親の不在に、よけいな負い目を感じて欲しくない。だから私は両親の代わりとなったのだから。
佳乃に、幸せになって欲しいから。
――それができないのならば。
「私のメスさばきを皆にお見せできないのは残念だがな……」
「え。なに? お姉ちゃん」
「なんでもないさ」
デイパックに入っていた手術用器具一式を、聖は足下に広がる濃い霧へと放った。
ふふ……。そして、かすかに笑う。
両親の代わり、か。今さら言い訳を並べる必要などないか。
私は、佳乃と一緒に居たいから、佳乃と一緒に居たのだ。
ぶっちゃけて言えば、私は佳乃を一人の女性として愛しているから、佳乃と一緒に居たかったのだ。
どこか知れない世界でも。たとえそれが、死後の世界だとしても。
私は、殉じよう。
佳乃と一緒ならば、心中など逆に本望っ!
それが世間一般では無理心中という、心中させられるほうにとっては迷惑極まりない代物であるということは、今の聖にはどうでもよかった。
と、そのとき背後から音が聞こえた。
藪をかき分ける音、そして人の気配がする。もう迷っている暇などない(最初から迷ってなどいないが)。聖は、一歩を踏み出した。足のつかない地面へと。
しっかりとその手に、佳乃の小さな手を握りながら。
黄色のバンダナが風に揺れた。
長森瑞佳はあっけに取られた。
二つの人影が崖から落ちる光景を、藪の中から半分だけ顔を突き出しながら、瑞佳は信じられないものを見る目で見守っていた。
遠目で人影を認めて、声をかけようとして、近づいて。
もしかして、わたしのせい? 瑞佳は否定するようにかぶりを振る。
わたしが音を立てたから、だからあの人たちは驚いて、それで誤って崖から落ちてしまったの? 瑞佳はがくがくと震える自分の肩を抱きしめる。
みんなを集めて、話しあおうと思っていただけなのに。これからどうすればいいのか、なにかいい考えはないか、みんなで話しあおうと思っていただけなのに。
なのに、なんで。どうして――――
「みゅー?」
椎名繭が、背後から瑞佳の制服の袖をひっぱって、心配げに瑞佳の瞳を覗きこんだ。
「ううん。なんでもない。なんでもないの……」
ぽつぽつと水滴が頬に当たった。雨の匂いが鼻の奥を突く。小雨が降りはじめていた。
瑞佳はこのときなぜだか、卒業式みたいだな、と感じた。中学校の、卒業式。あとほんの一カ月先だったはずの、高校の、センパイ方の卒業式。
本当に、わけもなく、ただ、そんな気が、して。
繭がしきりに袖をひっぱるが、瑞佳はこの場を動けなかった。
もはや誰の姿も存在しない断崖を見つめ、しばらく瑞佳は震えていた。
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