序幕 秒読み開始
□地図
「はいはいみなさん、起きてくださーい」
聞きなれた女の子の声が耳に触れる。相沢祐一はゆっくりとあごを持ち上げた。
「あ。祐一さん起きましたね。一番ですよー」
逆に眠気を誘うようなとろんとした声にうながされ、痛む頭を振ってあたりを見回した。
どこだ……ここは? 教室、か? 正面に色あせた黒板、その横に掲示板が見える。そして自分が席に着いているのに気づく。机には『クラナドはいつ発売されるのでしょうか(注:執筆時)』と書かれた落書きがある。
そんな、ありふれた学校の教室。
なんでだよ。今日は休日だっていうのに、なんでわざわざ俺は登校してるんだよ。
だが、そんな考えはあっけなく消し飛んだ。よく見れば、ここは覚えのない教室だった。赤錆びた鉄板で覆われた窓がそのことを強調している。弱々しい蛍光灯の光を鈍く反射するその鉄板に、まるで牢獄のようだと寒気を覚えた。
誘拐でもされたんだろうか、俺? だとしたら秋子さんに迷惑かけてしまうな。あの人ならどんな要求でも了承しそうだし。例えば、
「おたくの居候をあずかった。返して欲しくば一千万用意しろ」
「あらあら。断ったらどうなるのかしら」
「そのときは命の保障はない。居候を殺す」
「了承」
一瞬浮かんだ不吉な思考に、祐一は身震いした。
徐々にあたりが騒がしくなる。ここ、どこ? ねえ、あんたも寝てたの? 今何時かな? 頭痛いよう、バスに乗ってたはずなのになんで? ううん、あたし何も覚えてない、あれ倉田さんじゃない? あ、茜ひさしぶり! おはこんばんちは、そこにいるの澪ちゃん? 余はなぜこのようなうす汚い場所におるのじゃ? 浩平起きてよー、ぴっこり、あぅーおなか減った……などと喧騒が増幅していく。その中には聞き覚えのある声も混じっていた。ついでに人間外の声も混じっていたような気もしたが、まあいい。
祐一はもう一度、検分するようにあたりに目をやった。
自分の席は教室のちょうど真ん中。そして正面の奥、教壇には倉田佐祐理が立っている。みなさんうるさいですよーいいかげんにしないとキレますよー、と席に着いた皆をなだめていた。どうやら自分が目を覚ましたのもこの声のためらしい。
教壇のまん前の席には、頭にネコを乗せたツインテールの子。沢渡真琴だ。人見知りしているのだろう、十二単をまとった女性二人にはさまれ、所在なさげにしている。
その真後ろには、巨大な三つ編み(しかも金髪)を前後に垂らした女の子。どこの学校の生徒だろう、見たことのない制服を着ている。その右隣には、同じく見たことのない制服、しかし三つ編みの子ともまた違った制服を着た女の子。しきりに隣の三つ編みの子に話しかけていた。
ほかにも三つ編みの子と同じ制服を着た女生徒が何人かいる。そして、祐一の通う高校指定の制服、ケープ付き制服の子もちらほらと見て取れた。
それにしても女ばかりだった。いちおう捜してみたが、北川はいなかった。
「祐一さん祐一さん」
ちょいちょい、と後ろから肩を突付かれる。真後ろの席に美坂栞が座っていた。
「お久しぶりです、祐一さん」
「そうだな。雪の積もった公園で寝てしまって気づいたら栞がいなくて泣き崩れた以来か」
「はい。病死の前に凍死しそうだったので先に帰ってしまいました」
「……だったら俺も起こしてくれ」
俺は凍死してもいいのか。
「ふふ。冗談ですよ」
「いや、さっきのおまえの目は本気だった」
「……そんなこと言う人嫌いです」
栞の隣の席には、姉の香里もいた。そっぽを向いて、しかしこちらの会話に聞き耳を立てているようだ。まだ栞と仲直りしていないらしい。せっかく一緒に百花屋でジャンボミックスパフェデラックス食べたのに。
「にしても、病気はもういいのか?」
「よくありませんよ。入院してたはずなのに、気づいたらここにいたんですから」
どうやら栞のほうも自分と同じ状況らしい。なぜ、ここにいるのかわからない。おそらくこの教室にいる生徒(ほか動物少々)も同様なのだろう。それならば一向におさまりそうもない今のこの騒ぎにも説明がつく。
「はやく病院に戻りたいです……。できれば家のほうがいいですけど」
栞の頬がほんのり赤く染まっている。熱があるんだろうか。
「平気か、栞?」
「すこしの間なら。ドーピングしてますから」
ストールを広げ、裏地いっぱいに貼りつけた薬袋を見せつける栞から目をそらすように、祐一は正面に向きなおった。
喧騒を縫うようにして、ななめ前の席から寝息が聞こえてきた。顔を机の上に突っ伏し、腰あたりまで伸ばしている青髪は、今は床に垂れている。いとこの水瀬名雪だった。これだけ騒がしいのにゆうゆうと寝ているとはさすがだ。
「あと起きてないのは名雪さんだけですね」
教壇から佐祐理が声をかけてきた。が、依然鳴りやまない喧騒にその声もほとんど聞き取れない。祐一さーん、名雪さんを起こしてくださーい、なんだって佐祐理さん聞こえない、だーかーらー、などとやりとりしていると。
「舞。お願い」
佐祐理が教室の出入り口の扉に向かって手招きした。その瞬間、がごんと扉が真っ二つに割れた。その轟音に皆が注目する。
川澄舞が静かな足取りで教室に入ってきた。憮然とした表情で佐祐理の隣に立ち、腰に下げた両刃の剣の柄に右手を添え、そして一閃。
黒板がぱっくりと割れた。
「……私は器物破損の常習犯だから」
そんなことをつぶやきつつ、舞が剣を納めた。と思ったら、
「魔物……。まだ残っていたの」
正面の真琴をにらみつけた。あぅーっ、と縮みあがる真琴。あらあらまあまあ、と隣の十二単の女性がのんびりと驚きの声をあげた。
「舞。楽しみはあとに取っておかなきゃ」
佐祐理が剣に手をやる舞を制し、
「はい。やっとみなさん静かになりましたね」
胸の前で両手を合わせ、にっこり笑った。
「では名雪さんをお願いします、祐一さん」
「それより、なにがどうなってんのか説明してくれよ!」
この異常な状況でひとり落ち着いている佐祐理(あと舞も)に向かって叫んだ。
「あははーっ。佐祐理はちょっと頭の悪い普通の女の子ですから」
「嫌味な謙遜はいいから教えてくれよ佐祐理さん」
「はえー。刀のさびになりたいんですかあ?」
「名雪ー起きろー」
祐一はすばやく名雪の肩をゆすった。
が、予想通りに起きない。しょーがないので名雪の鼻にジャムパン(机の中にあった)を近づける。イチゴジャムおいしい……などと言いながら名雪が頭を持ち上げた。
「……うにゅ。祐一?」
「ああ。祐一だ」
「あれ……ケロピーは?」
「ケロピーは食事中だ」
「あれ……わたし制服着てるよ」
「さっき着替えてたじゃないか」
「まだ朝ごはん食べてないのに……」
「さっき食べたじゃないか」
「……そういえば食べたような」
名雪は納得いかない顔でしぶしぶ正面に向きなおった。
「ではみなさんそろったところで、説明を開始しますね」
佐祐理が弾んだ口調で言った。ようやく事の顛末が知れるのか。祐一は耳をそばだてた。
「みなさんは、今、束の間の奇跡の中にいるのですよ」
佐祐理のすっとんきょうな言葉に、祐一はぽかんとした。
「私の決め台詞、取られました……」
物腰の上品な声が届いた。祐一の席から、ほかの席を二つはさんで左ななめ後ろ、天野美汐が悲しげにこうべを垂れていた。
「起きないから奇跡って言うんですよ」
対抗するように栞がささやいた。
「な、なによそれ! ふざけるのもたいがいにしなさいよ!」
突然の大声。祐一の左ななめ前、教壇近くの席に座った青髪のツインテールの子がいきり立っていた。
「ええと……あなたは七瀬留美さんですね。説明は最後までちゃんと聞いてください」
名簿らしきものに視線を落とし、佐祐理が注意した。
「もういいかげんにして! さっさとあたしたちを家に帰しなさいよっ!」
肩をいからせ、七瀬が声を荒げる。ふたたび教室に喧騒が満ちた。
舞が、ちゃり、と両刃の剣を構えた。
「なによ……あたしだって昔は剣道やってたんだからね!」
どこから取り出したのか、七瀬は負けじと竹刀を構え、ふりかぶった。
「やっぱり猫かぶってたのか、おまえ」
七瀬の左隣の席、ぼそりとつぶやいた男の声で、うっとうめいて七瀬は着席した。ホホホホホ、と笑い声をあげた。
「はい。説明を再開しますね」
佐祐理がぽんと両手を叩いた。それが合図となって、喧騒も尻すぼみに消えていく。
「この場所は、みなさんが知っている場所ではありません。簡単に言えば、孤島です。だから逃げることは不可能です」
うそ……と、誰かが息を呑んだ。
「それと奇跡と、どういう関係があるのかなぁ?」
ちゃんと説明を聞いていたのか疑問なほどの能天気な声で質問する、窓際の席の女の子。手首には黄色のバンダナ、そして十字架をあつらえた制服を着ている。ミッション系の学校の生徒だろうか。
「はい佳乃さん、いい質問ですね」
佐祐理はもったいぶったように一度こほんと咳をして、
「それはですね、ここが現実の世界ではないからです。言うなれば、ここは、永遠の世界です。皆さんは次元を超えてこの世界を訪れた、たとえるなら皆さんは無賃で宇宙旅行ができた、それが奇跡です」
やすっぽい奇跡ね……と香里がささやいた。
佐祐理が席に着いている一同をぐるっと見渡して、
「今日、これから、この場所で、みなさんには殺しあいをしてもらいまーす」
陽気な声で宣言した。
【残り27人】