断章 トワイライト・サムライ
第3話
「柳也さんは、夢って見ます?」
「わからないな。見ているのだろうが、覚えていない」
「それじゃあ、夜に見る夢じゃない夢は?」
川名みさきは、光の灯らない深遠な瞳を柳也に向けた。
「……それは、将来の夢か?」
「うん。自分がこうなりたい、こんなことをしたいっていう願い」
柳也は考える。
夏の甲子園に優勝したことで観鈴の呪いが解け、神奈は、そして裏葉は自分のそばにいてくれる。
これ以上、望むことはないと思えた。
「ないな」
みさきはきょとんとする。
「ないって……なにもないんですか?」
「ああ。強いて言えば、この平穏が続くことか」
『みおの夢は野球で世界征服なの!』
上月澪が誇らしげにスケッチブックを掲げていた。
「……そ、そうか。それは壮大な野望だな」
この娘らは尾根高校の野球部員なのだと聞いている。だとすれば、夏の甲子園に出場することもまたひとつの夢になっているのだろう。
じゃあ、自分は? 柳也はもう一度考える。俺が去年の夏の甲子園を制したのは、この娘らのように純粋に野球が好きだったからではない。
すべては神奈のため、裏葉のため。
自分の平穏を取り戻すためだった。
だからこそ、今年の春の甲子園は一回戦敗退を喫した。それも不戦敗でだ。
そのことにべつだん柳也は負い目を感じていない。野球を冒涜しているとか、そんな気持ちは微塵もない。
自分の役目は果たした、目的は果たしたのだ。これ以上、絵亜高校野球部に尽力する理由はない。
そう思っていた。
だが、現実はどうだ。今、自分はまさに野球のためにスタジアムへと向かっている。
絵亜高校野球部の存続のために。
「…………」
急に柳也は力が抜けた。帰りたくなった。また山にこもって武者修行をし、今度こそ飛天御剣流を会得したくなった。
野球なんかやるよりは、神奈と裏葉を守る力が欲しい。
もしかしたらこれから先やってくるかもしれない、自分らの平穏を壊す外敵を蹴散らすための力を、柳也は手に入れたかった。
「……? 柳也さん?」
気がつくとみさきに至近距離で顔をのぞかれていて、柳也はあわてて後ろに下がった。
「……じゃあ、キミは?」
「え?」
「キミの夢はなんだ? やはり甲子園か?」
取り繕うように、そう聞いていた。
みさきはくりくりと首を左右にかたむけて思案する。
「わたしの夢は――――」
ふと、みさきの横顔に陰りが見えた。
「夢は、甲子園に行くことだよ」
「……そうか」
「自分の足で、甲子園に行くことだよ」
「…………」
「わたし、外に出てみたいんだよ」
みさきは深遠な瞳を遠くに向けて言った。
「わたし、視力を失ってからはこの街からずっと外に出られなかった。自分のよく知っている場所しか行けなかったんだよ」
「…………」
「怖くて。外の世界が怖くて」
「……そうか」
「うん。だから私は、甲子園ってところに行ってみたい。選手としては無理だけど、ベンチで尾根高校のみんなを応援してみたい」
柳也は相槌を打つ。
相槌しか打てない。
「ちゃんと、自分の足で。勇気を持って。そのときわたしの手を引いてくれる人がそばにいるのか、それはわからないけど……」
だけど、とみさきは続けて。
「この夢は、きっと、みんなが甲子園を目指してがんばっているのと同じ夢なんじゃないかって、そう思う」
「……そうか」
「うん」
「叶うといいな」
「うんっ」
そのとき、澪がちょいちょいと柳也の袖をひっぱった。
スケッチブックを見せつける。文字がたくさん書いてある。
みさきが話しているときに書き溜めた澪の言葉だった。
『絵亜高校、春の甲子園は、残念だったの』
柳也は目を剥いた。
『だから、去年の甲子園を沸かせたトワイライト・サムライのサインは、今年、尾根高校と決勝で戦うときにいただくの』
知っていたのか。この娘らは。
最初から?
だからね、とみさきが言ったときのその笑顔は、柳也がハッとするほど美しかった。
「わたしの夢が叶うのは、きっと、柳也さんが甲子園を目指して優勝したのと同じくらい尊いんじゃないかって……」
そのとき、みさきの確かな眼差しの先。
「わたしは、そう思うんだよ」
絵亜高校と華音高校が戦うスタジアムが、かすかに見えていた。