10章  試合を超えた先にあるもの




  第55話




 ―――カキン。

「ファール!」

 詩子の渾身のジャイロボールを、美凪はどうにか食らいついてファールチップを打った。

「うわっ、さっすが甲子園優勝校の五番打者だね☆ 二球目でバットに当てちゃうなんて」

 往人にデッドボールを食らわし、たった一発で仕留めてしまった詩子だったが、この五番打者はそうはいかないようだった。

 遠野美凪。甲子園ではたった一打席の出場、決勝戦での代打のみ。

 そしてそのただ一度の代打は、絵亜高校を優勝に導く逆転サヨナラ満塁ホームランだった。それも、転校前に祐一が所属していたチームから打っている。

 茜は思い出していた。実際に対戦した祐一と、イリーガルな手法で得た天野の情報によれば、彼女の打ったボールはほとんどがフライになるらしい。ふらふらとあたかもシャボン玉のように打球は青空を漂う。そういえば、甲子園の決勝でアナウンサーが、美凪のことを絵亜高校の誇るシャボン玉職人とか言っていた。

 ホームラン狙いのパワーヒッターだということだ。

 だが、ただのパワーヒッターとは違う点。それは、美凪は決して三振をしないということだ。三振かホームランかのパワーヒッターである真琴とは、似て非なるバッティングスタイル。やみくもに振り回さずともスタンドまで運べるパワーを、美凪は持っている? 茜の目からは、自分と同程度の腕力しか持っていないように見える。

 ―――カキン。

「ファール!」

 三球目のファールは、三塁側ベンチを越えて土手のほうにふらふらと上がっていった。

 詩子のボールに振り遅れている。あのとき、夜のグラウンド。南の怪物・往人と双璧をなす超高校級スラッガーの祐一でさえ、詩子のボールには最後まで振り遅れていたのだ。

 美凪は無表情でバットを構えなおす。詩子は楽しそうだ。舞との対戦を彷彿とさせる。……あんまり調子に乗りすぎないでくださいね。また今度デッドボールなんかしたらバットで刺すくらいじゃ済みませんからね。押し出しで1点取られますし。

 茜はサインを送る。ど真ん中に放り込め。ジャイロボールのストライク一本勝負の詩子にいたっては、本来ならサインなんていらないのだけど、これはいわゆる詩子を鼓舞する意味合いなのだ。

「わかってるよ、茜。だってあたしたちは勝ちたいんだから」

 夏の甲子園でもしかすれば当たるかもしれない絵亜高校。これはその決戦の、いわば前哨戦。

 それになにより自分たちは華音高校に勝って欲しい。

 負けたら廃部なんて、あってはならないことなのだ。

「だってあたしたちは、華音高校とも戦いたいんだから―――っ!!」

 ど真ん中めがけた詩子の弾丸回転のボールは、ほどよいコントロールの乱れできわどいコースを突く。

 三球三振。最初から最後まで、茜と詩子の狙いはただそのひとつ。

 変化球は不要、小細工など必要ない。

 ジャイロボールで三球三振。

 たとえ相手がどんな強豪だとしても。

 いわば三球三振とは、詩子のピッチングスタイルそのものといっても過言じゃない―――!

「―――フフ」

 美凪は笑った。詩子の弾丸を受け取るその一瞬で茜は見た。

 そして感じた。

 風を、感じた。

 美凪の目があたかも往人がハイエナのごとくエサを見つけたときに見せるきゅぴーんという光を放っていた。

「……たしかに私の打席は、三振かホームランかではありません」

 茜はこくっと息を呑む。

 美凪はやみくもに振り回さずともスタンドまで運べるパワーを持っている? いや違う。

 じゃあなんだ、スタンドまで運べるバットコントロールを持っている?

 点数にして50点。

「そもそも私は、フライしか狙っていませんから」

 微風が、美凪の青リボンを揺らした。

 温度の高低などまるで感じられない、とても小さな風。

「あなたたちと同じように、私が狙っているのもただひとつなんです」

 風のわずかな通り道が、今の美凪の目には、幾筋もの光を伴う流れ星となって映る――――

「―――フォーリングスター発動

 美凪の能力――毎夜外に出て星を眺めていた天文部の賜物――それは、グラウンドに立っているだけでは到底感じられない上空の風を見定められるというもの。

 ゴルフでいうところの、風を読む―――いや、風が見える!!

 きゅぴーんという目つきでやる気なさそうにスイングした美凪のバットが弾丸を捉えた瞬間、ボールは快音を残し、左翼スタンドへ向かって舞い上がった。

「飛ばない打球に意味はないんですよ……」

 つぶやく美凪の言葉を耳に入れながら、茜は立ち上がってマスクを放り投げた。

 6月特有の右から左に流れる湿った風に乗り、打球はさながらシャボン玉のようにふわふわと浮かび、スタンドに誘われるがごとく伸びてゆき――――

「……シャボン玉職人だかなんだか知らないですけど」

 伸びてゆくと思われたボールはしかし、ショートを越えたあたりで急速に失速を始めた。

「詩子の人を殺せる弾丸を、触れたらすぐ割れるシャボン玉と同じに扱うのは難しいんじゃないでしょうか」

 ちなみにデッドボールで心臓を撃ち抜かれた往人が生き返るのに15分の試合中断を要していた(常人なら死んでいた)。

 レフトの栞のところにフライが上がる。栞はなぜか頭の上で手をぱたぱたやっている(いや、ちょっと栞さん?)。

「誰も、ホームランを狙っているとは言っていません」

 美凪はファーストに向けてとことこ駆けながら言った。

「私が狙っていたのは、あくまでフライ」

 風は、まるで狙い済ましたかのように打球をふらふらとショートとレフトの中間に誘導していた。

「ポテンヒットでじゅうぶんです」

 栞が前進する――間に合わない、だって栞は鈍足。

 くわえて連投のために体力が落ちている―――

「栞!」

 ショートの香里が声を荒げる。

「あんたは休んでなさいっ!!」

 栞はびくっとする。それで前に出していた足が止まる。ひざががくがくしている。まだ体力はぜんぜん回復していない。

 ショートの香里が追いかける。届かない。頭から突っ込む、グラブを出す。

 届かない――――

「香里――っ! ど、どいて――――っ!!」

 そのときセンターの名雪がタイヤキどろぼうを追いかけるタイヤキ屋のオヤジみたいに猛進してきて、栞と香里の真ん中でダイビングキャッチした。そのまま速度オーバーの電車みたいにすべり進んだ。

「あ、アウト!」

「名雪、ボール!」

 土まみれになった顔を上げた名雪はくるくる目を回しながら、香里にボールを手渡した。香里はすぐにバックホーム体制、三塁ランナーの裏葉はタッチアップを断念する。

「……たく、ひやひやさせやがって」

 祐一はサードから今の一連のドタバタ劇を見ながら嘆息した。

「あの落ちるジャイロボール、投げろよ。ひさしぶりに見たかったんだけどな」

 次に対戦するときのためにもな、とは心の中だけでつぶやいた。








 聖、佳乃の霧島姉妹をあっという間に三球三振に斬って取られ、華音高校を突き放す最大のチャンスを絵亜高校は潰していた。

 上機嫌にベンチに下がる詩子を見ながら佐祐理は思う。

 ……柚木さんの肩が壊れていること、みんなに教えたほうがいいんでしょうか。

 だから彼女はもって次の回まで。うまくすれば、次の攻撃の途中で彼女は制球を乱し、ふたたびチャンスを作れるかもしれない。

 そう、みんなに進言するべきでしょうか。

 だけど佐祐理はなんだかためらわれた。自分は今回完全に悪役に徹して非道で悲劇なヒロインを演じようかなーなんて思っていたのに、詩子の肩の事情を教えるのはアンフェアな気がしたのだ。

 それはたぶん、佐祐理は詩子に対して感謝しているから。

 舞を吹っ切らせてくれたから。

 祐一さんたちと楽しく野球ができるようになったから……。

「遠慮なんかしないでよねー」

 その言葉は詩子のものだったが、遠く離れていたために最初は自分にかけられた言葉だと佐祐理は気づかなかった。

「本気で勝負しようよ。そっちのほうが楽しいじゃない」

 そうして詩子は両手で拳銃のかたちを作り、ばーんと撃った。

「あたしの2丁拳銃は、弾切れになっても夢と根性っていう予備マガジンがいちおうありますので☆」

 だから、佐祐理は決心した。心の底から。今度こそ。

 わかりました。やはり佐祐理は今回、華音高校、絵亜高校のために、ひいては舞のために悪魔に魂を売りましょう。

「次のあなた方の攻撃は、柚木さんの打順からですね。国崎さんの復讐に気をつけてください」

 往人がきゅぴーんと詩子をロックオンしていた。

「ご武運を祈ります」

 敵味方問わず、みんながうんうんうなずいた。

「……え、いやあの、勝負はクリーンにね?」

 詩子は登板したことをちょっぴり後悔した。








●スコア


◇0死0塁

1 2 3 4 5 6 7 8 9
絵  亜  
華  音    

【投手】
 佳乃
 北川 → 栞 → 詩子

【本塁打】
 往人 美凪




  絵亜高校
   華音高校


(右) みちる  (中) 水瀬名雪
(二) 裏葉  (一) 天野美汐
(遊) 倉田佐祐理  (遊) 美坂香里
(三) 国崎往人  (右) 川澄舞
(左) 遠野美凪  (二) 沢渡真琴
(捕) 霧島聖  (三) 相沢祐一
(投) 霧島佳乃  (捕) 里村茜
(中) 神奈備命  (投) 柚木詩子
(一) 神尾観鈴  (左) 美坂栞


柳也 月宮あゆ




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