断章 トワイライト・サムライ
第2話
「へえ。キミたちは野球をやってるのか」
「澪ちゃんはキャッチャーなんです。しかもレギュラー」
川名みさきは自分のことのようにえへんと胸を反らす。
「小さいのに、すごいな」
澪と呼ばれた小柄な少女は、大きなリボンを揺らしながら元気よくうなずく。
『このスケッチブックがプロテクター代わりなの!』
「……そ、そうか」
どんな素材のスケッチブックなのか気になったが、あえて尋ねないことにする。
「キミはどこのポジションを守ってるんだ?」
「あ……ええと……」
みさきは言い辛そうにもじもじする。
「わたし、マネージャーなんです。目が見えないから、それくらいしかできなくて……」
柳也はハッとする。
みさきは球場に向かう道すがら、ずっと澪の手を握っているのだ。
澪が先導役だったことに柳也はようやく気づく。
なんとなく気まずい雰囲気。
「……マネージャーだって立派な仕事だろう。気に病む必要はない」
「ありがとうございます」
にっこりほほえむみさきを見て、柳也はほおをぽりぽり描いた。
この子……なんとなく裏葉に似ているんだよな。特に髪型が。
3人は住宅街を横に並んで歩いている。
柳也とみさき、そして真ん中に背丈の低い澪がいる。
裏葉と神奈のふたりで峠を越えようとしていたときも、こんなふうに歩いていた。
傍から見るときっと若夫婦とその子供。
柳也は懐かしさに瞳を細めた。
『柳也さんが黄昏てるの。トワイライト・サムライなの』
いいかげん、その呼び名をやめて欲しい。
「柳也さんはどうして球場に向かってるんですか?」
「ああ……。すこし手伝いにな」
「もしかして、助っ人ですか? 実はわたしたちの友達も助っ人やってて……」
『華音高校の応援に行くの!』
「ほう……」
ということは、彼女らは俺の敵というわけか。
「柳也さん強そうだから、きっと華音高校のみんなも喜ぶんじゃないかなぁ」
『腰の刀でバッタバッタなの!』
華音高校の助っ人と勘違いされたようだ。
「いや、俺は……」
「柳也さん、がんばってくださいね。わたし、盲目だから、うまく応援できないかもしれないけど……」
みさきのこの重い言葉で、柳也は誤解を解く機会を逸してしまった。
こういう場合、誤解より何よりまず励ますことが大事なのではないか。
よし、と心で気合を入れ、柳也は口を開いた。
「盲目だからって悲しまなくていい。古来より日本では心の目で見るという考え方があり、剣術、柔術、居合術、抜刀術など武術の達人は例外なく心眼の使い手で……」
女の子相手に武術はないだろう。自己嫌悪。
みさきはくすくすと笑っていた。
「あの、わたし、悲しんでいるわけじゃないんです。視力を失ったばかりの頃はさすがに落ち込みましたけど……」
みさきはうんっと伸びをしてから、くるりと柳也に向き直る。
「柳也さん、知ってますか? 目が見えなくなったからって、なにも見えなくなるわけじゃないって」
「……それは心眼?」
みさきはきょとんとしてから、またくすりと笑った。
「違いますよ、柳也さん」
みさきの笑顔に、どきりとする。
「夢ですよ。夜、眠るときに見る夢です」
みさきの笑顔が穏やかで優しいものになる。
「視覚障害者でも夢は見るものなんです。聴覚のイメージに近い夢なんですけど……」
「…………」
「ただ、わたしは目が見えていた頃の記憶があるから。だから、眠ったときによくその頃の情景が浮かぶんです」
「だが、たかが夢で……」
柳也は思う。それは過去に縛られているだけなんじゃないか。
しあわせだった頃の記憶にすがって、懐かしんで。
そうやって、この子は強がっているだけなんじゃないか。
「たかが夢……ううん、そんなことないよ」
みさきが首を振ると、艶やかな髪が流れるように横に広がる。
「人は1日の約3分の1を睡眠に費やす。その中で人は2時間くらい夢を見る。75歳まで生きるとすると、人は25年間を眠って過ごすことになって……」
そしてみさきはぴんと人差し指を立てて言った。
「そうすると、夢を見ている時間は7年間なんだよ」
7年……。
それはバカにできないくらい長い時間だ。
「ね? たかがなんて言えないでしょ?」
『トワイライト・サムライの負けなの』
「…………」
柳也は言葉を失ったまま、年端もいかない女の子ふたりが笑いあう姿を見ていた。
視覚障害と言語障害。そんなものに負けない強さをふたりはすでに手にしていた。
「キミたちが応援すれば、華音高校はとんでもなく強くなるんだろうな」
「うん!」
『もちろんなの!』
柳也はぐっと拳を握って、まだ見えない戦場に意識をかたむける。
その華音高校を切り捨てるのが、自分の役割なのだから。
「わたし、目は見えないけど人を見る目はあるんです……」
光の灯らないみさきの瞳が、そのとき柳也に向いた。
「柳也さん、やさしいから。柳也さんのこともたくさん応援するね」
「…………」
だから俺は敵なんだが……。
「……で、道はこっちでいいのか?」
照れ隠しでそんなことを聞いていた。
まだ住宅街をぐるぐる回っていたことに三人が気づくのは、もうちょっと先の話。