第58話




 華音高校が絵亜高校に逆転した立役者は、誰ということはなかっただろう。強いて言えば華音高校チーム全員、もしここに観客の目があれば試合の流れ、というふうになったかもしれない。

 ただひとり上げるとすれば、逆転のタイムリーヒットを打った舞だった。

 香里がフォアボールで出塁して2アウト1、2塁。その次の四番打者の舞との打席を、佳乃は全力で勝負した。

 佳乃にとっては一度敬遠をした相手である。今度は初打席の勝負のときみたいにまた正面切って討ち取ってやる、と意気込んでいた。

 意気込みすぎて硬くなって自滅、ということはなかった。佳乃だってこの試合で成長していた。ただキャッチャーのミットに向かって全力投球、大好きなお姉ちゃんを信頼してボールを投げる、余計なことは考えない、たとえ疲れていても同点に追いつかれて不安でも、ただそこに聖がいるだけで佳乃は自分の実力以上の投球ができるはずだった。

 その佳乃のこれまでで一番のボールを、舞は打ち返した。

 打球はショート佐祐理の横を抜けるライナーだった。典型的なプルヒッターの舞が流して打ったのは佳乃のボールに振り遅れたため、力負けしたためだった。

 それでも打球に威力があるのは、舞のほうだって意地があるからだ。

 負けるわけにはいかない、勝たなければいけない、この華音野球部(正式には部ではなく同好会)を解散させるわけにはいかなかった。

 この試合、実は最も勝ちにこだわっているのは舞なのかもしれなかった。普段は物静かでも胸のうちはそうじゃない、必ず勝つ、勝って甲子園を目指す、いつか夢見て、一度はあきらめかけた自分の目標。

 佐祐理と一緒にもう一度野球を楽しみたい――――!

「舞…っ!」

 佐祐理は様々な想いを込め、舞の打球に向けて飛ぶ。だが届かない、ボールはセンターに運ばれ、セカンドランナーの天野がホームに帰る。

 これで6対7。七回裏、華音高校は逆転を果たしたのだ。

「タイム!」

 ここで絵亜高校の監督・晴子がタイムを取った。晴子がこうして自分から動くのはめずらしかった。熱血監督ではあるが試合中は放任(だが体罰あり)が信条だからである。

 監督みずからがマウンドに向かい、内野陣も集まり出す。

 晴子の指令、それは投手交代だった。








「……ねぇ、相沢君」

「なんだ」

「マウンドで投球練習してる、ちょっと時代錯誤の風貌してるあの選手って、まさか……」

「ああ、そうだよ。今までどこに雲隠れしてたのかと思ってたけど」

 祐一はともすれば肉食獣にも見える笑みを浮かべて言った。

「やっと出てきやがった。絵亜高校を甲子園優勝に導いた、エースピッチャーだ」

 トワイライトサムライの異名を持ち、夏の大会をすべてひとりで投げ抜いて防御率が0点台という超高校級豪腕投手、それが柳也だった。

「超高校級っていうか、ほんとに高校生なんでしょうね……」

「それは本人に聞いてくれ」

「聞いた途端に脇差でざっくり、なんてことはないでしょうね……」

「それも本人に聞いてくれ」

 そのとき、どこからか「がんばれ華音高校〜!!」という黄色い声援が飛んできた。

 これまで誰もいなかった観客席、華音ベンチ側に、ふたりの少女が小さな背でせいいっぱい横断幕を広げながら声を出していた。

「……誰?」

「さあ」

 茜も詩子もまだ救護室から出てきていないので、彼女らがいったい何者なのか祐一にも香里にも他のみんなにもわからなかった。

「だけど、わたしたちを応援してくれてる」

 名雪は土だらけで汚れた顔に笑顔を浮かべる。

「真琴ちゃん、応援に答えなきゃね」

 お〜! と真琴は元気よくアッパーな素振りを始めた。

 祐一もまたベンチの前でバットを立ててしゃがみ込み、虎視眈々とそのときを待っている。真琴の打席の次に、自分はあのサムライと戦える。甲子園での借りを返せる。

 真琴がアウトになってチェンジになったとしても、次の回には回ってくる。

 この試合、確実に一度は対戦の機会がある。

「そろそろ主役のホームランが必要だろ?」

 試合を決定付けるダメ押しのホームランを打つことが、あまりにも存在感が薄すぎる主役という汚名を返上するチャンスでもあった。

「……もしこれでクラナドが入ったら、俺の出番がなくなるんじゃないだろうな」

 それはまた別の話である。








 ずばんずばんと小気味良いミット音が鳴り響く。キャッチャーは変わらず聖、交代したのはピッチャーだけである。佳乃はベンチで休んでいる。

 佳乃は、絵亜高校の本来の姿に戻ったバッテリーをぼんやり見ている。悔しさなどは感じられない。ちょっと放心しているカンジ。

 晴子は言った。

「これから先の絵亜高校の黄金バッテリーは、あんたと聖やで」

 聖はいったいいつまで高校生なんだというツッコミはさておいて、晴子は続けた。

「そのためにも、この試合、最後までよく見いや」

 佳乃はまだちょっと放心気味で燃え尽き症候群みたいだったから、うんともすんとも言えなかった。

 だけど、心の奥底ではちゃんとこう思っていた。

 がんばれお姉ちゃん、と。








 そして柳也は、真琴を三球三振に斬って取る。

 それは小細工も何もない、圧倒的な力によるねじ伏せだった。

 これまでの投手――北川に栞、佳乃とはまったく性質の異なるピッチャー。

 あえて言うなら詩子に近しいピッチングスタイル。

 右腕オーバースローの速球派投手というわけだった。

「ひさしぶりだったが、刀はさびていないようだな」

 なまくらになっていなかった自分の肩をたたき、柳也はマウンドを後にする。

「柳也さん、ナイスピッチ〜!」

 華音高校側応援スタンドからそんな声。おいおいどっちを応援してるんだと柳也は内心ツッコむ。ベンチに戻ってきた茜と詩子には実際にツッコまれている。

「遅いっ、遅すぎるぞ柳也!」

 センターから駆けてくる小さな人影は、柳也に「あぁ相変わらずだなぁ」と思わせる人物、神奈だった。

「今までどこほっつき歩いていたのじゃ! この不忠な犬めが!」

「お疲れ様でございます、柳也さま。言葉遣いが下品に過ぎます、神奈さま」

 ほほえみながら神奈の頭をぐりぐりする裏葉を見て、柳也は「あぁやっぱり相変わらずなんだなぁ」と思い、自分も笑顔でいることを自覚する。

 苦笑しながら、柳也はスコアボードを見上げた。

「あと二回で一点差か……。俺の打順は?」

「七番です。佳乃さまと交代されたため、この試合中に打順が回るのは極めて困難かと」

「そうか」

「逆を申せば、柳也さまに打順が回るようでなければ、この試合は負けるということでございます」

 そうか、と柳也は短く答えて。

「だが、我らが誇る南の怪物には、回るのだろう」

 往人は不機嫌にベンチにふんぞり返っていた。苦手なバント処理で二度も足をひっぱり、観鈴から慰められるたびにチョップしていた。「がお……」と悲壮な声もオマケについていた。

 柳也は思う。彼に打順が回るのならば、絵亜高校はまだ負けていない。自分にも打席が回ってくる可能性も潰えていない。

「余にも裏葉にも打順は回るぞっ」

「ああ。そうだったな」

 神奈の頭にぽんと手を載せると、子ども扱いするなと怒鳴られ、振り払われる。

 柳也は笑いをこらえるのが難しくなる。

 そして、必死に華音高校、ときおり柳也の応援を繰り出して怒られているふたりだけの観客を遠目に見て、柳也はついに声をあげて笑った。











●スコア


◇0死0塁

1 2 3 4 5 6 7 8 9
絵  亜  
華  音    

【投手】
 佳乃 → 柳也
 北川 → 栞 → 詩子

【本塁打】
 往人 美凪




  絵亜高校
   華音高校


(右) みちる  (中) 水瀬名雪
(二) 裏葉  (一) 天野美汐
(遊) 倉田佐祐理  (遊) 美坂香里
(三) 国崎往人  (右) 川澄舞
(左) 遠野美凪  (二) 沢渡真琴
(捕) 霧島聖  (三) 相沢祐一
(投) 柳也  (捕) 里村茜
(中) 神奈備命  (投) 月宮あゆ
(一) 神尾観鈴  (左) 美坂栞




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