第54話




 ダブル・タップという言葉があるらしい。

 拳銃で同じ目標を立て続けに二度撃つこと。

 確実に相手を殺すってこと。

 じゃあさ、トリプル・タップって言葉はあるのかな?








 ショートの詩子がピッチャー、サードの茜がキャッチャーについたことで、華音高校の守備陣形は大きく変わった。

 まずピッチャーだった栞がレフトに移動、レフトの祐一はサードにつき、キャッチャーだった香里がショートについた。

 栞の守備力をかんがみて、そして体力温存を考えての配置である。

「柚木が投げるとは思わなかったけどな……」

「うれしい誤算なんじゃないの」

「どうだろうな」

 祐一と香里はそろって後ろを向く。

 そこではレフトでぽつねんと立っている栞の姿がある。

 悔しそうにストールをぎゅっとつかんで、地面に落ちた自分の影を見つめている。

 そしてなぜかときおり、頭の上で手をぱたぱたやったりしている。

「ほんとは、栞に勝負して欲しかったんだけどな」

「ならなんでピッチャー交代に反対しなかったのよ」

「そりゃもちろん、勝つためだ」

「はいはい」

 香里はうんざりといった様子で、

「相沢君はなによりもまず、チームの勝ちを優先するわけね」

「もちろんだ」

 祐一は当然のように続けて、

「野球はチームプレーだろ?」

 香里は「そう」と小さく返事して、

「栞よりも試合のほうが大切ってわけね」

「…………」

「栞よりも自分のほうが大切なわけね」

 祐一は「心外だ」という顔をしたが、香里は気づかないふりをして自分の守備位置に戻っていった。

「栞だって勝負したがってたの、わかってたでしょうに」

 香里の言葉は遠くて、もう祐一の耳には届かなかった。

「……で、栞はなんで頭の上で手をぱたぱたやってるんだ?」

栞悪魔『だから言っただろうがYO、天下の絵亜高校相手じゃぼこぼこに打たれるのが目に見えてんだYO』

栞天使『だから言ったでショウ、真のヒロインとは決まって最後に登場するもの、終盤になったら颯爽と登場して討ち取るのが理想的なのデース』

栞本体『このヒトたち、なんでまだいるんですかぁ……』

栞悪魔『どうせマウンドに登ったって体力尽きてまともに投げられやしねえんだからYO』

栞天使『こうなれば今はあえて気力と体力を養い最高の舞台を整えるのデース』

栞本体『わかったから消えてくださいよぅ……』

栞悪魔『もう分不相応にしゃしゃり出ようなんて思うんじゃねえZE』

栞天使『己の力を知ることこそヒロインへの第一歩デース』

栞本体『いついなくなってくれるんですかぁ……』

栞悪魔『おまえはおとなしく外野を守って楽してりゃいいんだYO』

栞天使『あなたはおとなしく外野を守って来たるべき時を待つのデース』

栞本体『……わかりました。このヒトたちを倒すことが、己に勝つということなんですね』

 栞はいつかのように、天使と悪魔を消し飛ばそうとしていた。








「なぁ倉田さん。あの柚木って投手、どんなボール投げるんや?」

「ジャイロボールです」

「……それ、大リーガーなんか投げてる、アレか」

「はい、アレです」

 信じられないと言わんばかりの春子に、佐祐理は丁寧に説明する。

「ジャイロボールとは、進行方向とちょうど対称面を軸とした回転――つまり弾丸回転をボールに与えることにより、空気抵抗が大幅に減り、揚力を生んだボールはあたかも浮き上がったように見える直球です。いち高校生が簡単に投げられるボールではありませんが……」

 夜のグラウンドで舞との対戦を何度も目にしてきた佐祐理だからわかる、彼女は並みの投手ではないし、栞よりもずっと球速があるのは確かだ。

 ただでさえ遅いボールしか投げられない栞の直後なら、速球はより速く感じるに違いない。

 だから往人を抑えられる?

 そうは思わない。

 だってたしかに詩子の速球は難儀だけれど、それだけなのだ。

 栞とは対照的に、詩子には武器がひとつしかないのだ。

 ジャイロボール以外は並なのだ。

「……いくら強力といっても、速球だけで抑えられるほどうちの打線は甘くありません」

 ネクストサークルからつぶやいた美凪の言葉に、すべてが集約されていた。








 打者に投げるボールは20球。それ以上は断固許さない。マスクを被った茜にそう言われ、詩子は渋々うなずき、軽く投球練習を始めた。

 弾丸の数が20発ということは、ひとり3発計算で6人は仕留められるということになる。ちょうど2イニング。

 そして、試合終了まで残りは3イニング。

 ラスト1イニングは栞にがんばってもらうとして、できればそれまでたくさん休んでもらいたいけれど、たった20球では経過する時間もたかが知れている。

 だから時間稼ぎをするのなら、これはもう、華音高校の攻撃イニングでがんばってもらうしかない。

 詩子は燃える。

 たくさん打って、たくさん投げさせて、栞ちゃんを回復させる!

 そのためにも、この2イニングは絶対に打たれない!

「詩子……」

 投球練習が終わり、茜は不安と、そしてある種の期待を秘めながらマウンドの詩子を見た。

「あなたのボールが超高校級スラッガーに、どれだけ通用するか……」

 甲子園の代名詞でもある南の怪物に、詩子は勝てるのか。

 そう考えると、胸のドキドキが止まらない。

 これは茜が待ち望んでいた時でもあった。

 詩子が肩を壊し、潰えてしまったと思っていた夢。

 無理をして欲しくない、これ以上傷ついて欲しくないという理由で、茜が心の奥深くに押し込めていた夢だ。

 南の怪物・往人がゆらりと打席に立った。

「左投げか。4、5番の俺たちが左打者だからか」

「…………」

「まぁ、関係ないけどな」

 はい。関係ありません。

 詩子のボールは、左対左なんて小細工は、関係ありません。

 プレイボールの合図が久瀬からあがった。

 茜は胸のドキドキを抱えながら キャッチャーミットの中の手がじっとりと汗ばむのを自覚した。

 詩子がウィンクした。そう見えた。

 そして、いつものおちゃらけた態度から一変、夜のグラウンドで舞に対して見せていたあの表情をして、ふりかぶった。

「あなたは、ただ……」

 茜はマスクの奥から叫んだ。

「思いっきり投げてください――――!」

 ――――ドゴン!!

 うなりを上げて放たれた弾丸回転の詩子のボールは、トリプル・タップと言わず、ただの一球で相手を確実に殺していた。

「……で、デッドボール」

 往人は後ろからぱったり倒れた。

 グラウンドが凍りついた。

「……調子に乗るとコントロールが乱れるのは、柚木さんの悪い癖」

 ライトから舞がひとりツッコんだ。

 茜は久瀬にタイムを要求すると、ベンチに下がっていき、そこから傘バットを持ち出すとマウンドに歩いていき、「ごめんちゃい☆」と舌を出して謝る詩子をぶっ刺した。

 ノーアウト1、2塁から変わって、ノーアウト満塁。

 ピンチは広がっていた。








●スコア


◇0死満塁

1 2 3 4 5 6 7 8 9
絵  亜  
華  音    

【投手】
 佳乃
 北川 → 栞 → 詩子

【本塁打】
 往人 美凪




  絵亜高校
   華音高校


(右) みちる  (中) 水瀬名雪
(二) 裏葉  (一) 天野美汐
(遊) 倉田佐祐理  (遊) 美坂香里
(三) 国崎往人  (右) 川澄舞
(左) 遠野美凪  (二) 沢渡真琴
(捕) 霧島聖  (三) 相沢祐一
(投) 霧島佳乃  (捕) 里村茜
(中) 神奈備命  (投) 柚木詩子
(一) 神尾観鈴  (左) 美坂栞


柳也 月宮あゆ




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