第53話




 6回裏、華音高校の攻撃――――

「チーズ&ベーコンまん――っ!!」

 得意コースの内角高めにやってきた棒球を、真琴は思いっきりひっぱたいた。

 打球はぐんぐん伸びると思われたが鈍足レフトの美凪がとてとてと左に寄ったところで、急速に降下を始める。

 真琴は平凡なレフトフライに終わっていた。

「わかりやすいバッターは討ち取るのが楽で助かるな」

 聖は、ぶんぶんと振り回す真琴の打席前の素振りを見て、同じコースにばかり振っていることに気づいていた。

 ホームランを狙うあまり無意識に得意コースの素振りを繰り返し、相手バッテリーに対策を与えてしまったのだ。

 じゃあそのコースにボール1個分だけ外してやろう、と。

 佳乃は栞ほどではないが制球力も持っているので、こんな芸当も成功したわけだった。

「このままだと、真琴だけヒットなし……」

 一方の真琴はずーんと落ち込んでいた(本当は天野と栞もヒットなし)。

「そんな気負ってるからだ。詰まらされたのは、おまえの悪い癖のゴルフスイングも原因だからな」

 うるさいバカ祐一っ、という真琴の激を受けながら祐一は打席に入る。

「まあ、気負うなって言うほうが無理か……」

 点差は1点だが自分らは負けているわけで、しかもそろそろ栞のスタミナに危険信号が鳴っていることを祐一も知っていた。

 当初としては北川に投げるだけ投げてもらう予定だった。北川の投球ではいずれ打ち込まれるだろうが、相手にとっては北川は初対戦ということもあり、初めの3、4回くらいは抑えてくれると思っていた。

 そうなれば残りイニングは5回。

 あとは栞にバトンタッチ。

 栞のスタミナでは5回でもキツいだろうが、投げられないわけじゃない。

 栞の制球力を駆使した徹底ストライク先行と鉄壁守備ならば、ゼロ行進もじゅうぶん可能だと考えていた。

 だが現実は、北川は2回途中で降板し、交代した栞はすでに5回を投げている。

 しかもカット打法で何度も粘られ、6点もの大量得点を奪われて相手の打席数は大幅アップしたもんで、すでに想定投球数を超えていた。

 疲労で栞の制球力が乱れれば、その時点で華音高校は終わる。

 根性で最後まで投げきるどうこうの問題じゃない。投げきっても打たれて負ければ、何の意味もないのだから。

 栞が甘い球をわずかでも放るようになれば、そこですべて終わるのだ。

 たとえ祐一がこれからの全打席でホームランを打ったとしても。

「俺も楽観してたってことかよ……」

 夏を制した絵亜高校をようやくぶちのめすことができるという気負いが、超高校級プレイヤーの祐一にさえ影響を与えていたのだった。

「身の程を知れと言うことだな」

 往人が目をきゅぴーんとさせてつぶやいた。

 けっきょく祐一はシングルヒットに留まり、その後の茜は2ストライクから高速シンカーを詰まらされて併殺に終わってしまった。

「……申し訳ありません」

 とぼとぼとベンチに下がってきた茜に、詩子が真っ先に「ドンマイ」と声をかけた。

「しかし、スコアつけてて気づいたんだけど……」

 ノートパソコンを打っていた北川が何の気なしに言った。

「オレたちって鉄壁守備をうたってるわりに、実は絵亜高校より併殺打が多いんだな」

 茜はびくっとした。

「栞ちゃんに美坂に、それに今の茜ちゃ―――」

 ぱこーん、と詩子は北川の頭をかっ飛ばした。

「な、なにすんだ!?」

「メガホンだったから痛くなかったでしょ〜それとも金属バットのほうがよかった? もしくはかおりんバット?」

「あたしの阪神優勝バットに変なあだ名つけないでっ」

 絵亜高校と試合している間に阪神は優勝してしまったので、かおりんバットはベンチの神棚に飾ってあった。

「なんでベンチに神棚が……」

「真琴ちゃんの落書きはそのままだから冒涜してるように見えますね……」

「なんにしろ併殺が多いのは、俺たちの攻撃が淡白になってるからだろ。そこで、だ」

 祐一のその言葉で、なにかアドバイスがあるのかと、栞や名雪が注目する。

「次また併殺したやつはゴミ箱にポイ―――」

 ぱこーん、と今度は香里が祐一の頭をかっ飛ばした。

「ゴミ箱やだ……ポイされるのやだ……」

 名雪がトラウマになっていた。

「キャプテン兼ムードメーカーの水瀬さんをこんなにした相沢さんが、負けてる一番の元凶かもしれませんね」

 天野がお茶をすすりながら言った(腹部の痛みはすこしは良くなったようだ)。

「茜」

 守備に向かいがてら、詩子はこそっと言った。

「アンテナ君の言うことなんか気にしないでいいよ」

「……べつに、気になんかしてません」

 ならいいけど、と詩子は続けて、

「あとね、さっき折原君からケータイに連絡あったんだけど……」

 茜は首をかしげて詩子を見る。

「澪ちゃんと川名さんが、応援にこっち向かってるって」

「…………」

「勝ちたいよね。この試合」

 茜は無表情だったが、こくんと小さくうなずいた。

「あたしも勝ちたいよ。最初はお気楽極楽〜ってカンジで、適当に楽しめばいいと思ってたけど……」

 詩子は晴れやかな大空を望んだ。

「やっぱり負けるのは、悔しいと思うから」

「……はい」

「楽しいのがずっと続くほうが、うれしいから」

「はい」

「誰かのために……」

 詩子はそして、もう一度、晴れやかな大空に向かって伸びをした。

「誰かのために勝つっていうのは、最高に楽しそう」








 トップバッターの裏葉がフォアボールで出塁したのは、カット打法のせいだけではなかった。

 栞の制球が乱れ始めている。キャッチャーの香里はもとより、後ろで見ていた茜にだってすぐわかった。

 栞さんはスタミナがないとは聞いていましたけど……。

 それにしたって、5回も投げられないなんてピッチャーとして失格なんじゃないだろうか。

 マウンドに上がる資格があるんだろうか。

 世の中には、体力があっても投げられないピッチャーだっているのに。

 たくさん投げたくても投げられないピッチャーだっているというのに。

 佐祐理に簡単にセンター前へ運ばれたところで、香里はタイムを取った。

「……お姉ちゃん」

 駆け寄ってくる香里に、栞はすぐに言い放つ。

「私は、だいじょうぶだから」

 茜も思う――マウンドに集まったからと言って、いくら励まして鼓舞したからって、栞さんの体力が回復するわけじゃない。

 ここから先は栞自身の精神力の勝負なのだ。

 それは独りの戦いだ。

 そして茜は知っていた。ひとりになっても孤独になっても何者にも負けないピッチャーをひとり知っていた。

 だからこそ自分は、がんばり過ぎる彼女をサポートするために、今もまたここにいる。

「ねえ、栞ちゃん」

 詩子は言った。

「あたしと交代しよっか☆」

 マウンドに集まる内野陣の視線がいっせいに詩子に飛んだ。

「茜。キャッチャーお願いね」

 茜は息を呑んだ。

 茜だけじゃない、みんながみんな、息を呑んだ。

「で、でも……」

「勝つために、だよ」

 ネクストバッターの往人――栞のボールをこれまですべてヒットにしている天敵・南の怪物が、打席に立っていた。

 栞はきゅっと瞳をつむる。

「く、悔し……ですっ」

 涙がじわりと伝う。

「うん。わかってるから」

 同じピッチャーだから、わかるから。

 ノーアウト1、2塁。打たれれば追加点を取られる大ピンチ。

 勝つために、チームみんなで勝つために。

「あたしが弾切れになるまで、休んでればいいからさ」

 ぜったいに、ここで点をやるわけにはいかない。

 だからダメと言えない。言わなきゃならないのに止められない。

 弾丸の数は20発――――

 詩子の肩ではそれが限界。

 それでも詩子は満面の笑顔をたたえて言ったのだ。

「あたしの2丁拳銃は、ひとり3発もあればじゅうぶんだからさ☆」

 応援に来てくれる、中学校時代の仲間とは違う、新しい仲間のために勝ちたい。

 茜もまた、誰かのために、この試合に勝ちたかった。








●スコア


◇0死1,2塁

1 2 3 4 5 6 7 8 9
絵  亜  
華  音    

【投手】
 佳乃
 北川 → 栞 → 詩子

【本塁打】
 往人 美凪




  絵亜高校
   華音高校


(右) みちる  (中) 水瀬名雪
(二) 裏葉  (一) 天野美汐
(遊) 倉田佐祐理  (捕) 美坂香里
(三) 国崎往人  (右) 川澄舞
(左) 遠野美凪  (二) 沢渡真琴
(捕) 霧島聖  (左) 相沢祐一
(投) 霧島佳乃  (三) 里村茜
(中) 神奈備命  (遊) 柚木詩子
(一) 神尾観鈴  (投) 美坂栞


柳也 月宮あゆ




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