第44話




 ……こんなナマクラシンカーでは、私は倒せない。

 外角に逃げるシンカーを舞は強引にひっぱり、一塁ライン際へ弾き返した。

 セカンドランナーの天野がホームに帰り、華音高校に2点目が入る。

 打った舞はセカンドに到達し、これでノーアウト2、3塁。

 聖はたまらずマウンドに駆け寄った。

「……お姉ちゃん」

「すまない」

 聖は沈痛な面持ちで謝った。

「えっ、な、なんでお姉ちゃんが謝るの?」

「…………」

「あたしが悪いのに……。ランナー出したくらいで慌てちゃって、うまく投げられなくなって……」

「…………」

「ごめんなさい……」

 聖は佳乃の頭にぽんと手を乗せた。

「腕の振りが弱くなってる。ランナーなど気にせず、私のミットだけを見て思いきり投げろ」

「うん……!」

 佳乃の笑顔を認めてから、聖はキャッチャーズボックスに戻った。

 私の言葉はどれだけ役に立っているだろう? おそらくほとんど意味を成していない。

 そもそも佳乃はセットポジションからの投球が苦手なのだ。サイドスローのモーションはどうしても大きくなりがちなので、ランナーはリードを取りやすくなる。ランナーを気にするなというほうが無理な話だ。

 そして佳乃は経験不足から、決定的に『打たれ弱い』。

 だからこそ自分が精神的支えにならなければいけないのに……。

 これまではそうやってうまくいっていたのに。

 自分は、天野と香里のふたりに対して、無理に強気な投球を要求し、佳乃に負荷をかけてしまったのだ。

「佳乃さーん、がんばれー! 2点くらいどうってことないよー!」

 ファーストから飛んでくる観鈴の声援も、今の佳乃には聞こえていないように聖には見えた。

 佳乃は落ち着きなく手首のバンダナを撫でていた。








「トンポーローまんーっ!!」

 内角に甘く入ったボールを、真琴は渾身のスイングで大空高く舞い上げた。

 打球はバックスクリーンに向けてぐんぐん伸びる。センターの神奈がそれを追う。

 ついに神奈の走りはフェンスにはばまれ、神奈は振り返った。

 ボールは長い滞空時間を経て、しかし急に失速し、神奈のグローブに収まった。

 あぅーっ!! と、どこからともなく悲鳴が聞こえてくる。

 サードランナーの香里はタッチアップで悠々ホームプレートを踏んだ。セカンドランナーの舞も三塁に進む。

「あぅ……今度こそイッたと思ったのに……」

「バットの角度を抑えろって、練習のときに言ったろ。だから打球が詰まり気味になるんだ」

「うるさいバカ祐一っ、あっちいけ!」

「言われなくても次は俺の打順だからな」

 打席に入った祐一は、地面を慣らしながら何の気なしに言った。

「なあ、あのトワイライト・サムライはまだ出てこないのか?」

 聖の眉尻がぴくりと動く。

「俺らが無名の弱小野球部だからナメてるのか? だから、あんなにわか仕込みのピッチャーに投げさせてるのか?」

「キサマ……」

「あのピッチャー、これが初めての試合なんじゃないのか?」

 聖は言葉を詰まらせた。

「クロスファイヤーはおもしろかったけどな。でも、もう投げられないようなら、終わりにしてやる」

 佳乃の右腕が伸び、バンダナが風に揺れる。

「こんなつまらん試合は、甲子園を目指す俺たちには必要ない」

 祐一のバットが一閃し、高い金属音がフィールドを駆け抜けた。

 痛烈なライナーが佳乃を強襲した。

「やっ……!」

 佳乃はぎゅっと目をつむった。

 聖が声にならない叫びを上げた。

 そのとき、佳乃のバンダナが手首からほどかれ、宙を舞った。

 祐一の打球は佳乃のバンダナを襲い、そのままかすめ過ぎて二遊間を割ったのだった。








「相手のピッチャーの人、かわいそう……」

 華音高校に4点目が入っても、栞の表情は明るいとは言えなかった。

 マウンドでは佳乃を囲むように絵亜ナインが集まっている。だから佳乃の様子はわからない。

 だけど、自分と同じで初めて試合に臨むピッチャーとして、佳乃の気持ちはよくわかっているつもりだった。

「かわいそう? あのピッチャーが?」

 隣りで同じくベンチに座っていた詩子が言った。

「ねえ、しーぽん」

「……それ、私のことですか」

 詩子はすっとベンチから立つ。

「しーぽんはさ、わかってないよ。ぜんぜんわかってない。テストでいうと名前書き忘れて先生から答案をぽいって捨てられるように渡されるカンジ」

「……それ、0点ってことですか」

「ピッチャーっていうのは、良くも悪くも孤独だよ。キャッチャーからサインをもらったって、他のナインから声援をもらったって、実際に投げるのはピッチャーひとりなんだから」

 詩子はベンチから出て、バットを手に取った。

「それでもピッチャーは投げなくちゃいけない。孤独でもなんでも。ピッチャーは責任があるんだから」

 次の打者である茜がバッターボックスに入る。

「勝敗の8割はピッチャーで決まるって言う人もいる。それくらいの責任を、ピッチャーは背負ってるんだよ」

「…………」

「まあ、あたしもそんなに偉そうなこと言える立場じゃないけどね」

 詩子は栞にぱちっとウインクしてから、ネクストバッターズサークルに向かった。

 栞はユニフォームをぐっと握って、マウンドを離れる絵亜ナインを見つめていた。








●スコア


◇1死1塁

1 2 3 4 5 6 7 8 9
絵  亜  
華  音    

【投手】 佳乃
     北川 → 栞

【本塁打】




  絵亜高校
   華音高校


(右) みちる  (中) 水瀬名雪
(二) 裏葉  (一) 天野美汐
(遊) 倉田佐祐理  (捕) 美坂香里
(三) 国崎往人  (右) 川澄舞
(左) 遠野美凪  (二) 沢渡真琴
(捕) 霧島聖  (左) 相沢祐一
(投) 霧島佳乃  (三) 里村茜
(中) 神奈備命  (遊) 柚木詩子
(一) 神尾観鈴  (投) 美坂栞


柳也 月宮あゆ




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