8章  波乱の攻防戦




  第43話




「あの、里村さん。さっきお姉ちゃんになんて助言したんですか?」

 右バッターボックスに入った香里を心配そうに見つめながら、栞は尋ねた。

「魔法を解くための呪文を教えたんです」

「クロスファイヤーだけに、耐熱の呪文なんだろうな」

 北川が手元の端末をいじりながら言う。

「いえ、耐熱どころか火に油を注ぐ呪文です」

「……なんだそれ」

「あのぅ、具体的にはどんな呪文なんですか?」

「クロスファイヤーを狙っていけ、です」

「おいおい、本気か?」

「それと、もうひとつ」

 茜は淡々と次のセリフを言った。

「ホームランを狙っていけ、です」

 栞と北川がぽかんと口を開けたとき、フィールドがざわりとした。








「予告ホームラン……?」

 守備についている絵亜高校の誰かが、そうつぶやいた。

 香里は左腕を持ち上げ、レフトスタンドに向けてバットの先を突き出していた。

 すました顔でウェーブのかかった髪をふぁさっと後ろに流すあたり、自信のほどがうかがえる。

「これはまた、大きく出たな」

 キャッチャーマスクの奥から聖が声をかけてきた。

「よほどバッティングに自信があると見える」

「というより、あなたの妹さんを打ち崩せる自信かしら」

「ほう。それは楽しみだな」

 だが実際、香里は不満たらたらだった。

 まったく、なんで私がこんなことしなきゃなのよ。相手を小バカにしたような態度、私は好かないんだけど。

 スポーツマンシップにのっとってないし。

「勘違いしないで欲しいんだけど。私だって本意じゃないんだから」

 香里はため息混じりに言う。

 それから、ふふんと鼻で笑った。

「けどさ、これって、姑息なカットバッティングよりはいくらかマシじゃない?」

「……なんだと」

「すくなくともファンサービスにはなるでしょ。ねえ、姑息好きな王者さん?」

「…………」

「それに、姑息なボールを使う妹さんよりよっぽど絵になるわ」

「……私の妹を侮辱するのか」

「そう聞こえたなら謝るわ」

 香里は正面に顔を戻した。

 佳乃から第一球が放たれる。シンカーでカウントを稼がれて、2−1。

 佳乃がそのとき、二塁に牽制球を送る。

 香里はもう一度、予告ホームランをやった。








 華音ベンチでは、栞と北川と茜がフィールドの様子を見守っていた。

「あの……あっさり追い込まれてますけど」

「ほんとに魔法、解かれてんのか?」

「大丈夫です。……たぶん」

「たぶんかよ……」

「いいえ、必ず」

 茜は、聖の出したサインにうなずく佳乃を見ながら続ける。

「相手ピッチャーは、栞さんと同種の弱点を持っていますから」

「……え、私、ですか」

「はい。あのバンダナ娘の弱点、それは経験値の低さです。あなたのように」

「まあ、栞ちゃんはこれが初めての試合だからなあ」

「絵亜高校のホームページを覗いた限りでは、あの佳乃という投手も同様なんです。データが少ないということは、それだけ投手経験も少ないということですから」

「要するに、試合慣れしていないってことか」

「はい。だから牽制球から投球の組み立てまで、すべてキャッチャーにおんぶに抱っこ」

「……私、お姉ちゃんに抱っこされてるわけですか」

「そういうことです。だから要であるキャッチャーさえ手玉に取れれば――――」

 ――――クロスファイヤーが、曲がらない!?

 聖は顔をしかめた。

 カキン、とバットの奏でる音が青空を駆ける。

 佳乃の投げた外角クロスファイヤーを、香里はきれいにライト前へと運んでいた。

 一塁ランナーの天野が二塁へ、二塁ランナーの名雪は三塁へと向かう。

「名雪、回れ!」

 サードコーチャーの祐一がゴーサインを出した。名雪は当然のように三塁ベースを蹴る。

「クロスプレーになりそうだったらハードル走の要領で飛びかわせ!」

「無理だよ――っ!!」

 名雪はUターンした。

「だああ、戻ってくるなっ、いいからいけ!!」

「う、うんっ」

「得点なんかさせるか――――っ!!」

 ライトのみちるがかけ声とともに送球するが、ボールがマウンドに到達する頃には名雪はホームに生還していた。

 この試合初めて、電光掲示板に『1』の数字が刻まれる。

 ファーストベース上で、香里がふうと安堵の息をついた。

 マウンドの佳乃は、それを茫然と眺めていた。








「それと、最後にひとつ。栞さんは香里さんが好きですよね?」

「あ、は、まあ……」

「相沢さんも好きですよね?」

「え、なっ、なにを……」

 栞はあたふたした。

「栞ちゃん、落ち着けって。どうせ周知のことだ」

「あ、そうなんですか……って、うそおぉぉぉぉっ!!」

 栞はひっくり返った。

「あの、話進めていいですか」

「どうぞ」

「それで、ですね。試合に慣れていないデリケートなピッチャーには、キャッチャーの感情、意識が直に伝わっていくんです。ふたりの信頼が強ければ強いほど、それは顕著です」

 妹のことになると冷静さを失う姉。そして、キャッチャーとはピッチャーを写す鏡とも言える。

「魔法を解く――それはバッテリーを動揺させて、ストレートに見せかけたムービングファストボールを投げさせないことです」

「わ、私はべつに、祐一さんのことなんて……」

 栞はすでに茜の話を聞いていなかった。

「なあ、茜ちゃん。そのこと川澄さんにも教えたほうがいいんじゃないか?」

 次のバッターである舞が、打席へとゆっくり歩いていく。

「得点が入ったんです。これ以上なにかしなくても、相手はそう簡単に立ち直りません」

「茜ちゃんも策士だなあ」

「……北川さん、いいかげん私のことちゃん付けで呼ぶのやめてもらえませんか」

「やったよ〜先取点っ」

 笑顔で戻ってきた名雪と入れ代わるように、茜はベンチから出ようとして。

「茜ちゃん、はい」

 名雪は胸の前で両手を開いた。

「……なんですか」

「こういうときって、ハイタッチするんだよね?」

「…………」

 茜が面食らっていると、名雪は茜の手を強引に取ってタッチする。

 名雪はベンチに戻り、他のメンバーとも次々とタッチしていった。

 茜は、まだ感触が残る自分の手を見下ろした。

 ……そういえば、名雪さんも試合慣れしていないんですよね。

 名雪の顔は本当にうれしそうだった。

 自分は中学時代に試合はたくさん経験していたけれど。

 でも、こういうのは慣れていなかったな、と思った。








●スコア


◇0死1,2塁

1 2 3 4 5 6 7 8 9
絵  亜  
華  音    

【投手】 佳乃
     北川 → 栞

【本塁打】




  絵亜高校
   華音高校


(右) みちる  (中) 水瀬名雪
(二) 裏葉  (一) 天野美汐
(遊) 倉田佐祐理  (捕) 美坂香里
(三) 国崎往人  (右) 川澄舞
(左) 遠野美凪  (二) 沢渡真琴
(捕) 霧島聖  (左) 相沢祐一
(投) 霧島佳乃  (三) 里村茜
(中) 神奈備命  (遊) 柚木詩子
(一) 神尾観鈴  (投) 美坂栞


柳也 月宮あゆ




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