第39話




 外角に逃げるシンカーをひっかけてしまい、セカンドゴロに討ち取られた舞はいつもの仏頂面をさらにムスッとさせていた。

 サイドスローから内角にえぐり込んでくる直球でカウントを稼がれ、けっきょく最後は外角ボール球に手を出してしまった。基本的にひっぱりを信条とする舞としては、ちょっとらしくないバッティングだ。

 ……でも、次はこうはいかない。

 討ち取られたのは自分のせいじゃない。私は悪くない。バットのせいだ。ちゃんと鍔付きバットを使っていればよかった。

 前日、祐一から試合中の剣バット禁止令を出されたもんで(反則とか言っていた。そんなの知らない。祐一は細かい)、舞は通常のバットで打席に立ったのだ。

 ……次はMyバット(剣バットのこと)であのシンカーをぶった斬る。

 そう心に誓う舞だった。








「かっとばせー、真琴ちゃん」

「ふぁいとっ、だよー」

「ふっふーん、真琴にかかればなんでもホームランだもんね〜♪」

 ベンチの声援ににへらっと笑って応え、意気揚々とアッパースイングを繰り出しながら真琴は右打席に入った。

 それを見ながら香里は思案げな表情をしていた。

「どうしました、美坂さん」

 天野が、視線はバッターボックスのほうに固定させたまま尋ねてきた。

「ん……ちょっとね」

「真琴のことですか?」

「まあ、ね」

 香里と真琴は同じ右打者。香里は自分の前打席を思い返していた。

 外角にすべるように逃げる佳乃のボールは、これ以上ないくらい打ち辛かった。練習での栞のアンダースローに慣れているからとたかをくくっていたのだが、どうやら甘かったらしい。

「『クロスファイヤー』というやつですね。打ち辛いのもうなずけます」

「あそこまで徹底してやられるとね……」

 ただでさえ右対右では、ボールは自然と打者から離れていくため見辛いというのに、加えて横から鋭利に突き出されるサイドスロー、しかも佳乃はプレートの右端からアウトコースのストライクゾーンぎりぎりに速球を投げ込んでいたのだ。

 まさに右キラーの対角線投法、クロスファイヤーというわけだ。

「打撃は左打者に任せるのが手っ取り早そうね」

 内角のクロスファイヤーのほうがまだマシと言えそうだ。そして華音ナインの左打者は、名雪、天野、舞、詩子。全部で四人。決して少なくはない数である。

「まあ、そうは言ってもあのシンカーも曲者だけど」

「……平気。次は必ず捕らえる」

 舞がぽつりとこぼした。そこには自信と確信が満ち満ちていた。

「フフ……川澄さんに任せるまでもありませんよ」

 天野はスッと瞳を伏せて、

「クロスファイヤーごとき、真琴がどうにかしてくれます」

「その根拠は?」

 天野の瞳がカッと見開いた。

「私の希望です」

「……あ、そう」

 香里がため息をついて打席のほうに目を移したとき、その音は聞こえてきた。

「角切りチャーシューまんーっ!!」

 真琴のかけ声の後、とんでもない快音があたりに響き渡った。

 打球は晴れ晴れとした空を突き破らんばかりに舞い上がり、そのままライトスタンド、いや場外へとぐんぐん伸び――――

「ファール!」

 ポールの外にわずかに反れ、スタンドの奥に消える特大ファールを打ち上げていた。








 ……何なんだ、この子供は。

 キャッチャーマスクの奥から聖は目を剥いてその打球を追っていた。

 この子にはボールに対する恐れというものがないのか?

 右打者の背後からデッドボールを思わせる角度で内から外へ襲いかかる佳乃の絶好球を、このツインテールの子供は自分からそのボールにぶつかっていく勢いで足を踏み出し、豪快にフルスイングしたのだ。

 この子供……真琴と言ったか。どうも私は華音打線を見くびっていたようだ。

「ふんふーん、あんまん肉まんカレーまん〜♪」

 能天気な歌を唄いながら、にへらっと笑ってアッパースイングしている。恐れを知らない? いや、やっぱり何も考えていないだけかもしれない。

 聖は次のボールを要求した。佳乃が「わかったよぉ」という顔をして身体をねじり、十字架を模したモーションに入る。

 ……光栄に思うがいい。聖は軽く含み笑いをする。

 あの特大ファールに敬意を表し、君にはとっておきの『魔法』を拝ませてやろう。

 あたかもビデオの再生を見ているかのように、その佳乃のボールはさきほどとまったく同一の軌道を描いてストライクゾーンに向かっていく。

「角切りチャーシューまんーっ!!」

 やっぱり前回と同じかけ声で真琴は足を踏み出し、アッパースイングでその外角のボールを下から上へとすくいあげた。

 だが、ビデオの再生はここまでだった。

 前回のような快音は鳴らなかった。こつん、と快音とはほど遠い鈍い音が真琴のバットからは生み出されていた。

「……あぅ?」

 真琴はキツネにつままれた顔をしてその打球を見上げていた。打球は、ライトスタンドどころか外野にさえ届かず、ふらふらと一塁ファールエリアに浮いていた。

「わ、わ……」

 ファースト観鈴がおたおたしながらもその凡フライを処理し、真琴の打席はあえなくファールフライに終わっていた。








 その様子を、祐一はネクストサークルの中で膝をついて眺めていた。次は6番北川の打順、つまり代わりに入った祐一の打順というわけである。

 ――ああ、そうだ。今日、これから、この場で。もうほんのすぐ目の前で。

 祐一はふつふつと込み上げる怒りのような感情を自覚する。

 俺は――ようやく絵亜高校をぶっ潰せるんだ。

 陰惨な笑みを顔に貼り付けながら祐一は歩いていく。

「あぅーっ、打ち損ねた!!」

 真琴とすれ違い様、そんな叫びが聞こえた。

「祐一さん、ふぁいとっ、ですー」

「栞ちゃん、それわたしの決め台詞……」

「祐一君、ふぁいとっだよん☆」

「だからそれわたしの……」

 ベンチからの声援も耳から耳に通り抜けさせ、祐一は真琴同様、右打席に足を踏み入れた。

「よう。ひさしぶりだな、通天閣の女医さん」

「馴れ馴れしく呼ぶな。何様だ、君は」

「なんだ、忘れたのか? 去年の夏はあんなに世話になったってのに」

 ほう、と聖の瞳にいたずらめいた光が宿る。

「思い出したか?」

「思い出したよ」特に驚いた様子もない口調。「あの名門校の天才球児が、弱小野球部に鞍替えとはね」

「いろいろあってな」

「助っ人というわけかな」

「違う。正真正銘、俺は華音野球部の一員だ」

「それはそれは」

「なにか文句でもあるのか」

「なにも」

 祐一はあからさまに不機嫌な顔をして、

「にしても、なんだあのバンダナは。なめてんのか」

 マウンドには不似合いな黄色のバンダナが佳乃の手首には巻かれている。

「なめているのは君のその不躾な口調だ。国崎君といい勝負だな」

「大道芸男と一緒にするな」

 往人は頭の上で帽子を天使の輪のようにくるくる回転させていた。

「だいたい、あの豪腕投手はどうしたよ。あのサムライもどきは」

「もどきではない。彼はそのまんまサムライだ」

「俺はやつに借りがあるんだよ」

「ふっ、うちの妹を甘く見てると怪我するぞ」

「へえ」わざとらしく驚いて、「あのピッチャー、あんたの妹なのか。似てないな」

「君の目は節穴か」

「正常だ」

 髪の色も違うし。ていうか歳ごまかしてるだろう、あんた。

「ほう。なにか異議でも?」

「…………」

 あまり余計なことを考えているとボールと同時に後ろからメスも飛んできそうなので、祐一は目の前の勝負に集中することにした。

「ねえねえ」

 佳乃がくすくす笑いながら声をかけてきた。

「魔法が使えたらって思ったことないかなぁ?」

 …………。

「……たしかにあんたの妹だ」

「どういう意味かな」

 まあいい。すぐにあのサムライもどきをひきずり出してやるさ。

 初球、相手は警戒したのか、内角低めにシンカーを持ってきた。外れてボール。

 二球目は外角ギリギリ一杯にストレート、いわゆるクロスファイヤーでストライク。

 三球目、またもクロスファイヤーで今度はボール。

 四球目、飽きもせずクロスファイヤー、執拗な外角攻め、ワンパターン。ふん、なめるなって言っただろう。

 祐一のバットが外角低めを狙いすまして動き、

 ……え。

 しかしボールは外角とは逆コースの内角に向かっていた。

「……くっ」

 懐をえぐり込んでくるボールに祐一は上体を仰け反らせ、反射的に腕を止めていた。バットの根元に当たった打球は一塁側のファールエリアを転々とする。

「どうした、さっきの子供はビーンボール(打者の頭近くをねらった投球)も恐れないくらいだったというのに」

「…………」

「だから、なめているのは君のほうだと言っただろう」

 祐一は大きく息をついた。

 ……そういうことか。

 五球目もクロスファイヤーが内角に来て、どうにかファールで逃げて2−2。

 祐一はあっさりと追い詰められていた。

 ……たしかにやりにくいな、これは。

 ピッチングというのは、当たり前だが敵に打たれにくいボールを投げることが基本だ。そのためには、ボールの出所をでき得る限り隠すという方法がある。

 グラブでボールの握りが見えないようにしたり、身体の死角からボールが放たれるようなフォームをしたり。

 佳乃の十字架フォームは腕をめいっぱい後方に伸ばすことで、ボールを自分の身体で隠し、そのうえ打者の背中側から投げることで、その打者の身体さえもうまく死角として使っているのだ。

 これでは球筋を見切るのは困難、クロスファイヤーが内角にくるか外角に来るかわかったもんじゃない。

「これがバンダナ娘の言う魔法ってやつか?」

「答える必要はないな。というか私の妹に変な呼び名をつけるな」

 祐一は自分の手元、グリップをしばらく見つめ、それからバットを極限まで長く持った。ぐぐ、と強く絞り込む。

 六球目、またも鋭利な角度を伴ったクロスファイヤーがミットめがけて投げ込まれた。

 球筋を見切るのが困難? だったらこっちもそれ相応の打撃をすればいい。

 見えにくいなら見えやすいようにすればいい。

 それだけの話だ。

 足を外に開いて身体の正面からボールを弾き返す――それだけの話だ!!

 コースは外角低め、身体を開いた状態ではとてもじゃないがバットが届かないコース!!

「甘いっ!!!」

 祐一は腕を最大限に伸ばし、バランスを崩しながらも強引に下半身を安定させ、極端に長く持ったバットでそのボールに照準を合わせた。

 捕らえた。

 そう確信した。

 ジャストミートのタイミングで振り抜いたバットは、しかし、快音を響かせることはなかった。

 こつんと鈍い音がして、そして鈍い衝撃を祐一の手首に与えるだけに留まっていた。

 結果は一塁ファールフライ――――

「残念だったな、天才球児君」

 アウトのコールが祐一の頭にこだまする中、聖はそれだけ告げて立ち去った。

 打ち損ね――いや、違う。

 これは……。

 祐一はわずかな痺れを残す両手をしばらく見つめていた。








●スコア


◇0死0塁

1 2 3 4 5 6 7 8 9
絵  亜  
華  音    

【投手】 佳乃
     北川 → 栞

【本塁打】




  絵亜高校
   華音高校


(右) みちる  (中) 水瀬名雪
(二) 裏葉  (一) 天野美汐
(遊) 倉田佐祐理  (捕) 美坂香里
(三) 国崎往人  (右) 川澄舞
(左) 遠野美凪  (二) 沢渡真琴
(捕) 霧島聖  (左) 相沢祐一
(投) 霧島佳乃  (三) 里村茜
(中) 神奈備命  (遊) 柚木詩子
(一) 神尾観鈴  (投) 美坂栞


柳也 月宮あゆ




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