第33話




 絵亜高校のバッテリーが投球練習を行っている中、天野はベンチに座って茜から借りたノートパソコンをいじっていた。

「……相手投手のデータ、出ました」

 その声で、香里ほか同好会メンバーが天野の周りに集まった。

 さっきから天野は「サーバへの侵入成功……楽勝」と顔に薄い笑みを貼りつかせていたのだが、どうやらデータの入手に成功したらしい。

 天野がディスプレイに移った文字の羅列を声に出して読む。

「霧島佳乃。身長156センチ、体重45キロ。血液型A型。誕生日は6月12日。スリーサイズは上から82、53、80」

 野球とはまったく関係ないデータを入手していた。

「ていうか、それはプライバシーの侵害でしょ……」

「そんなものは大事の前の小事です」

 天野はにやりと笑い、

「ついでにホームページの改竄もやっておきました」

 トップページの『絵亜高校のホームページへようこそ』の下に『カワイイぴちぴちぷるぷるな美少女による野球画像が満載!!』という見出しが輝いていた。

「だめだよ。これ、犯罪なんだよ」

「……不正アクセス法違反」

 名雪と舞が的確にツッコんだ。

「……名雪、あんたトップバッターでしょ」

「うん。行ってくるね〜」

 バットとヘルメットを手に駆けていった。

 真琴と舞があとに続き、それぞれ1塁、3塁コーチズボックスに入っていく。

「で、ピッチャーに関する情報は?」

「ありませんでした」

「……そうなの?」

「はい。絵亜高校の地区の野球連盟にもアクセスしてみたんですけど、どうやらこの霧島佳乃というピッチャー、公式戦では一度も投げていないようですね」

 天野の周りに集まっていた一同が、落胆の息をついた。

「まったく、よけいな手間を取らせてくれました」

 つまり天野さんは腹いせにホームページを改竄したわけね。納得。

 香里はディスプレイから顔を離し、マウンドのほうを見た。そこでは投球練習を終えた佳乃が、打席に入った名雪と対峙している。

 プレイが宣言され、1回裏の華音高校の攻撃が始まった。

 佳乃はゆっくりと左足を上げ、グローブをはめた左腕をキャッチャーに突き出し、ボールを握る右腕を後方に伸ばした。

 香里たちベンチから見たその姿は、ミッション系の学校を彷彿とさせる、綺麗な十字架を描いたフォームに映る。

「えいっ!!」

 やや変則気味のモーションから、佳乃の右腕が水平に走った。手首に巻かれたバンダナは傍から見ると邪魔そうだが、本人に気にした素振りは見られない。

 事実、キレの鋭い速球がキャッチャーミットに叩き込まれていた。

「……サイドスローってわけね」

 佳乃はサイドハンドからボールを投げる、横手投げの投手というわけだ。

「球、速そうですね……」

 栞が沈んだ顔でつぶやいた。

 アンダースローとサイドスロー、栞と佳乃はお互い変則投手である点は同じだが、球速だけを見れば明らかに佳乃のほうが上だった。

「あんたの持ち味はスピードじゃないでしょ」

「……そうだけど」

 いじいじと両手の指を重ね合わせていた。

「それに速いって言ったって、北川君よりは遅いと思うけど……」

 と、このときベンチに北川の姿が見えないことに気づいた。

「あれ。北川君、どこいったの?」

「ねえねえ茜もいないんだけど知らない〜て言っても茜のことだから助っ人なんて性に合いませんとか思って帰っちゃったなんてことはさすがに……ううん、もしかして……」

 詩子が勝手に自己完結して頭を抱えていた。帰ってしまうとしたら、性格からして柚木さんのほうだと思うんだけど。

「ブルペンで投球練習してるんじゃないの?」

「いないみたいだよ」

「じゃあコーチャーやってるんじゃない?」

「お姉ちゃん、それ真琴ちゃんと舞さんだよ」

「ねえねえ二人ってクリーンナップだよね〜なのに今コーチャーやってもすぐ戻ってこなきゃかもじゃん〜めんどくさー」

「ふふ、言われてみるとそうですね」

「だったら下位打線のあんたらが行きなさいよ……」

 試合とはあまり関係ない話で盛り上がる華音ベンチに、「ただいま〜」と間延びした声を出して名雪が戻ってきた。

「? なに戻ってきてるのよ」

「えっと……もう終わっちゃったから」

 名雪はすでに三球三振していた。

 華音ベンチのムードが限りなく重くなった。

「だ、だって、真ん中に投げてくれないんだもん……」

「そりゃ打撃練習じゃないんだから……」

 祐一がなんで名雪をトップバッターに指名したのか、激しく疑問だった。

「フフフ……私が目にもの見せてくれますよ」

 ノートパソコンをぱたんと閉じ、2番打者の天野が緩慢に打席へと向かっていく。

「ち、ちょっと天野さん、素振りしないの?」

「よけいな体力は使いません……」

 打席に入り、天野は眠たそうな瞳をマウンドに向ける。佳乃の視線とぶつかるが、火花はすこしもスパークしない。佳乃の表情もほんわかと平和だった。

「緊張感の欠片もないわね……」

「わたしはすっごく緊張したけど」

 そう告げる名雪の顔も、どこかぽけっとしていた。

「いっくよぉー」

 佳乃が第一球を投じる。横から鋭利に繰り出される速球が、天野の膝元に迫り来た。

 サイドスローが相手の場合、右対右ではボールが背中側からやってくるので、どうしても打ちにくい。だから天野は左打席に立っていた。

 見逃して、主審の久瀬がストライクを取った。

 二球目の速球はど真ん中に来て、しかし天野はバットを振らなかった。カウントは早くも2ストライク。

「美汐ちゃん、振らないね」

「まあ、それが天野さんのスタイルだから」

 練習時でもそうだったが、天野は滅多にバットを振らない。そして、振ったら振ったで、大抵がボールに力負けしてボテボテのゴロ、良くて内野へのライナーになる。

 やる気があるのかないのかよくわからないと祐一が嘆くのもうなずける。

「でも、天野さんには選球眼がありますよ」

 栞が小さく言い添えた。

 香里も同意見だった。天野はたしかにバットを振らないが、代わりに三振もしないのだ。ストライクとボールを見分ける力を天野は持っている。

 ベンチから、溢れんばかりの期待に満ちた眼差しが、天野の打席に注がれた。

 そして、注目の三球目。

 佳乃のボールは、速球ではなく、この試合初めての変化球だった。

 ……フフ。これを待っていたんですよ。

 2ストライクと追い込まれたことで天野の両目がカッと見開き、待望の選球眼がついに開眼した。

 そのボールが外角低めいっぱいのストライクゾーンを突くシンカーだと、瞬く間に見破った。

 そして天野は頭脳を覚醒させ、対抗策を弾き出す。

 このシンカーはキレる→とても厄介→バットに当たるか微妙→真芯は無理そう→自分はひ弱→ボテボテのゴロ→走るのめんどくさい→振るだけ無駄。

 天野は見逃した。

「ストライク、バッターアウト!!」

 香里たちはベンチからずり落ちた。

「美汐――っ!! マジメにやれ――っ!!」

 一塁コーチャーの真琴が、誰しもが思っていた不満を口から吐き出した。

「清々しい汗を流しました……」

 戻ってきた天野が満足そうに言って、タオルで額の汗を拭っていた。

「……次、あたしだから」

 あまりにも頼りない1、2番コンビに香里は疲れ果て、打席に向かうその背中は煤けていた。








●スコア


◇2死0塁

1 2 3 4 5 6 7 8 9
絵  亜  
華  音    

【投手】 佳乃
     北川

【本塁打】




  絵亜高校
   華音高校


(右) みちる  (中) 水瀬名雪
(二) 裏葉  (一) 天野美汐
(遊) 倉田佐祐理  (捕) 美坂香里
(三) 国崎往人  (右) 川澄舞
(左) 遠野美凪  (二) 沢渡真琴
(捕) 霧島聖  (投) 北川潤
(投) 霧島佳乃  (三) 里村茜
(中) 神奈備命  (遊) 柚木詩子
(一) 神尾観鈴  (左) 美坂栞


柳也 相沢祐一
月宮あゆ




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