6章  揺れる心、重なる心




  第31話




「き、北川君、だいじょうぶ!?」

 仰向けに倒れたまま動かない北川のところへ、香里が駆けていく。それを合図に、内野陣がマウンドに集まった。

 真琴や茜が黙って見守る中、香里は北川の上半身を抱き起こした。と、北川が薄目を開き、口を小さく動かした。

「……こ、このまま抱かれていたい」

「…………」

「できれば膝枕も――」

「北川君、平気みたいよー」

 香里は遅れて駆けつけてきた外野陣に声をかけ、北川を投げ捨てた。

「では、これは必要ありませんね」

 ベンチから痛み止めスプレーを持ってきた天野が、すぐにまた戻っていった。

「お、オレは怪我人だぞ……」

「随分と余裕な怪我人みたいだけど。……死ね」

 スパイクの追加攻撃を腹部に受け、北川は悶絶した。香里は「まったく……心配して損したわ」とぶつぶつ文句を言いながらキャッチャーズボックスに戻っていく。

 ぞろぞろと他のメンバーも守備につき、最後に詩子が、

「……生きてる?」

 つんつんと指で突っついてからショートに戻り、マウンドには倒れ伏す北川だけが寂しく残された。

「にゅう……このチーム、手ごわいかも」

 ファーストベースの上でみちるが感心していた。








 どうも、打球が当たったのは帽子の上だったらしい。北川は額を指先でしきりにさすっていたが、香里が見たぶんには、そこは少し赤くなっていただけだった。

 たぶん反射的にグローブで顔を守ったのだろう(北川君も詳しくは覚えていないみたい。まあ、そんな暇があったら避けてるだろうし)、だから打球の勢いが弱まって大事に至らずに済んだのだ。

 とりあえず心配なしと判断した香里が腰を落とすと、「よろしくお願い致します」と横から突然声がかかって飛び上がりそうになった。

 2番打者の裏葉が、にこにこと優しげな微笑み顔で打席に立っていた。

 ……いったい、いつの間に。ぜんぜん気配を感じなかったんだけど。

 プレイの合図と共に、北川がセットポジションを取った。目線でファーストランナーのみちるを牽制し、クイックモーションで第一球を投じる。

 球種はストレート、みちるの盗塁を警戒してのことである。俊足巧打が求められるトップバッターなら、足が速いだろうことは予想に難くない。

 と、裏葉がその速球を簡単にバントした。ピッチャーとファーストの間にボールが転がっていく。

「北川君、ファースト!」

 香里の指示で、ボールを捕球した北川はセカンドに振り向かずそのままファーストに投げようとして――かすかに顔をしかめた、ように見えた。

 それは一瞬のことで、ボールは危なげなく天野のグローブに納まり、バッターアウト。送りバント成功で、1アウト2塁。

 北川は、特に何の素振りも見せずマウンドに帰っていった。

 香里は北川のそんな背中を見送って首をひねり、次にセカンドベースに立つみちるに目をやって、ため息をついた。

 ちょっと不用意だったわね、というか北川君、初球くらいちゃんと外角に外しなさいよ。あたしの要求無視しないでさ。

「ワンナウトだよ〜しまっていこ〜!!」

 センターの名雪が両腕を掲げて声を上げた。外野手でもしっかりキャプテンの役目を果たしている名雪に苦笑いし、香里はさきほど頭に浮かんだ疑問を拭い去った。

 3番バッターの佐祐理は、まだ打席には入らず、視線をライトのほうに注いでいた。しばらくそうやってから、静かに左打席へと足を入れる。

 セカンドランナーのみちるをサードに送るためには、佐祐理の見ていたライト側、つまり右方向に打つのが定石である。

 彼女は、きっとそこを狙ってくる。

 北川は乱暴にマウンドを蹴り、気を静めようとする。ちらりと背後の走者を一瞥し、セットポジションから大きく右腕をしならせた。

「ストライク!」

 こんな調子で北川はボールを外角に集め、カウント的には佐祐理を2−1と追い込んだ。

 と、佐祐理がインコース寄りに肩をぐぐっと寄せたのを、香里はマスクの奥で確認した。

 あくまでライト方向に打つつもりかしらね。けっして身体が大きいほうではない佐祐理でも(佐祐理の身長は159センチ。香里の身長より5センチ低い)、これなら外角にもじゅうぶん手が届く。

 だったら、と香里は北川に逆コースの内角を要求――する前に北川が投球モーションに入っていた。

 北川は渾身のウイニングショットを外のコース、やや真ん中よりに投げ込んだ。もちろん球種はストレート。

「舞。これは挑戦状です!」

 足をめいっぱいベース近くに踏み出してから伸びた佐祐理のバットが、強引に右方向へとボールを押しやった。

 キイィン、と快音を響かせた白球は香里が警戒していたにも関わらず、天野が出したグローブの横を抜けた。

 そんな打球の行方など目もくれず、みちるは三塁を蹴って一気に本塁突入を狙っていた。普通ならこれは暴走だろうが、三塁コーチャーの聖がゴーサインを出していたのだ。

 聖は確信を持って思う。ライトを守るのは、男子よりも肩の弱い女子部員。ならばなんのためらいがあろうか!

 ダッシュで打球を捕獲した舞の右腕が、台風でも起こす勢いで振り下ろされた。

「なに……っ!!」

 聖が目を剥くが、時はすでに遅かった。低い弾道の返球がノーバウンドで、あたかもレーザービームのように香里のミットに突き刺さっていた。

 ボールよりも遥かに遅くホームに到達したみちるに、香里は特に喜ぶこともなく淡々とタッチした。

「アウト!」

 が、香里は内心、どきどきものだった。だって川澄さんの返球って、たまにあり得ない方向に飛んでいくから……。ギャンブルでもやっている心境だ。

 それは佐祐理も知っていたことだった。佐祐理と舞の視線が、鋭くライトとファーストを結んでいる。

 香里は、しゃがみ込んでホッと安堵している北川のところに寄っていって、ゴン!! と頭をぶん殴った。

「な、なにすんだ!?」

「それはこっちのセリフよ。あんた、いつまでひとり相撲やってんのよ。猿みたいにワンパターンに投げてないで、ちゃんとあたしのサイン通りに投げなさいよ」

 香里は腕組みをして北川を見下ろし、しばらく無言でいたが、ほんのすこしだけ笑んで言った。

「最初に言ったじゃない。気を楽にしろって。もっとさ、バックを信頼してもいいんじゃない?」

「…………」

「返事は?」

「……はい」

「よろしい」

 香里が離れていくと、北川はゆっくりと立ち上がってマウンドに戻り、大きく顔を振り仰がせ、それから周囲を見回し、

 ……うわ、みんなオレのこと見てるよ。

 自分が注目されていることを知って目を逸らした。

 北川はホームに視線を押し向けた。すでにそこには、次に迎えるバッターが歩み寄っているところだった。

 出たわね、南の怪物。香里の頭の中で、いや、グラウンドにいるナイン全てが最重要警戒人物として位置付けている絵亜高校の四番、国崎往人が、今まさに打席に足を踏み入れようとしていた。

「き、君、バットを頭の上で回してるんじゃない!!」

 法力を駆使していた往人に、審判の久瀬が注意した。

「……眩暈が」

 打席に入る前に、往人が法力の使い過ぎで片膝をついた。

 案外、簡単に抑えられるかもしれないわね。香里の胸に、大きな希望の光が灯った。

 一回の表、2アウト1塁。試合はまだ始まったばかりだが、フィールドには山場を迎えたような緊張感が漂いはじめていた。








●スコア


◇2死1塁

1 2 3 4 5 6 7 8 9
絵  亜  
華  音    

【投手】 佳乃
     北川

【本塁打】




  絵亜高校
   華音高校


(右) みちる  (中) 水瀬名雪
(二) 裏葉  (一) 天野美汐
(遊) 倉田佐祐理  (捕) 美坂香里
(三) 国崎往人  (右) 川澄舞
(左) 遠野美凪  (二) 沢渡真琴
(捕) 霧島聖  (投) 北川潤
(投) 霧島佳乃  (三) 里村茜
(中) 神奈備命  (遊) 柚木詩子
(一) 神尾観鈴  (左) 美坂栞


柳也 相沢祐一
月宮あゆ




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