第29話




 香里たち一行がようやくグラウンドに到着したとき、三塁ベンチ――絵亜高校側のベンチの前で、相手チームのピッチャーらしき女の子が投球練習を行っていた。

「わぁ!? あたしのボール、止まったよぉ!?」

 言葉通り、女の子の投げたボールはホームプレートの手前で急停止し、ぷかぷかと浮いていた。

「佳乃、おまえは止まる魔球を会得したんだ」

「そうなの? あたしぜんぜん気づかなかったよぉ」

「レベルアップとはそういうもんだ。一定の経験値を積むと前触れも因果関係もなにもなく唐突に必殺技を覚えるのは永遠の真理だ」

「……国崎君。なんの真似かな、これは」

 キャッチャーらしき女性(ユニフォームの胸の文字がなぜかこの人だけ『絵亜』ではなく『通天閣』だ)が、サードを守っている長身の男をじろっと睨んだ。

 男はそこでかめはめ波みたいなポーズを取っていた。

「往人さん、それ反則!! 法力使っちゃだめ!!」

 観鈴が慌てて往人に飛びついた。

「なぁんだ、往人君の仕業だったんだぁ」

「この魔球があれば完全試合も可能だな」

「それどころか没収試合も可能だろう」

 通天閣の女性が浮いていたボールをぱしっとつかみ、長身の男の顔面に投げつけた。

「なにやってんねんあいつは!?」

 ホームでノックを打っていた監督らしき女性が、突然センターに向かってバットを突き出した。

 そこでは、背中に両翼を生やした女の子がすいすいと泳ぐようにセンター上空を旋回していた。

「それがですね、晴子さま。神奈さまはレベルアップを果たしたのでございます」

「なんやそれは!?」

「おそらく観鈴さまと神奈さまの呪いが解けた影響かと。今ではジェット機同等、いやそれ以上の飛行も可能となっております」

「余がいる限り外野の守りは磐石だと思うがよいぞ〜」

「ああ、神奈さま、あんなにご立派にお美しく成長されて。柳也さまも草葉の陰で喜んでいることでございましょう……よよよ」

「余がいる限りホームランはないと思うがよいぞ〜」

「なんでもいいからはよ降りてこんかいっ!!」

 そのとき北川とキャッチボールをしていた舞が誤って暴投し、センターに向かって超快速球が突き進んだ。

 センターを飛行していた翼の少女の頭に当たり、へなへなと墜落した。

「……ごめん」

 舞がすまなそうにしていた。

「わぁ!? 今度はボールがUターンして戻ってきたよぉ!?」

「よ、余がいる限り絵亜高校の負けはないと思うがよいぞ〜」

 騒々しさ、ここに極まれり。








「あはっ、なにあれ、おもしろーい☆」

「これはもはや大道芸ですね」

「あんな人たちに勝てるのかな、わたしたち……」

 同好会の皆は一塁ベンチに荷物を置いて、相手チームの練習を茫然と眺めていた。

「こ、こ、こ……」

 香里の顔がみるみる紅潮し、

「この超ど級の反則チームがぁ……!!」

 持っていたかおりんバットをへし折る勢いで激昂した。

「……おかしいですね」

 投球練習中のピッチャーの顔を遠目に見ていた茜が、香里とは反対に冷静につぶやいた。

「どしたの、茜? 難しい顔しちゃって」

「いえ、去年と投手が違っているようなので。見たことのない顔です」

「そうね」相手ベンチを睨みつけながら香里が言う。「甲子園をひとりで投げ抜いたあの豪腕投手じゃないようね」

 ピッチャーの右の手首には黄色い布(バンダナだろうか?)が巻かれていた。その右腕が鞭のごとくしなり、投球モーションに合わせてバンダナがばさばさと棚引いた。

「新加入の選手でしょうか。……調べてみる必要があります」

 茜がベンチに腰かけて、傘の柄が飛び出ているスポーツバッグから薄型の四角いカバンをひっぱり出した(なんでバッグからカバンが……どんな収容量をしてるんだろう)。カバンのチャックを開けて、これまた薄型の箱みたいなものを取り、膝の上に乗せた。

「なにそれ?」

「ノートパソコンです」

 かぱっと広げて電源をONにして、「まずはネットから絵亜高校のHPへアクセス……」となにやらカチャカチャやっている。

「ハッキングなら手伝いますよ」

 茜の横から、天野がディスプレイをひょいと覗き込んだ。

「なんにしろ、野球を愚弄する輩はこのあたしが許さない……。生きて帰れるとは思わないことね」

 香里がバットを正眼に構え、早くも臨戦体勢を取っていた。もし乱闘騒ぎでも起きれば、一番の戦力は間違いなく彼女だろう。

「にしても、遅かったな。もう試合開始時間とっくに過ぎてるぞ」

 と、北川が寄ってきた。ぜえぜえと肩で息をしていて、その顔はキャッチボールのしすぎで汗だくだった。

「……あんた、そんな調子で投げられるの?」

「なにが?」

「だから、そんな疲れてて一回から投げられるのかって聞いてるの」

「お、オレが先発なのか!?」

 ぶらぼー、と北川がくるくる踊った。頭のアンテナはもうビンビンだ。ここで「うっそー、やっぱり栞が先発〜」と言ったらおもしろいかも、と思った。

「うっそー、栞さんが先発ー」

 天野が実際に小声で言っていたが、狂喜乱舞する北川の耳には入らなかった。

「すぐに試合を始めようと思うが、よろしいかな。いいかげん、待ちくたびれているものでね」

 男の声がかかった。嫌に人を逆撫でするこの気取った声は……と香里が振り返ると、そこには生徒会長の久瀬がいた。

「……なんであんたが」

「審判さ。倉田さんに頼まれてね」

「あんた、野球経験あったの」

「あったらしい」

「……なにそれ」

「あははーっ。なにぶん登場キャラには限度がありますので、こうでもしないと円滑に話が進まないんです。ちなみに塁審も生徒会役員の方々が務めることになってますよ」

 いつの間にやら佐祐理が側にいて、補足説明してくれた。見れば、バックネットの裏側に三人の男女が集まっている。どれも見たことのない顔だ、きっと原作では名前も登場していないキャラだろう。

「うわっ、なにあの人、通天閣だって〜」

 詩子が野次馬根性で相手ベンチに遊びに行っていた。右手にはグローブがはめられていて、具合を確かめるように閉じたり開いたりさせている。

 詩子は左利きである。なのにショートを守る予定だった。普通、左利きの選手にファースト以外の内野を守らせたりはしない。ファーストベースの位置の関係上、左だと送球しづらいからだ。

 舞から受け取った自チームのメンバー表を見て、香里は頭を抱える。これは、祐一が昨日までのものを修正して作ったものらしい。

 詩子と茜の守備力を知らない香里には、このポジションに文句をつける筋合いはないのだろうが……(ただ、里村さんは本来キャッチャーらしいので、強肩ならばサードは妥当かもしれない)。

 それに加え、これは香里も知らない情報だが、詩子は左肩を壊していた(知っているのは、このグラウンド上では詩子本人と茜、舞、そして佐祐理の四人だけ)。もし香里がこのことを知っていれば、すぐにポジションを変更させたに違いない。

 ……そういえば、彼女たち、なんであたしたちを助けてくれるんだろう?

 まだ理由を聞いていなかった。相沢君が頼み込んだというのは予想つくけど。

「あっはは、超センスわる〜っていうかどう見ても高校生じゃないねこの人☆」

「オバサンオバサン〜♪」

 詩子と、これまた野次馬でついていった真琴がキャッチャーの女性を指差した瞬間、ざくざくっ!! と二人の足元になにかが突き刺さった。

 陽光をぎらりと反射する銀色のそれは、手術用のメスだった。

「私はこう見えても高校生だ。むしろいつまでも女子高生だ。なにか異議でも?」

「……滅相もございません」

 青い顔をした詩子の隣で、真琴もこくこくうなずいた。

 この二人にセンターラインを任せていいのか、とても不安だ。

「わあ……かわいいです。ね、名前なんていうの?」

 グラウンドでは栞が、まだ沈んだ調子の足取りで恐る恐るではあったけれど、しっぽ髪の子に思いきって話しかけていた。

「ふふん。みちるはみちるって言うんだぞ」

「ねえねえ」栞に続いて、名雪も瞳を輝かせて口にする「ボクいくつ?」

「みちるは女だ――――っ!!」

 大声に圧倒され、名雪が瞳をぱちぱちやり、栞がぺたんと尻餅をついた。

「すみません、躾がなっていないもので……」

 青いリボンの女の子がおたおたと近づいていった。

「これ、どうぞ。お詫びの印に」

 お米券と書かれた封筒を差し出していた。

「……なんか、収拾がつかなくなってきたわね」

「20人以上の大所帯ですから。放っておいたら日が暮れるまでこんな調子が続くかもしれませんね」

 楽しげにほほえむ佐祐理の横顔に、香里はついと視線を振る。

 騒がしいったらないわね、まったく。こんなんで試合になるんだろうか。相沢君もけっきょく来なかったし。

 向こうでは、栞が首をかしげながらお米券を受け取っている。

 でも、まあ、いいか。相沢君がいなくても、栞の落ち込みはこのグラウンドに広がるお祭り騒ぎがいくぶん拭い去ってくれたようだし。

「それじゃ、さっさと始めましょうか」

「はい」

 なにはともあれ――――

 華音高校野球同好会存亡を賭けた決戦は、主役である相沢祐一とヒロイン? である月宮あゆを欠いたまま、

「プレイボール!」

 ついにその火蓋が切って落とされた。








●現時点でのオーダー表


・華音高校 ・絵亜高校

     スターティングメンバー

ピッチャー
 北川潤  霧島佳乃
キャッチャー  美坂香里  霧島聖
ファースト  天野美汐  神尾観鈴
セカンド  沢渡真琴  裏葉
サード  里村茜  国崎往人
ショート  柚木詩子  倉田佐祐理
レフト  美坂栞  遠野美凪
センター  水瀬名雪(キャプテン)  神奈備命
ライト  川澄舞  みちる


         ベンチ

 相沢祐一  神尾晴子(監督)
 月宮あゆ  柳也(キャプテン)




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