第14話
光というものがまるで感じられない密室に、ふたつの人影が微動だにせず相対していた。
片方の人影は、まるでお城の玉座とでも言い表せそうな豪奢な椅子に静かに腰を落ち着かせていて、もう片方はその手前でひざまずき、深々と土下座でもするように頭を垂らしている。
「……以上が報告です」
ひざまずいた片方の人影――工事現場のオッサンがそう口にすると、もう片方の人影がゆっくりと立ち上がった。それに合わせ、後ろ髪を飾る緑色の大きなリボンがふわりと優雅に揺れる。
倉田佐祐理は蔑むようにオッサンを見下ろして、慇懃な口調で一気に言った。
「そうですか。佐祐理がせっかく苦労して立てた看板をあっさり倒したあげく我が物顔でグラウンドに入り浸り果てはその看板に施されていた宝石の類を質屋に売り飛ばしたんですか、あの者達は」
オッサンが「はは――っ」と意味もなくひれ伏した。それから相手の顔色を窺うようにちらちらと上目遣いをする。
「た、ただ、ボブカットのストールの子と青髪の糸目の子は、質屋に行くのに反対していたようですが……」
「そんなことはどーでもいいんです」
佐祐理はぴしゃりと言い切って、
「問題なのは、あの者達が野球の練習を行ったという、その一点です」
オッサンが「はは――っ」とまたひれ伏した。佐祐理は無感情にそんなオッサンの様子を眺めやり、ふうと一息ついて言った。
「あなたの役目はなんでしたか?」
オッサンがガバッと顔を振り仰がせる。
「は、はい! わたくしめの役目は、華音野球同好会の者達にあのグラウンドを使用させないという――」
「あなたは役目を果たしましたか?」
「…………」
オッサンが力なくうな垂れた。佐祐理はやれやれとため息をついてから、右手の親指を立てて自分の首に向け、スッと横に引いて、
「あなた、クビです」
くいっと親指を下に落とした。オッサンの顔が蒼白になった。
「ままままま待ってください!! 私には養わなきゃならない妻と子供が――」
どこからか黒服の二人組みがやって来てオッサンを後ろから羽交い絞めにし、ずるずるとひきずっていく。
「佐祐理お嬢さまぁ!! わたくしめに今一度チャンスを――――っ!!」
「あははーっ、佐祐理の辞書に今一度なんて慈悲めいた言葉は載ってませんよーっ」
オッサンは扉の外に連れ出された。
佐祐理は玉座に腰かけた。片肘をついて目をつむり、何事かを思い巡らせるようにしばらくの間そうしていた。
まぶたを開けたときには、佐祐理の瞳には決意めいた光が宿っていた。
「祐一さん……もしかしたら、あなたは、佐祐理たちの希望なのかもしれません。でも……」
佐祐理は玉座から立ち上がり、この薄暗い部屋を出ようと足を扉に向ける。
「あなたがいると、舞はいつまでも解放されないんです。まだ、『奴ら』と戦おうとするんです……」
外に出て、大きな屋敷の廊下をかつかつと歩き、ふと足を止めて佐祐理はその言葉を強く口にする。
「だから、佐祐理は舞のため、悪魔に魂を売りましょう」
佐祐理はそして、登校の準備をするのに自室へと向かっていった。
「……だから、おまえはなんでここにいるんだ」
祐一がダイニングに入ると、昨日と同様にカチューシャの女の子が朝ご飯をむさぼっていた。
「おはよ、祐一君」
「……なんでおまえは俺の名前を知ってるんだ」
すると女の子はえっへんと薄い胸を逸らして、
「ボク、祐一君のことならなんでも知ってるよ。祐一君がこの街に引っ越してからずっと見てきたもん」
「…………」
ひょっとしてストーカーだろうか、こいつは。
「祐一君、これからもよろしくね」
にっこり笑って女の子が席に着いたままぺこりとお辞儀する。これからもストーカーを続けるって意味だろうか。
と、女の子がじいっと祐一の顔を見つめてきた。なにかを期待する瞳で。
「……なんだ?」
「あ、う、うん」女の子は照れたように視線をちょっとずらして、「祐一君、ボクのこと覚えてない?」
「俺にストーカーの知り合いなんかいない」
「ストーカーじゃないもん!!」
「やーいやーいストーカーストーカー。ストーカーは隅っこの日陰で指くわえて太陽でも拝んでろー」
「うぐぅ……祐一君、やっぱりいじわる」
涙目になっていた。
「祐一さん、あゆちゃんのことあまり苛めないであげてください。私達はもう家族なんですから」
秋子がキッチンから優しく声をかけてきた。祐一は納得した。いや、イジメのところではなく、やはり家族が増えたのだというところに。
「あゆちゃんのことは妹だと思って仲良くしてあげてくださいね」
「何物です、これ?」
指差して聞いてみる。女の子が「物扱いしないでよっ」という目つきで見返してきた。
「月宮あゆちゃんよ。さっきも言った通り、祐一さんの妹です」
「……いや秋子さん、俺に妹なんていませんよ」
「実はいたんです」
言い切られた。
「あゆちゃんは、祐一さんの母――私の姉さんが祐一さんを生んだ直後に月宮という苗字の男とそっこーで不倫してそっこーで身ごもった子供だったんです」
衝撃の事実だった。
「だからあゆちゃんは祐一さんと血の繋がりのある妹ってことでひとつよろしくお願いします」
秋子さんが楽しげに(本気で楽しんでいるんだろうな……)言い添えた。
「よろしくね、祐一君……じゃなくて祐一お兄ちゃん」
あゆ(という名前らしい)が屈託ないほほえみ顔でとんでもない呼び名で呼んできた。祐一はため息をついた。頭痛がした。もうどーにでもしてくれってカンジだった。
「まあ、真琴の件もあることだしな……」
ちなみに真琴は、世間体では名雪の妹ってことになっているらしい。本当にそれで世間体が保たれているのかは謎だが。
「秋子さん、おかわり〜」
「はいはい」
あゆが差し出した茶碗を、秋子が穏やかな仕草で受け取った。
あゆと秋子さんのこんな態度を見ていると、ふたりは親子としてじゅうぶんやっていけるんだろうなと半ば感心して、しかし、そのせいで兄妹なんていうとばっちりが避けられなくなることに半ばげんなりした。
祐一は席に着いた。ぱくぱくと朝食をがっつくあゆの横顔をぼんやり眺めた。
月宮あゆ……か。どこかで聞いたことのある名だが、頭の中は霧がかかったようにもやもやしていて思い出せない。
まあ、いいか。祐一は考えるのをやめた。それよりも急いで朝食を片付けないと学校に遅刻する。祐一は味噌汁をずずっとすすった。
秋子が、お茶の乗ったトレーを運んできて、言った。
「それでですね、祐一さん。二人は兄妹なんですから、部屋も共同でいいですよね?」
味噌汁を吹き出した。
「いいわけないでしょう!?」
「そうなんですか?」
意外そうに聞き返された。
「ボクはぜんぜん問題ないよ」
「……おまえは黙ってろ」
「私も問題ありませんよ」
「……秋子さん、お願いですからすこしは問題にしてください」
「だって祐一さんとあゆちゃんは血の繋がりのある兄妹なんですよ?」
念を押すように言われた。秋子さんにかかれば血縁関係すらも後天的に決定できるらしい。
「だから祐一さん、あゆちゃんと仲良くしてあげてくださいね」
秋子があゆのほうに慈しみのまなざしを送って言った。
「あのですね」祐一は眉間に人差し指を当てながら、「家族が増えるのは百歩譲って目をつむるとして、普通は名雪と共同部屋だと思うんですが……」
「でも名雪の部屋は真琴と一緒になってますし、他に部屋がないんですよ」
秋子のその口調には有無を言わせない力があった。
「い、いや、秋子さん。たしか二階に空き部屋があったと思うんですが……」
「そこは真琴が花火で悪戯して焼け跡になってるんです」
衝撃の事実だった。
「そんなわけでよろしくね、祐一お兄ちゃん」
もう何度目かのセリフをあゆが言い放った。
「おはようございまふ〜」
「おっはよーっ」
と、瞼をこすりながら名雪が、元気いっぱいに真琴が、二人並んでダイニングに入ってきた。
「おはよ、名雪さん、真琴ちゃん」
「あゆちゃん、おはよ〜」
「おはよーっあゆー」
「名雪、はやく食べないと学校遅れるわよ。今日はあゆちゃんも一緒なんだから」
「…………」
あゆが一緒? なんで? と祐一が秋子に問うよりも先に、名雪が言った。
「そっか。あゆちゃん今日からわたしたちと一緒に登校するんだよね」
「うん。ボク今日から名雪さんたちと同じ高校通うんだ〜」
衝撃の事実だった。
たくさんの理不尽な事実が祐一を泣きたい気分にさせていた。
「いいなー。秋子さーん、真琴も学校行きたーい」
「そうね。今度真琴の経歴も詐称して書類を偽造しちゃおうかしら」
「わーいっ!!」
なんだかよくわからない世界が目の前にできあがっていた。
「これでみんな一緒だね、祐一お兄ちゃん」
ひとり取り残されていた祐一に向かって、あゆが迎え入れるように微笑んだ。その笑顔が祐一には悪魔の誘いに見えた。
「……とりあえず、その呼び方をなんとかしてくれ」
これ以上、言葉が出なかった。
●現時点でのオーダー表 | ||
ピッチャー | 美坂栞 | |
キャッチャー | 相沢祐一 | |
ファースト | 天野美汐 | |
セカンド | 沢渡真琴 | |
サード(ピッチャー) | 北川潤 | |
ショート(キャッチャー) | 美坂香里 | |
外野全部 | 水瀬名雪(キャプテン) | |
部員数7人 |