第11話




 昼休みになってすぐ、祐一は部室を訪れていた。

「どうするかなあ……」

 長机に頭を突っ伏し、目の前にある紙切れ――オーダー表をくしゃっと丸める。

 昼食も取らず、先ほどからずっとこうやって野球同好会のメンバーのポジションを決めようとしていたのだった。

「部員もさっさと集めないと……」

 九人いなければポジションなんて決められるわけがない。そんなことは重々承知だった。

 けれど祐一は決めておきたかった。できるだけ早くに。

「試合してえ……」

 本音だった。

「はやく絵亜高校をぶっ潰してえ……」

 これも本音だった。

 ただ、祐一たちチームに根付く深刻な問題は他にもあった。夏の甲子園の地区予選が近いのだ。今は四月下旬、そして予選の抽選会は六月には始まってしまう。

 祐一たちの通う華音高校は、どうやら高野連には登録されていたらしく(昔はちゃんと野球部があったらしいが詳しくは知らない)、地区予選の出場権は得ていた。

 だが、部員数が足りなければ当然、不戦敗になる。

 甲子園どころか地区大会の一回戦で敗退。

 冗談じゃなかった。

「……だああ!」

 作成中のオーダー表をまた丸めてポイッと投げ捨てる。

 部員数が足りなければかき集めればいい。クラスメイトからでも、名雪のツテで陸上部員からでも、素人でもなんでもいい。時間がないのだ、なりふり構っていられない。

 だがせめて、今の野球同好会のメンバーでしっかりしたオーダーは組んでおきたかった。

「まず、栞がピッチャーなのは確定として……」

 と、滑らせていたシャーペンが止まる。

 栞は、野球知識は豊富だが、身体がついて来ていない。純粋に体力がないのだ。守備の動きは緩慢、打撃もパワー不足。

 そして一番の問題は、スタミナにかなりの不安があることだろう。

「リリーフも考えないとな……」

 やはり北川に頼むのがベストだろうか。脇役だが、仕方ない。

「ふむ……」

 次に香里。

 オールマイティキャラである。飛びぬけたところはないが、弱点もない。うちのチームで一番の戦力と言っても過言ではないだろう。

 もちろん俺を抜かしてだが。

 だから、できれば香里にはセンターラインを守って欲しい。守備の要といわれる、キャッチャー、セカンド、ショート、センターのどれかを。

 現に、香里はキャッチャーを志望している。

 しかしそれは、俺と同じなわけで。

 いずれ香里とはポジション争いをやらなきゃいけないんだろうな……。

「はあ……」

 気が滅入る。横取りしようもんなら、あの祝・阪神優勝(以下略)バットで撲殺されるのが目に見えている。

「……あのバットは『かおりんバット』と命名しよう」

 恐怖のためか思考が逸れていた。

 四人目、天野。

 やる気があるのかないのかわからん。何考えてるのかわからん。得体が知れなくて不気味。

 そんなわけで、どこを守らせればいいかまったく見当がつかん。

「だめじゃん」

 ぐでっとなる。もう何度目か知れない。

 と、そのとき背後の扉が開く音が聞こえた。

「あ、祐一。ここにいたんだ」

 名雪が、ちょこんと隣に座って顔を覗き込んでくる。

「祐一……どうしたの? 疲れてるみたいだけど」

「ちょっとみんなのポジション決めをな」

「ポジションって、守備のことだよね」

「ああ。名雪、えらいぞ。勉強してるな」

「バカにされてる気分……」

「気のせいだ」

 名雪はしばらく口をとがらせて、

「でもポジションなんて、そんなに急いで決めなくたっていいんじゃないの?」

 思いついたように聞いてきた。

「一刻も早く試合をするためだ」

「試合? なんで?」

「やりたいからだ」

「祐一らしいね」

 にっこり言われた。照れる。

「言っとくが、俺だけじゃないぞ。栞も言ってたんだよ。初めて会ったとき、この部室で。部員数が足りなくて、試合したくてもできないって」

「……そっか」

「ああ。それと、実践練習のためでもある。なんにしても部員があと二人必要だけど」

 甲子園的には真琴を数に入れられないので、あと三人だ。

「……はあ。腹減ったな」

 いいかげん、考えがまとまらなかった。ゴミになったオーダー表の数々から逃げるように、祐一は席から立った。

「まだお昼食べてないんだ」

 名雪がにこにこして言った。

「おまえは食ったのか?」

「ううん、まだだよ」

「じゃ、食いに行くか」

 すでに昼休みは半分を過ぎていた。この時間なら学食も空いているだろう。

 と、名雪が持参していたカバンをしきりに漁っていた。

「なにやってんだ?」

「えっと……はい。おべんと」

 小さな包みを長机の上に置いた。

「祐一の分だよ」

 どうぞ、と手渡してくる。

「名雪が作ったのか……って、そんなわけないか」

「どういう意味だよ……。ちゃんとわたしが作ったんだよ」

 スネられた。

「でもおまえ、今朝は寝坊してただろ」

「夕べのうちに仕込んでおいたの」

 包みを解いてふたを開けると、色とりどりのおかずが二人の前に現れる。

「一日12時間寝ないとダメなやつが、無理すんな」

「うー……」

「まあ、でも、ありがとな」

「うん」

 それにしても、もし俺が部室じゃなくて教室に残っていても、名雪はこうやって自作弁当を披露したんだろうか。

 わんさかいるクラスメイトの面前で。

「したんだろうな……」

「? なに?」

「いや……そういえば、おまえの分は?」

「ちゃんとあるよ」

 カバンに手を突っ込んで中をひっかき回していた。

「……あれ」

 最初はゆっくりだったその手がだんだんと早くなって、次第におろおろし出して、顔色がみるみる青くなっていった。

「忘れた……」

「わはははははははははっ!!」

「うー、ひどいよ……」

 ひとしきり笑ってから、名雪と一緒に弁当をいただいた。

 一人分だったので量は足りなかったが、味は文句なかったので感謝しておくことにする。

「さて、と」

 ふたたび長机に向かってシャーペンを握りしめた。

「またやるの?」

「ああ、今日できることはその日のうちにやるのが俺のモットーだ」

「わたしのモットーは早寝早起きだよ」

「ぜんぜん守られてないだろ……」

 名雪はたとえ大震災が襲ってこようと早寝遅起きである。

 気を取り直して祐一がオーダー表作成に取りかかろうとしたとき、

「じゃっじゃーん♪」

 景気良い声が見事に邪魔してくれた。

「祐一、めっけーっ」

 真琴が、部室に勝手に入り込んで祐一の腕にしがみついた。

「ねえねえ、練習しよーっ」

「……ていうか、おまえなんでここに」

「だって家にいたって暇なんだもーん」

 まあ基本的に家には誰もいなくなる(秋子さんも仕事に行っている)ので、その気持ちはわからなくもない。

「はやくーっ練習しようよー」

 ぐいぐいとひっぱられる。

「あのなあ、まだ昼休みだろうが。俺たちはこれから午後の授業があるんだよ」

「そんなのあとでいいじゃーん」

 あとにできるもんなら俺だってそうしたい。

「こらっ。祐一が困ってるでしょ」

 名雪がさっそく「めっ」する。

「いい子だから、放課後まで大人しく待ってようね」

「あぅー……だってえ……」

 言いながら、制服から手を離そうとしない。もう袖がびろびろに伸びていた。

「だいたい、おまえ野球嫌いじゃなかったのか」

「き、嫌いだもん! でも練習は好きっ!!」

 矛盾しまくり。

「ねえー、名雪も一緒にやろーっ?」

 その母性本能をくすぐる甘えた声で、名雪の顔に動揺が走る。

「ねえってばあーっ」

「う、うん……でも」

 真琴が、今度は祐一と名雪の袖を同時にひっぱって外に出ようとしていた。

「待てって。俺は今みんなのオーダーを決めてんだよ」

「おーだー? なにそれ」

「みんなの守備位置を考えてたんだ」

 すると真琴の瞳が好奇心で輝き出した。

「ねえねえ、真琴はどこ守るのー?」

「ふむ、そうだな……」

 祐一の視線があたかもスキャナのように放射線となって真琴の姿を捉え、分析を試みた。

 沢渡真琴。年齢不詳。性別メス。

 動物的に勘が鋭く動物的に嗅覚も鋭く動物的にいじきたない上に解読不能なマコピー語を操るいわゆる動物そのものである。

「なによそのふざけたデータはっ!!」

 ドロップキックを食らった。

「ま、待て、はやまるな。これからが本番だ」

「あぅー……」

 というわけでスキャンを再試行する。

 沢渡真琴。年齢不詳。性別メス……じゃなくて女。

 動物的ジャンプ力と動物的反射神経を併せ持ち、動物的キャッチングを披露するが、動物的に集中力がなく動物的に飽きっぽい上に動物的にムラッ気があるので、その日によって調子の良し悪しの差が激しい。

「あぅー……」

 真琴の目つきが怖かったが、とりあえず解析結果を出力してみる。

 これらのデータから弾き出される有力なポジションは――――

「……なんかもう、どーでもいいや」

「なによそのテキトーな扱いはっ!!」

 やっぱりドロップキックを食らった。

「ね、ねえ祐一。わたしは?」

 名雪がおっかなびっくりに尋ねてきた。真琴と同様、自分のポジションが気になるらしい。

「うむ、やってみよう」

 さっそくスキャン開始。

 水瀬名雪。華音高校の二年生。性別女。

 見るからに童顔だがなぜか世間一般では可愛い系でなく美人系として通っている。考察するにその理由は名雪のふっくらした見た目の体型とは裏腹の見事なプロポーションによるところが大きく、身長164センチ体重47キロ、スリーサイズは上から83、57――

「わああああああああ――――っ!!!」

 名雪がスキャンを遮った。

「なんで祐一が知ってるんだよ――――っ!!!!」

「ふっ、このスキャニングは俺の保有するスキルのひとつでな。おまえのことなら枝毛の数から肌年齢まで……」

「うわああああああああああんっっっっ!!!!」

 泣きながらダダッコパンチを繰り出してきた。

「ちょっ、おまえ、本気で殴るな!!」

「バカバカバカ祐一の大バカ――――――っ!!!!!」

「……あんたたち、楽しそうね」

 いつからそこにいたのか、香里が呆れて立っていた。

「名雪。ちょっといいかしら」

 祐一の上に乗っかって(俗に言うマウントポジションを取って)いた名雪の拳が、ぴたと止まった。

「? なに?」

「秋子さんが呼んでたわよ」

「お母さんが?」

「ええ。さっき教室に来てたのよ」

「……うん、わかった」

 名雪は祐一から離れ、部室を出ていった。

「相沢君、モテモテね」

「……今の仕打ちを見てなぜそんな言葉が出てくる」

 口の中は血の味でいっぱいだった。

「にしても、なんで秋子さんがうちの学校に来てるんだ?」

「……あんた、知らなかったの?」

「なにが?」

 香里の瞳に意地の悪い光が宿った。

「ま、そのうちわかるわよ」

 名雪に続いて部室を出ていった。

「……なんなんだ、いったい」

「ねえ祐一、練習やろーよーっ」

 しきりにひっぱる真琴をよそに、祐一は首をかしげるばかりだった。








 まだ昼休みの活気が溢れる校舎一階の廊下を、名雪は黙々と歩いていた。

 目的地は決まっている。そう、名雪の母親である秋子のいるところ。

 一室の扉の前に立ち、ためらいがちにノックする。

「どうぞ」

 扉を開け、名雪はその部屋に入った。

「あら、名雪。ごめなさいね、呼び出しなんかしちゃって」

 奥の回転椅子に座る白衣の女医――水瀬秋子が穏やかな微笑を浮かべて名雪を迎え入れる。

 ここは、保健室。

 この春から、秋子は華音高校の臨時の保険医をやっていたのだった。

 秋子が医師免許を持っていたなんて、当然、名雪も知らなかった。

 でも、特に驚かなかった。

 だって秋子さんだから。

「お母さん。それで、呼び出したのって……」

「ええ。今朝、あなたが運んできた女の子のことなんだけどね」

 困った顔をして(あまりそうは見えないけれど)、秋子が仕切っていた純白のカーテンを静かに開ける。

 そこには、たしかに女の子が眠っていた。土手で見つけたときの薄汚れていた様子とは違って、その顔は綺麗さっぱりだった。秋子が洗ってくれたのだろう。

「うぐ……許して……ちゃんとお金払うからあ……」

 怖い夢でも見ているのか、泣きそうな顔で時折むにゃむにゃと口を動かしている。

「名前は月宮あゆ。天野さんが教えてくれたのだけど……」

 秋子は、ふう、と吐息を漏らして。

「私の裏情報網でこの子の素性を洗ってみたら……ちょっと訳ありみたいで。だから、ね?」

 にっこり笑って名雪の瞳を覗きこむ。

「ま、まさか……」

「ええ。しばらくの間、あゆちゃんを家で預かろうと思うの」

 当然のことのように言い放った。

「もちろん、あゆちゃんの意向も聞いてみないとだけど。でも、その前に名雪の意見を聞いておこうと思って。名雪は反対しないわよね?」

 聞いておくと言いながら、その言葉はほとんど強制だった。

「う、うん。反対なんかするわけないよ」

 そう答えるしかなかった。

 世間から逸脱した母娘の会話は、水瀬家では常識なのだった。

 名雪はあゆの寝顔を見つめる。じっと。

 わたし、名雪って言うんだよ。なゆちゃんって呼んでね。

 これからよろしくね、あゆちゃん。

 その名雪の思考も、ちょっと世間からズレていた。








●現時点でのオーダー表

 ピッチャー  美坂栞

 ピッチャー  北川潤

 キャッチャー 相沢祐一

 キャッチャー 美坂香里

  外野    水瀬名雪

  ??    沢渡真琴

  ??    天野美汐

 部員数7人




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