2章 部員集めと個別レッスン
第7話
「おーい、栞ー」
「…………」
「栞ー、聞こえないのかー」
「…………」
「返事してくれー、頼むからー」
「…………」
ここ三日、栞はろくに口を利いてくれなかった。
グラウンドに向かう道程で、今日も怒ったようにただ黙々と歩いている。
「なあ……待てよ、栞」
肩をつかむと、ぺしりと払われた。
「なあ。そんなに怒るなよ」
「……祐一さんのバカ」
そっぽを向いてまたひとりで先に行ってしまう。
「ねえ祐一。栞ちゃんになにかしたの?」
「いや……まあ」
ご褒美の件が原因なのは考えるまでもなかった。
「バカ祐一〜バカ祐一〜」
真琴がとてもご機嫌だった。
「まさかあんた、また栞に……」
香里の拳がぷるぷる震えていた。
「一度ならず二度までも栞を傷物にして、あんた、もはや死ぬしかないようね……」
「俺は何もしてないって!」
むしろ何もしなかったからこうなったんだが。
「じゃあなんで栞があんななのよ」
「知るか」
栞を追うように、祐一もみんなから離れて歩く。
「バカ祐一〜バカ祐一〜」
ボールをぶつけて黙らせた。
「いたたた……なにすんのよバカ祐一!!」
真琴が負けじとボールを乱射し出した。
「なんかうるさいのが加わったわよね……」
「自分のこと棚に上げてなに言うか」
「あたしはクールなキャラよ」
初対面のときを考えるとそうは思えん。
「あぅーっ逃げるなっ正々堂々戦え――っ!!」
ところかまわずボールをノックし出した。
「はあ。騒々しいったらないわね」
「もう部員6人だもんね。やっと試合できるね」
「……名雪。野球の試合は9人よ」
「大人数になって楽しいね〜」
「そのわりにチームワークは最悪だけどね」
「オレと美坂のふたりきりだった頃が懐かしいなあ」
「その頃よりはマシね」
グラウンドに到着した。ちなみに真琴がばらまいた球を拾い切るのに一時間浪費していた。
ホームベース付近で輪になってそれぞれ準備運動をする皆を見回して、祐一が言う。
「そろそろ打撃練習をやろうと思うんだけど」
「おお、いいねえ。へへっ、みんな、オレの華麗なバッティングに酔いな」
「おまえはバッティングピッチャーだ」
「わかってて言ったのさ……」
北川の背中は寂しそうだ。
「三人ずつの二つの組に分かれて行う。ひとりはピッチャー、ひとりが打って、残りひとりが守備だ。打者と守備は時間でローテーションさせる」
「真琴、打つの専門でいいー」
「却下」
「なんでよーっ!!」
無視。
「栞。おまえもバッティングピッチャーやってくれ」
無視された。
「栞ちゃん、がんばってね」
「はい」
名雪の声には反応した。あからさまに避けられている。
「じゃあ名雪さん、向こうで一緒にやりましょう」
「え、う、うん」
名雪の手を引いてさっさと行ってしまう。
祐一はあわてて栞に追いついた。
「待てって。三人一組って言ったろ」
「お姉ちゃん、一緒にやろっか」
こっちを向いてもくれない。
「い、いや、だったら俺を入れてくれ」
「やです」
そっこー断られた。
「……栞。俺が悪かったから。謝る。この通りだ」
「…………」
「学校の購買でバニラアイス買ってきてやるから。ギネス並の雪だるまも作ってやるから。スケッチブックに描かれた似顔絵見ても異次元なんて言わないから」
「似顔絵じゃなくて風景画です」
泥沼だった。
「……なあ栞。俺はおまえとバッテリー組みたいんだよ。だからあんなことくらいで仲違いしたくない」
「あんなこと……。祐一さんにとってはそうなんでしょうね……」
栞が大きくため息をついた。
「わかりました。じゃあ今度バニラアイスおごってくださいね」
にっこり笑って答えてくれた。どうやらお許しが出たらしい。
「……ああ」
けれどその笑顔は、すこし寂しげだった。
「うん。みんな仲良く、だよ」
名雪が締めくくった。
「あーあ、つまんないのー」
「真琴もみんなと仲良く、だよ」
「あぅ……」
「相沢君。あたしたち、そろそろ始めるから」
香里、北川、真琴の組が準備に入る。
「オレの剛速球は誰にも打てないがな」
「真琴。北川に引導渡してやれ」
「言われるまでもないよーだっ」
アッパースイングを繰り出しながら舌を出した。
ネットをキャッチャー代わりにし、打撃練習が開始される。
「ホイコーローまんーっ!!」
「なにいいぃぃ!?」
真琴がさっそく北川からホームランを打っていた。
「じゃ、俺たちもやるか」
「私がピッチャーでいいんですよね」
「ああ。で、名雪。まずおまえがバッターやってくれ。俺が指導するから」
「祐一さんは守備じゃないんですか?」
「名雪のバッティングじゃどうせ前に飛ばないだろ」
「うー、ひどい。わたしだって野球の勉強してたんだから」
名雪が剣道みたいな構えをして右打席に入ろうとする。
「……栞。まず名雪に打撃フォームを教えてやってくれ」
「お任せください」
前途多難だ。
「あ、そうだ。名雪、おまえ左打ちやってみないか」
「左? でもわたし右利きだよ」
「初心者だし、問題ない」
「なんで左なの?」
「おまえの足を生かすためだ。左バッターボックスは右よりもファーストに近いからな」
名雪ならサード方向に転がすだけで出塁率が高くなるだろう。
「準備オッケーだよ〜」
名雪が左バッターボックスに入り、栞が向こうに駆けていく。
「基本はダウンスイングだ。真琴みたいにホームラン狙わなくていいからな」
「そうなの?」
「ああ。ゴロを打ったほうが打ち上げるより相手の守備ミスを誘えるからな」
「ヒットを打てばいいんじゃないの?」
「おまえにそれは望んでない」
「ひどいよ……」
案の定、名雪のバットはボールにかすりもしなかった。
「もっと球をよく見ろ。バットを短く持て。腕でバットを振るんじゃない、腰で振るんだ。バックスイングのときグリップが下に下がりすぎてるぞ」
「いっぺんに言わないでよう……」
「祐一さんって指導者向きじゃないですよね」
名雪は二球目も空振った。
「バットを短く持てって言ったろ。それじゃ逆にバットに振り回されるぞ」
名雪の背後に立って、腕を前に差し入れ、グリップを握る名雪の手に自分の手の平を重ねて上に押しやった。
「わ、わわわ……」
祐一の左右の腕に挟まれた名雪が挙動不審に陥っていた。
「わかったな。コンパクトに上から叩くんだぞ」
「う、うん……」
「栞。次頼む」
「…………」
反応がなかった。
よく見ると、栞がじーっとこちらを見つめていた。
「どうした、はやく投げてくれ」
「あ、は、はい」
慌てて投球動作に入り、打ちごろのスローボールを放ってくる。
が、名雪はまた見事に空振った。
「だから、腕だけで振ろうとするんじゃない。ちゃんと腰も使え」
がし、と名雪の腰を両脇から鷲づかんでぐいっと回す。
「わ、わわわわ……っ!」
名雪がぴょんとあとずさった。
「な、なにするんだよ……っ!!」
「なにって、指導だ」
「ううううぅー」
顔を真っ赤して睨んでくる。
「栞、次だ」
「…………」
またも反応がなかった。
よく見ると、さっきと同じくじーっとこちらを見つめていた。
「栞、ぐずぐずするな」
「…………」
無言で振りかぶる。
名雪はうつむいたまま、やって来たボールを打たずに見送った。
「……おい、おまえやる気あるのか」
「…………」
「栞、次だ」
「…………」
なんだか空気が重かった。
「……栞。やっぱりまだ怒ってるのか?」
「あ、い、いえ、そーゆーわけでわっ」
「ならぼけっとしてないで早く投げてくれ。部活動の時間は限られてるんだ」
「は、はい……」
「名雪、おまえもだ。もっと気合入れて取り組め。ただでさえ普段からボケボケしてるんだから」
「ううううううぅぅぅぅー」
拗ねた子供のように上目遣いで睨んで、それからようやくバットを構える。
と、ついに名雪のバットにボールがかすった。
「わ。ゆ、祐一、当たったよ!」
「ああ。よくやった」
「うん!」
次の球が来る。へろへろのキャッチャーフライを打ち上げた。
「ゆ、祐一、また当たったよ!!」
「ああ。その調子でがんばれ」
「うん!!」
名雪の素直な喜びようを見ていると、指導のほうもやりがいが出てくる。
「でもまだボールの下を叩いてる。もっと腕を高くして構えてみろ」
名雪の背中に寄り添い、肘をぐいっと上に持ち上げてやった。
「わかったな」
「う、うん……っ」
名雪の頬が、かあっと赤くなる。
「……祐一さんのバカ」
その栞の呟きは誰の耳にも入らなかった。
「うぐぅ。なんか楽しそう」
「そうですか?」
「うん。ボクもやってみたい」
「四角関係になるのがオチですけどね」
今日もまた羽リュックの少女――月宮あゆと、紫髪の少女はグラウンドの野球風景を見物していた。
「うぐぅ……タイヤキ食べたいよう。お腹いっぱい食べたいよう……」
最近、どうもタイヤキが手に入らない(どうやらブラックリストに乗ってしまったらしい)ので、あゆはかなりご機嫌ななめだった。
「どうぞ、これ」
紫髪の少女がクレープを手渡してくる。
「またもらっていいの?」
「はい」
土手に腰を下ろし、二人してクレープをかじり始める。
風が心地よかった。
金属バットの奏でる音色が、そよぐ風に乗って断続的に聞こえていた。
「フフフ……時は来ました」
クレープを食べ終わり、紫髪の少女がゆらりと立ち上がった。
「どうしたの?」
「フフ……見ていればわかりますよ……」
口の端を吊り上げて、ゆっくりと歩き出した。
そのまま土手を降りていく。
「どこ行くんだろ」
あゆはきょとんとして彼女の行動を見守っていた。
●現時点でのオーダー表
ピッチャー 美坂栞
ピッチャー 北川潤
キャッチャー 相沢祐一
キャッチャー 美坂香里
外野 水瀬名雪
?? 沢渡真琴
部員数6人