第2話




「明日から一緒に登校だね、祐一」

 リビングでくつろいでいると、一緒にテレビを見ていた水瀬名雪がぽつりとこぼした。

「一緒のクラスになれたらいいね」

「しかも偶然、隣同士の席になって果ては教科書を一緒に見ることになってあまつさえ一緒に弁当を食うことにでもなったら傑作だな」

「なんで傑作なのかわかんないけど……。でも、そうなったらいいね」

 名雪はにこにことご機嫌そうだ。

「でも、びっくりしたよ。祐一、急にこの街に引っ越して来るんだもん」

「俺だってびっくりしたよ。まさか駅前のベンチで二時間も待たされるハメになるとは思わなかった」

 季節は春。だから凍死は免れたが、代わりに桜まみれになったのだ。

「冬だったら雪だるまになってたかもね」

 すまなそうに言う名雪の顔は、やはりどこか嬉しげだった。

「なんでそんな嬉しそうなんだ?」

「なんでって……祐一と一緒に住めるんだもん、嬉しくないはずないよ」

 照れもせず言い放たれた。

「……そのこと誰にも言うなよ」

「善処するよ」

 言うのが目に見えていた。

「……わかった。言ってもいいけど、その代わり条件がある」

「条件?」

「ああ。おまえ、野球部に入らないか?」

 すると名雪は悲しそうな顔をして、

「そっか。祐一、やっぱり野球続けるんだね」

「当たり前だ」

「でも、うちの学校に野球部なんてないよ」

「わかってる」

 今日の昼、祐一は『野球部』というプレートがかかった部室に訪れた。

 実は部員が九人にも満たない同好会だったとは知る由もなく。

「部員を集めたいんだよ。試合をするために、甲子園に出るために」

 そうして祐一は昼の出来事を事細かに名雪に語り始める。








「部員が三人しかいないだと!?」

 さっきまで木製バットを振り回していた女の子――美坂香里に向かって祐一は声を荒げた。

 気絶から立ち直り、どうにか誤解を解いて部室に通された祐一が最初に耳にしたのは、この部が弱小同好会である、という話だった。

「じゃあ俺の甲子園春夏連覇の夢はどうなる!?」

「なによ、あなたこの野球部に入りたいの?」

「俺が入りたいのはちゃんと試合のできる野球部だ!! ここは単なる野球同好会なんだろうがっ!!」

「失礼ね。野球部っていう名前のちゃんとした野球同好会よ」

「まぎらわしい名前つけんなっ!!」

「あ、あの、祐一さん」

 香里の妹であるらしい美坂栞が、もじもじしながら一枚の書類を手渡してくる。

「これ、入部届です。これからよろしくお願いしますね、祐一さん」

「ちょっと栞、こんな変質者、この清く正しい野球部には必要ないわ」

「俺は変質者じゃないしおまえみたいな暴力女がいる同好会なんかこっちから願い下げだっ!!」

 ちゃり、と『祝・阪神優勝』バットを首筋に当てられ、祐一はうっとうめいて押し黙った。

「とにかく、あんたの入部はこのあたしが許さないから」

「お、お姉ちゃん……。せっかくの入部希望なのに」

 シュンとする栞を見て、香里もバツが悪そうに押し黙った。

 やるせない沈黙があたりに充満する。

「……で、部員が三人って、あんたらは当然部員なんだよな?」

 気まずいのでとりあえず声をかけてみる。

「あ、は、はい! ちょっと待ってくださいね、メンバー表持ってきますから」

 栞が席から立ち、ぱたぱたと後ろの棚に駆け寄ってぱたぱたと戻ってきた。

「これです」

 差し出されたメンバー表を食い入るように見つめる。




 二年 ピッチャー   北川潤

 二年 キャッチャー  美坂香里

 一年 マネージャー  美坂栞




 眩暈がした。

「祐一さんはどこのポジション希望ですか? たくさん空いてますので好きなところ希望していいですよ」

「……いや、その前に、これでどうやって今まで練習してたんだ?」

 三角ベースすらできそうにない。なのになんでマネージャーがいるのかが謎だ。

「主にキャッチボールです」

 嬉しそうに言われた。

「まあ、それしかできないよな……」

「なによ、あんたあたし達の同好会に文句つける気?」

「文句っていうか、もっと部員を増やしたほうがいいだろこれは……」

「それができれば苦労しないわ」

 まあそりゃそうだろう。

「最近、某雑誌の影響でテニスブームと囲碁ブームに見舞われてね。しかも野球はゴジラがいなくなったせいで近年まれに見る大不況よ」

 とても説得力があった。

「だからお願いします! 祐一さん、野球部に入ってください!」

 栞がぺこりとお辞儀した。

「でもな、俺は遊びじゃなくて真剣に野球がしたいんだよ」

 ぴくりと香里が反応した。

「聞き捨てならないわね。あたしたちだって真剣に野球に取り組んでるわよ」

「キャッチボールしかできないのに何言うか」

「……祐一さん」

 その栞の言葉は鋭くて、一瞬どきりとした。

「私たちは、同好会でも、真剣に野球が大好きなんです」

 眉を吊り上げて、頬を紅潮させて、栞が言った。

「私たちだって本当は試合したいんです……」

 祐一はぽりぽりと鼻の頭を掻いた。

「……悪かった。謝る。でもな、いくら好きでも、努力と根性があっても、それだけじゃだめだ。甲子園には行けない」

「甲子園が全てってわけじゃないでしょ、野球は」

 香里が呆れたように言う。

「だめなんだよ。俺は、どうあっても甲子園に行きたいんだよ」

「なんでよ」

「俺の夢だからだ」

 言った瞬間、香里が「うわ、こいつ暑苦しい」とかいう目で見つめてきた。

 ふん、真の天才はいつの時代も遅れて理解されるものさ、と照れ隠しに考えておく。

「じゃあな」

 祐一は踵を返した。もう一回違う高校に転校しよう、今度はちゃんと野球部があるか調べてから。

 そうだな、県大会優勝くらいの実力のある高校を探そうか。

 もっと効率的に行こうか。

 練習だって同じことだ。食事からなにから、科学的なメニューをこなすのが一般的なのだ。せめてピッチングマシーンが配備されたチームを探そう。

 夢を叶えるには、もっと効率的に行くべきなんだ。

 それが甲子園を目指す俺の生き方だ。

 外に出ようとしたとき、後ろから服の袖をひっぱられた。

「……祐一さん」

 栞がうつむいて、なにかに耐えるようにたどたどしく口を開いた。

「祐一さん、私のファーストキスの責任、まだ取ってません……」

「入部させてください」

 祐一はひれ伏した。

 このとき祐一は生き方をあっさり変えていた。イバラの道を行くという生き方に。

 あの唇の感触がまだ残っていたので。








「――というわけでさ、もうこうなったら誰でもいいんだ、暇そうなやつに片っぱしから声かけて野球同好会に引きずり込んで、ついでに監督も探して、正式に部として発足させて、ちゃんと高野連にも登録して……って名雪寝てるし」

 名雪の顔は糸目になっていた。

「……まあ、いいか」

 祐一は入部届をテーブルに広げ、朱肉を取り出して名雪の指に押し当てた。そのまま拇印を入部届の所定の欄に押す。

 氏名の欄にはすでに水瀬名雪と書かれていた。

「……部員ひとり、ゲット」

 祐一はほくそ笑み、スキップしながらリビングを出た。

「うにゅ……わたし陸上部で部長さんやってるんだよ〜」

 そんな名雪の寝言は誰の耳にも届かなかった。








●現時点でのオーダー表

 ピッチャー  北川潤

 キャッチャー 相沢祐一

 キャッチャー 美坂香里

  ??    水瀬名雪

 マネージャー 美坂栞

 部員数5人




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