1章  まずは部員集めから




  第1話




 私立華音高校――――

 その近代的な校舎には春休み特有の活気が溢れていた。

 補習を受ける者。中庭で談笑にふける者。そして大半の生徒は部活動に勤しもうとクラブハウスへと駆け込んでいく。

 そのクラブハウスの前に立ち、相沢祐一は『野球部』と銘打たれたプレートがかかるドアをじっと眺めていた。

 祐一は、この華音高校に転入してきた転入生だった。

 七年ぶりに訪れたこの北の街で、祐一には心に秘める決意があった。

 俺は、たとえ雪国だろうと田舎だろうと野球を続けてみせる!

 親の都合で名門野球部を離れざるを得なかったとしても、野球をやめるつもりはさらさらなかった。たとえ祐一がその名門野球部のレギュラーに一年生にして選ばれ、活躍を果たし、超高校級の天才球児として甲子園を湧かせた男であり、なのにこんな華音野球部なんていう怪しそうな部に入るなんぞとてもじゃないがプライドが許さないのだとしても。

 俺は、この無名の華音野球部に入部し、必ずまた甲子園に返り咲いてみせる。

 二年生となり、二度目の夏を迎える今年。

 そして、絵亜高校への雪辱を……。

「さて、と」

 祐一はドアノブをひねった。正式な転入は明日の始業式だったが、あいさつ代わりに部室の様子でも窺っておこうかと考えたのだ。

 きっとそこには汗臭いロッカーと、汗臭い野球器具、汗臭い部員、祐一が慣れ親しんだ空気が待ち構えているはずだ。

 はずだったのだが――

「…………」

 祐一の目は点になった。

 そこには、汗臭さとは無縁そうな女の子二人が立っていた。

 しかも下着姿で。

 数秒の沈黙が落ちた。

「い……いやあああああああああああっっっ!!!!」

 耳をつんざく悲鳴で我に返り、祐一は転がるように外に出た。

 な、なんだ? ここは野球部の部室だろ? なのになんで女の子が?

 あ、でもべつに甲子園は男女平等だっけか(ベンチ入りに限ってだから試合出場は無理のような気もしたが、まあ些細な問題だ)。

 だいいち、あの宿敵の絵亜高校だって大半は女子部員で締められてたもんな。

 うんうんとひとり納得していると、とんでもない音を立てて背後の扉が開かれた。

 女の子が顔を赤らめながら立っていた。肩にかかるウェーブがかった髪、秀才そうな顔立ち。服は、あわてて着なおしたのか、この学校特有のケープの部分がめくれていた。

 そして、なぜか手には赤黒いボロボロのバットが握られていた。

「この覗き魔!!」

 有無を言わさず振り下ろされたバットを、すんでのところでかわした。

「ちょ、待て待て! これは事故だ!!」

「覗き魔はみんなそう言うのよ!! あたしは言い訳するやつと巨人ファンは大っ嫌いなのっ!!」

 見れば、その年代ものっぽい木製バットには『祝・阪神優勝』という文字がでかでかと彫ってあった。関西人にとっては遠い昔の栄光である。

「ていうか、ここは北の街だろ!?」

「阪神ファンに人種の壁なんて通じないのよ!!」

 連続して突き出されるバットを地面を転がりながらかわしていく。

「くっ、ちょこまかと……。ひとおもいにバットのさびになれば苦しまずにすむものを」

「事故だっつってんだろうがっ! だいたい着替え中なら鍵くらい閉めとけ!!」

「お、お姉ちゃん……」

 半開きになったドアの隙間からおずおずと顔だけ出すもうひとりの女の子。髪はボブカット、肌が白くて病弱そうな印象の子だ。

「お姉ちゃん、その……」

「栞。あんたはひっこんでなさい。じゃないとこの男にまた襲われるわよ」

「いつ誰が襲った!?」

「この男は阪神の面子にかけてあたしが潰すわ」

「俺はべつに巨人ファンじゃないって!!」

「なによ、金さえかければチームが強くなるとでも思ってんの!?」

「んなこと誰も言ってないし、最近は阪神だって似たようなもんだろが!!」

「ペタジーニと中村を横取りしたくせに!!」

「だから俺は巨人ファンじゃないし中村は近鉄残留だろが!! ペタをかえせこんちくしょう!!」

「……あなた、もしかしてヤクルト?」

「ああ。野村監督が世話になったな」

 ちょっとだけ友情が芽生えた。

「あ、あの……お姉ちゃん。野球談義もいいけど、その前にスカートはいたほうがいいよ……」

「…………え?」

 目の前の彼女が、ゆっくりとぎこちなく視線を下げる。

 そこには健康的な太ももが陽光を浴び、白く眩しく輝いていた。

 ああ、それはまさしく天高く舞い上がる白球のよう。そんなこと思ったりして。

 ぼんっと彼女の顔が赤くなった。

「……コロス」

 ちょっとだけ芽生えたはずの友情はあっけなく消えた。

 逃げよう、祐一は思った。

「ぜったいコロス!」

 背を向けて駆け出す祐一の襟を彼女は神業の素早さでつかみ、ひきよせ、ついでに胸倉を締め上げて、女の子とは思えないほどの怪力で背負い投げをかました。

 祐一の身体は見事に放物線を描き、そのまま半開きだった部室の扉のほうへと頭から突っ込んでいき――

「……ひあっ!?」

 小さな悲鳴が聞こえた途端、祐一はそこでなにかと正面衝突した。

 まったく……今日は厄日だな。

 俺はただ部室を見学に来ただけだというのに。なのになんだろう、この某ラブコメのような展開は。この物語は友情、努力、勝利を三原則としたスポ根小説じゃなかったのか?

 そのとき祐一は、なにやら自分の周りに甘い香りが漂っていることに気づいて、同時に自分の身体がなにか柔らかいものに折り重なっていることにも気づいた。

 それに、なんだろう、この、自分の唇に押し当てられた温かくて、弾力のある――

「……!!」

 祐一は飛び起きた。自分の身体の下には、ボブカットの子が仰向けに倒れたまま、放心したように瞳をめいっぱい広げてこちらの顔を見上げていた。

 下着姿で。

「い、いや、これはだな……」

 女の子は半裸のままおずおずと指先を上に持っていって、自分の唇に添え、数回なぞり、

「……ふ、ふぇ」

 ぽろぽろと涙をこぼし始めた。

 背後からとてつもない冷気と殺気を感じた。

「どさくさに紛れてあたしのかわいい妹になんてことしてんのよ……」

「事故だ!! つーかこれはおまえのせいだっ!!」

「問答無用。栞の身体を傷物にした代償、あんたの命で払ってもらうわっ!!」

 祐一の眼前には『祝・阪神優勝』の文字が迫っていた。

 ふん、今年はヤクルトの優勝さ。だって知ってるか? ここ数年、巨人の優勝した次の年はヤクルトが優勝を飾ってるんだぜ?

 ていうか、この物語はプロじゃなくて甲子園の話……

 祐一の意識はクリーンヒットした木製バットによってそこで途絶えた。




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