映画の迷宮、迷宮の映画
〜仮面/ペルソナ、デヴィッド・リンチ他

観ていてまるで迷宮を彷徨っていいるかのような思いにさせられる映画がある。そのような映画が好きである。どうしてそういう展開になるのか困惑させられる。時には何が起こったのか把握できなくて自分の立つ土台が壊れたような感覚を味合わされる。それが快い。快いだけでなく、すっきり良く分かる映画では表現できないような宇宙的広がりや深さを実感させられる。今まで夥しい数を観た映画の中でほんの僅かしかないが、それらから迷宮的な感覚を生み出す条件を推し測ると次のようになる。

不思議な展開をして、それについて何を表しているか議論が沸騰するが、結局結論は出ない。というような映画である。もし作り手が何か伝えたいメッセージがあり、それが理解されなかったり、理解されないまでも観る方に問題意識を生み出さなかったとしたら、それは失敗というだけであろう。私の好きな迷宮映画というのはもともと何かを伝えようとするのではなく、迷宮的な世界が構築されるためにこのような条件が効果的に働いている映画である。それが意図的なものか、期せずしてそうなってしまったのかはどちらでも良い。

これらの条件はあくまでも外見的なものでしかなく、そうして彷徨う世界が魅力的なものでなければならず、また土台の崩壊が効果的に演出されていなければならない。

私が見た中でこのような映画(以降迷宮映画と呼ぶことにする)の最高峰はベルイマン「仮面/ペルソナ」だと思う。何故”思う”という断定的でない言い方になるかというと、私がこの映画に出会ったのはもう30年以上前、1977年の名画座ミラノ(現在のミラノ3)であり、そのとき以降再見する機会が無い。この稿をかくためせめてDVDで良いから確認しようと思うと、以前出ていたこともあるらしいが既に廃盤、手もとを探しても採録シナリオの類も無く、記憶が心許ない。それでも予期せぬ展開をしていく酩酊感や、例えば突然映写機のカットになったとき等に味わった崩壊感など強く印象に残っている。なによりもとても美しい映画で、短期間の公開だったように覚えているが、日曜日に観て魅せられて忘れられずに、翌々日の終業後に会社があった川崎くんだりから新宿までまた出かけた。

現役の映画作家で迷宮をつくるのに熱心なのはのはデヴィッド・リンチである。その最大最高の成果は「マルホランド・ドライブ」であろう。一方何かありそうな深みに欠けるという点で失敗したのは「ロスト・ハイウェイ」。最後において作者の意図が見えてしまったことで失敗したのが「インランド・エンパイア」である。ただし完璧さに欠けるとしてもこの両作とも十分楽しめた。私は心密かにリンチは実は「仮面/ペルソナ」にあこがれてそれを自ら作ろうとしているのではないかと想像している。「マルホランド・ドライブ」における人の入れ替わりや、「インランド・エンパイア」における「映画」の扱い方などにそう感じてしまう。

今のところ理想的な迷宮映画というとこの2本しか思い浮かばないのだが、迷宮映画の魅力を持った映画は他にもいろいろある。レネ「去年マリエンバートで」は、映画史的な知識として意識の流れの手法を用いていることを知っていて観るから、”背後の意味が分からない”という条件は満たさないが、サッシャ・ヴィエルニのゆったりと異動するカメラ、ナレーションと音楽の生み出すリズムで、夢の中を彷徨うような感覚がある。「2001年宇宙の旅」は全体的には迷宮映画ではないが、スリットスキャンニングのシーンから迷宮に突入する。一見意味不明な展開をするが、何か背後に意味がありそうと思わせるためには、実はきちんとした原理に沿って作り、なおかつその原理が観客に分からないようにするというのがひとつの作り方と思う。「2001」はまさにそのように作られている映画である。どこに行くか分からない展開が酩酊感を生み、また要となるシーンでは拠って立つ土台が崩れるような感覚があるということではヒッチコック「めまい」や、それへのオマージュであるデ・パルマ「愛のメモリー」もそうである。このように結局最後にネタは割ってしまうのだが、観ている間はどうなっているのだろうという不安感にかられるような映画ということでは他にもいろいろある。例えばごく最近観たものではポール・シュレットアウネという人の脚本・監督のノルウェー映画「チャイルドコール/呼声」も予測不能の展開が生み出す不安感という点ではなかなかのものだ。出口や展開が分からない迷宮を彷徨う感覚ということではベルトルッチ作品等にもあるが、時間が動かない世界につかまってしまったような感じであり、ここで言う迷宮映画とは違う。

日本映画で何かあるかと言うとすぐには思いつかない。日本文学史上おそらく最大の迷宮的作品「ドグラマグラ」を映画化した松本俊夫作品は迷宮を再現できていたような記憶は無い。清水崇「呪怨」が、2003年の最初の映画作品に限った話だが、予測不能の展開、背後に何かありそうだが最後まで分からない事が生み出す宇宙感覚の点で挙げても良いものかも分からない。

理屈では割り切れない世界や人の深さや広さをそのまま表現するものとして、迷宮の映画あるいは映画の迷宮は手法の一つなのだと思う。結局は最後にネタを割ってしまって混沌から脱するような映画でもひと時でもそれを味わうことで強い経験として残るものもある。

追記

後から、日本映画で”迷宮”を目指した映画を思い出した。板尾創路「月光ノ仮面」である。傑作とは言えないが魅力的な映画だった。それから別稿「映画の中のショパン」でも書いたが村川透「野獣死すべし」。これは傑作である。

初稿2013/4/13
追記2013/9/28