ポーランド映画史上最高の天才ハス

昨年の映画体験の中で新作、旧作のどの映画と比べても圧倒的だったのはイメージフォーラムのポーランド映画祭で観たヴォイチェフ・イエジー・ハスの1973年の作品「砂時計」である。

これは何だという強烈な絵を持った開巻からはじまり、次々と心地よく流れるように現れていくシーンの数々は、セットだそうだが、夢を見ているような美しさに満ちていて、なぜか懐かしさを感じさせる強い存在感がある。心の中の旅という趣もあって、タルコフスキー「鏡」を思わせられたりもしたが、こちらはより意図的で設計されているように見える。知と幻想が理想的に結びついて至高の世界を実現している。

ポーランド映画というとどうしても政治的なテーマの周りに存在しているイメージがある。それらが与えてくれる感動や充実感、問題意識も素晴らしいし、それが詩的にも成功している「灰とダイヤモンド」のような名作もある。しかしながら、芸術として達成している高みという点から見て、たった一本この映画を観ただけで、この人はポーランドという地から生まれた最高の天才という確信を持ってしまった。ポーランド映画のごく一部しか観ていないお前が何を言うかと言われそうだが。こんな人が他にいるわけがないというのが実感である(もちろんそれが将来崩されるような映画に出会うことができたら、また嬉しいが)。

昨年のポーランド映画祭ではハスの特集があり、この作品以外に「縛り首の縄」、「愛される方法」、「サラゴサの写本」が上映されたが他は時間の都合でみることができなかった。特にハスの作品としては一番有名な「サラゴサの写本」を見ることができなかったのはくれぐれも残念であった。今年の映画祭での再上映を期待しようと思ったが必ず再上映があるとは限らない。念のため手に入るうちにということでブルーレイディスクを購入した。次回の映画祭で上映が無かった時に観ようと思っていたのに、この間我慢しきれずとうとう観てしまった。

映像の美しさが心地よいのは同じだが、こちらは幻想的というよりも、物語の構成を楽しむ映画と言える。特に後半で、登場人物が語る物語のなかの人物がまた語りはじめその中の人物がまた・・というように物語が複雑に絡み合って展開していくさまは壮観である。家で明るい光の中でみていると、今、物語はどうなっているかと頭の中で冷静に分析しながら観てしまう。それはそれで楽しいが、映画館で見るともっと入り込んでみるので、何がどうなっているか分からない世界をほっつき歩いているような気になったはずと思う。それを経験したかったものだ。

「砂時計」も「サラゴサの写本」も迷宮と表現されることがしばしばある。しかしながら私はそう感じなかった。前者は幻想の世界なのであり、後者は複雑なだけで何度も観ればどうなっているかきちんと分析できそうで出口のある迷路ともいうべきものだと思う(私の迷宮映画の定義はこちら)。

「サラゴサの写本」に戻る。このような複雑極まりない構成をとった結果、一つの世界全体をまるごと含んだような豊かさを表現できている。これはパゾリーニが生の三部作で求めて遂に「アラビアンナイト」で達成したものに通じる(そういえば「サラゴサの写本」の原作ヤン・ポトツキ「サラゴサ手稿」はポーランドの千夜一夜物語と呼ばれているそうな)。ただし、「アラビアンナイト」が詩人の感性で組み立てられたものという印象がするのに対し、こちらの方は感性と共にやはり理知的に設計されたものという感じがある。

補足

今年(2015年)のポーランド映画祭が11月14日から11月20日まで角川シネマ新宿であった。長編第一作の「縛り首の縄」と「サラゴサの写本」の上映がそれぞれ一回だけあり、観に行ってきた。上映して頂けたのは嬉しいものの。「サラゴサ」はビスタフレームにレターボックスで収めたものでかなりがっかりした。アスペクト比が変わる分けではないので資料としてはこれで良いかもわからないが、上下スクリーン端との間があくのが映画との距離を感じさせられてしまった。

初稿2015/5/5
補足2015/12/21