もう一つのトライアスロン
このスポ−ツと出会い、そしていま・・・。

私はこのスポーツと出会い、多くの方と知り合い、そして数え切れない感動と、沢山の事を,学んだと思っていますが、きっとこれはトライアスロンに限ったことではなく、すべてのスポーツにおいて共通する事だと思います。 しかし時と場合によって、それは人の運命も、変えてしまう出来事になりかねません。

このスポーツと出会ったのは中学生の時、実は病床のベットの中でした。その時は体が弱く肺炎で入院し、40度の熱の中で見たTVでしたが、学校を長期で休み病床で不安な日々を送っていた自分にとって、それは偶然でした。

宮古島大会だったと思いますが、スポーツ(って言か体育が苦手)に関心がなかった自分でも、それはすごい事だと感じましたが、しかしそのとき思ったのは・・・水泳はとりあえず教室に通ってた事がある・自転車は町内の草レースで中野浩一を真似してみんなと走っていた・・あとはマラソンだけ・・・なんとかなったら僕でも出れるのでは・・・。

それから頭のどこかに「鉄人レース」(当時トライアスロンよりもこの言葉が良く使われました)がありました。肺炎に病んでる身の上でありながらいつか・・・。と

病気も治り学校に復学すると同時に水泳部に入部、周囲は猛反対しました,が、それを押し切りましたが、大きな切っ掛けは高校に入学してからでした。

高校に入学して陸上部に入部、その先生もトライアスリートで2年生の時、先生が出場したワールドトライアスロン・イン広島(1997年を最後に休止)にサポートで同行し、トライアスロンを
初めて肌で感じ、出場の意欲が高まりました。
そして先生の指導、そして当時お世話になった海田のキムラサイクルの協力を得て1989年、山口県で開催された「デイバース・トライアスロン」に出場、ついにトライアスリートになったのです。その感動、そしてなにか言葉にできない自信を得たのは確かでした。

その後もショート・ミドルをとあずレースに出場、そして病床のなかで見た宮古島大会から11年後、念願の宮古島大会のスタートラインに立つことができました。そして多くの人の応援のなか走り続け、両親の見守る中、ついにフィニッシュ!!ストロングマンの称号を、手にしました。

この日、初めてゴール後感動で泣き崩れました。11年前病床で寝ていた人間が、偶然見たTVで、人生が大きく変わってしまいました。